彼女はプールの縁に座って都市伝説の真実を話した
「雪菜。あのさ、ボタンをもう一つ閉めた方がいいと……思う」
「暑いから良いんですぅ」
水泳部の後輩である雪菜は、ブラウスの胸元を摘み、ハンディファンでその内側に風を送り込む。俺の忠告を聞く素振りは全く無い。
「あのなぁ。見えてるんだけど」
意を決して、さっきの発言の理由を告げる。
「何がですか?」
「下着!!」
言わせないでほしい。
「ああ。これ。水着なんで大丈夫ですよ。何ならここで制服、脱いじゃってもいいですか? 暑いんですよねぇ」
彼女が至近距離で俺の顔を見上げるから、つい、上目遣いの目元、まつ毛の長さやスッとした鼻筋、厚めの唇を尖らせる癖を目がなぞってしまう。
「は? バスの中で脱ぐとか変態だろ?」
キモい視線を悟られなくて、強めに言葉を返す。
「私たち以外乗ってないし、いいんじゃないですかね?」
雪菜は再びブラウスの内側に風を送った。
夏休み。部活に向かうバスの中、空いている車内で俺を見つけて、子犬のように駆け寄ってきてからの、これだ。
「運転手もいるだろ。次のバス停で乗る人もいるだろうし」
「今日、新しい水着なんですよ。冬紀センパイに見せたらすぐ着るから大丈夫ですって」
雪菜はそう言って、閉まっている方のボタンに手をかけた。
「ちょっと待って、ほんと、公共交通機関の中だし、やめろって」
あえて語気を強める。
「一番初めに先輩に見せたかったのに」
雪菜は頬を膨らませた。
それって、どういう意味だ? ぐるぐると思考を巡らせ答えを探す。彼女はそれを待たないで耳打ちをした。
「先輩。私と付き合えますか?」
「は?」と、返すのが精一杯だった。
耳元から離れた雪菜は、いたずらに微笑む。
「冬紀先輩と付き合うと、タイム伸びるって都市伝説があるの、知ってました?」
そして、雪菜は何もなかったようにブラウスのボタンを一つ閉めた。
マジかよ。
俺は今まで誰かと付き合ったことなど一度も無い。なので、その都市伝説は一体どこから発生したのか、全く見当がつかない。色々と考えているうちに、バスは学校前に到着していた。
「先輩、都市伝説のこと、みんなには内緒にしてくださいね」
雪菜はそう言い残すと、俺を置いて足早に学校へ向かった。
その都市伝説は、単に雪菜の照れ隠しだったことが解ったのは、夏の大会が終わった頃だった。