異形の神像
「んんんん!」
脳の血管がぶち切れそうなほどの息苦しさに耐えながら、扇兵衛は長い長い階段を下った。
もう安全性とか言ってられないです。
人間、息を止めていられる時間には限界があるので、踏み抜く勢いで階段を下った。何度か息を飲み込むようにすると、しばらく保ちます。
「うん…。よし、もう大丈夫だと思う。」
最後の一段は飛び降りるようにして。
二人は遂に崖下の岩場に到着した。周囲を確認した大福から安全確保の報告。
指先のハートマークを解除すると、虹色ハートの可愛いシャボン玉はパチンと弾けて消えていく。
「ぶはっ。」
と息を吐いた扇兵衛。酸素が戻って来ました。岸壁に手をつき息を整える。
早いペースで上下する肩。元より猫背の背中を更に丸めて、苦しそうな扇兵衛を、大福はまたカメラのレンズ越しに見つめるのだった。
(改めて思うけど扇兵衛くんって、本当に霊感ゼロなんだよね。ハートシャボンの中に一緒にいる時は、俺にもなんか視えてるって言ってくれるけど…。)
それでも一時的に霊を視る能力を付与されているに過ぎないので、扇兵衛がこういった場所へ足を運ぶことは、かなり危険な挑戦だと言える。
(それでも、毎回こんな大変な思いをしてまで撮影に来てるんだ。『あの神様』を見つける為に。守ってあげなくちゃ…。)
互いに守り合う関係が成立している扇兵衛と大福。
ややあって、
「はあっ…はぁっ…。よし、復活。」
扇兵衛が復帰しました。
これまでにも何度も大福の能力にお世話になって来たので、息を止めることに慣れてきている。肺が鍛えられてます。
にしても、相当な長さの階段を酸素無しでよく完走した。階段を下りた先には崖下の海岸。砂浜なんて穏やかな遊び場では無く、岩肌が剥き出しの岩礁地帯だ。
平らな岩の上を歩いて行けば先に進めそう。わずか数メートル先が海。波が寄せては砕けていく。
「今のところは使えるかわからんから、編集で切るか説明を入れるとして…、進むんは、こっちか…はあ…。」
体を張って心霊スポットに挑む動画配信者の鑑。扇兵衛はすでにヨロヨロの状態です。が、先へ進みます。
件の海岸洞窟はというと、崖の真下に当たる位置で、すでに今居る場所から入口だけは確認できる。
振り返ると崖の上の神社の外れから繋がってきた階段には、人がいるような気配はない。扇兵衛の羽織を掴もうとした人物が何者だったのかも、知る術はない。
「確か、洞窟の中に御神体があるって言ってたでしょう?」
二人は手を繋いで岩礁の上を渡っていく。夜間で足下も滑りやすく、すぐそこが波の立つ海という不安な道程。
「そうです。何か感じる?」
「階段のとこも嫌だったけど…。ここの方が嫌な感じかもです…。」
という大福ちゃんからの報告です。
★★★
階段の下に物置があるような感覚で崖の下に作られた洞窟。これ自体は人が掘ったものではなさそうだ。
自然に波の侵食を受けて空いた空間に、祭壇と御神体を後から人が持ち込みました、という感じ。
その謎めいた空間を目指す二人の若者。岩礁地帯も下駄で渡れるゴーストハンター、パリパリせんべいと、全てを拒絶する現実からの逃避者、もちもち大福。そして二人が運営する心霊検証番組『廻向チャンネル』だ。
大福のスマホの弱いライトと、扇兵衛がカメラに取り付けている強力ライトの光の他に、光源になるものは一切無い。
「岩も砂もあるけど海水がね…。」
大福早くも大ピンチ。岩場を歩くのはいいとして、靴が濡れるのは嫌なのよ。
「これってもしかして、潮が満ちると帰れないのかしら?」
あっ……(察し)
「え!? 洒落にならんオチ!」
「そうだよね!? 大丈夫かな!?」
今すでに満潮時刻なので、たぶん大丈夫。ただ、なんの下調べもしていない無能な中学生達は、突然焦り出す。
「と、とりあえず急ごう!」
「いそごう!」
「いそごう!」
「いそごう!」
急にいそぐ二人。
「満潮になる時間、大福ちゃん調べて!」
「無理だよスマホで撮影してるんだから〜! 扇兵衛くんが調べてよ!」
「あっそうか…。いやでも、スマホ持ってないし。」
扇兵衛は経済上の都合でスマホを持っていません。
「アカン。詰んだ。」
諦めたように立ち止まる扇兵衛。の、背中に大福がどーん。
「嘘でしょ!? 戻って! いや無理!進んで!」
こういった中学生故の浅はかさで起こるハプニングも、この動画の人気要素の一つだ。他人がピンチに陥る様子を安全なお茶の間から眺めるほど面白いことはない。
とはいえ、こういう危機を何度も乗り越えて来ているおかげで、二人には非常時に大変強いメンタルが染み付いている。
なんだかんだギャーギャー騒ぎながらも、やがて二人は無事に洞窟の前に辿り着いたのだった。
洞窟というか、洞穴。
行ってみたら奥行きがそんな無かったカモシレン…。ひんやり涼しい。
「あっ。うるさい? はい。ごめんなさい。撮影なんです…。」
入口に座り込んでいた老人に、大福が丁寧に対応している。扇兵衛の目には映らないその人物は、どうやらこの場所を離れて行ったようだ。
「はい。進めます。」
