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逆ギレ

 一面を覆う薄雲の空を夕日が染め上げ、木々の生い茂る森中を冷えた風が吹き抜ける。


 反対側の空では、僅かに見えていた常闇が徐々に勢力を強め、真赤と闇黒、二つの集塊に挟まれた薄雲があいまで複雑な表情を浮かべている。


 そんな入り混じる空の境界の下、広大な森の中でポツンと開いた空間に、辺りに溶け込むように木造の家屋が立ち並んでいた。


 周囲には畑と思われる鋤き起こされた耕地、その近くには飼いならされた数匹の大鶏と、この世界ではごく一般的な村のようなものが、隠れるようにひっそりと存在していた。 


 そのうちの一つ、旅宿と書かれたひときわ大きな木造作りの建物の前に数人の人影の姿があった。


「……チッ」


 備え付けられた木製の腰掛けに座った、足首を隠すほどの長さの外套を深く被った男が、フードの奥で小さく舌打ちをする。


 背中に丸盾を背負い、片手に合金の長杖を握るその姿は荒事に従事する者特有の近寄り難い雰囲気を放っている。


 そして男の向ける目線の先、虚ろに輝く瞳には、一人の青年とそれを取り囲むようにして談笑をする三人の少女の姿が映っていた。


「───そうそう! やっぱり俺たちにかかれば余裕だったね」


 耳に届く、その通りの良い声は男と違い聞くだけで心地良さを覚えるもの。


 ゆらゆらと、男の瞳に映るその青年は男よりも幾つばかりか歳下で、まだあどけなさの残る端整な顔立ちに柔和な笑みを浮かべている。


 海の碧を思わせる瞳に短く切り揃えられた真っ白の髪、スタイルのいい細身の体躯と、公爵子息のような雰囲気を醸し出すその青年は男からみてもかなりの美形だった。


 そして、その青年の取り巻きである少女らもまた、一人一人がその青年に釣り合う驚くほどの美貌を持っている。


 年齢は十代前半から十代後半と、大人というにはまだ未成熟ではあるものの、可憐な華を思わせる少女たちが顔を突き合わせ、何事かを笑いあっている様は一枚の絵になるほど美しい。


「……っ」


 ピキリと、男の胸内に黒い感情が走った。


 少女たちを眺めれば、親しげに話す会話の端々に青年への恋慕の情が透けて見えるようだった。頬を紅く染め、チラチラと青年の顔を盗み見しては媚びた声をあげる。


 男が経験してきたような煽て上げとはそもそもが異なる、ただただ純粋な桃色の恋愛感情がそこにはあった。


 男は醜く釣り上がった鋭い瞳を、更に険しいものにする。


 正直、話がこれだけで終わるのであれば男もここまで嫉妬の炎を燃やすことはなかった。自分と青年との出来の違いを理解し、それに相応しい評価をされるのも納得していた。


 問題は別のところにある。


 男は続けて青年から目を逸らすように、視線を少し横にずらす。視線の先、能力で創られた太い蔓の腰掛けに座って青年たちと話す、小柄の薄紫色の髪の少女の姿があった。


 少女の顔の前をふわふわと漂う蛍火が、周りの陰を払う。


 年齢は十代半ば、髪と同じ色の紫水晶のような瞳に、健康的な艶やかな顔立ちと、容姿だけを見れば青年の周りを侍る少女たちに匹敵する美貌を持っている。


 名前をトトナと言う。


 そして、唯一の男のパーティーメンバーだった。


 先程の光景を思い出し、フードの下で男はバツの悪そうに顔を顰める。



 情けなかった。



 数刻前。目標としていた数の魔獣を討伐し終わり現地から撤退する際、青年の力を借りたくなかった男は「自分だけで大丈夫」と見栄を張ってしまった。


 そして、そのせいで撤退に遅れ、結果的にパーティー全員がこの村に帰ってくるのが遅れてしまった。


 あの時の呆れたトトナの表情は未だに男の脳裏に焼き付いていた。そして、その後の「こういう人なんです」と馬鹿にしたように笑い合うトトナと青年の二人の顔も。


(いや、全て自分が悪いのは知っている。こんなの、全部自分の逆恨みだ)


 最近のトトナとの会話が脳裏に浮かぶ。


 思い返せば、男のパーティーメンバーであるはずの彼女は、毎日のように青年たちのパーティーに入り浸り、何を話す時も楽しそうに青年たちとの思い出を語っていたのだ。


 青年の周りを侍る取り巻きのように彼女も裏では青年のことを好いている。


 その事実から、男は目を背け続けて来た。

 

