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リヴィアナ視点


 

 

「鏡よ鏡。世界で一番美しいのは誰? 私……よね? 私と言いなさい!」


 冷たく硬質な鏡に触れながら問いかけると、鏡は残酷な一言を返してくる。


「それは白雪姫です。嘘つけないんで!」


「違うでしょ!? そこはリヴィアナ様ですと答えるべきところでしょう!? たまには人を思いやって嘘の一つくらいつきなさいよ!」


「だからー、鏡の精は嘘ついちゃいけないってルールがあるんですよー毎日毎日このやり取りしてて飽きません?」


「飽きないわ! いえ……飽きてるけど、あなたが私を世界で一番美しいと認めるまで私は諦めないわ!」


 その時、鏡の間の扉が開かれる。


「はーい、今日からこの国は我が国のモノになりました。ついでにリヴィアナ、君は俺の嫁な」


「だ、誰よお前は! 衛兵はどうしたの!? 誰か! 誰か来なさい!」


「俺の名前はアゼル」


 アゼルといった青年は真っ赤な髪に青と赤が混ざる不思議な瞳の色をしており、切れ長の瞳をしていて、口は酷薄そうな唇をしている。よく見なくてもとても美しい青年であった。ただ頭がおかしいのを除けば。

 アゼルはリヴィアナに近づくと彼女の顔をのぞき込んだ。


「俺は隣国の王太子。そんで君の国は俺が制圧したから。てか、制圧するほどの兵士もいなかったんだけどね。楽だったわー」


 間近で恐ろしい事を平然と言う美青年にリヴィアナは戦慄する。制圧? 我が国が? いつの間に?


「君は本当に自分にしか興味がないんだね。いや、白雪姫にも執着してるか。なんであんな小娘に美貌で勝負してるの? 若さだけが取り柄の小娘なのに」


 リヴィアナはこの訳の分からない青年に僅かに好感を抱いた。


「さぁ、俺のお姫様! 早速だけど俺の国に帰ろうね」


 肩に担がれて城から運び出される。表に出たリヴィアナは驚いた。豊かな緑が広がっていたはずの国が、氷に閉じ込められた国に変わっていたからだ。

 衛兵は勿論のこと、国民まで氷漬けにされている。


「誰が……こんな事を……」


 唖然とするリヴィアナを馬に乗せて自分も鞍に足を掛けて騎乗するアゼルは、笑いながら言った。


「ははは、おかしな事を言うねリヴィアナ。これは全部君がしたんじゃないか。忘れたのかい?」


「私が? 私はこんな事をしないわ!」


 馬の上でリヴィアナの耳にアゼルは囁く。


「よぉく思い出してごらん? 王が亡くなってからのことを」


 王が亡くなった頃──あの時私は悲しみにくれていた……本当に?

 いえ、違うわ。やっと解放されると歓喜したのよ。歳の離れた夫である王は、私を氷の国から無理やり連れ去った。

 何人もいる側妃の末席に加えられた。私はそんなこと望んでいなかったのに。

 王は贅の限りを尽くして、毎日享楽的な生活をしていた。

 美しい人形を手に入れたと、私を家臣や貴族たちに自慢していた。

 ある日、正妃が子供を身ごもった。誰もが歓迎した。私は解放されるかもしれないと期待した。

 だが違った。正妃の体を使えなくなった王は側妃に手を出し始めた。私は末席にいたからまだ手を付けられていなかった。

 毎夜、恐怖していた。愛してもいない醜い王に手篭めにされると。

 そしてその日はやって来た。

 私の部屋に王がやって来た。とても恐ろしかった。逃げようとした。でも逃げられなかった。扉の前には衛兵が控えていたから。

 でっぷりと醜く太った体を揺らしながら迫りくる王に吐き気をもよおす。

 あまりの恐怖に私はナイトテーブルに置いてある燭台を手に取っていた。そして、それを王の頭に叩きつけた。何度も、何度も!

