月光バトル
「―よし、殺そう」
リラの眼は完全に据わっていた。
…いや、もしかしたらこれが正常の通常なのかも知れない。
現に、間延びした口調は軽減されている。
「…こいつを殺さないと、何にも始まらない」
…怯むな、俺。
大丈夫、大丈夫だから。
無理でも勝てるって信じとけ。
「―キースもそう言った。あの男の命令を聞くなんて腹が立つが、……キースなら別だ」
『あの男』と『キース』は別物らしい。
…ヤバい、手加減する余裕なんか無いかも。
「…今は桜助を仲間に入れ、形だけでも従って置かなくてはいけない」
うわああ無理無理、やっぱ怖いよ独り言。
口調全然違うし…。
むしろお前誰だよ!!
…と、心中俺が泣き言を吐いたところで、
―ぶつぶつ言っていたリラが、―消えた。
「―ッ!?」
いや、違う。
消えたように『移動した』んだ。
咄嗟に周囲を見回す。が、見当たりはしない。
「後ろ」
間延びしない声。
「…うぁ―がっ!!」
振り返ると同時に、側頭部をフルスイングでぶん殴られた。
その衝撃に軽くぶっ飛ぶ。
…あ、頭砕けたかも。
「!!!!」
ホームレスのお宅に突っ込んで、鉄パイプやら段ボールやらが弾け飛んだ。
幸いご主人は居ない。どうやらディナーの調達中か何からしい。
「…げほっ」
奇跡的。俺は痛いだけで無事だった。
しょっぱい。口の中切ったらしい。自分の血って何とも思わなくて、鉄臭くてマズイ。
「………」
青いビニールシートで染まった視界。再起不能なフリして考える。
…思えば勝てるわけ無ぇんだよなぁ、純血だもん。強いって話だもん。
こういうキャラって中ボスじゃないの?
冒険初期で出会う奴じゃないよ、絶対に。
…てか、何で怪我してない俺?
アイツが消えたんじゃないって事も分かった。
それってつまり目で追えたって事。
あれ、…ちょっとレベルアップしてね?
「…あ〜逃げたい」
でも無理。
じゃあ戦わなくちゃ。
月の光で薄く剥ける青に、人の影が映った。
「―いつまで寝てる」
青い視界が突然消えた。ビニールシートの向こうから、リラ。
「―」
右手。熊手みたいに構えた鋭ったネイルの爪。
それを大きく振り翳し―
「…ちょ…冗談キツいっしょ…」
手近にあった、お家の残骸。
「―!!」
リラが右手を振り下ろした。同時。
「っらァ!!」
残骸―鉄パイプをぶん投げた。
槍投げみたいに。
「…ガフッ!!」
それは顎下に直撃。
やりすぎた感は否めないが気遣ってたら俺が殺られる。
その隙に鉄パイプをひっ掴んでその場を離れた。
「…あ〜痛ェ…くそっ、」
口の中の粘度の高い血唾を吐き出した。
打ち付けた背中が痛い。打撲した?
