比喩コウモリ
「ばっかやろう!!何寝てやがる!!」
がつんと頭に衝撃を感じ、心地良い眠りの縁から引きずり出された。
「…ってぇな…、…んだよ…後10分…」
再び微睡む俺に、激しい罵声が降る。
「それで何時も遅刻すんだろーがぁ!!どういう神経してんだか全く知れんわ!!なぜ今寝る!?」
「…っとおしーなぁ…黙っとけよ…」
弟の声が耳元で執拗に繰り返される。
「起きろー!おーきーろー!!おーきーろぉ、おーきー―…」
「―うぅぜえエェぇェェええぇ!!!!!!」
堪えきれずに俺は布団を跳ね飛ばして飛び起きた。
「俺睡眠不足なんですけど何か!?俺って睡眠不足なんだよね!?」
「知らないよ」
知る由もない。
「もうちょっと寝かせてくれたって良いじゃん!お前には思いやりって言葉は無いわけ!?」
「…お言葉でございますが。その布団を掛けて差し上げたの、他ならぬ俺なんデスけど」
そう言えば元来俺の上には、跳ね飛ばす布団など無かった気がする。
「しかももう7時だし。外真っ暗なんだけど。」
―嘘
さー…っ―と、血の気が引いてゆく
雨戸の所為か、時間の感覚が掴めない。
―俺は馬鹿か
こんなに、時間を無駄にしてしまった。
「…何で、起こしてくんなかったんだよ」
恨めしく、直を見る。
拗ねたような弁解。
「…起こしたよ、何度も。にぃちゃんが起きなかっただけじゃん。」
…―俺の―馬鹿野郎
…長く此処にいられないっつうのに。
腹が減ったら多分また誰かに咬み付いて仕舞うのだろう。
もう弟に手を出したくはない。
俺は、戻らなくちゃいけない。
「…あれ、母ちゃんは?―いないのか」
家にいるなら叩き起こされる筈だ。
「友達とお食事会だってさ」
呆れたように直が言う。
…まぁ…出掛ける時に言い訳しなくていいし…丁度良いか。
「ふーん…そうか―…」
後は財布だな…
二千円ぐらいなら在ったはずだ。
ハーゲンダッツなら買える…な…、うん。
仕方無い…買ってやるとするか…
そもそも自分で蒔いた種だし…。
「…行こうぜ、直」
「しょうがないなぁ、行ってやるよ、もぉー」
「…買ってやるの俺なんだけど」
なんて奴だ。
ギャルの彼女かお前は。
俺達は玄関まで降りて、リビングを横目に通り抜けて、靴を履いて、家を出た。
直の言った通り、辺りは暗い。
たまにある街灯が淋しげにブロック塀を照らし出す。
頼り無い灯りにわらわらと集まる羽虫。
それをコウモリが何度も往復してハンティングしていた。
…あの中で―
―あの中で俺は、一体どの立場なんだろうか。
闇の中で必死に消えまいとする街灯か。
頼り無い灯りに群がり縋る羽虫か。
―それとも群の中に堂々と飛び込み、入れ食い状態を満喫し、捕食する
―コウモリなのか。
いずれにせよ、すごく滑稽な姿だという事に変わりはない。
…まぁ、
生き物なんて、所詮生きようとする限りはみっともないモンだと思うけど。
白鳥なんかで良く例えられるが、どいつもこいつも皆そうだろう。
本気で本当にクールな奴なんていない。
美人な女は美人でいるので必死だし
ジャニーズは醜い姿を見せまいと影で奮闘している
美しく見える奴との差なんて目に見えるか見えないかだけ。
百獣の王だって、サバンナで飢えてハイエナの残飯を漁る。
…生きようとする限りは格好付けてなんか居られない。
…なんてね。
…あ、そこ!う~んとか言うな!!深イイだろうがこの話!!
