先輩の誘い
一回目なので、部活と登場人物の簡単な紹介です。
射撃という競技自体はマイナーなものですし、あまりそっち方面には行かないとは思います。
すうーっ
静かに息を吐く。ゆっくりと呼吸をしながら左腕に乗せた銃の重みが腰を伝って地面に抜けていくのを感じる。チークに貼ったコルクの感触を感じながら、サイトを覗くとフロントサイトに乗った標的がゆっくりと規則正しく揺らいでいる。狙っている訳ではない。ただ眺めているだけだ。いつの間にか銃の重さもチークの感触もなくなっている。ぼんやりと言う訳ではないが意識を集中している訳でもない。ただフロントサイトの上に乗った標的の少しずつ揺れを、ただ目に映していた。
パシュッ
揺れが無くなった瞬間、トリガーにかけた指が僅かに絞られる。銃身からは圧縮した空気が開放された軽いが音する。弾を発射した前後で何も変わらない。ただ標的の揺れが少しずつ大きくなってくる。
カラカラカラ
綾香が手元の緑色のハンドルを回すと軽い音を立てて標的が戻ってきた。
「鳴神、すごいな。満射じゃないか。」
綾香が回収した標的を射台に置き、新しい標的をセットしていると、後ろから回収した標的をとりあげた篠田が声をかける。
「今日は調子が良いんですよ。なんかこう、邪念が入らないっていうか。ところで篠田さんは、今日は教習ですか?でしたら端に移りますけど。」
「いや、一回生たちは講習会に行ってるところだから、戻って来てもこれからの手続き教えたりするのが中心になるから、そのまま使っていてくれ。」
「ありがとうございます。ところで一回生はどんな感じなのですか?」
「教習も始めたばかりでなんとも言えんが、三人とも残りそうだな。」
鳴神綾香は、洛陽大学農学部2回生で射撃部に所属している。講義を終えた後、大学のグラウンド隅に設けられた射場で練習をしていたところだ。そして綾香の標的を覗いた篠田大樹は、法学部3回生で射撃部の部長である。
「篠田さん、鳴神さん。こんにちわ。」
「講習会無事終わりました。」
「いや、あんたは無事じゃないからね。」
何となく練習を続ける雰囲気ではなくなった綾香が、射台に銃をおいて篠田と他愛のない話をしていると、一回生の三人組が射場に顔を出して来た。工学部の七海陽向、法学部の倉内和樹、そして文学部の相馬瑞希の三人だ。
「相馬、無事じゃないってどういうことだ。」
一回生の挨拶に不穏な言葉が含まれていたのを聞きつけて、篠田が尋ねる。
「私と七海くんは合格したんですけど。」
「倉内が落ちたのか?」
「ええ。」
「ほんとか?事前にテキストも渡しておいただろう。どうやったら、あの試験に落ちることができるんだ?」
一回生三人が受けた試験というのは猟銃等講習会。射場用の銃を所持するためには、警察署で行われる講習会を受講し、その最後に行われる試験に合格しなければならない。試験と言っても、講習会で説明される内容しか出て来ない上に、内容も銃を安全に管理するための常識的なものでしかなく、風邪で体調が悪かったとか以外で落ちるなんて話は聞いたことがない。
「部長。そんなこと言いますけど、あの問題、結構難しかったですよ。引っ掛けみたいなのもありましたし。」
篠田の言葉に、試験に落ちた張本人である倉内が言い訳をはじめる。
「それでも事前にテキスト読んで例題やっとけばできるだろうに。」
「昨日、読むつもりだったんですけど、宍戸さんに捕まっちゃって。」
「飲んだくれて、何もしてなかった訳だ。」
「はい、すいません。」
宍戸は射撃部に所属する2回生だ。競技団体である学生射撃競技連盟にも所属していて、競技そのものよりも、そちらの活度が主になっていて射場に顔出すことは少ない。その宍戸がたまたま射場にやってきて、これまた、たまたま射場でテキストを読んでいた倉内を見つけて、飲みに誘ったということらしい。その上、結構な量を飲まされたようで、朝の講義は余り頭に入らなかったなどとの言い訳も追加されている。
「まあ、落ちたのは仕方がない。次にちゃんと合格することだな。」
篠田の言葉でこの話は終わった。篠田自身は、倉内の話を聞いて、宍戸が射場に来たのは、今日講習会があるのを知っていたからであって、決して「たまたま」では無いだろうと思ったが、そんなことを口に出しても仕方がない。
ーーー
「だいたい、これからの手続きは説明したとおりた。早ければ七月には自分の銃を手に入れることになる。まあ講習に落ちた倉内ニヶ月遅れるけどな。」
篠田に連れられて、一回生三人組は、射場から場所を移し、大学に近い喫茶店「おらにえ」に来ていた。何故か、練習を切り上げた綾香もついてきている。
「最後に銃をどうするかだか、新銃は結構な値段がするので、昨年引退した先輩の銃が一丁あるから、それを引き継いで貰うこともできる。」