 男の中で様々な感情が綯い交ぜになって、複雑なものが胸内から込み上げる。


 そして───。



「ほんと、疲れるな」



 失笑が男の口から零れた。


 特に意識をした訳でもなく自然と零れたボヤキに、軽蔑や憤りといった相手を非難する類の感情は込められていない。


 あくまでも自虐や無力感といった、自分の非力さを嘆く弱りきった思考から漏れた言葉だ。


 しかし、鋭敏な感覚を持ち斥候を本職とする青年のパーティーの一人には違った意図として受け取られてしまったらしい。



「───あれ? シキさん何か言いましたぁ?」



 突然、金髪の少女に後ろを振り返られ名前を呼ばれた男───シキはハッと我に返ると、慌てて誤魔化す為に口を開いた。


「……え? い、いや。何も言ってないですが」


 顔を上げ、ははははとぎこちない笑いを浮かべるシキの顔立ちは、青年たちとは対照的なものだった。


 痩せている、というよりも若干の栄養不足を思わせる肉付きの薄い衰えた面貌。


 口元を見れば、笑い慣れていないのか日陰者特有の気持ち悪い笑みに歪んでおり、ローブのフードから見える鈍い輝きの瞳と相まって、悪事を企んでいるように見えてしまう。


 年齢自体はトトナと三つしか違わないはずなのに、感じさせる生命の熱量が全く違う。


 必死に取り繕おうとするシキを金髪の少女は嘲るように笑うと、続けてこの場にいる全員に聞こえるように、わざとらしい大声で問い掛けた。


「そうですかぁ? 何か聞こえたような気がしたんですけどぉ?」


 人差し指を頬に当て、からかうような表情で追い討ちをかける彼女の顔は悪意そのもの。声に釣られ話していた周りの少女たちも会話を止め、何事かと怪訝な顔をしてこちらを見ている。


 性格の悪い少女にシキは内心で苦い顔をしつつ、焦りながらも早口で言葉を紡ぐ。


「あ、ああ! い、いや、ちょっと疲れたなぁって。ほら、体を動かしたの久しぶりだったので。それで、ちょっと目眩がして……」


 無理に声を上げ、相手の顔色を伺いご機嫌取りのように話す。


 それだけ言って、何かボロが出る前に早く会話を切り上げようとしていたシキに、それよりも早くそこにもう一つ新しい声が加わる。


「シキさん大丈夫ですか? やっぱり、お疲れのようでしたら村長さんにお願いして家の中で休ませてもらいましょうか?」


「あ、ああ、いや。ルーカス君、大丈夫ですから」


「そうですか?」


 会話に参加してきた声の主は、先ほどまで少女たちの中心にいた青年、ルーカスだった。声に不安げな様子を滲ませ、優しげに気遣うその姿はまるで本当に心配をしているようだ。


 しかし、シキはこの男の腹の内を知っている。


「僕の能力を使いましょうか? 夜の見張りもあるでしょうし、少しでも回復しておいた方が良いと思います」


「い、いや、本当に───」


 言い終わるよりも早く、近付いて来たルーカスはシキの前に来ると顔を覗き込み。



「……変な気を起こすのはやめて下さいね。これ以上トトナを縛るようなら、僕はあなたを許しません」


 真っ直ぐな殺意が、シキを貫いた。


 声を押し殺した、周りには聞こえない程の声量でそれを告げられる。



「───え、あ、いや」



 突然のことに、思わずシキは言葉が詰まる。脅しではなく、言葉を間違えれば本気で今にも斬りかかりそうなルーカスの雰囲気にたじろいでしまう。


「トトナから気を使われているの、まだ分からないんですか? ……いい加減、彼女から離れてください」


「……」


 最後の警告だと言わんばかりに、小声でルーカスはそれだけ伝えると姿勢をすぐさま元のものに戻す。


「───よし、確かに問題はないみたいですね。もしキツかったら遠慮なく仰って下さい……ほら、ソフィアも」


「はぁーい」


 シキが固まっている間にルーカスは金髪の少女、ソフィアに声をかけ、そそくさとまた少女たちの輪の中に戻っていく。


「……」


 一瞬のことだった。


 困惑する余裕もなく、黙ってその背中を見届けることしか出来なかったシキは、顔を下げると必死に呼吸を整える。


 まるで通り魔に襲われたような気分だ。


(……言われなくても離れてやるよ。そもそも俺とパーティーを組みたいと言ってきたのはトトナの方だ。俺から無理やり迫った訳じゃない。なのになぜ、俺が責められているんだ)


 湧き上がる苛立ちを、杖を強く握りしめて抑える。


 「気を使われている」など分かりきっていることだった。


 金が払えない為にまともな医療術を施して貰えず、死にかけていたトトナをシキがわざわざ救ったのはそれが理由なのだから。


(───トトナの優しさを利用している自覚は俺にもある。けど、お前等と違ってこうでもしなきゃ信仰力を集められないんだから仕方ねえだろ)