「―…タク、ヤァ…」
地を這うような声に、ハッと目を上げた。
―その惨事に、思わず目を逸らしたくなる。
顎が砕けた―らしい。
俺の口ン中の傷なんか比べ物にならない血を流し、それは鼻にも逆流している。
いくらなんでも、やっぱやりすぎた。
「痛いじゃアん…たっくんのいじわる…」
…前言、撤回―
―その顔で笑いやがった。
「…きょーは、月が出てて良かったよお…」
ネイルの指で赤く染まった顎を掴み、形を整えるように動かす。
「……っ―!」
直視するのは、それなりに大変だった。
ごり、ごり、と骨の擦れる音。
―と、手を離し、ニットの袖で血を拭った。
かちかちと噛み合わせを確認し、再び唇を舐め上げる。
「―一応痛いんだからさーあ?」
「さ、再生した…のか」
「したよお。あたしら純血はー、伝染タイプの脆い亜種とは違うのー。だからこそ、このゆーしゅーな種を絶やしちゃいけないでしょお?」
…やばい。
勝てる気がしない。
さっきから笑いっぱなしの膝。
あのコンビニで、純血に鳩尾キック程度じゃ大して効かないってのは学習した。
だから手加減なんか無用だと、殺す気で攻撃したのに。
瞬間回復って…。
しかもあんだけ重傷でもしちまうのかよ。
「一体どんな身体してんだ…」
「人間とはまるっきり違う身体ー。そもそもォ、進化の系列が違うしぃ。
…その辺の基準ずらしとかないとさぁ」
次の瞬間には、
―目の前にリラの顔があった。
「―アッサリ殺られちゃうよ?」
「…―〜!!」
俺が反応するよりも早く、リラが鳩尾に膝を蹴り込んだ。
学習したのか、飛ばすような事はしない。
「う゛ぁ―…ッッ!!」
「あんまり出血させたくないなぁ〜。飲む分が減るからさっ!」
あくまで、無邪気に。
「あー、でもぉ、たっくんの死骸連れてった方が良いかなァ? だったら生殺しにしないとー」
二発目。
ひゅん、と、風を切る音がして、
刹那、内蔵を抉られるように。
「ぉ…あ゛ッ!!」
嘔吐感と綯い交ぜになった鈍痛。
やばいって。
「…たっくん人間に近いからー、手加減しないと死んじゃうよねェ?」
様子を窺う様に耳元で言語が囁かれた。
「…ぁ……が……」
なんていうか、死にそうってよりかは痛すぎて苦しすぎる。
死にはしないだろう。
だけど、吐きそうだし苦しいし、暫く復活出来そうにない。
どうしようか。
逆転しないと死んじゃうだろ。
右手が辛うじで引っ掛けている鉄パイプ。
ここはRPGの世界じゃない。鉄パイプっつったら人なんか簡単に殺せるそれこそちゃんとした凶器だ。
…ああもう、だから自信持てって。
頑張れってば俺。俺なら出来るって。無理とか言ってんなって。
もう、アレだ。どうせどうにも成らないなら足掻いてみようか。
疼くような、内臓に直接響くような苦くて渋い痛み。
それを圧してパイプを握る。
痛みも苦痛も全部乗せて、殴れ。
「おォっと何のつもりかなあ?」
「お゛ぅぁ!!」
…あ、やっぱ無理。
吐いた方が絶対に楽になれるんだが、生憎血液ってのは液体で消化が早いらしい。
既に胃袋の中には何も残っちゃいない。
吐きたくても吐けない。
「―…―!!」
リラが無言で、俺を蹴り飛ばした。
「――ぁ!!」
またぶっ飛んで、中が空洞で半球の、ホールみたいなのに突っ込んだ。
ちゃっちいプラスチックが砕け、その中でぐったり力尽きる。
「………あ゛…ぐ…」
パラパラと落ちるプラスチックの破片が、ひどくゆっくり落ちた。
スローモーションみたいに。
…何だよ、無理に決まってんじゃんよ。
このままなぶり殺し?
何て不幸に塗れた人生だ。
……いや。
…いやいや、待て。
待て、待て俺。
諦めるな。
今出来ることを尽くせよ。
そしたら死ねるぜ?成仏できるぜ?
考えろ。何にだって弱点は有るんだ。
ライオンは木に登れない。フクロウは眼球を動かせない。スズメバチは色彩が見えない。
同様にヴァンパイアにだって弱点は有る筈だ。
太陽光は却下。今は真夜中だから。
銀…なんて持ってないし。
清水は…それがなんだかすらよく分からんよ。
杭とかは―ああ、ありませんね。まず心臓に撃ち込むなんて無理っぽいし。
後は……何か無かったっけ…。
ああ駄目だ。思考を止めるな。脳を休ませるな。
…だけど、眠くなる。
白くかすみ掛けた視界のスクリーンに、一瞬、あの金色の瞳が映った。
「…ッ!!」
猫のような三日月の瞳孔。
夜にはまん丸くなる。あの、金色の眼。
…あれ、何だ…何か思い出しそう。
気持ち悪い、喉の奥でひっ掛かっている知識。
―あ、そうだ。
目の前でドームが破裂し、粉砕した。
粉塵の中に、爛々と光る金色の眼。
「もう死んだァ? たっくーん?」
「…れが」
―そうだよ、猫の目だ。
暗いところからいきなり明るいところに出ると、目が眩んで開けられなくなる。
人間の瞳孔は精々大きさが変わる程度。
でも猫は、線から丸へ、激しく収縮、拡張する。
昼間の瞳孔が線のヴァンパイアも同じだ。
…だから、
きっと瞬間的な光にも弱い筈だ!