「あの、新銃って、どのくらいの値段がするのですか?」
篠田の説明に、瑞希がおそるおそる手を上げて質問する。それに綾香が答えた金額を聞いて一回生三人組は目を丸くする。
「そ、そんなにかかるのですか?」
「ああ、鳴神が言ったとおり、銃だけじゃなくて、コートやロッカーは必要だし。弾なんかの消耗品も結構馬鹿にできない。もちろん、ものによっては先輩から引き継いでいるものもあるから、全てを新品で揃える必要はないが、それでも、それなりに金のかかる競技であることは間違いない。」
「中古だと上手くなれないとかはあるのですか?」
「コートは身体に合わせないといけないから、自分で買った方がいいけど、それ以外は、中古でも全然問題はないのよ。銃だって、きちんと手入れをしているから、性能は新品と変わらないしね。」
七海の質問に、綾香が答える。
「まあ、金の問題は今すぐ結論は出ないだろうから、また、来週にでも、どうしたいか聞かせてくれ。気になることがあったら、遠慮なく聞いてくれればいいしな。」
「わっかりました。じゃあ俺はミックスフライで。」
「倉内は二ヶ月後だから気楽だよな。僕も同じものをお願いします。」
篠田の言葉を受けて軽い調子で注文した倉内に七海が続く。その後に綾香が続き、篠田が最後に決めて、まとめて注文をする。自宅から通っている瑞希は、遅くなると不味いからと言って、一人先に帰っていった。
「「ごちそうさまでした。」」
七海と倉内が声を揃える。
「おおっ気をつけて帰れよ。」
「お粗末さまでした。」
篠田と綾香が応える。食事が終わったあとも、どの講義が取りやすいなど他愛もない話をしているうちに時間が過ぎていき、4人がおらにえを出たのは、もう9時を回っていた頃だった。
「倉内は一条寺の方だったな。いっしょに帰るか。」
「うぃっす。」
篠田の誘いに倉内が軽く応える。
「七海くんは夜須田神社の方だったよね。途中までいっしょに帰りましょう。」
「あ、はい。」
綾香は七海を誘う。
ーーー
からから
綾香の押す自転車が軽い音を立てる。篠田たちと別れた七海と綾香は、下宿を目指して大学構内を並んで歩いていた。洛陽大学は大学院の一部が別キャンパスがあるものの、学部生は皆このキャンパスに集まっている。キャンパスはいつくかのブロックに別れていて、今、ふたりが歩いているのは一番北にある北部キャンパスである。北部キャンパスには、農学部と理学部の研究棟がある他、大学のグラウンドや射撃部の射場なんかも設置されている。ふたりは北門から入り南門に向かう大通りを歩いている。夜の9時過ぎとは言え、大学の中はそれなりに人通りもあり、道路も照明で明るく照らされている。そんな中を、七海は、自転車を押す綾香と並んで歩いていた。綾香の方をみると、自転車の荷台には大きなバックを乗せており、肩には銃ケースを掛けいて、結構な大荷物になっている。
「鳴神さん。僕が持ちましょうか?」
「ありがとう。でも、慣れているし大丈夫よ。」
綾香も大荷物対して自分はリュックを肩にかけているだけなのが、なんとなく居心地が悪くなった七海の申し出を、綾香が断る。
「ところでね。七海くん。」
「はい、何でしょうか?」
七海の申し出を断った綾香が言葉を続ける。
「さっきお金の話になったけど、びっくりしたでしょう。」
「あ、はい。正直なところ、こんなにかかるとは思っていませんでした。」
「そうだろうね。山内さんはその辺り適当そうだものね。」
山内は理学部の3回生だ。射撃部では伝統的に3回生が一回生を指導することになっていて、篠田が倉内と瑞希を、そして山内が七海の指導をすることになっていた。
「もし、お金が心配だったら、バイト先を紹介するよ。私が行っている塾で、ちょうどバイトの学生を募集していんだ。」
「あ、ありがとうございます。」
「うん。もし興味があったら教えてね。お金は大変だけど、きっと楽しいよ。じゃあ、わたしはこっちだから、また、明日ね。」
「あ、はい。失礼します。」
ちょうど話が終わったところで、構内を通り抜け大通りに出た。七海はこの通りを超えて更に直進するが、綾香は通り沿いに右に向かう。別れの言葉を告げると綾香は自転車に乗り、緩やかな坂道を降りていった。
「バイトか。」
一人信号待ちをする七海は呟いた。必要な金額を聞いて部活を続けられるか不安に思っていたところだった。単発のバイトは何度か経験があったが、できれば決まったところでバイトができないかと思っていたところだった。
「また、今度、鳴神さんに詳しく聞いてみよう。」
七海は、そう心に決めて、青になった信号を渡った。
大学生になって、少しずつ生活が落ち着いてきた頃のお話でした。
これから、少しずつ、人物の生活とかを描ければいいなって思っています。