無為な人生
シリアスとほのぼのが入り混じる物語となります。
今までと違う作風に挑戦しますので、お付き合い頂けると幸いです!
私の名前は中村賢治。今年で六十歳となり、定年退職を選択した。再雇用と言う選択肢もあったが、そうする意義は見いだせなかった。
何せ私は独り身のジジイ。養う家族も居なければ、守るべき物も何も無い。年金生活で細々と生きる事に何の不安も無かった。むしろ、心の何処かでは早死にする事を望んでいたくらいだ。
自宅はマンションの小さな一室。家族で住むには小さいだろうが、独り身であれば、むしろ広すぎると思える程だった。
私は一人寂しく夕食を済ませる。そして、寝室の仏壇に手を合わせる。そこには二つの位牌が並んでいる。妻の幸子と、娘の愛子の位牌だ。
「……幸子、愛子、私は勤め上げたよ」
位牌のそのすぐ後ろに飾られた写真。そこには生まれたばかりの愛子を抱く、幸子の写真が写っていた。
それは妻が見せた最後の笑顔であった。幸子は出産時に血を流し過ぎたのだ。愛子を生んですぐに、この世を去ってしまった。
妻を亡くした私は失意の底に沈んだ。しかし、それでも彼女の忘れ形見を守る義務があった。自らに喝を入れて、何とか私は再起した。
しかし、娘は五歳でこの世を去った。交通事故にあったのだ。警察から掛かって来た電話に、私はその場で膝から崩れ落ちたのを覚えている。
運転手は飲酒運転だったらしい。しかも、事故を起こしたのは天涯孤独の若者だった。その若者も事故で死亡し、私は怒りの向け先さえ失った。
私は空っぽになった心で、淡々と葬儀を執り行った。棺の中の愛子は、眠った様に穏やかな顔だった。それだけが私にとって、唯一の救いと思えた。
しかし、私には再び再起する事が出来なかった。大切な家族を立て続けに失い、空っぽになった心が再び満たされる事は無かった。
何のために自分が生きているのかわからない。されど、自分で命を絶つ程の勇気も無い。ただ、淡々と働き、食べ、眠るだけの日々。
ただ、職場では随分と気を使われた。なので、定年までは働き続けなければと思ったのだ。それが私に残された、最後の義務だと思って生きた。
そして、その最後の義務も果たす事が出来た。私は正真正銘、空っぽの人間になってしまった。
「結局、私は何者にも成れなかったのだな……」
結婚して数年で妻を亡くした。私は良い夫には成れなかった。
娘は生まれてすぐ亡くなった。私は良い親にも成れなかった。
職場では課長に成れた。けれど、退職してしまえばその肩書も無くなった。今の私は何者でも無い、只のジジイでしかないと言うことだ。
「さて、明日からどう生きるかな……」
やるべき事は何も無い。やりたい事も何も無い。このままでは、ただ食べて寝るだけの、空っぽの余生となってしまう。
――そんな人生に何の意味があるのだろうか?
きっと、何かを始めるべきなのだろう。そうでなければ、私は年金を食い潰すだけのごく潰しだ。
そうなる位なら、死んだ方がマシだなのだろう。ただ、こんな状況にあっても、私は自分で命を絶つ勇気は持てなかったが……。
「……なあ、幸子。私はどうすれば良いと思う?」
写真の妻は何も答えてくれない。それは当然わかっている。ただ、記憶に残る妻ならば、望む様に生きろと言ったとも思う。
流石に娘は聞いても、何も答えられかっただろう。けれど、娘が生きていれば、そんな悲しませる質問自体をしなかったとは思う。
そう、結局は私がどうしたいのか。どういう生き方を望むのか次第なのだ。ただ、残念ながら私の中には、何かを望む欲が残ってはいなかったが……。
「もう遅いのだろうね、幸子。私が今更、何者かになるなんて……」
私は寂しく思いながら笑みを零す。こんなジジイには、何かを成す為の時間も無い。最早、ただ死を待つだけの身なのだろうと。
妻や子が生きてさえいてくれれば、もっと違う人生もあったのだろう。もしかしたら、私は何者かになれたのかもしれない。
しかし、それは考えるだけ意味の無い可能性である。そんな物を信じてしまえば、それこそ老人の妄想でしかないのだろう。
「お休み。幸子、愛子……」
私は写真に向かって挨拶を済ませる。そして、寝室の電気を消して、布団の中へと潜り込む。
何も無い空っぽの人生を虚しく感じながら、私はひっそりと眠りつく。