完全スルー。
自分に視えないものでも、大福が話しかけているから、何かいるのでしょう。いちいち騒いでいられないので、扇兵衛はある程度通過していく耐性がついた。
(いよいよ、ご対面やな…。)
洞穴の中も足下は岩礁だが、岩の隙間に砂と海水が入り込み、水深数センチほど。
ライトが前方を照らしてようやく、二人は『それ』を目にすることとなった。
石神像。
が、無数に積み上げられている光景。形としては祈りを捧げる女性の上半身を象ったもので、サイズも大福の身長ほど。小ぶり。
頭に星を繋げたような冠をつけている可愛らしい姿だが、その下腹部に蜘蛛の下半身を無理矢理繋げた不格好な姿をしている。
足は四本。これ、実は間違っている。
蜘蛛は頭胸部から左右に四本の足を出していて、合計八本。蜘蛛の下半身である腹部には、足は生えていない。
この像は女性の体に蜘蛛の腹部を繋げ、そこから左右に二本ずつ、合計四本の足というメチャクチャな作りだ。
気持ち悪い。
で、それが仰向けに、壁に寄り掛けるような感じで斜めに置かれている。その上に同じ形の像を何体も積み重ねている。
足の数が合計すると凄いぞ。
「あっ…これ足なの!? 多くない!?」
四本足の石像が数多と積まれたこの空間は、まるで鉄格子のはまった檻のよう。
大福も、初見では認識が遅れる。
言葉では表現し難い代物を前にして、それ以降、言葉を失い立ち尽くす大福。その隣で扇兵衛はというと、親の仇を見るように、その目をつり上げていた。
猛然と、目の前の異形の石神像に掴みかかる。
「これや…! 絶対見間違いとちゃう。完っ全にこれや。なんか、証拠ないか、証拠。」
洞穴内は横に広いが高さは無い。頭をぶつけるほどではないが、大福でも背伸びをすれば天井に指先が届きそうだ。
積み上げられた神像は数十体。四十か五十はある。
その手前に祭壇らしきテーブルが置かれ、分厚い書物や星座盤などが置かれていた。こんな場所にあるわりには、埃も無く小綺麗な印象。
「なんでもええんやけど、なんかないか。ここのことが判るもん。」
パシャパシャと海水を踏む下駄の音や、岩の上をシューズで歩く大福の足音。
その他何か弾けるようなパンッという音や、薬瓶を開ける時のような、金属の蓋を素早く回すカラカラという音が響く。
扇兵衛が石神像、さらには祭壇付近などを隈無く撮影していく横で、大福も周辺を探索してみると。
『ねぇ』『ははは』『みてみてー』
複数の声がちらほら。大福の耳だけでは無く、スマホカメラもその声を拾う。
その声の方へと視線を投げると、そこには作りかけらしき神像が横倒しで置かれていた。
作りかけというより、これが本来の姿なのかもしれない。
転がっているのは女性を象った上半身だけの神像。蜘蛛の腹部と足が見当たらない。腹の下でぱっくりと切れて、そこから先だけ異次元に吸い込まれたような感じだ。
その切れた腹の部分、底面となる場所に文字が刻まれているのを、大福は発見した。
「あっこれ…。ねぇ、扇兵衛くん、見て見て! みんなも教えてくれてありがとね!」
聴こえた声が子供のものだったこともあり、大福は丁寧に御礼。この場にはもちろん、二人だけ。
我を失いかけていた扇兵衛も、
「あ、あぁ…。ごめん。凄い場所やし、夢中で見てたわ。」
取り繕った様子で駆け寄ってくる。
『父蝕糸尊』
「ちちはみ…?なんだろう。なんて読むの?」
大福は見つけた文字の読み仮名がわからない。
照らすライトに浮かび上がったのは四つの文字。
よく見ようと身を屈めるも、落ちてきた横髪が邪魔で耳にかけ直すひと手間。その横で文字を目にした扇兵衛は、震える唇で口を開いた。
「チチハミシソン。」
「それって確か…。」
「蜘蛛の神様らしい。女性の守り神だと。」
「そ、そう…。」
反射したライトの光によって、扇兵衛のメガネはハイライトの白に。その奥の瞳は窺い知ることはできない。
好奇の瞳か、怒りの形相か。悲しみを湛えた表情か。
大福は詮索をしない。
今はまだカメラを回している撮影の最中。個人の事情は挟み込まない姿勢だ。
「なんか、変わった名前だね。あとこの神像がすっごい違和感…。」
「それな。」
と、大福の疑問には扇兵衛も指差し賛同。
二人は立ち上がって今一度、この異様な空間をぐるりと見渡す。大福の目には黒い影が、重なる神像の隙間からチラチラ出入りするのも視えている。
積み重なる異形の神像。
半身に蜘蛛の姿を持つ祈り子。
何処か得体の知れない不気味さを、二人は感じていた。
「この場所が上の神社と関係があるとすると、この『父蝕糸尊』様?を祀る神社なわけでしょ? でも扱いがよくわからないよね。」
大量生産され出荷を待つ模造品のように、積み上げられた神像。
目を離せずに立ち尽くしていると、扇兵衛は踵に触れる冷たい感触に飛び上がる。
「びゃっ!?」
ピチャッと水が下駄に浸水する。それは些細な水位の変化だが、下駄を履いた扇兵衛の足裏が浸かる高さまで、水が深くなってきた。
たぶん、大丈夫なはずだったんだが…。
「冷たいものが当たりました…。」