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逃走


 夜の冷たい風では醒めないほどに、胸が高鳴っている。


 まだ引き返せる。まだ、今なら誰かに見つかっても見回りをしているんだと誤魔化すことが出来る。


 走ってる訳でもないのに、呼吸が乱れる。


 鼓動が、ばくばくと早鐘を打っている。


 勢いで馬鹿なことをしようとしている自分を止める言葉が溢れてくるのに、足は全く止まる気配がない。


 手が震える訳でも、足がもつれる訳でもない。


 ただ、足が止まらない。


「ふっ……。ふっ……」


 涙が滲む。


 なぜ涙が出てくるのか、それを理解する前に頭から抜けていく。


 次の瞬間には、誰が見ても自然なように前を見て歩くことだけを心掛けている自分がいるのだ。

 自分のすぐ後ろに冷静なもう一人の自分が居て、そいつに操られているみたいに足が止まらない。


 やがて、村を囲う柵が見えてきた。


 柵の高さは人間二人分強くらいはある。しかし、そこには登って下さいと言わんばかりに幾つもの足場のようなものが取り付けられていた。


 これは地面を泳ぐ魔獣が村の中から姿を現した時に備えて、村のどこからでも逃げられるように作られたものだった。


 ありがたく活用させてもらう。


「よいしょっ……と」


 危うげなく柵を乗り越えて、地面に着地する。


 じんと痛む足の裏をぷらぷらと振って、視界の先に見える木々を睨む。


「あれ、おかしいな。確か、誰か居たと思ったんだけど」


 誰かに言い訳をするように、そんなことを言ってみる。


『見回りの途中で、村の外に人が居た気がした。有り得ないと思うけど、村の人だったらまずいから、急いで確認しに来た』


 だいぶ苦しいが、そういう体ていならまだ誰かに見つかっても自分がここに居ることに説明が出来る。


 引き返すなら、ここしかない。


「……」


 しかし、引き返してどうなるのだろう。


 振り返れば、柵の隙間からトトナ達の泊まっている宿屋が見えた。今頃、皆で仲良く眠っているのだろう。


 そう思えば、苛立ちが強くなる。こんな所に残って、何になると言うのか。


 どいつもこいつも、糞みたいな奴しかいないのに。


 あのイケメンも、取り巻きの奴らも。従者だったトトナですら、俺のことを怯えた目で、見下すような目で見てきた。


 俺に命を救われたくせに、気味の悪いものを見るような目で俺を見てきた。


 もう、誰にも求められていないのだ。それなら、自分を求めてくれるところを探すしかない。


 黙ってジッと辺りを見回してみる。


 どくどくと鳴る自分の心臓の音が煩く思えるほど、辺りは静まり返っている。


 誰かが来る気配はない。


 勇気を出して、森に足を踏み入れる。


 ある程度なら夜目は利くが、完全に見通せる訳ではない。魔獣は出ないだろうが、慎重に進むことにする。


 人間種には効かないが、立ち並ぶ木々はどれも大型の魔獣が嫌う臭いを発している。

 そのお陰でこの辺りに魔獣は住んでいない。それでも、この森は何人か人を殺している。


 と言っても、何か特殊な能力が作用しているという訳では無い。単に迷うのだ。


 下草はあるが、茂みや蔓のような目立つものが何も無く、広い範囲に密集して木々が立ち並ぶこの森は、相当優れた方向感覚がない限り戻って来られない。


 目印になるようなものが何も無い。


 自分は直線的に進んでいるつもりでも、木々を避けている間に少しずつ逸れていき、やがて野垂れ死ぬまで迷い歩くことになる。

 国が管理をする森なので、木に傷をつけながら進む事も出来ない。


 この森から無事に帰って来るには、それなりの準備をしなければならない。


 しかし、帰ってくるつもりのない今の自分には関係がない。


 木々の隙間を縫うようにして、どんどんと前に進む。


 しばらく歩き、絶対に村からでは知覚できないと確信出来る距離になってから、ランタンを灯す。


