庭園の管理者
白蛇のアスクに連れられて、私は屋敷の外へと出た。どうもここは森の木々に囲まれた場所にあるらしい。ただし、広大な庭は柵に覆われ、屋敷は手入れの行き届いた花壇に囲まれていた。
「とても凄い庭だね。この広さを管理するのは大変じゃないのかな?」
私は足元のアスクに問い掛ける。すると、彼は鎌首を上げて陽気に答えた。
「勿論、人間の手では大変だろうね。けれど、ここには管理者がいてね。――リリィ! 起きているかい! お客様を紹介するよ!」
『ふあぁ……。アスク? お客様ってどういうこと?』
どこからともなく眠そうな声が聞こえて来る。けれど、周りには人の気配が全く無かった。
どういうことかと不思議に思っていると、不意に足元の土が盛り上げる。そして、大地を割って、若い女性が姿を現した。
「えっ……? どうして、土の中から……?」
『あらあら、本当にお客様だわ! ここに人間が来るなんて何年ぶりかしら!』
その女性は年の頃なら女子高生くらいの年齢だろう。無邪気な笑みは見ているこちらを和ませる。
しかし、彼女の肌は緑色だった。頭には二つの赤い花を咲かせ、下半身は大きな花から生えている。
リリィと呼ばれる彼女は、どうも私と同じ人間では無さそうだった。
「ケンジ、彼女はリリィ。この庭の管理をしている、使い魔のアルラウネさ。アルラウネは人間を取って食う危険な種族だけど、彼女は心配いらないよ。豊かな魔力を大地から吸い上げ、人間を捕食しなくても常にお腹一杯だからね」
アスクの説明を聞き、私はリリィの姿を改めて見る。パッと見は可憐な少女で、人間を捕食する何て信じられない。
けれど、綺麗な花には棘があると言うしね。きっとリリィも綺麗なだけの存在では無いのだろう。その証拠と言わんばかりに、彼女は悪戯っぽく笑ってこう尋ねて来た。
『あらあら、素敵なおじ様なら大歓迎よ? 食べると言っても別の意味に成るけど。……夜のお相手は必要かしら?』
「ははは、残念ながら私はジジイだ。綺麗なお嬢さんを相手するには、いささか年を取り過ぎているね」
彼女の胸は豊満で、大きな葉っぱでビキニの様に覆われているだけ。ほぼ裸と言って良い姿は、若い男であれば刺激が強かっただろう。
しかし、私は既に六十歳のジジイだ。孫ほども年の離れた少女に欲情したりはしない。そうでなくても、今ではもう最後まで立つ自身も無いしね。
『ねえ聞いた、アスク! ケンジはとっても紳士だわ♪』
「ああ、そうだね。社交辞令を言えるなんて実に大人だ」
アスクの返事にリリィがむくれる。けれど、本気で怒っている訳では無いらしく、すぐに表情を変えて私に視線を移す。
『それでどうしたのかしら? 私に何か御用? それとも、御用は御庭かしら?』
「勿論、その両方だよ。君と庭を紹介しつつ、ケンジの朝食の調達という寸法さ」
私の代わりに答えるアスク。その答えを聞いたリリィは、パッと顔を輝かせた。そして、ニコニコと笑みを浮かべながら、何やら指を振り始めた。
「ねえ、ケンジ。君に一つ謝らせて欲しい」
「私に謝るって、それはどういう事だい?」
白蛇の表情はわからないが、彼が本気で悪いと思っていないのはわかる。なぜなら、口調がいつ通りに陽気だったからだ。
そして、彼はその鎌首を屋敷の裏手に向ける。釣られて見た私は、その先の光景に思わず呆然とさせられる。
「君は随分とリリィに気に入られたみたいだね。野菜の収穫はセルフサービスじゃなくなったみたいだ。彼女からのサービスを受け取ってやってくれ」
『ふふふ、今はジャガイモにヒヨコ豆、トマトなんかがお勧めかしら? 他にも食べ頃な野菜を見繕ったわ。好きなだけ持って行ってね♪』
屋敷の裏手から続々と集まって来る多種多様な野菜たち。どうも地面が隆起して、野菜を転がす様にして運んでいるらしい。
「いや、それにしても数が多いね。ジジイにこの量は食べきれるかな……?」
『別に食べきれなくても構わないわよ。残った野菜は土に還るだけ。何年もそうして、誰にも食べられなかった野菜達だしね』
リリィの言葉に、私はハッと気づく。アスクもリリィも使い魔だと言っていた。しかし、その主は五年前に亡くなっているのだ。
ならば、二人は仕える主人を失ってなお、その務めを果たし続けている事になる。その労働の結果を、誰にも受け取って貰えないのにだ。
「……ありがとう、リリィ。これらの野菜は美味しく頂かせて貰うよ」
『喜んで貰えたら嬉しいわ! またすぐ育つから、いくらでも持って行ってね♪』
嬉しそうに微笑むリリィに、釣られて私も笑みを零す。感謝の気持ちから私は自然と頭を下げた。
しかし、頭を上げた所で、彼女は不思議そうに首を傾げていた。もしかすると、頭を下げて感謝を示す文化が、彼女達には無いのかもしれないな。
ただ、リリィにとってそれは、どうでも良い事みたいだった。彼女はアスクに視線を向け、期待する様に問い掛けた。
『そういえば、アスク。ケンジはこの屋敷の新しい主人になるの?』
「まだ未定さ。ただ、僕としてはそうなって欲しいと思っているよ」
アスクの回答にリリィは満面の笑みを浮かべる。それはまさに『花が咲いた様な』と形容すべき笑顔だった。
『それはとっても素敵ね! 是非ともケンジにお願いしましょう!』
「まあまあ、まずは朝食が先だよ。それに事情の説明も必要だしね」
どうやら、二人は私に屋敷の主人になる事を望んでいるみたいだ。けれど、まだ異世界に来たばかりの私には、それを受けて良いのかの判断も出来ない。
それを理解してくれているのだろう。アスクの言葉に、リリィも大人しく従っていた。
アスクは満足そうに鎌首を上下させる。すると、こちらに視線を向け、いつもの通りの陽気な口調でこう告げた。
「さて、ケンジ。君にもう一つ謝らせて欲しい」
「もう一つ謝る? それは何についてかな?」
何となくだけど、私はアスクの言葉に身構える事が無くなっていた。陽気な彼が告げる内容が、余り重要だった事が無かったからだ。
そして、その勘は半分だけ正しかった。アスクは側に置かれた木編みの籠を見て、私に対してこう告げた。
「この籠一杯の野菜を、キッチンまで運んで貰えるかな? 見ての通り僕には手が無くてね。手伝ってあげられないんだ」
『私もごめんね? 地面のある場所しか移動出来ないの。家の中までは運んであげられないわ』
改めて木籠を見ると、リリィが勝手に野菜を詰め込んでいた。先程は好きな分だけ持っていけと言われたはずだが、既にその言葉は忘れ去られた後だった。
「……なに、問題ないよ。少しくらいは私も働かないとね?」
肩に掛ける紐が付いており、木籠は背負う事が出来た。両手に抱えて持って行くよりは、随分と楽だっとは思う。
しかし、背中一杯の野菜は、思った以上の重量があった。キッチンまでは何とか運べたけれど、きっと明日以降に筋肉痛が来るのだろう。私はその予感に、ただ苦笑する事しか出来なかった。




