ポーション作りと魔導書
私は調合室で緑の魔導書を静かに読み耽る。そこに書かれた内容は、ポーション作りのレシピである。私はざっと目を通した後に、机の上のアスクに声を掛けた。
「うん、何とかなりそうだ。これなら作れるんじゃないかな」
「流石はケンジだね。一番簡単とは言え、魔導書をスラスラ読めるだなんて」
アスクは明るい声で私を褒める。けれど、魔導書自体はそれ程難しい内容では無かった。
私の所感からすると、小学校の理科の実験に近いレベルだ。特定の素材を天秤で測り、それを火にかけ混ぜる物が大半なのだから。
けれど、そんな私の考えに気付いたのだろう。アスクは私に対しておどけた口調でこう続けた。
「ケンジ、そもそもの話だがね。大半の庶民は文字を読めないんだよ? そして、人間の半分以上が庶民だ。この意味がわかるかい?」
「なるほど、アスク。本を読める人が少ないんだね?」
「そういう事さ。本を読めるのは上流階級の証。商人なんかは文字を読めるけど、主に扱うのは数字だからね。魔導書どころか、本を読むことすら無いんだ」
私は手元の魔導書に視線を落とす。材質は羊皮紙であり、文字は当然手書きである。この世界には紙も印刷機も普及していないのだろう。
そして、識字率が低いならそれも当然の事である。そもそも、本に対して需要が無い。文字によって記録を残せるのは、権力者だけの特権となっているのだろう。
「……もしかしてだけど、ここにある本ってケイローンの手書きかな?」
「良い所に気付いたね。この館にある本は、その殆どがケイローンの記録だ。彼が弟子を育てる際に、彼等の為に書いた本って訳なのさ」
私は改めて魔導書を確認する。綺麗な文字で書かれており、その内容も無駄なく美しい。正に教科書と呼べるレベルだ。
これを一個人が書いたとするなら、その人物の教養はかなりのものだ。元居た世界の日本人だって、その殆どが一から教科書何て作れないだろうからね。
私が賢者ケイローンの凄さに感心していると、アスクが陽気な声で話しかけて来た。
「ああ、これは余談だけどね。知識階級に医者なんて人間が居る。これは人類全体の1%にも満たない人数だろう。けれど、魔力を用いてポーションを作れる魔女や魔法使いは、そこから更に1%と言った所だ。こう説明すれば、ケンジがどれだけ凄いかわかって貰えるんじゃないかな?」
「一万人に一人の確立……。いや、私のやろうとしてる事って、そんなに凄い事だったのかい?」
「ははは、やっぱり理解してなかったか。そう、そんなに凄い事なんだよ。ポーションを作れる魔法使いは、医者よりも希少な存在。むしろ、現在の医者は魔法使いの下位互換でしか無いとも言えるね」
アスクの説明に私は頭がクラクラする。医者だって人体を理解した、かなりの知識人のはずだ。世界の識字率だけ考えても、相当に希少な存在だとわかる。
けれど、私がやろうとしているポーション作りは、それよりも更に希少な行為らしい。思い付きで始めたにしては、余りにも重い存在ではなかろうか?
先の短い老人なのに、そんな領域に手を出して良いものだろうか? ただまあ、他にやりたい事がある訳でも無いのだけれど……。
「そんなに深く考えなくても良いと思うよ。ケンジは外の世界も考えて、技術を身に付けたがっていただろう? ポーション作りはその役に立つんだ。君が善良な魔法使いであるなら、どこの国だって君を手厚く歓迎するはずさ」
「……うん、そうだね。芸は身を助けると言うしね」
「そうそう、その通りだ。ポーションの知識は身に付けておいて損は無いよ。さあ、それじゃあ早速、ポーションを作って行こうじゃないか。まずはケンジ自身を助ける為に、魔力の回復ポーションからだ」
私は頷いて魔導書のページを捲る。そして、魔力回復ポーションの作り方を改めて確認する。
必要な素材は既にリリィから受け取っている。作る為の道具も全て調合室に揃っている。配分さえ間違えなければ、いつでも簡単に作れそうだった。
私は見慣れない薬草を手に取り、一つ一つ確かめて行く。そんな私に対して、アスクは陽気な声で話しかけて来る。
「うん、焦る必要は無い。ゆっくりと覚えて行けば良いんだ。やがてその力は、多くの人の助けになるだろう。ケンジならそれが出来るって、僕はそれが可能だって信じているよ」
「……アスク?」
いつも通りの陽気な声だけど、雰囲気が少し違っていた。私に対する励ましなんだけど、何故だかそれだけでは無い雰囲気を感じたのだ。
まるでそれがアスクの願いであるかのように。そう感じたのだけれど、アスクは首を傾げて私を見ていた。
「どうかしたかい、ケンジ?」
「……いや、気のせいかな?」
もしかすると、アスクは誤魔化したのかもしれない。先程の言葉の意味を、問い詰められたくなかったのかもしれない。
けれど、私はそれならそれで良いと思ったんだ。アスクは私の友人であり、いつだって私を気遣ってくれる存在なのだ。
そんな彼が聞かれたく無いなら、敢えて踏み込む必要も無いだろう。そう考えた私は、何も気付かない振りをして、ポーション作りに集中する事にしたのだった。