 息絶えた王に気づいた衛兵が私に斬りかかってきた。私は目を瞑り来たる痛みを待ち構えた。けれども、いつまで経っても痛みはやってこない。

 恐る恐る目を開けると、目の前の衛兵は剣を振りかぶったまま氷漬けになっていた。周りを見ると、部屋中が凍っていた。


「私は……私が王を殺した……?」


 アゼルは楽しそうに笑った。


「そうだよ、あの醜い王は君が手にかけたんだ。本当なら俺がすべきことだったのに、君は勇敢だね」


 馬を走らせながら、アゼルは私の頭を優しく撫でる。


「じゃあ白雪姫は? 彼女を産んだ正妃は?」


「まだまだ混乱してるようだね。どっちが先だった? (・・・・・・・・・)


「どっちが先? どっちが……」


 そう、そうだった──王が私の部屋に来たのは正妃が白雪姫を産んだ後(・・・・)だった。


 吹雪の日に生まれた雪のように白い肌の白雪姫。あの日生き残ったのは唯一白雪姫だけ。

 私は泣きながら白雪姫を抱きかかえた。どうしてこんな事になったのかと。ただ幸せを望んだだけなのに、氷の国から出たくはなかったのに。


「私は……白雪姫を育てた。二人きりの世界で……」


「いいね、段々思い出してきたみたいだ」


 一人は怖かった。氷漬けにされた王城の者達が私を責め立てているようで怖かった。

 だから白雪姫を育てる事だけに心血を注いだ。

 自立できるほどに成長した白雪姫を私は王城から追い出した。だって、またいつ私の力が暴走するか分からなかったから。

 白雪姫はとても美しい娘に育った。正妃そっくりの美しい娘に。

 それが憎くて怖くて堪らなかった。

 側妃の末席にいた私を目の敵にしてきた正妃。お茶会では私の頭から紅茶をかけてきた。夜会では私に粗末なドレスを着るよう強要してきた。階段から突き落とされそうにもなった。

 あらゆる恐怖を正妃に味わわされた。

 白雪姫が育つたびに正妃に似てきて恐怖が蘇った。そう……恐怖が引き金になって氷漬けにする前に、白雪姫を城から追い出した。でも気になって毎日鏡を覗いては白雪姫の動向を探った。それがいつしか白雪姫の美しさに嫉妬するようになった。正妃そっくりの美しい白雪姫に。


「君は怖くて堪らなかったんだよね? 正妃そっくりの白雪姫がいつ復讐に来るかと」


 アゼルは馬を走らせながら楽しげに笑った。


「でももう大丈夫。白雪姫は俺の友達に押し付けたから、もう結ばれてる頃だよ」


 私はアゼルを見た。


「本当に? 本当に白雪姫は私を殺しに来ない……?」


「来ないよ。安心して俺のお姫様。君はもう何も恐れることはない。ただ俺の愛だけを受け入れればいいのさ」


「でも私はあなたを知らないわ」


「知る時間なら沢山あるから大丈夫。君はもう自由だ」


 私は自由になれたの? もうあの孤独と恐怖の城から解放されたの?


「さあ、俺の国が見えてきた」


 深い森を抜けた先にあったのは、自然と機械が歪に混ざりあった国だった。


「なんて大きな国なの……」


 アゼルは笑う。


「まだまだ大きくなるよ。この俺の力を使えばね」


 爽やかな笑顔の奥に狂気が見え隠れするのは気のせい?

 王城は巨大だった。橋を渡ると大勢の兵士達が一糸乱れぬ姿でアゼルを出迎えた。

 馬から降ろされた私はアゼルに導かれて豪奢な部屋に案内される。


「結婚するまでの君の部屋だよ。自由に使ってくれて構わない」


 そういうとアゼルは部屋を出ていった。

 私は何をすればいいのか分からず、ポツンと部屋の真ん中に佇んでいた。

 すると数人の侍女が部屋に入ってきて、有無を言わさず私のドレスを脱がせようとした。私は抵抗した。氷が侍女たちに襲いかかる。しかし寸前で氷が蒸発する。何故私の力が通じないのか混乱する。侍女はその隙を狙って私のドレスを脱がせにかかった。さすがにその状態で逃げ出すわけにはいかず、私は侍女に手を引かれて今度は湯殿に連れて行かれる。

