あなたへ贈る手紙
午前2時。藤崎は、書斎の明かりを落とさずにいた。
机の上には、これまでの事件の資料が雑然と積み上がっている。
3件の事件。それぞれに共通することがある。
被害者はいずれも、過去に「法的責任を問われなかった罪」を背負っていた。
一件目は、家庭内暴力の加害者。二件目は、体罰で生徒に怪我を負わせた元教師。そして三件目──匿名掲示板で人を追い詰めた、元高校生の青年。いずれも、法律の網の目をすり抜けていた。
“罪は裁かれていない”。
だが、それでも“裁き”は下されていた。
まるでそれが、本来あるべき“正義の形”なのだと示すかのように。
※
「お父さん……最近、夜遅いね」
朝の食卓で、美優がスプーンをくるくると回しながら言った。
「うん、ちょっと調べてることがあるんだ」
「またお仕事の話?」
藤崎は曖昧に笑ってみせたが、その笑顔がどれだけ不自然だったかは自分でも分かっていた。
娘の前で平気な顔をしていたい──そう思えば思うほど、夜に向かう自分の意識はどんどん歪んでいくようだった。
※
午後、藤崎は市立図書館の地下資料室にいた。
地方紙の古い記事、警察署の事件公報、地域掲示板のログ。
手がかりは薄く、何ひとつ確定的ではない。
それでも、奇妙な事実が浮かび上がってきた。
ここ2年のあいだに、藤崎の住む地域では「不起訴処分となった過去を持つ人物」が、相次いで姿を消している。いずれも行方不明扱いであり、事件として立件されていない。
まるで、何者かが“処分の漏れ”を丹念に拾い上げているかのように──。
※
その晩、藤崎は帰宅せず、郊外の古い喫茶店で北原と落ち合った。
彼の昔からの同期で、いまは独立系の記者をしている。
「……最近、“メッセージ”が届いたって話を聞いた」
「どういう意味だ?」
「ほら、最初の事件のあと、警察に直接、犯人名義で“文章”が送られてきたってやつ。あれ、まだ表には出てないけど……」
北原はタブレットを差し出した。画面には、写しと思われる文章が映っている。
⸻
罪の形が見えないなら、
その罪に似合う形を、私が与える。
裁く者が沈黙するのなら、
目を背けた社会にこそ、責任がある。
⸻
「……まるで、君自身に言ってるみたいだろ?」
北原の言葉に、藤崎は何も言い返せなかった。
それは、かつて自分が書いた記事の見出しと、ほとんど同じ構文だったからだ。
“社会が見逃した責任”──そう、かつて藤崎は叫んでいた。
マスコミとして、正義の代弁者として、言葉の刃を振り回していた。
そしていま、それとまったく同じ言葉が、
まるで刃のように、自分自身に突き刺さっている。
※
帰宅は深夜を回っていた。
家の明かりは落ちており、美優はすでに眠っていた。
その寝顔を見て、藤崎は小さく安堵の息をついた。
が──ドアの隙間から覗く足元に、小さな紙切れが落ちているのに気づいた。
それは、便箋のような質感で、シンプルなペン字が一行だけ書かれていた。
「正義を語る者に、罰を与える者は誰か?」
藤崎の指が震えた。
娘の寝顔のすぐ近くに、これが落ちていたということが──何よりも恐ろしかった。