 心の中で、言い訳をするように毒づく。


 能力が限定的な為、信者を獲得する機会の少ないシキにとって重要なのは信者の数よりも質だ。


 死にかけの人間を救い、より感謝をして貰う。更にその救った人間が育ち、周囲から注目を浴びれば更に信仰力を集めることが出来る。


 確かに打算はあった。


 ただ、それでもシキはトトナのことを一人の信者ではなく、自分と対等の存在として見ていた。

 いつの日か、トトナにも自分と同じ淡い想いを抱いてくれたらと夢見ていた。


 しかし、それも過去の話だ。


(トトナとのパーティーを解消したら、これを期に心機一転して布教場所を他の街に移すのも良いかもしれない)


 通りを歩いている時に足を引っ掛けられる、すれ違いざまに罵倒が聞こえる。そんな段々と風当たりが強くなっていく都市中の冒険者の圧迫感に、シキとしてもそろそろ耐えられなくなっていた頃だった。


 トトナの為を思ってここに残っていたが、今回の一件で全てがバカバカしく思えてしまった。 


(はぁ……)



 そうして、募る苛立ちを抑え俯いているシキの耳に、近付いてくる土と靴が擦る音が聞こえた。

 そして、シキのすぐそばで止まる。



「……大丈夫ですか?」



 見上げれば、暗い夕暮れの中でも分かる、煌めく紫の瞳が真っ直ぐこちらを見つめていた。

 いつもの明るい雰囲気は鳴りを潜め、不安げな表情を浮かべてトトナがこちらを窺っている。


 一瞬。


 そんな不安そうに見つめるトトナの瞳の中に、憐れみと軽蔑の混ざった、可哀想な者を見る瞳を見た気がした。


(っ!? ───な、なぜ俺がそんな目を向けられなければならないんだ!)


 驚き。そして、胸の底から噴き上がりそうになった激しい怒りを必死に抑える。

 

「……っ。き、気にしないでくれ。本当に、大丈夫だから」



 荒ぶる感情を抑えて、なんとか言葉を絞り出す。


 命を救ってやったのに。

 ずっと言うことを聞いてきたのに。

 文句があるのなら、さっさとアイツらのパーティーに行けばいいのに。


 顔を上げ目を見返した時には、既にそこに侮蔑の色はなかった。


 見間違いだったのかもしれないが、それを確かめる術はない。


 込み上げる気持ち悪さに無理やり蓋をして、いつものようにシキはトトナに愛想笑いを浮かべる。


 しかし、そんなヘラヘラと笑うシキに、トトナは納得していないとばかりに溜息を吐くと、言葉を返してくる。


「そんなこと言って、さっきも私が気が付かなかったら一人残されていたじゃないですか。意地を張らず、休める時に休むべきです」


「そ、それについてはもう謝っただろ。頼まれていた方の依頼は達成したし、アイツらの回復に頼る程じゃない」


「アイツらって……。ルーカス君たちは先輩を心配して言ってるんですよ? どうしても言い辛いようであれば、私からあちらに伝えますが」


「……いや、本当に大丈夫なんだ。まあ、色々と気を使わせているみたいで悪かったな。あっちにも後で謝っておく」


「別に責めてる訳じゃ───」


 丁度、僅かに熱を帯びた空気を遮るようにして、ガチャリという音とともに家の中から四十代くらいの男性───この村の村長がゆっくりと窺うように顔を出した。


「冒険者の皆さま、お疲れ様です。……日が暮れましたが、どうです? まだ魔獣の現れる気配はありますか?」


 怯えるように空を確認する村長に、ルーカスが率先して答える。


「あ、村長さん! もう村の皆さんに外出の許可を出して頂いて構いませんよ。報告されていた魔獣は全て駆除し終わりました。夜間の見張りも僕の仲間に任せるので、安心してください」


「おお、そうですか! それは良かった! 何から何まで有難うございます。この季節の外は寒かったでしょう。どうぞ! 食事の用意が整っていますので、中にお入りください」


 丁寧な口調とともに、村長がヘコヘコと腰を曲げ手で先導をする。


「お気遣いありがとうございます。よし、みんな! 予定していた通り明日の朝に都市に帰ることにする。もう安全だと思うけど、見張りをするシキさんに呼ばれたら、何時でも援護できる体制にしておいて欲しい」


 ルーカスの言葉に、パーティーメンバーの少女たちは間延びした返事をすると、ルーカスの背中を追うようにして家の中に入っていく。


 途中、一番後ろについたソフィアは、トトナに近寄くとそっと優しくその手掴んだ。


「トトナちゃんも一緒に行こ? なんか村の人たちが祝ってくれるらしいよ」


「え、あー……」


一瞬、手を握られたトトナはシキの方を気にする素振りを見せ。


「……うん、一緒に行こっか」


 次の瞬間には笑顔で承諾をして、そのままトトナは手を引かれて家の中に入っていく。


「……」


 そうしてポツリと、一人だけシキは残された。

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