疑似ネクタル
「どうかこの身を、ご自由になさって下さい」
セメレ王女の言葉に、私は思わず頭を抱える。還暦を迎えたジジイに、このお姫様は何を言っているのだろう?
私はゆっくり頭を上げて、彼女の従者のアガウエさんとライオス君を見る。すると二人は私に期待の眼差しを向けている。
何故、そんな目で私を見ているのだろう? 年の差を考えれば、有り得ない提案だとわかりそうなものだけど……。
「あ~、その……。セメレ王女の提案は魅力的ではあるのですがね。見ての通り、私は老い先短いジジイなもので……」
「――はっ……?」
セメレ王女はポカンと口を開いて私を見つめる。その背後では、アガウエさんとライオス君も同じ表情を浮かべていた。
何をそんなに驚いているのだろうか? そう思っていると、セメレ王女は言い難そうにこう尋ねて来た。
「そ、その……。髪や髭を白く染められていますが、何かご事情が御有りなのでしょうか? 年を誤魔化す必要があるとか……」
「――はっ……?」
今度は私がポカンと口を開く。このお姫様は何を言っているのだろう?
私の白髪は加齢によるものだ。そんな物は見ればわかると思うのだけど、どうして染めていると思ったのだろうか?
私とセメレ王女は互いに見つめ合う。状況がわからず混乱していると、アガウエさんが前に出てポーチを開いた。
「あの、魔法使い様……。こちらをご確認頂けますか?」
アガウエさんが差し出したのは手鏡だった。私は不思議に思いつつも、言われたとおりに鏡を見る。
すると、そこには私の顔が映っていた。ただし、真っ白な髭や髪の根元は黒く、肌も妙に張りがある。まるで三十代にでも戻ったみたいな……。
「――っ……?! アスク、何故だか若返ってるよ!」
「ははは、とうとうバレたか。まあ、ここまで若返れば十分だろう」
何故だかアスクは、あっけらかんとした態度だった。どうもその口ぶりからすると、私の若返りはアスクの計略に聞こえるのだけれど……。
私だけでなく、セメレ王女達まで混乱する中。アスクは悪戯が成功したと言う口調で説明を続けた。
「魔法の練習後に、毎日一本のポーションを飲んでいただろう? 実はあれは劣化版のネクタルでね。ああ、ネクタルと言うのは神々が飲む、不老不死の霊薬の事だよ?」
「待って! 待ってくれ、アスク! そんな話は聞いていないよ! どうして、黙ってそんな物を……?!」
「それはケンジにすぐ死なれては困るからさ。後は人工的に作られた疑似ネクタルだから、本当に若返るか確証も無かったしね」
アスクは楽しそうな口調だけれど、これって冗談で済む話では無いと思うのだ。不老不死の霊薬なんて、人工的に作れたら問題だろう。
その証拠として、セメレ王女達も真っ青な顔をしている。そして、セメレ王女は震える声でアスクへと尋ねる。
「あの、アスク様……。不老不死の霊薬と聞こえたのですが……」
「うん、そう言ったね。劣化版だから不老長寿の霊薬って所かな? ――ああ、けどこの事は秘密で頼むよ? そう簡単に作れる物じゃないし、世に存在を知られると戦争が起こりかねないからね?」
アスクの言葉にセメレ王女達は激しく頷く。私の想像と同じことを、やはり皆も思い描いたみたいだ。
そして、皆の混乱が続く中で、アスクは硬い口調で私にこう告げた。
「それと鏡は早くしまっておくれ。何も映さない様にしっかり包んで欲しい。そうしないと、結界を無視して誰かに覗かれる恐れがある」
「そう言えば、そんな事を前にも言っていたね」
私は慌てて手鏡をアガウエさんに返す。彼女も焦った様子で、手鏡をタオルで巻いてポーチに戻した。
この屋敷は神々にすら存在が秘匿された場所。けれど、鏡を使って覗き見をされた場合、結界が効果を発揮出来ないらしいのだ。
そういう魔法を使える者は、それ程は多くはないらしい。けれど、危険は極力排除するに限るからね。
鏡がしまわれて、私はホッと息を吐く。すると、アスクが改めて私に問い掛けて来た。
「さて、これでケンジは老人で無くなった訳なのだけど……。セメレ王女の提案を受けるのかい?」
アスクに問われ、私は再びセメレ王女を見る。彼女は顔を赤くして、緊張した面持ちで私を見つめていた。
私は自らの頬に触れて、張りのある肌を確認する。そして、目元を指で押さえながら、アスクへと問い返した。
「私かに私の妻は既に亡くなっている……。けれど、この流れで王女を妻に迎えろと言うのかい?」
「えっ、妻としてお迎え頂けるのですか?」
私の言葉にセメレ王女が反応する。何やら満面の笑みとなり、キラキラした眼差しを私に向けていた。
私が首を傾げて彼女を見つめていると、彼女の口からこんな言葉が飛び出した。
「イノを魔女として育てて頂くのです。私は奴隷として、この身を差し出すつもりだったのですが」
「ど、奴隷として……?」
相手は一国の王女なんだよね? 子供を弟子にする代わりに、母親が奴隷になるなんて有り得る?
けれど、アガウエさんもライオス君も嬉しそうな笑みを浮かべていた。どうやら彼女達にとってそれは当然の考えみたいだった。
「ちょ、ちょっと考える時間が欲しい……。少し状況を整理させて下さい……」
これがカルチャーショックと言うやつだろうか? それにしたって、余りにも酷過ぎる……。
私はアスクに手招きをして部屋から出る。私達はセメレ王女一行を寝室に残し、アスクと相談の為にリビングへと向かうのだった。




