やさしいひと
町を走る警察車両のサイレンは、その音だけで街の空気を変えてしまう。まるで、その日だけ気温が違うかのように。藤崎蒼一は取材の帰り、車のラジオから流れる速報に耳を傾けていた。
「白岡第三小学校近くの住宅地で、第三の遺体が発見されました。捜査関係者によると……」
また、事件が起きた。三件目。それはもはや偶然ではなかった。
※
現場は旧市街の空き家だった。築四十年は経っている古い平屋で、窓ガラスは曇り、屋根の一部にはブルーシートがかけられていた。中に入った刑事が吐いた言葉が、報道関係者にささやかれていた。
──今度は、「書かれていなかった」。
第一と第二の事件では、それぞれ被害者の近くにメッセージや意図的な演出が残されていた。だが、今回はなかった。ただ、被害者の体だけがそこにあった。しかも、布団にくるまれていたという。
「まるで、誰かに“やさしく”殺されたみたいだった」
そんな噂が、現場にいた記者たちの間で広がっていた。
藤崎は近くの交番で以前世話になった若い警官に顔を出し、無理やり情報を引き出した。
「今回の被害者……なんか、知ってる名前だった」
「知ってる?」
「ああ。数年前、ネットで大きな騒ぎになったやつ。ネットの書き込みで相手を自殺まで追い込んだ男子高校生。だけど、告訴は取り下げられて不起訴だったとか」
「……なるほど。今回も“裁かれなかった罪”か」
その言葉に、警官は一瞬、目を伏せた。
藤崎はしばらく何も言わなかった。
※
その夜、藤崎は久々に美優の寝顔を長く見つめていた。電気スタンドの薄明かりの中で、彼女のまつ毛は小さく震えている。
もしも、自分の正義が間違っていたら──
自分がまた、誰かを傷つけてしまっていたら──
その問いが、心のどこかで膨らみ続けていた。
寝室を出て、リビングに戻ると、玄関のポストに何かが入っていた。封筒。それも、名前も住所も書かれていない真っ白なものだった。
中には一枚の紙と、写真。
紙にはただ一言、手書きでこう記されていた。
「この街の“正義”は、どこにあるのか」
そして写真には──公園でブランコに乗る美優の後ろ姿が映っていた。