 薔薇の花びらが散らされた湯に浸からされ、体を丁寧に磨かれた。髪も洗われ艶出しにオイルを塗られた。

 湯殿から出ると香油を塗りたくられ、見たこともない破廉恥なベビードールを着させられ、ベッドに放置され侍女たちは部屋を出ていった。

 窓の外はもう日が暮れていた。部屋のランプが勝手に点いた。

 何が待ち受けているのかと戦々恐々としていたら、アゼルが現れた。


「あなた! これは何の真似事なの!? 私をどうする気!?」


 アゼルの前で破廉恥なベビードールの姿を見せたくなくて、私は己の体にシーツを巻きつけた。


「あぁ! なんで体を隠すのさ。とっても綺麗なのに!」


 アゼルは私に近寄ると、シーツを剥ぎ取った。

 露わになったベビードール姿に羞恥で耳まで熱くなるのを感じた。私は無意識に周囲を凍らせていた。


「君は自分の力をうまく制御できないみたいだね。力わね、上手く使わないと何の意味もなくなる」


 そういうと、アゼルは炎を手のひらから出すと、凍りついていた物達を溶かしていく。


「さぁ、リヴィアナ。今夜は俺達の記念すべき初夜だ。まだ結婚していないけど、細かいところは気にしないで」


 この男は今、何と言った?


「初夜……ですって?」


「そう、男女の営みだよ」


 ニイッと口角を上げるアゼルを見て、私は咄嗟に背を向けて逃げようとした。だけどすぐに捕まった。


「あぁ、俺の愛しのリヴィアナ! ずっとこの日を待っていたんだ」


 私の長い髪を梳きながら、恍惚とした表情でアゼルは言った。


「あなた、まだ若そうだけど幾つなの?」


「俺かい? 十八歳だよ」


 咄嗟に言葉が出なかった。自分の年齢の一回り以上下だったからだ。

 そんなつい最近まで少年だった男が私を抱くですって?


「私はあなたに抱かれるほど安い女ではなくてよ。出直して来なさい坊や」


 なるべく威風堂々と見えるように言ってみたが、私のハリボテはすぐに壊された。


「そんなに怖がらなくても大丈夫。蕩けるほど優しく抱いてあげるから」


 そう言うとアゼルは私の体をやすやすと抱き上げると、ベッドに寝かせた。私はもはや恐慌状態だった。

 アゼルに頬を撫でられる。


「やめなさい! 私に軽々しく触れないで!」


「だって長年の想い人が目の前にいるんだよ? 我慢できるわけないじゃないか」


 何を言ってるのか分からない。ただただ恐ろしい。アゼルは上着を脱ぐと、私の唇に口づけた。


「夜は長い。いやというほど君を鳴かせて(・・・・)あげる」



 ♢♢♢



 朝日が眩しくて、目を開けると、そこは見たこともない天井だった。

 横を向くと、美麗な青年が真横で裸で寝ていて驚いた。

 そして蘇る昨晩の出来事。羞恥で身の置きどころがない。

 しかしアゼルが寝ている今がチャンスだと思い、私はベッドから出ようとした途端、ベッドから転げ落ちてしまった。

 腰が……完全に腰が抜けてしまっていた。昨晩アゼルが容赦なく私を抱いたせいだ。

 アゼルを恨みつつ、私は床を這うようにして移動する。すると背後から声をかけられた。


「おはよう俺のリヴィアナ。朝から随分と煽情的じゃないか」


 アゼルがベッドの上でニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべている。私は自分が一糸まとわぬ姿であることを思い出し、両手で体をなんとか隠そうとするが、意味がないことくらい自分で分かっている。


「いやぁ、まさか三十三歳で君が処女だとは思わなかったよ。とんだ僥倖だった」


 知られた知られた知られた知られた!


