01
――この世界に、どれほど絶望しただろう。
そんな事をつらつらと考えながら、カツ、と音を立てて足を止めふっと下を覗く。
途端、ビュゴォッ!!という音と共に強い風に煽られ、う、と息が詰まり思わず目を閉じる。
反射的に閉じていた目を開ける。と同時に光が飛び込んでくる。カラフルなネオンの鬱陶しいくらいの眩しさが、そのまま僕の目を焼く。
改めてこれから僕がやろうとしていることを考え、半歩後ろに下がってしまった。
恐怖心を隠すように周りを見る。
ここら一帯は100ある住宅区の中でも高層マンションが多い区で、周りにもかなりの高さのビルがそこかしこに乱立している。
この景色ももう見納めか、と思った。
たいした思い入れもなく、むしろその圧迫感に飽き飽きしていた。だが、そこはやはり生まれ育った場所。それなりに思い出がある。
――そう、僕は今僕の家があるビル、その屋上に立っている。
それも屋上の中央部などではなく、外縁に。
ゴオォッっと吹く風が、まるで急かすように僕の背中を押す。
僕はこれから、自殺をするのだ。飛び降りるのだ、ここから。
しかし、改めて屋上のヘリにたち下を覗き込むと、そのあまりの高さに少し躊躇してしまう。
やっぱり死ぬのはやめようか、そんな思いが出てきてしまう。
でも。
それでも、これ以上耐えられない、という考えが恐怖を凌駕する。
――もう生きるのは疲れた。
そんなことが言えるほど長く生きてはいないが、心が弱っていた。
「……。」
意味もなく助走をつけようと数歩後ろに下がる。
スゥ、と息を吸った。
そして走る。
歩数的には3、4歩ぐらいだろうが、体感的には数メートルは走っている気で最後に大きくジャンプしながら空中に身体を投げ出す。
「。あ」
宙に浮いていたのは一瞬。直ぐに抗いようのない重力に引かれ下へ真っ逆さまに落ちる。
一瞬が飴のように伸びた時間の中で、そうか、と思った。
そうか、これが死か。
なんて、格好つけてみる。
走馬灯の1つでも見るのかと思ったが、何も無い。
ただ、落ちる。
気付けば永遠に続くかと思えたフリーフォールも半分ほどが終わり、足先から落ちていたはずの体は180°回転し頭が下になっていた。
地面がものすごい勢いで眼前に迫ってくる。
これから自分の身体はあの地面にぶつかるのだ。
そう思った瞬間、今まではどこか軽視していた「死」が濃密なイメージと共に頭の中を埋めつくす。
――死ぬ。
ヒュゥ、と口から息が漏れた。
死ぬ。死ぬ。死ぬ!!
死を認識した脳は恐怖で染まり、体は必死に抵抗しようとする。
しかし当然、どうすることも出来ない。
せいぜい身体を広げて空気抵抗を大きくし、落下速度を微妙に下げる程度である。
先程までの余裕はとうに消え去り、凪いでいた心の焦りと同期するように心臓が早鐘を打つ。
自分の意思で飛び降りたのに。
今更のように走馬灯が頭を駆け巡る。
目から鼻から口から、体液が流れ出る。
死にたくない!!!
