夜逃げ2
この世界には二種類の信仰がある。
まず、一つ目が起源信仰。
この世界の起源とされる、九人から成る起源神を崇拝する信仰だ。
この世界で最も成功している信仰と言っても過言ではなく、起源神の拝殿は世界各地に存在すると同時に世界の治安維持を担う側面も持っている。
そして、もう一つが土着信仰。
世界土着と呼ばれるもので、人間の土地に根付いた『故人を敬う』という考え方を尊重する信仰だ。
この世界には人間を含め多くの生物、魔物が住んでいるが、この『故人を敬う』という考え方は人間種しかしない。
つまり土着神というのは起源神と違い、かつて実在した故人であり、分類で言えば『祟り神』に当たる。
死が怖くない人間など存在しない。
特に人間の世界の歴史に名を残し、財を成し、成功した人間ほど生きることに執着する。
そうした人間の未練と、人間固有の考え方であるこの世界の土着信仰が混ざり、神が生まれる。
シキが信仰する神────『ミタマ様』は、昔この国で名を遺した偉人であり、時が経った現在でもシキの国ではそれなりに評価されている存在だった。
と言っても、その道の歴史書で探せば数ページ名前が出てくるという程度のもので、一般大衆が認知している程のものではなかった。
「さっむ……」
自分の体を抱くようにして腕を擦って、シキは身震いしながら宿に向かう。
この村は栄えているという事もあって相当広い。
幾つもある畑も全て柵の内側で作っているので、この村を囲う柵の外周はちょっとした街のものよりも長い。
きっと、宿に着く頃には身体も冷え切っているだろう。
「なぜ、こんな目に……」
口に出して、シキの頭に真っ先に思い浮かんだのは先程別れたばかりの金髪の少女、ソフィアの事だった。
しかしすぐに、シキはいやと首を振る。
(全部、自分の選択のせいでこんな事になっているんだ。上手くいったら神様のお陰、駄目だったら他人のせいなんて馬鹿げている)
正直、シキにはソフィアの気持ちは理解出来た。
自分がもしソフィアの立場であれば、きっとトトナのことを第一に考え、宗旨変えを勧めていただろうから。
ルーカスやソフィアが信仰する土着神は、この国では知らぬ者が居ない程の知名度を誇る。信者の数も一つの都市人口に匹敵する。
対して、シキが信仰する『ミタマ様』の信者の数は全盛期に比べれば悲惨と言えるほどの数になっている。「信者」を導く「信徒」も、トトナを除けばシキしか残っていない。
先細りしていくだけの信仰だ。はっきり言って、この先成長は見込めない。
こんなところで才能あるトトナの未来を腐らせるよりも、より評価される場所で多くの人間に求められる方がトトナにとっても幸せなのは間違いない。
そういう思いがシキにもあるからこそ、トトナとの契約を解消することにそこまで抵抗がないのかもしれない。
(もう、無理なのかなぁ……。神官の中で布教が出来るのなんて俺しか残ってない。なんなら、トトナにすらもう見限られているっぽいし……)
一人の神官として言えば、トトナは絶対に逃してはいけない最高の信者だった。一度神官にしてしまえば逃げることなんて出来ない。
騙してでも捕まえろという思いも強かった。
その一方で一人の男として言えば、トトナにはただ幸せになって欲しかった。
トトナほどの素質があれば、人気のある神のもとでもすぐに神官職に就けることだろう。
安定した、誰もが知る商会の元で役員として働くのと、いつ潰れるかも分からない、家族経営でなんとか騙し騙し営んでる小さな店で働くの二つの選択肢があるのなら、殆どの人間が前者を選ぶだろう。
『潰れるなら一人で潰れろ』というソフィアの言葉が思い起こされる。
(まあ、仕方ないか。必要とされるものが残って、必要のないものは消える。神様を必要としている人間が俺だけなのは、ある意味名誉なことなのかもしれない)
自嘲するように、シキは笑う。
自分でも驚くほど考え方が冷めきっている。
最後の神官として求められているのは汚く足掻き罵倒をされても延命をする事ではなく、少しでも格好良く綺麗に終われる方法を模索することなのかもしれない。
そんな事を考えながらトボトボと進み、やがてシキは宿屋に辿り着いた。
明かりはまだついているが、トトナ達はもう寝ているだろう。
起こすといけない。
そう思って、静かに扉の取っ手に手を掛けて────。
ふと、魔が差した。
もし、ここで抜け出したらどうなるのだろう。
シキは空を見上げる。
空はまだ完全な夜暗に包まれている。だが、もう少しすれば朝日が顔を出し、村の人間も起き出してくることだろう。
抜け出すなら、今しかない。
どうせ、自分は、自分の信じる神は、誰にも求められていない。
それなら自分が求められる新しい地で信者を募り、後継者を作るのはどうだろうか。
「……」
痛い程の静寂が耳を刺す。
夜の冷たい乾いた風。虫の羽が鳴らす音。蛙の鳴き声。
そんな趣ある夜の静寂には不釣り合いなほど、心臓の鼓動が高鳴っている。
汗が滲み出る。
ジャリ、という音がした。
気付けば、シキは宿に背を向け、村の外に向かって歩いていた。