旅立コンティニュー
かなり長いです。
飽きないで読んでもらえるとすごく嬉しいです。
薄いTシャツから、じんわりと体温が滲みてくる。
鼻の先には直のサラサラの髪。シャンプーの芳香が鼻腔をくすぐる。
さらにその先には白い柔肌。
…俺を誘惑してるのか。この馬鹿は。
だからって咬み付く訳にはいかず、どうすることも出来ずに俺は突っ立ったままだった。
「…っ、な、直」
「バカ!…っにぃちゃんの…、ばかやろー…」
…まぁ…バカだという事は認めるとしよう。
成績悪いし、夏休みは補習で潰れるし。
特に威張れる特技なんて俺には無い。
…強いて…言うなら、サッカーのリフティング位だ。…と、思う。
…それだって、普通より若干抜けてるぐらい。
良い所なんて分からない。
出来の良い直とは違う。
「…分かってないんだよ、にぃちゃんは」
…確かに、分からない。
こんな事になっている理由とか、
俺では、きっとずっと解らない物なんだろう
中学時代の担任曰く、『他人の気持ちに鈍感なようです』…なんだそうだ。
「…どうしてくれるんだよ」
…何の話だ?
「…何でいつもいつも、俺のずっと先に行っちゃうんだよ」
質問の意味も理解できぬまま、反射的に質問を繰り返す。
「え、な…何が…」
「―何がじゃねぇよ!!」
耳元で叫ばれて、耳の中に激しくエコーした。
「―っっ!」
「こっちは―にぃちゃんに追い付こうと必死になってんのに!!」
「………は?」
「やっと追い付いたと思ったらもう違うことやってて―!! いつだって俺は置いてかれてるばっかで」
―何言ってんだ、こいつ。
…置いて行かれてるのは、いつだって俺の方じゃないか。
何をやっても全部直の方が上手くて、
それがやんなって止めて、違う事に手ェ出して、
また、悠々抜かされて―
そんな自分が嫌いで―
いつもいつも、
あぁ、
―俺、ダメなんだなぁ
…って
直の方が俺なんかより優れてて、
イケメンだし、髪サラサラだし、人当たり良いし、人望厚いし
スポーツ出来るし、頭良いし、人間として出来上がってるし―
―モテるし。
兄貴の俺はダメダメで、ゲームでさえもコイツに勝てない。
いつだって負けてるのは俺だ。
―それどころか、
何かで勝てた事なんて、有っただろうか。
今の俺…吸血鬼になっちゃった有り得ねぇ事故だって、
昔っから俺にばっか回ってくる、損な役回りの一環だ。
―また、負けたんだ。
「―俺は、にぃちゃんが目標なんだぞ!!」
目標なんて大層な物にはなれてない。
良い所で、『悪い例』…位。
俺なんか目指したら曲がって育つぞ。
―直は、太陽に向かってまっすぐ伸びてればいいよ。
甘美な匂いと華美な花を咲かせて。
…俺は、夜闇の中で―
―…枯れる、のだろうか。
日の光に焦がれながら、醜い自分を呪いながら、
悪臭と異形の色彩で、昼間の植物達から敬遠されて、
…今はまだ昼間のままだけど
いつかは夜の花々に、染まってしまうのだろうか。
いずれ、変わっていく自分を見るのは…―恐い
「…俺の側から居なくなっちゃったら、何を目指したらいいんだよ」
…ん?
側から居なくなるって…?
俺、言ってないんだけど
―えェえぇぇえーッ!!??
「お、おま…っ!いい家出るってななな何で」
「バカ!!俺がそんな鈍感かよ! ……ずっと、分かってたよ」
―じゃあ、妙に楽しそうにしてたのも―そういう事…だったのか。
最後になるかもしれないから
楽しんで『見せよう』―と
ああもう
だから完璧なんだよ。
『気使いがあり、友達の多い子です』
…なんだって。小学生の時の直夜は。
対して、
俺は
『集中力に欠け、努力が嫌いなようです』
…小学生の時から人格が露わになってるよ。
「……ねぇ、この鈍感馬鹿ネガティブ兄貴?俺の初恋の人知ってる?」
いきなり何だ。天然タラシ。
悪口は羅列すれば良いって物じゃないんだぞ。
ホント…突然何聞くのさ。…何、さなえちゃん?
