ケンジの要求
私とアスクが寝室に戻ると、セメレ王女一行は緊張した面持ちだった。固唾を飲んで私の事を見つめていた。
けれど、今ならばその理由が良くわかる。私の判断一つで、彼女達の運命が決まるのだ。安息の地を得るか、苦しい放浪の旅に戻るか……。
不安なままにさせるのも申し訳ない。そう思った私は、笑みを浮かべて結論から述べた。
「まずは、ご安心ください。私は皆さんを受け入れるつもりです。そして、セメレ王女に無理な要求をするつもりもありません」
「本当で御座いますか? それで、その要求と言うのは……」
セメレ王女は私を見つめる。その瞳には期待と不安が入り混じっていた。彼女にとって最善は、私が少し前に伝えた彼女を妻に迎える案だろう。
けれど、彼女はそれと同時に、私の奴隷になる覚悟を持っている。当然ながら、私にはそれを受け入れる覚悟なんて無いのだけれど。
私は緊張を感じて深く深呼吸をする。そして、私の考えをセメレ王女へと伝える。
「先程は妻に、と話しましたが……。流石に私としても、いきなり王女を妻に迎えるのは抵抗がありまして……」
「――っ……」
セメレ王女はギュッと手を握り、唇を強くかむ。その失望を滲ませた態度に、私は慌てて首を振った。
「ま、待って下さい、決してそういう意味では無くてですね! 結婚とはもっと互いを知ってから、行うものだと思うのですよ!」
「えっ……?」
言い方を間違った事に慌て、私は必死に言い訳を始める。そんな私の事を、セメレ王女は不思議そうに見つめていた。
「時間を掛けて話し合って、お互いの事を理解して! 結婚とは、それからするものです! 出会ったその日に、勢いで決めるものでは無いと思うのです!」
「そう、なんでしょうか……?」
セメレ王女は戸惑いを見せていた。もしかすると、それはこの世界の常識とは違うのかもしれない。それでも私としては、そこは譲りたくは無かった。
「だから、まずは話し合いましょう! お互いに相手を好きになれる様に努力しましょう! それでダメだったとしても、決して追い出したりはしません! その時はまた、お互いに納得出来る様に話し合いましょう!」
「…………」
私の重ねる言葉に、セメレ王女に理解の色が浮かぶ。私が何を伝えたいのか、その意図が伝わったみたいだった。
その事に安堵すると同時に、私の鼓動が高鳴ってゆく。全身に汗が噴き出すのを感じながら、私は右手をそっと差し出した。
「だから、その……。まずは結婚を前提に、お付き合いからは……。どうでしょうか?」
思えば私は妻と大学時代に知り合い、自然な流れで付き合う事になった。互いに気持ちが通じているのを知った上で、流れで付き合って結婚までした。
つまり、私にとってはこれが人生初のプロポーズだった。若返ったとは言え、私は還暦を迎えたジジイなのだ。今更こんな経験をする事になるなど夢にも思っていなかった。
ドクドクと言う、自分の鼓動が煩く響く。緊張の中で待っていると、セメレ王女は私の右手を両手でしっかりと包み込んだ。
「……魔法使い様。私は生まれて初めて――恋を知りました」
「えっ……?」
セメレ王女は私の右手にキスをする。そして、そのまま自らの頬に、私の右手を摺り寄せる。
瞳を薄く閉じて、うっとりした表情を浮かべ、セメレ王女は私に告げた。
「この様に紳士的で、愛おしい殿方を見た事がありません……。魔法使い様に見つめられると、王女である事を忘れてしまいそうです……。これはもしや、恋の魔法なのでしょうか?」
「そんな魔法は……。ありませんよ?」
少なくとも魔導書にはそんな魔法は載っていなかった。私は決して恋の魔法なんて使ってはいない。
けれど本当に魔法にかかったみたいに、セメレ王女が激変してしまった。どうして彼女はこうなったのだろうか?
困って従者の二人に視線を送る。しかし、アガウエさんはハンカチで涙を拭っており、ライオス君はそれを困り顔で見つめていた。
「ああ、魔法使い様! 畏まりました! ともに語り合いましょう! 愛の言葉を囁き合いましょう! 私は貴方様を愛する為に、身命を賭すと誓いましょう!」
「そ、そうですか……。その、ありがとう御座います……」
ミュージカルの様に歌われ、私としては戸惑うしかなかった。プロポーズに対する返事が、私の思っていた物と余りにも違い過ぎる……。
もっとこう、はにかみながら「お受けします……」みたいなのを予想していたのだ。あまりにも想定外過ぎて、お陰で緊張感は吹き飛んでしまったけれどね……。
私の右手に頬ずりを続けるセメレ王女を、私は困って見つめ続ける。すると、それまで黙っていたアスクが、陽気な声で話しかけて来た。
「とりあえず、話は纏まったって事で良さそうだね。なら、昼食作りを再開してはどうかな? 色々あって、皆もお昼はまだだろう?」
アスクの余りにも的確なフォローに、私は胸内で喝さいを送る。本当にどんな時でも彼は冷静で頼りになる。
私はニコリと笑みを向けて、そっとセメレ王女から右手を取り戻した。
「それでは、リビングへご案内します。簡単なものですが、皆さんにも昼食をご用意致しますので」
そう告げる私に対して、セメレ王女は上目遣いで私に身を寄せる。露骨に残念さをアピールしているけど、彼女の距離の詰め方が尋常ではないな……。
これもカルチャーショックと言う奴だろうか? 私は内心で苦笑を浮かべつつ、気付かぬふりをして皆と一緒に一階へ向かった。