先刻とは真反対の感情で頭は埋め尽くされる。
しかしもう、どうしようもない。
ウァ、と声が出た。
それは恐怖の声。僕がこの世界に存在していたと証明する最後のサイン。
「うあぁぁぁぁぁあああぁぁぁあ!!!!!」
1度出た声は止まらず、遂には叫び声になった。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたく――
絶叫。
そうこうしているうちに、あっという間に地面との距離が縮まってゆき――
ドブン、としかし予想していた衝撃は無かった。
『■■■■!!!!』
薄れゆく意識の中、僕はニタリと笑う死神の姿を見た気がした。
◆
イライラする。
陽はとっくに沈み、周りの家からは暖かさを感じさせる暖色系の光と共に幸せそうな家庭の笑い声が響く。対照的に、今俺が座って外を見ているこの部屋は綺麗な調度品は疎か、生活必需品である家具すらなく、必要最低限の照明すらもついていない。
当然だ。ここは仕事をするためだけに借りているのだから。
それがより一層俺をイラつかせる。
彼らはプライベートで、俺はいまだ仕事中。こんな所まで対照的だ。
チラッと横を見ると、同じようにイライラしているのか相棒である獏が爪を噛んでいた。
獏は美人だ。同性である俺が見てもたまにドキッとする。当然女からの評価は高い。もっとも顔は良くとも性格が最悪なのだが。
そんな獏がイライラしながら爪を噛んでいる、という子供っぽさを心の中で盛大に煽ると、イライラが少し収まった。
が、次の瞬間俺が自分のことを見ていることに気がついた獏がこれ見よがしに舌打ちしてきた。
収まりかけていたイライラが倍増する。今すぐにでも殴り倒したい。
「銭、その汚い顔を此方に向けるな。吐き気がしてくる」
そんな俺の心情を嘲笑うかのように追い打ちをかけてきたコイツは有罪、サクッと殺るべしと結論、って殺気!?
シュンッと慌てて首をかがめた上をなにかが通り抜ける。と同時に、無意識に心臓が縮む。後ろで破壊音。
「手前ェ、マジに殺しにくるなよ!」
「チッ……避けたか」
「えぇ、残念なことに生きてますよ!」
「本当にな」
心底残念そうな声音で嫌味に平然と返す獏はやはり人間としておかしい。というより、俺はこいつを人間とは認めない。
「というか獏、部屋を壊すな。この部屋は借りモンだぞ」
「知らん」
良くもぬけぬけとしていられるな、と感心という名の現実逃避をしつつ、つっ、と振り向くと後ろには先程の出来た傷以外にも大小様々な傷が出来ている。これらの損害賠償額を考えようとすると軽く目眩がしてくる。これらを弁償する為にも確実に賞金首を捕まえねばならない。
それでなくとも俺達には金が無い。
金が無いということは、後がないということと同義だった。
あのな、と獏に注意を促そうとして横を向くと、既に聞く気がないのか目を閉じていた。張り込み中なのにだ。
クソ、と小さく毒づきながら前に向き直る。
こいつの分まで俺が見ていなくちゃならない。一瞬、何もかもを放りたくなったが、しかし堪えた。わぁーい、俺、おとな。
張り込みはいつ終わるか分からない。2、3日監視し続ける、なんてこともザラだ。
必然、その間は常に獏と同じ空間にいなければならないわけで、気が立つのも当然だった。
しかも必要労力が多いのに、張り込みが空ぶることも多々ある。
いつ終わるかも、結果が出るのかも分からない張り込みは俺達には相性最悪だった。
しかしそれでもやるしかない。仕事が選べるほど金に余裕がある訳でもないのだ。
そして2日もぶっ通しで張り込み続けていると、話すことぐらいでしか集中力を持続させられなくなる。
しばらくお互い黙っていたが、その沈黙と変わらない風景に根負けしたという体を装って獏に話しかける。
「そういや獏、改めて確認するが、――」
「待て」
短く緊迫した声が俺の声を止める。
獏はいつの間に開けていたのか、真剣な目付きで遠くを見つめながら耳を済ましている。
だが俺には何も見えないし聞こえない。
獏の目線を追うが、その先はターゲットの家、では無い。
「で、何だったんだ?どうやらターゲット絡みじゃ無さそうだったが……」
数分後、ようやく緊張を解いた獏にそう聞くと、心底バカにしたような声が帰ってくる。
「低能な銭は気付かなかったか」
「俺は獏のような野蛮人では無く文化人だからな」
思いっきり見下した目で見てくる相棒に皮肉で返す。
だが嬉しそうに笑っているところを見る限り、どうやら俺の皮肉は通じなかったらしい。