…や、ごめん。テキトーに言った。誰だろ、さなえちゃんって。
「知らねーよ」
「にぃちゃん」
…うん?
…何で今呼んだ?
「何?」
「じゃなくて、にぃちゃんなの。…初恋の人」
え。
「えぇええぇええ!!!?」
そそそそそれはどういう事なんだ!?
「お前ホモだったのか!?」
お兄ちゃん泣くわ!!
しかも俺って!?
「…や〜何か…違うって。…ほら、小さい頃ってお母さんに恋しない?」
「たたた確かに幼稚園の先生や従姉に結婚してって言い触らしてたりするが―!!」
「だろ?で、俺はそれがにぃちゃんだったんだよ」
なんだ。そうか。
…じゃなくて!!
ソコなんだよ問題は!!
「いやいやいや!!だって俺男なんだぜ!?」
やめてね!?変な道に走るのとか!!
嫌だ!直が男と付き合ってたら!!
「あれ、覚えてない?小さい頃俺が『おっきくなったらにぃちゃんと結婚する〜』…って、言ったの」
「全っ然!?」
「だろーとは思った」
「…で、俺なんて答えたの?」
直が苦笑した。
「…いや、ちっちゃい時から、にぃちゃんってやたらリアルでさあ」
別の名を『夢がない』。
「真顔で『おれ、男だから直とは結婚できないよ』…だって」
「夢無ぇ~…」
正論だとは思うが。
…二つの不可能が重なっちゃってるし。
「…そん時からさ、にぃちゃんは人の気も知んないで何でも言ってきたんだよ」
…あ~…
「ホント、俺だって色々考えてんだよ?」
「…反省します」
満足そうに直がニカッと笑った。
「いい子だねぇ~」
ぐしゃぐしゃと頭を掻き回される。
「あぁあぁあぁ頭を撫でるなぁあぁぁ~」
…屈辱じゃねぇかよ。弟に頭撫でられるって。
「…とりあえず離れろよ。暑苦しい」
高校生にもなって抱き合ってる兄弟ってどうよ。
すんなり直は離れてくれた。もっと早く言えば良かったんだよ、俺。
「―でさ、まさか今も、とか…言わねーよな?」
何か…なんとなくなんだけどさ。
…俺、そっちに傾いた人生に転落してる気がする。
「幼稚園の先生をいつまでも一途に想ってる?」
…それは…ナイ。
いたら引く。
…良い話だとは思うけども。
「…それにガキの恋ってさ、好きの種類が分かんないでしょ。恋なんだか、愛情なんだか。自分でもよく分かって無いじゃん?」
…確かに。
「それと一緒だよ」
ふーん?
言うなればお父さんと結婚するの~!…的な愛か。
…でもそれが俺ってどうなのよ?
俺そんなに優しかったのかな。
「…で、どうしようか?」
いつまでも此処に居る理由も無い。
ハーゲンダッツはもう買ったし。
…―今は…アスファルトの上だけど…
…もう…泣いて良い?
不憫な俺とハーゲンダッツ。
「帰るの?」
出来れば帰りたい。
でも、直はイヤかもしれない。俺が出る事を知ってるなら。
「…もし、出来んなら」
じゃあ帰ろうかとアッサリ。
吃りながらも、俺は了解した。
「…どうすんの?またチャリで2ケツ?」
「…事故ンなければそれでも良いけど」
…もう痛い目は見たくないんでね。
「じゃあ俺が漕いでやるよ!」
…嫌な予感がする。
「サービス料金は500円ね」
ほらまたこうやってふざける!!