 ずっと隠していたのに、昨夜暴かれてしまった秘密。

 知られた時のアゼルの喜びようは最早異常者だった。


「馬鹿にするなら勝手にしなさい! こんな年増がこの歳まで清いままだったとを!」


 アゼルはベッドから降りると、私に近付いてそのまま抱き上げた。線の細い青年だと思っていたら、大間違いだった。筋肉質で腹筋は割れているし、体のあちこちに実用的な筋肉が綺麗についている。


「だから俺は僥倖だと言ったじゃないか。あの醜い豚の餌にされずに済んだのは奇跡だ。あぁ、違う。君が己で手に入れた奇跡だったね」


 私が燭台で殴り殺した事を言っているのだこの災厄のような男は。

 アゼルはベッドに優しく私を横たわらせると、唇に軽く口づけたあと下腹に手を置いて、うっとりと愉悦の表情を浮かべた。


「あぁ、この中に昨夜の俺が蒔いた種があると思うと興奮する。今日から君が孕むまで毎日抱くから覚悟しておいてね」


 ニタリと笑うアゼルは狂人にしか見えない。


「どうして私なの? あなたなら私より若くて美しい娘を娶ることなど簡単でしょうに!」


 羞恥と惨めさで、目尻に涙が溜まる。

 アゼルは何を言ってるのか理解出来ないといった顔をしている。


「むしろ何故、君以外を娶らなければいけないんだ? 俺は君を愛してるのに、どうして他のゴミみたいな女を抱かなきゃいけない?」


「ごっ……」


 ゴミですって? この男、本当に頭がおかしいの?


「さぁ、そんなことより、君の姿を見てるとまた抱きたくなってきた。リヴィアナ、熟れた果実の方が美味しいって知ってるかい?」


 私を熟れた果実扱いするなんて、屈辱にも程がある。

 だけど暴れようにも腰は抜けてるし、力は制御できないし、何よりアゼルの力の強さに敵うわけがない。だからといって、しおらしく抱かれたくもない。

 だから私は最後まで足掻いた。たとえ無駄な行為だと分かっていても。

 アゼルの炎の様な瞳が近付いてくる。あぁ、なぜ私なの?