「……あ。…にぃちゃん、俺チャリ鍵忘れたみたい。後ろ乗せて」
早速チャリに跨った俺の後ろに、直が乗っかってくる。
「…ペダル重くなるじゃん。降りろよ」
「ヤダ。乗せてけ」
何だコイツ。
仕方なくペダルを漕ぎ出す。
「っもおおおおぉっ!!」
ペダル全然動かねぇェ!!
ムリムリ!!二人分は無理!!
「ギア変えれば良いじゃん?…よいしょ」
ガチャ、ガチャガチャガっチャン!!!!
「どぅわぁァ!?」
「うわわわわっ!?」
いきなり6から1にするとかコイツバカなんじゃ無ぇの!!!?
「ばばばばバカ!!!!ぶつかるぶつかる!!」
「前前まえ!!電柱!!ハンドル切れよおッ!!!」
「わ!!っぶねぇな!!…テメー…!」
「前見ろバカに―!!!!」
ドがっ!!
「…っがあ…!!?」
股間、打ったァ―っ!!!
―ど、どうやらぁ…電柱にぃ…っ激突した、らしいぃ…。
…ひょ…っ、ひょっとして死んじゃうんじゃ無ぇの…!?ってか死ぬぅ…!!
使い物にならなくなる…託子ちゃんになっちゃう…。
「…ぁぐぅ―っ」
「大丈夫?きっと女の子達たぶらかした罰が当たったんだよ」
「…たぶら…かしたって程…っ!!付き合って…ねぇえ…っ」
むしろモテねぇ部類だ
美沙にも遊ばれたような気がする…のは俺の僻みかも知れないけど…
「何かチャリはムリっぽいね」
「いや、無理じゃ無ぇ!!直、お前漕げ!!」
「えー?ヤだよ」
「俺のダメージを労って貰おうか…」
「…にぃちゃん、目がイってる」
しょーがないなぁ、とカゴの歪んだ俺のチャリに跨る。
俺は冷や汗なんか滲ませながら何とか荷台に跨った。
「っ、…ぃしょっ」
うおを!?動いた!!
「え、エコドライブにしろよ…っ!!」
「チャリなんだから無茶したってエコでしょッ」
遅いけど徒歩よりは速い速度で、最寄りのコンビニに近付いてゆく。
風に靡く直の髪から、シャンプーの匂いが流れてくる。
フードとTシャツの間からは、筋の浮く柔らかそうな白い首筋が覗いていた。
ごくん、と
つい生唾を飲み込んでしまう。
ホントに咬み付いたりはしないと思うけど。
「―あ、にぃちゃん?」
「え、な…何?」
「今吸血したりしないでよね」
かなりどぎまぎしてしまう俺の馬鹿正直さ。
「…なななな何で今そんな事言う訳??」
「また事故ったら本気でにぃちゃん男で居られないよ」
そんなの御免だ!!
「分かってるっうの…我慢しますぅ」
素直にウンなんて言えない。言える訳無い!!
「ほーらにぃちゃん?コンビニですよ~」
「ここに用があったのはお前なんじゃ無いのかよ」
俺は出来るだけ近寄りたくなかったんだが。
結局、買わなくちゃいけないのか…。
まぁ…何かやり残したことがあったら後悔するだろうし…。不完全燃焼は燃やし尽くしてしまった方が良い。
チャリ置きにチャリを停めて、眩しい店内に入った。
いらっしゃいませも言わない店員は眉毛の無いケバ子。
可愛気も眉毛と一緒に剃り落としちゃったらしい。全然可愛くねぇ。仕事しろアルバイト。
「…ねぇにぃちゃん!どれが良いと思う?バニラ?」
無愛想なケバ子が一瞬こっちをチラ見した。
チラチラと、俺と直を見比べ、
その後、マスカラまみれの視線は直夜を選んだ様だ。
…分かってるよ…。顔の造形が俺とは違う事ぐらい…分かってんだよ!!