「高けェよ!!無駄に高い!距離的にバスの方が安いじゃねぇかよ!!」
田舎だからこの時間バスなんか通ってないけど。
バス停無いし。
「…男捨てるのと500円ドブに捨てるの、どっちがいいの?」
「自分の収入と財布を排水溝扱いしてんじゃねぇ」
「…もぉー、しょーがないなぁ。ワガママばっかりなんだから。…オマケして5円にしてあげるよ。」
「…お前は一般常識っていう四字熟語を知ってるか?」
「アップルパイをさぁ焼こうっていうアレでしょ?」
「あー、アメリカンでとってもよろしいですね」
んな訳あるかい。
「…冗談だよ。そんな訳ないじゃん。にぃちゃんバカなんじゃないの?」
「……もう、何でもいいや」
結果的に5円だろ?文句無いよ、もう。
帰ろーよ。…この掛け合い疲れる。
「…にぃちゃ〜ん?置いてっちゃうよ?」
「結局お前が漕ぐのかよ」
ヤイヤイ言いつつもチャリに跨った。
「いいですいいです。兄弟のよしみでタダにしてあげますから」
「当たり前だ!」
直が脚に力を入れ、チラリと覗いたアキレス腱が格好良く浮いた。
ギアは1のまま、スローなスピードで電柱を追い抜いてゆく。
点滅する街灯。
むさ苦しい生け垣。
無機質なブロック塀。
さっさと横切る野良猫。
直のにおいがさっきより鮮明で
何だか感傷的になる。
―俺達は、一言も言葉を交わすことなく、
見慣れたドアに帰宅した。
…でも、さっきほど嬉しくない。
このドアに入りたくない。
これを開けたら、何もかも変わってしまう気がして。
ノブは冷たくて、筋肉の隙間に染み込んでくる。
家の空気もやっぱり冷たい。
キッチンの脇を通って
足音を忍ばせ、軋む階段を上がる。
「―じゃ、俺部屋にいるから」
直の部屋のドアを通り抜け
自分の部屋に入った。
ぱたん
静かに、ドアが閉まる。
…もう決まっている事だ。
今更、どうにもならない。
小さく、息を吐いた。
……さて
すごく嫌なんだが現実的に考えなくちゃいけない。
何が必要か。
一体、何をどうするべきなのか。
具体的に、行動を起こさなきゃならない。
「…とりあえず…この家から出るって事は…」
…荷物か。
確か修学旅行ん時使ったでかいバッグがあった筈だ。
そうそう。ベットの下にダミーとして。
…あのエロ本達…どうしよっかな…。
「必要な物…」
ケータイ。財布。
「貯金箱っと…」
俺は銀行に金を預けない。
『母ちゃんが預かってあげるわよ』からは絶対に返って来ないと学習した結果だ。
…其れに気付いて以来、金を預けるという事にトラウマ。
それに面倒くさいし。
クッキーの缶を開けて、中味をひっくり返す。
耳障りな音を立て、大量の小銭と数枚の札がぶちまけられた。
「…すくね」
…こんなに少なかったっけ。
まぁ…いいや
俺は床に散らばってる小銭を財布に詰め込み、札も同じく突っ込んだ。
他、着替えとか下着とか歯磨きセットとか。
後は、なんとなく必要そうな雑貨類を修学旅行のデカいバッグに詰め込んだ。
閉まらないチャックを強引に締める。
…パンっパンじゃん。
見るからに重そー…。
チラリと、視界に本棚が入った。
…あぁ…、俺の漫画コレクが…
ゲームソフトとかさあ!!……エ、ロ…本…達とか…。…永久の別れ、本当に悲しく思うぞ…。
だからって持ってく訳にはいかねぇんだよな。
…ああ、もう。
あ〜!!もォォぉおお!!!!
ちきしょう!!!
何でなんだよォォ!!!
何で俺なンだよぉお!!
「っざけンなよォォぉ!!何でだあァアァァ!!!」
腹立つなぁあ!!
今まで注ぎ込んだ金は一体何だったンだよ!!
っつうか!!もう何か…!…んあァァァーッ!!!!っなんだよ!!
「―結局っ!俺は…、俺は……人生めちゃめちゃじゃねぇか…っ」
…ただの不運で。
くじ運は最低の癖に。
何でこんな年末ジャンボ宝くじより低確率なモンを引き当てちゃうわけ?