 ♢♢♢



 昔の夢を見た。遠い昔の。

 舞踏会を開いた王は、各国から賓客を招いた。

 私は所詮側妃の末席、舞踏会なんて晴れ舞台に立てるはずもなかった。それでもいいと思った。

 裏庭で花を愛でていると、子供のすすり泣く声が聞こえる。

 私は気になって声のする方へと近付いた。

 すると貴族の少年と思しき者が蹲って泣いている。


「どうしたの坊や」


 その少年ははたと顔上げると、私を見て呆然としていた。

 私は目つきが鋭いから、子供を怖がらせたのかもしれない。

 なるべく怖がらせないように、静かに近付いて、少年の横に同じように蹲った。


「どうして泣いていたのか教えてくれる?」


 少年は涙を服の袖で乱暴に拭くものだがら、私はハンカチを取り出して少年の顔を優しく拭いてあげた。


「……分からなくなった」


「何が?」


「舞踏会がつまらないから、ここに来たらどこが出口か分からなくなった」


 なるほど、それで泣いていたのね。


「じゃあ、お姉さんと一緒に舞踏会の会場まで行きましょう。案内するわ」


 私は立ち上がり、少年に手を差し伸べる。少年はおずおずと私の手を握った。その手はとても温かくて、小さかった。

 道中、私は少年を飽きさせないようにと、氷で色んな動物を作ってあげた。少年は目を輝かせていた。

 会場が見えてきた。私は少年に小さな王冠を作ってあげると、その赤色の髪をした頭にそっと、載せてあげた。


「さぁ、行きなさい。ご両親も心配してるわ」


「お姉さんはいかないの?」


 私は胸がチクリと痛むのを感じた。


「私は気にしないで。舞踏会には呼ばれていないから、誰にも言っては駄目よ?」


 少年は力強く頷くと、手を振って会場に戻っていく。心の中で、どうか素敵な大人になってね、と思いながら。


 ハッと目が覚めた。

 心臓が早鐘を打っている。あの少年は──


「どうしたのリヴィアナ?」


 背後から抱きすくめられ、私は胸が痛むのを感じた。


「夢を見たわ」


「どんな夢?」


「少年が泣いてるの」


 私を抱く腕に力がこもる。


「舞踏会の日だった。どうして忘れていたのかしら。真っ赤な髪をしていたのに」


 私の体をアゼルは自分の方へ向ける。


「ようやく思い出してくれた。そうだよ、あの時の泣き虫な少年が俺だよ」


「あなたが抱いているのは愛ではないわ。幼い頃の憧憬を愛だと錯覚しているのよ」


「憧憬なんかじゃない。あの日から俺は変わった。将来、君を自分の妃にする為に、何でもしてきた。どんな汚い事でもね」


 深く口付けられ、息ができない。リヴィアナの全てを食らうかのような貪欲な口付け。


「駄目よ。目を覚まして」


「君は何をそんなに恐れているの?」


「私が恐れることなんてないわ」


「君のそういう気丈な所も好きだけど、俺の前では素直になってほしい」


 アゼルの真摯な瞳に私の心が揺れる。でも駄目よ。この男の手に乗ってしまったら最後、全て絡めとられてしまう。


「離して頂戴」


 私はアゼルの胸を押した。意外にもアゼルは私をスルリと解放した。

 私はシーツで体を隠しながら、ナイトテーブルに置いてある水差しを取った。グラスに水を注ぐと、後ろからアゼルがそれを奪い取った。そして自分の口に運ぶと、私の口に強引に水を口移ししてきた。嫌がる私を気にせず、何度も口移しをするアゼル。喉が渇いていたから本当はありがたかったが、口移しという手段が気に入らない。


「私を何だと思っているの。水くらい自分で飲めるわ」


 手に頭を乗せて横になっているアゼルが何でもない事のように言った。


「今夜、王と王妃に君を紹介する。家臣である貴族達も大勢来る。だから君はこれから用意をしなくちゃいけない」


 私はアゼルを振り返った。


「何ですって!? あなた正気なの!!」


 アゼルは口角を上げて微笑んだ。


「正気さ。だって君は未来の王妃になるんだからね。きちんとお披露目をしなくちゃいけないんだよ」


「私はあなたと結婚する気なんて毛頭ないわ! 私の体を無理やり割り開いた上に今度は王妃ですって!? 子供の遊びなんかに付き合っていられないわ!」


 興奮のあまり周囲が凍てついていく。しかしアゼルが炎で的確に氷を溶かしていく。なんて癪に障る男なの!

 アゼルは座ると私を背後から抱き寄せた。


「リヴィアナ……俺は本気だ。ガキの遊びなんかでここまでするわけないだろ? 本気で君を愛してる。君を逃すつもりはない。絶対に」


 アゼルが私の耳元で熱い吐息をつく。背筋が寒くなる。初めは冗談だと思っていた。それが徐々に嘘ではないと私に身を持って教え込んでくる。

 これで私は自由になれたとでも言うの? 私が手にかけた王と何が違うの?

 あぁ、そうか。私はまた人形になるのか。黙って微笑むだけの人形に。己の意思を持たず、アゼルの都合に振り回されるだけの見目がいいだけの人形。

 いいえ、もうその見目すら危うい。私は若くはない。

 アゼルが憧憬を愛だと勘違いしている間だけの、好きにできる人形。いずれ目が覚めて、愛ではないと気づいてしまう時が来る。その時には私は今よりもっと惨めな目に合うのだろう。


 私は立ち上がってアゼルを冷徹な目で見下ろした。


「あなたも所詮、あの王と同じよ。手に入れた玩具で遊びたいだけの子供と一緒」


 アゼルが何か言う前に、私は侍女を呼んだ。この穢れた体を綺麗にしたかった。



 ♢♢♢



 湯殿で全てを洗い流し、今夜のお披露目の為に侍女達は忙しなく動き回っている。化粧は極力薄く、髪は編み込んでまとめ上げる。ドレスはシンプルだがひと目見て高価な物だと分かる。アクセサリーもドレスに合わせてシンプルに。