「何でも良いよ…勝手にしてくれ…」
ウダウダと側に行く。
…だって食うのお前じゃん。
俺は貢ぐだけじゃん。
暇なので周囲を見回す。
陳列された食料品を見ても、美味しそうだとは思わない。
―今の俺にとっては食料品じゃ無いって事なのか
「にぃちゃーん!会計!!」
無邪気に俺を呼ぶ直。
おい。見てるぞ、ケバ子が。
色々うんざりしつつ、千円札を出す。
…おーいケバ子ー。金払ったの俺だぞー。そいつはたかってるだけなんだぞ〜。
何故直に釣り銭を渡す?…あ!こら!!添える振りして手ェ触んな!!直の手が香水臭くなる!!
直の愛想笑いに、ケバ子はあからさまにはしゃぐ。
あーもーウザい。俺ケバい奴嫌いなんだよ。
自動ドアから店外へ出て、外でカップを開ける。
「直、釣り返せ」
「ん」
レシートと一緒に手の上にぶちまけられる。
細かい小銭は嫌いなんだが…。
まぁ…いいか。
「にぃちゃんも食う〜?」
突き出されたバニラハーゲンダッツにも、高級アイスなのに食べる気はしない。
「いや…俺は―」
「うーりうりうりうりぃ〜」
ぐぅむぅう… 。
唇に押し付けてくるアイスを断ることも出来ず、
…仕方無く口を開いた。
「ぱく…っとお」
いちいち効果音を付けんな鬱陶しい。
俺の彼女かお前は。
口の中で冷たく溶けるバニラ。
飲み下した後の濃厚な余韻。
…何ら変わりなく、今まで通りの味覚を感じる。
―ただ、全く美味いと思わないだけで。
味覚は正常に感じていても、『味』は、感じていない。
「どお?おいしい?」
―そんな事
「…うん、美味い」
直が僅かに眉を曲げた。
「…うまくないんだね」
よく分からないが傷付いた様な顔をされる。
俺マズイ事言ったかな?
「そんな事ね―」
「―良いよ 嘘なんか吐かなくても」
あれ、なんかコイツ怒ってんじゃねぇの?
「てめー、まぁた怒ってんだろ?短気は駄目だぜ?」
当の俺は人の事なんて言えたモンじゃない超絶短気だって言われるけど。
…友達に。
…ちくしょー。悪友ばっかじゃねぇか。
「お前さ、気まぐれなんだよなぁ。ホンット、女臭ぁ〜」
ふざけて鼻を摘んだ所で―
「―ふざけるなよ!!」
なぜか怒られた。
「―な、何だよ!ちょっとふざけただけじゃんか!お前何も解っ―」
「解ってないのはにぃちゃんの方だよ!!」
―何の話だ?
思考を『?』が占領する。
「俺が…俺がどんな気かも知らないで!!」
ぐしゃり、と、高級アイスのカップが握り潰された。
勿論中身もボタボタとアスファルトに落っこちる。
ああぁああぁぁ~…
「よく言えるね。―いーなぁ。にぃちゃんは。朝から晩までのーてんきで」
プチンと精神の紐が引き千切れる。
「そういうお前も毎日毎日楽しそうで何よりですねぇ。悩みなんか欠片も無いようで。」
「…悩みが無い?」
直が、言う
「…それ、俺の事言ってんの?」
あれ
何だこの展開は。
「ばっかじゃないの!?」
突然迫ってくる直。
殴られるんじゃないかと俺は身を縮めた。
「っ!?」
どん
「…―っ!」
「…っ、な…!? 直?」
俺は自分と変わらない背の弟に、抱き付かれていた。
何が起きたのか分からない。
…こんなにでかくなった兄弟に甘えられてる理由なんて解るはずもない
コイツが何考えてるかも―勿論
ちらりと
ふと上げた視線の先で、飛び回るコウモリが、光に縋る蛾を捕まえるのを見た。
蝙蝠
アイツも俺も
光に群れる人を狩る。
所詮、吸血蝙蝠。
目の前にはコウモリよりも数倍出来の良い蛾。
俺はただ、戸惑った。
兄として、人として、
―そして、蝙蝠として。