―これ、結構凄いんじゃないの。
…いや、全然嬉しくないんだけれども。
…あぁ、
全部、夢だったら良いのにな。
そんな事無いって分かっちゃいるんだけど、
やっぱり、信じたくないから。
「―なに何なにっ!?にぃちゃん口蹄疫っ!!!?」
騒ぎを聞きつけた弟がドアを開け放つ。
「馬鹿か!俺は偶蹄目じゃねぇ!!」
「そういう問題じゃねえ」
ツっ込んだのにツっ込み返されてしまった。
偶蹄目っていうのは蹄が偶数の動物の事なんだと。
…ニュースの受け売りなんだけど。
「っつうかにぃちゃん、にぃちゃんには蹄が無いと思うんだけど」
正論だ。
「馬鹿言えい。実はありました言ったらどうする?」
「実の兄が偶蹄目の動物だなんて受け入れない。自殺する」
「ひでぇ」
自殺するって…
まぁ…偶蹄目つったら 豚とか牛とか羊とからしいからな。
「―…って、口蹄疫はどうでも良いんだけど、」
「よくねぇよ。今本気で深刻なんだぞ」
感染範囲が広がっちゃってて
…って俺は畜産業関係者じゃねーんだけどさ。
だって宮崎牛、食えなくなるかも知れないんだぜ?
「…にぃちゃんはもうハンバーガーもステーキも焼肉も食べないじゃん。……だから、もう関係ないんじゃない」
少し暗い顔で、直が言った。
「…あ」
それは、確かに。
「…―あ~…、くそ!大人になったら一度は食おうと思ってたのに…」
小さな淡い夢、崩壊。
やべぇ、何かショック。
すっごくちっちゃくて下らない事なんだけど、
そんな事に、でかい失望感を受ける。
…なくしたのは食だけじゃなくて、
俺が持っていたもの、思っていたこと、切実に願望していたもの、
―それらは全て、俺の手元から去ったと、小さな事実は悟らせた。
…だってさぁ?
俺はもう、楽しみだった物も全部、捨てなくちゃいけないんだぜ?
食い物にしろ、ゲームにしろ、俺が期待したもの、何もかも全部
もう存在しないも同じな訳で
…何かもう、裏切られた感。
「―………あ〜あ、…やってらんねー…」
何か色んな物が積み重なって、すごく憂鬱んなっちゃって、立ってんのも嫌んなって、この世のありとあらゆる義務と権利を放棄したくなって…
ほとんどため息でぼやきながら、俺はパンパンになった旅行バックの上に腰掛けた。
「…なんで…、…なんで、…なんだろーなー…」
何で何でが頭をぐるぐる巡る。
無駄な思考。
意味が無いと分かってる。
だけど、意識して考えてる訳じゃない。
勝手に、鬱な考えは堂々巡りばかりで―
俺は、バカだから、それをどうしたら良いか分からない
何で、こうなったかなんて、考えたって解る物じゃ無いだろうに
「…そんな、らしくなくヘコんでるにぃちゃん」
何を言うのかと俺は顔を上げた。
「俺だって色々思う所は有るけどさ」
直は影を隠したように笑った。
「―もう、最後なんだろ?だったら、最期ぐらいカッコ付けようよ」
そんな事を、困ったように言う。
だって―と言い掛けて、
―あぁ、
そうか。
そう、気付く。
俺は全部失って、直は俺を失う。
モヤモヤするのは俺だけじゃない。
それは直も同じ。
…そうなんだよな。
直だって今まで一緒に過ごした兄貴を失う訳で、
辛いのは俺だけじゃない訳で。
独りでヘコむのは、ズルいんだよな。
「―分かった」
俺は立ち上がって、バッグを持ち上げた。
超重い。
「…今悶々悩んでも意味ないしな」
「そーそ。そういう事」
時計はてっぺん12時。
シンデレラじゃないんだけど、
12時っていうのはキリがよくて、何となく区切りをつけたくなる。
「―…じゃあ俺、もう行くよ」
直が柔らかく笑った。
「…うん」
辛いんだけど、
これはもう、どうにもならない。
「他の奴には家出したって言っといてくれ」
「了解。にぃちゃんの悪口も交えて言いふらしとく」
なんだコイツ。
俺は苦笑するしかなかった。
「…お前なぁ」
「その方が自然じゃない?」
しれっと言われる。
「…まぁ…何でもいいや」
出来れば夜明けギリギリまでここにいたいんだけど―
―そんな事をしたら、決心が鈍ってしまう。
今行かなくちゃ、きっと、ずっと行けない。
「…じゃあ、にぃちゃん」
直は笑って
もう、この顔も思い出に変換されるだけなのか、なんて―
「次はいつ帰ってくるのかな?」
古いリアクションでずっこけそうになった。
ムードぶっ壊し。
…コイツ…鬼畜だ。
「―次はって…」
「また帰ってくるでしょ。いつぐらいに?」
「…無理言うなよ」
それには人間に戻らなくちゃいけない。
きっとそれは不可能なことなのだろう。
…ってか、実家に帰省する訳じゃないんだから。
「何で?」
「…はぁ?」
何でこうかなコイツは。
「どうして無理なのさ」
知らねえよ。
ただ無理だと思う。
きっと、無理。そんな気がする。確信と言っても良い。
「だってさ…」
「無理じゃないでしょ?」
…俺の話とか、聞く気あるのかな。
「いや―」
「無理じゃないよね。にぃちゃんだもん。出来るよね」
…えぇっと?
