アガウエのフォロー
セメレ王女一行をリビングに案内し、私はキッチンへ向かおうとした。けれど、そこでアガウエさんから申し出があった。昼食を用意するなら手伝わせて欲しいと。
元々は王宮でも食事を作っており、旅の間もアガウエさんが皆の料理を作っていた。それに彼女は竈の女神ヘスティアを信仰しているそうだ。料理に関しては人一倍自信があるらしい。
それならばと、私はその申し出を受け入れた。私も多少は料理をするが、それでも素人料理だ。本職のプロに任せた方が確実だろうからね。
そう思って二人でキッチンに入った所、アガウエさんは困った顔でこう呟いた。
「竈……。ありませんね……」
キッチンを見回し、困惑した様子のアガウエさん。私は不思議に思いながら、魔道具のコンロを指さした。
「こういう魔道具は見慣れませんか? 魔法の力で発火するコンロですが」
「コンロとは何でしょう? 王宮でもこれ等の道具は見た事がありません」
そこで私はハッとなる。当たり前に受け入れていたが、この世界にはコンロがあるのだろうか?
アガウエさんは竈の女神を信仰していたのだ。つまり、竈を使った調理がスタンダートなのだろう。
色々と思う所はあったけれど、私はひとまず魔道具の扱いを彼女にレクチャーする。
「ここに触れると魔力が補充されます。色が変われば、こちらのスイッチで火が付きます」
「色、変わりませんね。そもそも私は一般人です。魔力を持っていないからでしょうか?」
私は呆然とアガウエさんを見つめる。アガウエさんの説明で、私は更に驚く事になった。
一般人には魔力が無いのだろうか? なら、どうして私は魔力があるのだろうか?
私がアガウエさんを見つめて固まっていると、彼女は困り顔でこう呟いた。
「王家の方々は祖先に神の血が混ざっています。ですので、多少なりとも魔力を持つのでしょうが……」
「神の血……?」
そういえばアスクも、英雄の大半が神の血を引いていると言っていた。もしかすると、神の血を引く者だけが、魔法を使えるからだろうか?
そうであるなら、神の血を引く価値は大きいと思う。魔法と言う奇跡を行使出来る、数少ない存在と言う事になるからだ。
そして、アスクは私が善良な魔法使いであるなら、どこの国でも手厚く歓迎されると言っていた。その意味が今になって、ようやく私にも理解出来た。
私が腕を組んで考え込んだからだろう。アガウエさんはオロオロした後、ハッとした顔で話題を変えて来た。
「あ、あの……。先程は姫様が失礼しました。我々の旅は過酷なものでしたので、姫様もかなり浮かれてしまったのでしょう……」
「浮かれていた? あのプロポーズの返事の事でしょうか?」
私は結婚を前提にお付き合いをお願いした。すると、その返事はミュージカル風に返された。
確かにアレは、かなりの衝撃だった。アレがこの世界の文化なのかと疑いもした。けれど、その真相はセメレ王女が浮かれていただけらしい。
私が呆然とアガウエさんを見つめていると、彼女は苦笑を浮かべてこう続けた。
「私は姫様の乳母でして、生まれた時より教育係を務めております。それと、ライオスは息子の一人で、姫様とは兄弟同然に育ちました。そんな私達だからこそ、姫様の旅に同行しているのですが……」
アガウエさんは微かに目を伏せる。そして、悲しそうな声で話を続ける。
「テーバイ王家はヘラ様の呪いを恐れています。けれど、ゼウス様の血を引くイノ様は手放したくない。それもあって、手厚く送り出されてはいたのです。国を出る際に、姫様に絶望はありませんでした」
胸元で手を握り締め、耐える様に身を震わせるアガウエさん。その態度を見るだけで、過酷な内容なのだろうと予想が出来た。私は固唾を飲んで、その話に耳を傾ける。
「馬車は野盗に奪われました……。金品も何度も騙し取られそうになりました……。イノ様を誘拐されそうになった事も数えきれず……。それは姫様にとって、とても辛い社会勉強となりました……」
アガウエさんの言いたい事が何となくわかる。温室で育ったお姫様に、外の世界なんて理解出来るはずが無い。
外の世界が如何に過酷なのかを、その身で味わう事になったのだ。その過酷な旅の中で、どれほど彼女の心は傷ついた事だろうか……。
「そして、本日は森でアステリオス様に出会い、始めは死を覚悟しました。その後はドライアドのリリィ様を見て、再び死を覚悟しました。――けれど、その最後に待っていたのが、あの紳士的なプロポーズだったのです」
「紳士的なプロポーズ……」
そう言われると、何だかとても恥ずかしい。再び顔が熱くなるのを感じてしまう。
けれど、アガウエさんは優しく微笑み、それからすっと頭を下げた。
「あの様に楽しそうに笑う姫様を久々に見ました。王宮で暮らしていた、無垢な乙女に戻ったみたいでした。魔法使い様、どうか……。どうか、姫様を宜しくお願いします」
「あ、頭を上げて下さい。改めてお願いされなくても、私は別に……」
アガウエさんはセメレ王女の乳母である。育ての母である彼女からしたら、娘が嫁ぐにも等しい状況なのだろう。
そう考えて私が慌てていると、彼女は頭を上げて悪戯っぽくこう告げた。
「それと、姫様は昔から吟遊詩人の歌がお好きなのです。機嫌が良い時には、つい歌ってしまう程に」
「あ~、なるほど。それはちょっと可愛いですね」
私は咄嗟に亡くなった娘の愛子を思い出した。愛子も機嫌が良い時に、良く歌っていたからだ。
けれど、妙齢の女性に対しては、少々失礼だったかな? そう思った私に対して、アガウエさんは噴き出す様に笑い出した。
「ふふっ、そうですね。姫様はとても可愛い御方です。ふふふ、どうぞ可愛がってあげて下さい」
口元を押さえて笑い続けるアガウエさん。恐らく年齢は四十過ぎなのだろう。見た目はともかくとして、実年齢では私より一回り下である。
だから、私は彼女の事も可愛いなと思ってしまった。ただ、今回はそれを口に出すのを控えておいたけれど。