「誰が死ぬかぁあ!!!」
ライト機能。
ケータイの。
側面にあるボタンの長押し。開く必要もない。
「―!!!!」
「っのやろ!!」
リラが光に怯んだ。
思いっ切り、鉄パイプでリラを突く。
パイプは捨て、直ぐに脇を抜けて離脱した。
「……っ!」
「ああ―う…!! クソッ! 拓夜!! なんっ―」
どうやら効いたらしい。顔を覆い、その場にうずくまる。
…しかし、鉄パイプでの刺突の方は微塵も効いていない。先行きが不安すぎる。
とりま俺はもう一本、先の曲がった鉄パイプを拝借して、がたがたの身体に渇を入れた。
「ぐ…ぅ…、あああ゛!!」
「っ!!?」
やばい、復活した。
どうしようか。どう戦う?
俺だって満身創痍だぜ?
「―るな、…ざけるな―ふざけるな―!!」
うわあああ、怖いよう。
大層怒っていらっしゃるリラさんは、恐ろしい形相でこちらに駆け出して参りました。
「―汚れた亜種の分際で!!」
「―っッ!?」
ああ、もう。
だから無理だって言ったんだ。
こんな化物に勝てる訳無かったんだ。
「―!? 拓夜サン!?」
ほら、居るはずの無い声まで聞こえて―…、え?
「どゅうらあぁア!!!!」
「っ――!!」
目の前の金髪が、吹き飛んだ。
それも見事に、プールの方へ。
濁音と共にフェンスに激突し、どしゃりと落ちる。
…それよりも、俺の視線は蹴った本人へ。
「こ…小梅さん?」
「―拓夜サン! 何で純血なんかと戦って!?」
ピンクのゴスロリをひらめかせ、小梅さんが其処に立っていた。
白髪とピンクゴスって言うのはスゴく似合う。
「いや…その―色々―」
「相手が悪過ぎよ! 勝てる訳無いじゃない!」
…分かってるけど。
「―分が悪い。ここは逃げましょう」
「な…!!ダメだそんなの!!」
「分かってないわね。勝ち目があるとでも思っているの!?」
「…っ…!!」
プール近くの草むらがガサガサと動いた。
「しぶとい…怪物…」
小梅さんの赤い瞳が忌々しげに歪む。
踵のないペッタンコな靴が、そこに向かって歩み始めた。
「拓夜サン、先に退散してて頂戴?」
「そ…っ、そんなには訳いかねぇよ!
コレは俺が起こした問題だ! 小梅さんには―」
小梅さんが、強気にニッと笑った。
…が、その白い頬からは一筋の冷や汗が伝っている。
「…平成男子にしては良い根性じゃないのさ。
…でも任せておきなさい。オバサンのお節介は聞いておくものですよ」
―と綺麗なお姉さんは歩いてゆく。
俺は迷っていた。
ここはヴァンパイアとしても先輩の小梅さんの言う事を聞いておいた方が良いのか。
俺は、また誰かに助けられて逃げるのか。
「早く行きなさい!!」
俺は、唇を噛み締めた。鋭くなった犬歯が唇を貫く。塩辛い血の味がした。
またフラフラと起き上がるリラ。
小梅さんが走り、それを殴り飛ばした。プールの塀が砕ける。
瓦礫と共にリラが水面に叩きつけられた。
「アタイの為にも早く!!」
クソッ!!
また俺は逃げるのか!!
「ごめん小梅さん!! 絶対に帰って下さいね!!」
「まだアタイに死亡フラグは立ってないわ!!」
俺はその場を逃げ去った。
背中では時折、激しい戦闘の音がする。
俺は無力を噛み締め、ひとまずその場を去ることに尽力した。