強引にも程があると思うんだけど。
「うんうん、それでこそにぃちゃんだ」
「―いや、あのさ!」
やっと、耳を貸してくれた。
「無理だから。たぶん絶対」
やっぱり、ニッコリ笑って言う直って奴は鬼畜なんだよ。
「だいじょぶだよ。無理じゃないから」
こうやって、強引で強情。
「…何で」
「直感」
俺に、それに頼れと?
「…だからさ」
「無理だなんて言わせないよ」
…返す言葉がない。
「無理なんかじゃないんだよ。だってちょっと家出するだけなんでしょ?すぐに帰ってくるんだよね?」
「…。」
「無理じゃないよ。むしろ当たり前じゃん。当然、帰ってくるに決まってる」
―こいつ鬼畜だよ、…ホントに。
「いってらっしゃい。にぃちゃん?」
わざわざ『努力する方』を選ばなくちゃいけないんだから。
―楽な方は選ばせてもらえないらしい。
…―だけど
何故か、失望感は和らいだ。
目標が出来たっていうのか…判らないけど。
とにかく、果てのない闇、みたいのは見えなくなった。
俺が吸血鬼になって全部失っても―
また人間に、戻るから
全部なくしたら、全部、取り戻せばいい。
「―良いよな、言うのは簡単で」
重たい荷物も、ちょっと持ち出すだけ。
すぐに、帰ってくるから。
「俺は苦労するんだぜ?」
「だいじょぶだよ。にぃちゃんだから」
「…その根拠のない自信は一体何なんだよ」
直はしれっと言う。
「いつもそうじゃん。無理無理ってぼやきながら、結局上手くいっちゃう」
だから今回もだいじょぶだよ。
「―そうだっけ」
「俺はそんなにぃちゃんを尊敬してたんだから」
…何だって?
「ソンケー?」
「尊敬。」
俺を?尊敬!?
「なんだそりゃ〜。笑える冗談だな〜」
「そうだねぇ〜」
目の前のイケメンはけらけらと笑う。
デジタルの文字はどんどん秒を刻んでゆく。
「…じゃあ、直」
「…うん」
それでもニコニコしてる直は、どこか悲しそうで。
きっと俺もそんな顔をしてるのだろうと思った。
「…『また』ね」
帰ってくる。
「…あぁ。『また』な」
この場所に。
俺は、帰ってくる。
俺は重いバッグを持ち直して、
階段を下りて、
ドアを開けて、
空気が冷たくて―。
振り返ると、直が2階の窓から手を振っていた。
ちょっと照れて俺も振り返し、
ずり落ちてくるバッグを担ぎ直した。
俺は生まれた時から慣れ親しんだ弟に、自宅に、背を向けた。
…縁を切る訳じゃない。
ちょっと出掛けるだけだ。
…―すぐに、帰ってくるから。
そう、何度も言い聞かせて、
俺は歩き出した。
あの廃ビルに。
あいつに会うと思うと腹が立つけど。
あいつに聞かなきゃ解らないことが沢山ある。
…そういう訳で、
あの全ての元凶の所に、俺は自らのこのこと向かっちゃったのであった。