 全てが完璧に出来上がった私を待ち構えていたのは、同じく完璧な装いのアゼルだった。

 アゼルは私に腕を取るよう促すと、私は黙って彼の腕に手を置いた。

 長い廊下を歩くと、この城の巨大さと力の強さを感じた。調度品はどれも高価で品が良く、内装は威厳を感じさせる。

 しばらくすると、一際目立つ大きな扉の前に立つ。

 アゼルが小声で言った。


「君のことを悪しざまに言う輩が必ずいるだろう。だけど気にしないで。俺が何とかするから」


 アゼルが言い終えるのとほぼ同時に扉が開かれた。

 前方に王と王妃が玉座に座っている。そして両脇には家臣たちが立っていた。

 私はアゼルに導かれて王と王妃の前に立った。私の立場は国を滅ぼされた元女王。王太子の慰みものとしてこの場に立っている、といったところだろう。

 私は完璧な礼を披露する。私の国で正妃に少しでも隙を与えないように、必死で覚えたマナーの数々。

 隣のアゼルも礼をする。


「父上、母上、この方が私の妃になる女性です。リヴィアナと言います」


 王はまだしも、王妃なんて私よりほんの少し年上にしか見えない。


「此度はリヴィアナとの結婚の許可を頂きに参りました」


 家臣達がざわつく。それもそうだろう、王妃とさして変わらない年増女がまだ十八歳の青年の嫁として現れたのだ、驚くのも無理はない。

 そこへ家臣の一人が物申す。


「陛下、このような年を食った女をアゼル殿下の妻にするなど、正気の沙汰とは思えません」


 この言葉をきっかけに、家臣達が好き勝手に私をこき下ろす。

 私はただ聞き流していた。相手にするほど愚かではない。

 だが私の隣に立つ男は違った。

 私の隣から離れると、最初に口を開いた家臣の前に立った。家臣は自分の意見が聞き入れられると勘違いしたのだろう、私への聞くに耐えない言葉を羅列する。

 その時、アゼルが右手に炎を出した。

 何をするのかと私含めて全員が訝しんでいると、アゼルは笑いを含んだ声で言った。


「俺のリヴィアナにそこまで悪態をつくということは、覚悟ができているのだな?」


 そう言うとアゼルは炎を刃の様に鋭く尖らせて、その家臣の首を刎ねた。

 誰もが息を呑む。この私ですら硬直してしまった。


「皆に問おう! 今この場で俺とリヴィアナの結婚に心から反対するものは申し出でよ! そうでなければ口を閉じていろ。でなければ二度と口が聞けなくなると思え!」


 この男は狂っている。

 そこまでして私を手に入れたい執着心が恐ろしい。

 私はチラリと横目に見た王の瞳に、恐れが宿っているのを確かに見た。


 静まり返った謁見の間。床に転がる元家臣の頭。誰もが沈黙を貫く。


「……ということで、私とリヴィアナの結婚の許可を陛下」


 ハンカチで手を拭いながら私の隣に戻ってくるアゼル。

 王は自分の息子を制御できないのだろう、一つ頷くと私とアゼルの結婚の許可を出した。


「いいだろう、お前とリヴィアナの結婚を許可する」


「ありがとうございます陛下。これからも国の為に、この身を粉にして働くと誓いましょう」


 なんて白々しい。この男なら己が気に入らないと思えば、たとえ相手が実の親であろうとも、迷うことなく手にかけるだろう。私は確信していた。

 謁見の間から出た私とアゼルは、私の私室に戻った。

 アゼルはソファーに腰掛けながら、晴れ晴れとした表情をしている。


「これで誰も俺達に文句は言えなくなる。あの愚か者のお陰だね」


 無邪気に言うアゼルは己が狂っていることに気付いていないのだろう。私は正気ではない男に捕まってしまったのだ。

 逃げることが叶わないなら、このおかしな茶番に付き合うのもまた一興かもしれない。

 この男がどれほどの愛を私に抱いているのか見届けるのも悪くはないかもしれない。

 そんなことを思っていると、部屋がノックされる。アゼルが入れと命じると、扉が開いて布を被せられた何かが運び込まれる。侍従たちは運び終えると一礼し、部屋を出ていった。

 アゼルは手を叩いて立ち上がった。


「あぁ、これを待っていたんだ!」


 そうしてアゼルは布に手をかけると、一気に取り去った。


「鏡……!」


 思わず声が出た。そう、あの鏡だった。私は鏡に駆け寄った。


「鏡よ鏡。白雪姫は今何をしているの?」


「白雪姫は白馬の王子様と結ばれ、幸せに暮らしております」


 あぁ……アゼルの言ったことは本当だったのね!