 明かりが広がる。


 そうして、自分の衣服に汚れがないかを確認して、膝をつく。


「『ミタマ様』、お待たせしてしまい申し訳ございません。ここであれば、誰にも見つかる心配は御座いません」




◇◆◇◆



 夜風に扇られた木々の靡きが、先程よりも一段と激しさを増したようだった。


 顔を上げたシキが見たのは、直立する棺だった。


 木板に漆喰のようなものが塗られているのか、ランタンの光に反射して、紫に近い黒い輝きを見せる。


『待っていませんし、謝る必要もありませんよ。そもそも、忙しいアナタを無理言って呼んだのは私ですからね』


 男の声だった。


 スルリと心の隙間に入ってくるような、丁寧で優しい男の声で棺が話す。


『以前話しましたが、シキ。もうアナタは一介の神官ではなく、役職で言えば神官の最高峰、「神主」なんです。もっと、私に図々しくしても良いんですよ?』


「ま、まさか。そのようなこと、出来るはずがありません。おれ、いや、私など、まだまだ未熟の身。ご命令でない限り、そのようなこと────」


『そうですか。それでは、シキ。命令です。私に図々しくしてみなさい』


「はっ! は、し、しかし……」


 困った表情を浮かべるシキに、棺は微笑むように笑う。


『冗談です。少し緊張しているみたいだったので、ふざけてみました。でも、図々しくして欲しいというのは嘘ではありませんよ? 変に畏まって、やり取りが滞っては意味がありませんから』


「はっ! ご配慮────あ、いや。えと、わ、分かりました」


『ふふ。さて、それでは本題にはいりましょうか。時間も有限。手短に話しますが、分からない部分があれば遠慮せずに質問して下さいね』


「はい、分かりました」


『それでは、シキ。まず、アナタにやって貰いたいのは私の「信者」と「信徒」を増やすことです。目標にしている数よりも集める事が出来れば、褒美として下級神官を支配する権利を与えましょう。見習いの者であれば、アナタの好きにしてもらって構いません』


「分かりました。期日などはあるのでしょうか?」


『時間は幾ら使ってもらっても構いません。少しずつでいいので、確実に増やして下さい。目標とする信者の規模は「村落」です。流石に「市街」規模は無理でしょう。「町」規模まで成長させる事が出来れば、アナタに褒美を与えます』


「はい、ありがとう御座います」


『分かっていると思いますが、異教徒との衝突はなるべく避けて下さい。異教徒の、それも役職持ちを「改宗」させる事が出来る場合は、まず私の方に伝えて下さい』


「分かりました」


『恐らく、あちらでも「起源神」に従事する人間がいるはずですが、基本的にはあちらの要望に従って下さい。逃げるのは構いませんが、間違っても戦ってはいけません』


「はい」


『それと、他にも幾つか────いえ。あちらに移動してから伝えますね。それでは、立って下さい』


「はい!」


 棺の命令に従って、シキは立ち上がる。そして、衣服についた土を拭おうとしてふと気付く。


(あ、しまった。せっかくミタマ様に呼んで頂いたのに、正装を着忘れてしまった。なんて失礼なことを────)


『……? どうしました? 何か、具合でも悪いのですか?』


「え? ああ、いえ。失礼しました。実はせっかく神様に呼んで頂いたのに、正装を着忘れてしまいました。このような汚い格好で、そして気付くのが遅れてしまい申し訳ございません。本当なら、神様に呼ばれたじてん、で……? あ、れ……?」


(呼ばれて、ここに来たんだっけ? あれ? さっきまで)


 混乱をするシキに、(ミタマ様)は微笑む。


『ふふ。錯乱していますね。無理もありません。あなたは、とても大切な従者に裏切られたんですから。ほら、行きますよ?』


「は、はい。────そうですね。自分が間違っていました」



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