吸血欲―発覚
全身から嫌な汗が滲む。
頭の中は血の事で一杯で、それ以外は考えられない。
「―…っく…っぅ」
苦しい。苦しい苦しい苦しい苦しい
耐えられない。堪えられない。
日中の日差しを浴びたことも響いた。
日光は一種のアレルギーに近い。日焼けが酷くなるか、アトピー性皮膚炎の症状に酷似した炎症が起きる。
幸か不幸かそれはまだ起きていないが―
ベッドで独り悶え苦しみ、首を皮膚を頭を脳を心臓を掻き毟る。そんな事はどうでも良い。そんな事より苦しい。
誰か…などと祈っても分かっている解りきっている誰も来ないなんて。
…いや、来る絶対来る。来ない筈は無い。分かっている。来る。彼奴は来る。
来るからもう少し、もう少しだけ―堪え忍べ。
あと1分あと1秒―あと10分、あと、あと―
「…はっ…ぁ、…ぐっ…う…」
立ち上がれ。
平衡感覚は麻痺してしまった。
色彩も定かでない。
音は谺して信憑性が無くなった。
何もかも、鈍化して、劣化して、苦しみの中に飲み込まれた。
何も解らない。
矛盾だらけ。脳内は氾濫し停滞。
気休めに喉を潰して叫んだ。気休めにもならない。何の意味もにもならない。
苦しみと苛立ちに任せ、机に拳を叩き付けた。木くずが飛散する。
椅子を蹴っ飛ばす。壁に当たって大破。
「…は…ぁあ―ッ!」
寄り掛かった壁を殴る渾身の力で。コンクリートが砕け錆びた鉄筋がヘし曲がったのが見えた気がした。
…―私は、
…―私はどうしてこんなに苦しんでいるのだったか
何故いつも通り狩りに行かないのか
―そんな事を、鈍って麻痺した頭で考える。
私は何を待っているのだろう
何に助けを乞うているのだろう
―…いったい―
―じっとしていると正気を無くしてしまいそうだ。
…尤も、既に正気などは保ってはいない存在すらしていないだろうが。
この部屋の事など知らない関係ない。
気休めになり得なくても八つ当たり。そうでなければとても耐えられない。
破壊と引き替えにこの1秒を買う。
崩壊と引き替えに小さな希望を捜す。
待つ本来の目的も忘れた。そんな事を考えすらしない。目的などあるだけ無駄だ。
待てばいい。次の1秒を待つ。それを迎えたらその次の1秒。永遠に繰り返し。次が来たら次を待つ。
『何か』を考えるな。今の1秒が長くなる。次の1秒が来なくなる。
耐えろ、まだ壊れぬように。今の1秒でいい。次の事は次になったら考えればいい。
今は、今だけを耐えればいい。
―ふと、鼻腔を僅かな芳香が通り抜けた。
ドア…―あのドアの先
ギギギ…と、酷く緩慢にドアが―
「―…あの―」
―来た!!
走った。
木片に躓いた。
気にしない。構っていられない。来た!!来たのだから!
「―!!」
すぐに私はその甘い首筋に―!
「…っあ!!」
倒れた。気にしない。離さない。ついて行く。吸血は続行。鼓動が治まってゆく。息が落ち着いてゆく。脳が透き通る。麻酔が切れる。
痺れが、苛立ちが、辛苦が、全て全て、満腹感とともに霞んで溶けてゆく。
―ある程度、まともになって
正常な思考を取り戻した。
牙を抜いて、ふたつの穴を舌先で舐める。
…しかし、
とても残念な事に―
…―私は、気付いてしまった。
「…お前」
「―…?」
呆然と見上げる私の虞属。
「―誰かの血を、飲んだのか」
―彼の血の味が、微妙に変わっている事に。
私は、気付いてしまった。
…それは、私以外の血を愛したと―
私ではいけなかったと―
―いや。
此奴はまだ私の血を口にしていない。
正式な契約は結んでいない。
少し脅えたように、少し呆然として、私を見上げる三白眼。
綺麗な新月の夜空色。
これは、私の物だ。
私は、軽く笑った。
帰って来てくれた事が無性に嬉しい。
…この先には血塗られた争いが在るが―
今すぐ始まりはしないだろう。
それまでの間、今の自分と向き合い、よく理解すると良い。
私の存在についても―
深い夜空は、何も知らなかった。
―知る由も、無かった。