「ほら、俺の言った通りだろ? 白雪姫は王子様に大切にされて一生幸せに暮らすんだ。だからもう君は恐れることなんて無いんだよ」


 アゼルが私の首筋に口づけた。

 私はどうしても聞きたくて仕方のない事を聞いた。


「鏡よ鏡。世界で一番美しいのは誰?」


「それは白……ぎゃあっ!」


 アゼルが右手を鏡に翳して炎を容赦なく浴びせている。鏡は苦しそうな叫び声を上げている。


「鏡よ、世界で一番美しいのは誰(・・・・・・・・)だ?」


「言います! 言いますからやめてください!! 世界で一番美しいのはリヴィアナ様でございます!!」


「良かったね、リヴィアナ。君の美しさに、ようやくこの鏡も気付いたようだ。君は本当に美しい俺のお姫様」


 アゼルが私を抱きしめる。なんて恐ろしい男に捕まってしまったのかしら。私は見当違いをしていたのかもしれない。

 この狂った男は本当に私を捨てることなく、愛し続けるのだろう。強大な力を持ってして、気に入らないものは排除し、私の為なら何でもする男。

 逃げられないのなら、この熱すぎる愛を受け止めて、鳥籠の中に自ら入っていくのも悪くはないのかもしれない。

 アゼルは私を抱きしめながら、髪や額や頬、そして唇に口づける。

 あんなに嫌だったのに、白雪姫から解放された私は安堵して、アゼルの口づけを受け入れていた。

 今度は別の恐怖が待ち受けているのに、それはきっと私には甘い蜜のような狂った幸せ。

 私はアゼルの首に手を回して自分から口づけた。アゼルが歓喜するのが分かる。



 ♢♢♢



「おかあさま、おなかいたくない?」


 柔らかな日差しが差し込む東屋で、私は三人の子供に囲まれていた。


「えぇ、大丈夫よ。母様のお腹にはあなた達の妹か弟がいるのよ」


「わたし、おんなのこがいい! いっしょにおままごとするの」


 長女が無邪気に笑う。


「ぼくは男の子がいい! 剣のたんれんをするんだ!」


 次男が木製の剣を握りしめて顔を輝かせる。


「おれはどっちでもいい。どうせまだまだふえるんだし」


 おませな長男は指先に炎を宿してくるくると踊らせている。


「あー! とうさまだ!」


 長女が喜び勇んで東屋にやってきたアゼルに飛びかかる。甲冑姿のアゼルはそんな娘を抱き上げて、頬に口づける。

 そして私のところに来ると、唇に口づけた。


「ただいま、リヴィアナ。お腹の赤ん坊はどうだい? 少し大きくなったみたいだね。大丈夫?」


「そう思うのなら血の匂いを落としてから来てちょうだい。お腹の赤ん坊がびっくりするわ」


「それは悪かった。今すぐ着替えてくるよ」


 アゼルは元来た道を戻ろうとした時、「あぁ、言い忘れていた」と私を振り返った。


「かの国は俺が滅ぼしたよ。王子は俺の剣で、白雪姫は奴隷商人に売って帰ってきた」


 恐ろしい事を平然と言うアゼルは、私の為なら何でもする狂気じみた男。

 強大な炎の力を操り、鍛え抜かれた剣戟で敵を屠ったのだろう。

 私しか見えていない、恐ろしくも愚かしく、とても美しい男。

 そんな男の籠の中は、入ってみれば存外居心地が良かった。私を大切に大切に、世界の全てから守り抜く男に囚われた私。


 ねぇ、鏡よ鏡。世界で一番幸せなのはだぁれ?




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