蜘蛛の妖怪
蜘蛛の脚。
傾いて立っている電柱のような。違和感。黒い柱に毛がびっしり生えているので、規格外だが生き物の一部だとわかる。
毛ガニの足みたい。折り返している部分があるので、しゃがんだ状態だ。膝を折ってる。
そこから視線をゆっくり上げると、巨大な蜘蛛の体が横たわっていた。
「おぉ。」
思っていたよりは早く見つかった。小規模な場所なので探し回ることはないと思っていたが、それにしても呆気ない。
神の社のすぐ傍の、少し道幅が広くなったところ。黒い大蜘蛛。いや、車蜘蛛。
真っ赤な車輪が蜘蛛の体を中心に置いて一体化している。頭胸部と腹部で分かれた二つの体に跨いで、それを縦に裂くように体に割り込む牛車の車輪。
八本の足で歩いて真ん中の車輪を回せば、これだけの巨体なら村一つ轢き潰して進めそうだ。
(あっ…気が合いそ…んーー別に戦闘が面倒という訳では無いが…。)
真昼は極度の面倒くさがりなので、あらゆるものを轢き潰して歩くのが大好きです。次から、それでいこう。
『まちわびました。』
『ひきころすよ。』
『おたすけください。』
『仇討ちに参ります』
いろいろ声がする。
男性だったり老婆だったりだ。木製の車輪に朱を塗ったそれには、無数の白い手がしがみついており、どうやら怨念がいくつも重なっている様子。
本体は蜘蛛の妖怪だが、怨念を集めて大きくなったようだ。真昼の相方の餓者髑髏もあらゆる怨霊の集合体なので、似通ってていい感じ。
良くないか。
「いいね!気が合いそう!採用!いろんな怨霊がギュッと詰まってて俺っぽいわ。」
真昼の自己評価はもの凄い低い。
グッと親指を立てて中途採用に躊躇いの無い真昼は、早速この妖怪の移動に取り掛かる。
ただ、ちょい誤算だったのは、電話ボックスの扉だと車幅が厳しいかな?
バキバキと音をたてて周囲の草木をへし折りながら、車蜘蛛が体の向きを変えていく。体を起こして向きを変え、真昼と向き合うだけでも、とてつもない振動と轟音だ。
力を持たない人間でも、何かいるということくらいは気がつくのだろう。
歯も舌もない蜘蛛の口が、下顎だけ動かしているのがわかる。
何か言っている。本体の蜘蛛の方は言葉での疎通は難しいようだ。
『ありがとうございますだ。おだいかんさま。』
代わりに白い手の方が代弁するように声を降らす。高い高い車輪の上の方からだ。シワシワの手。おじいちゃん。
「はいはい。住み良いところを用意します。じっくり時間をかけて優都に祈って貰おうね。」
砂埃に飲まれても真昼は腰に手を当て仁王立ちのまま微動だにしない。
敵意の有無を区別出来るようになってから、実害が無ければいちいち無駄な隙を作ってまで動作すべきでないと気が付いた。
頭に降ってくる木の葉に構わず、真昼は空を見上げる。今、丁度あばら骨の下だ。神の休息地と呼ばれる竹林に覆い被さるように、巨大な骸骨が姿を現していた。
真昼の親友、餓者髑髏だ。その怨念に満ちた骸は、真昼が心で「ちょっと来て」と呼べば来る。
そしてその口の中が霊道に繋がり、その霊道の中に隔離された街を、真昼は根城にしている。
もうすぐそこ。このまま迫り来る髑髏の口に飲み込まれたら、あとは転がるように異なる空間に落ちていける。
車輪をつけた大蜘蛛が地上で体を揺する物音に重ねるように、今度は空から骨組みを動かすカタカタという爆音が降り注ぐ。
眼球が入っていたであろう二つの穴をポッカリ開けた頭蓋骨。首や背中の太い骨。内臓も筋肉も無い、正真正銘、骨格だけの姿。それが山一つほどの大きさだ。
年月を経た骨や歯は朽ち、欠けた骨の欠片やこびりついていた苔などが、黒い雪のように空から舞って来ていた。
「じっとしていてね。歯に当たらないように慎重に。」
真昼が毛深い蜘蛛の足を撫で撫でしても、嫌がられる様子はない。ふかふかして気持ちいい。
これから、ホネホネに飲み込まれます。
「それじゃあ行こう。誰にも邪魔されない。『子供みたいなまま』でいられる場所にね。」
電話ボックスの細い扉を諦めて、潔く丸呑みにします。
空を埋め尽くすほどの大きさをした骸骨が、顔を地面に埋めるように、竹林を一つ口に含んだ。
それから、思い切り天を仰いで、口にしたものをゴクンと飲み干し、透明になって姿を消した。
同時に真昼は、新秘密基地に招待する新しい友達を手に入れた。
★★★
ほんの一瞬、視界が暗転しただけで、再び目を開けると周囲の景色が一変している。そこは自然豊かな場所であることに変わりはないが、竹林ではなく、全く別な森の中だった。
緑が濃い大自然。薄く霧がかかっている。近くに川が流れているのか、水の匂いが近い。
積乱雲の夏空は、月明かりの滲む夜空に変わっている。
「この森で好きに暮せばいいよ。食べ物は探せばそこら中にあるし。」
と、声がする。この場所を支配する星神の加護の後継者、椿 真昼だ。
ガラガラと音をたてて、大蜘蛛は車輪を回しながら森の大地へ躍り出た。重さで土が窪み、車輪の跡を残していく。
周囲の木々より巨大な蜘蛛が、道路を作りながら闇へ消えて行くのを、真昼は見えなくなるまで見送った。
それから真昼は少し歩いて、海辺の街が見下ろせる場所へとやって来る。眼下に広がるのは、いくつもの色の違う灯が作り出す夜景。
ここは真昼の気晴らしお気に入りスポットでもあるのだ。
円形に作られた街が安全な城壁に囲まれている。断崖絶壁の向こうに海があり、波音が街のどこにいても聴こえてくる。
真昼が棲み着いている秘密基地も、この無数の灯の中の一つだ。夜闇に散らばる光の一つ一つが、光沢を宿す鉱石のよう。燦然と輝く宝石の街。
その街の傍を通る大きな橋は、海の上を通過しながら空に向かって延びていく。橋の上にはレールが敷かれ、明るいライトで星空を照らしながら列車が走り抜けていく。
失くした車両と乗客の行方を追い、今も走り続けている。