目覚めると異世界
目を覚ますと見知らぬベッドで眠っていた。身を起こして周囲を見るが、いつもの寝室では無い。何処かわからない、古民家らしき一室だった。
一瞬は夢かと思ったが、それにしては意識がハッキリしている。それになにより、白のTシャツにジャージのズボンと、私の身なりが余りにもいつも通りだった。
ひとまずベッドを降りようとして、足元にスリッパが置かれている事に気付く。使って良いのか迷いはしたが、恐らく問題ないだろ判断して足を入れる。
「――お目覚めの様だね。異世界からの来訪者さん。まずは、おはようと言うべきかな?」
突然掛けられた声に、私は驚いて動きを止める。そして、声の主を探して部屋を見回す。
しかし、それ程広くない寝室に、人の姿は見当たらなかった。ただ、壁際に置かれた小さなテーブルの上で、白い影が動くのが見えた。
「おや、返事はくれないのかな? それとも、僕の言葉が通じていないかな?」
「あ、いえ、通じています。おはよう御座います。……で、良いのですかね?」
私はテーブルの上の白い影――白い蛇へと返事を返す。白蛇はチロチロと舌を出すと、満足そうに頷いて見せた。
「言葉が通じて一安心だ。僕は使い魔のアスク。この館の管理を任されている者さ。それで、君の事は何て呼べば良いのかな?」
「私の名前は中村賢治です。家名が中村で、名が賢治。好きな様に呼んで下さい」
私は蛇を相手に馬鹿丁寧な返事を返す。そんな自分を少し滑稽に思うが、得体の知れない相手に横柄にもなれない。
そして、そんな私の態度が気に入ったのだろう。白蛇のアスクは機嫌良さそうな声で話しかけて来た。
「使い魔は知っているかな? 魔法使いと契約し、知性と魔力を得た生物なんだけど?」
「一応、お話としては聞いた事がありますね。実物を見るのは初めてとなりますが……」
勿論、それは本や映画等の創作物の中での話だ。某魔法学園の映画では、フクロウを使い魔にしていた気がする。
ただ、如何せん私も年なので記憶が曖昧な部分もある。そもそも、その映画もテレビで放映されていたものを、何となく横目で見ていた程度だしな。
「そうか、魔法の知識はありそうだね。それは説明が省けて助かるよ。何せ異世界からの客人は初めてでね。どう扱ったら良いか、こちらも手探りなんだ」
「アスクさん、ちょっと待って下さい。その、異世界とは何でしょうか? それに私はどうして、ここで眠っていたのでしょうか?」
白蛇と話している状況も意味がわからないが、そもそも私がここに居る理由がわからない。どうもアスクさんの話を聞くに、ここは私の居た世界とは別物の様に思えるのだが……。
混乱しながら問う私に、アスクさんはその鎌首をゆっくり上下させる。そして、明るい口調で問いに答えてくれた。
「そりゃあ、目覚めたら異世界だ。混乱するのは当然だよね? 異世界は言葉の通りさ。ケンジの住んでいた場所とは異なる世界。何故、君がここにいるかは僕にもわからない。ただ、波長が合う人間が稀にこの世界に迷い込むそうだ。――ああ、それと僕の事はアスクで良いよ」
私の問いにスラスラと答えるアスクさん――いや、アスク。信じがたい話だが、私は異世界に迷い込んだらしい。最も目の前の白蛇を前に、それが嘘だと疑う気は無かったが。
私は何から問うべきかしばし迷う。けれど、まずは相手への礼節だろうと私は判断した。
「それでは、アスク。まずは君の主人に挨拶出来ないかな? 勝手にベッドを使ってしまったので、その謝罪もしなければならないしね」
「ああ、それは無理だね。前の主人は五年前に死んじゃったからね。賢者ケイローンって知ってるかい? 頭は良いんだけど、下半身が馬なんだぜ? ケンタウロスの中じゃあ、かなりの変わり者だったね」
やはりここは異世界なんだな。この屋敷の元持ち主は、人間では無くケンタウロスだったらしい。
そして、彼は既に無くなっている。という事は、この屋敷は今は主が不在と言う事だろうか?
「まあ、そんな事より腹は減ってないかい? 良ければ屋敷の案内がてら、朝食を用意させて貰うよ?」
問われて私は自らの腹を押さえる。毎朝しっかり食べる習慣だった為、確かにお腹は空いていた。
「それではお願いできますか? ただ、私も年なので軽めの朝食だと助かります」
「なあに、それは心配ないさ。屋敷の裏手に農園があってね。ここで食べれる物は、そこにある野菜くらいのものだからね」
確かにそれならば、脂っこい物が出る事は無いだろう。米や味噌汁等は期待出来ないが、それでも食べさせて貰えるならば有難い話だ。
「ああ、そうそう。ただ、一つだけ問題があってね。ケンジにお願いしなきゃならない事があるんだ」
「私にお願いですか? それは何でしょうか?」
食事の対価が必要と言う事だろうか? 残念ながら今の私は無一文だ。身に付けた衣服以外に、自分の持ち物が一切なかったからね。
私は何を要求されるのかと少しばかり身構える。けれど、アスクの要求は私が思うよりずっと簡単なものだった。
「この通り僕には手が無くてね。野菜の収穫も調理もセルフサービスなのさ。食べたい分だけ自分で取って、必要そうなら自分で調理してくれるかい?」
「その程度はお願いする程の事でもありませんよ。働かざるもの食うべからずってね」
「それはケンジの世界の言葉かい? 良い言葉だね。それじゃあ早速働いて貰おうか」
アスクは側の椅子を伝ってスルスルとテーブルから降りる。そして、扉の脇にある小さな穴から外へと向かった。恐らくその穴は、彼の為の通り道なのだろう。
その部屋の作りに私が感心していると、穴からアスクが顔を出してこう告げた。
「その扉もセルフサービスさ。勝手に開いたりしないから、開けるのは自分の手でどうぞ」
「わかったよ、アスク。それじゃあ、案内を頼めるかな?」
私はくすっと笑って扉に向かう。そして、扉を開くとアスクは穴から顔を引っ込めた。
私が廊下に出ると、アスクはスルスルと木製の廊下を滑って行く。私はその後をゆっくりとついて行く。
「ケンジにとびきりの朝食を振舞おう。とびきりになるかはケンジ次第だけどね?」
「それはそうだね。それじゃあ、張り切って腕を振るうとしようか」
異世界に迷い込んだばかりだと言うのに、私はこの陽気な白蛇との会話を楽しみ始めていた。
こんなに楽しい気分は何年ぶりだろうか? 愛子を無くして既に二十年が経つ。あの時から動かなくなった心が、久々に揺れ動いた気がした。
「――っ……」
しかし、同時に無くした妻と子の顔が脳裏に浮かぶ。その悲しみも蘇り、私の心はすぐにその動きを止めてしまうのだった。




