第三九話「勇者 VS 下北沢のスライム リベンジ・五刀流のスライム」
「逃がさないわ!」
魔法の起動を終えていた唯が、更なる爆炎魔法を撃つ……スライムが逃げることも想定済みだ……狙いは、スライムが息を殺し、ゴキブリの如く身を潜めているあのビルだ。
「ファイアートルネードオ――――――――――!!」
紅蓮に燃え盛る炎の竜巻が敵を焼き尽くさんと爆進する。
瞬きする時間さえ無かった。
ファイアートルネードが倒壊したビルに激突した!
回転する炎の刃がビルを切り刻みながら焼き尽くして行く……かつてビルだった物が瞬く間に焼き尽くされ、産業廃棄物へとその姿を変えて行く……
「フガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――――!!」
業を煮やしたのか!?
スライムはビルが消失する寸前に大ジャンプを敢行――宙へと吸い込まれんばかりに、大空高くへと非難した。
兄妹はその姿を目で追っていた。
……奴が来る!
彼等は地上から、その不定形の怪物に睨みを利かせていた。
正にその時――スライムの体長が一メートルから二メートル強へと変化……同時に体内から五本の刃が出現する……体の上下左右に阿修羅の腕を思わせる四本の刃……頭頂部には角の如き一本の刃が生えている……
――五刀流のスライム。
かつて直人の脇腹を切り裂いた変身形態……それを発端として二人は劣勢に追い込まれ、無様極まりない敗北へと運命が暗転して行ったのだ。
直人は美晴医師によって完治された筈の脇腹を擦っていた……まだ心の傷までは癒えていないのだ……そう、この五刀流の怪物を倒すまでは……
スライムは着地と同時に、生成を終えた五本の刃を、孔雀が羽を広げるが如く伸ばして見せた……自分を大きく見せているのだ……直人はそう思った……しかしそのポーズによって、これまでの戦闘で開いた無数の穴が良く見えて、逆に痛ましく映った。
初めからコイツが五刀流で戦っていたら、もっと勝率が上がっただろうに……今回、敵を舐めていたのは奇しくも俺達を完封した怪物の方だったのだ……
――両者は午後の下北沢駅前広場で言葉無く睨み合っていた。
兄妹の眼差しには強者の持つ風格があり、スライムのそれには弱者の影が落ちている。
そう、兄妹はスライムが五刀流になるのを待っていたのだ。
敵の全ての技を完封し、その上で完膚なきまでに叩き潰す!
そうしなければ俺達の社会死は免れない……もう息子を人質に取られるのは御免だ……俺達は勇者の汚名を返上しなければならないのだ……今回は我が最愛の息子の為にも勝つ!
「せいっ――――――!!」
直人は自身に喝を入れた。
同時にイフリートを宿した赤色の刀剣から炎が立ち昇る。
スライムの敵意に満ちた眼差しが直人へと注がれる。
……その間唯は飛翔魔法で周回軌道を描きながら、スライムの背後を取っていた。手数の多さには数的有利で対抗すれば良いのだ。
――距離一五メートル。
直人は中段に構えていたアヴァロンの剣を横一文字にぶん回した!
ゴウッ――――――
炎の波がうねりを上げてスライムへと駆けて行く。
スライムが攻撃を回避すべく、前方上空へとジャンプする……同時に五刀流の刃をぎらつかせながら一気に間合いを詰めて行く。
直人はバックステップで後退しながら、敵の右上段の刃を弾いていた……その矢先、左下段の刃が直人の空いた右脇腹を狙う!
直人が弾く刀の反動で左下段の刃を退ける。その攻防の間も、飛び散る火の粉が怪物の体を焼いて行く……今度ばかりは敵が五刀流になったとて防戦一方ということは無いのだ…………肉を切らせて骨を断つ覚悟がなければ、敵はこの俺を屠れない……
直人は作戦通りに動いていた。
敵から一定の距離を取り、五刀流の間合いには入らない。
打ち合う素振りは見せる……しかし至近距離ではディフェンスに徹するのだ。
そう……敵をイフリートの炎で地味に焼いて行く作戦だ……
そんな直人に向けて、スライムが憤怒の表情で間合いを詰めて行く。早くも焦れているに違いない。
怪物が再度、前方上空へとジャンプする……しかし今回は五本の刃を羽を広げるが如く空中で開いて見せた……威圧感が半端ではない!
五刀流のスライムが、直人に向けて一気に間合いを詰めて行く――そう、敵は形振り構わず特攻に来たのだ……体に穴が開くことを承知の上で俺の首を刈りに来たに違いない……
――距離二メートル……攻防の間合いに入る。
スライムが開いていた刃を五本同時に振り抜いた――その動作は中世の拷問器具・アイアンメイデンが、自らの狂気の扉を閉じる動作に似ていた……逃げ遅れたが最後、生きて脱出することは絶対に不可能に違いない……
直人の全身から紺碧のオーラが迸った。
飛翔魔法で右に大きく飛ぶ。
カシイイイイイイイイイン!
刃と刃が擦れる気色の悪い音。
……そう、敵の間合いなんかで馬鹿正直に戦う必要はない……アイアンメイデンに自ら立ち向かって行く変態野郎が果たしてこの世にいるのだろうか!? 案外探せばいるのかもしれないが、その種類の変態にだけは決してなりたくはない直人だった。この時代に中世の拷問器具で殺される必要など全く無いのだ!
直人がサイドステップで敵と距離を取る。スライムはしたり顔で、五本の刃を開閉させながらにじり寄って来る……この変態のサディストは、よっぽど俺をアイアンメイデンの内部へと閉じ込めたいに違いない……
スライムの五本の刃による特攻を、飛翔魔法による横っ飛びでことごとくかわして行く。
……手数の多い相手に対して前後に動くのは危険だ。
直人は敵を中心として円運動を繰り返していた。その動作は惑星を中心にして周回軌道を描く人工衛星を彷彿とさせた。敵の突進を横っ飛びでかわし、五刀流の間合いには入らない……決して打ち合わない。焦らして、焦らして、兎にも角にも焦らしまくるのだ……
……今頃、この映像を見ている一般視聴者も、きっと焦れているに違いない。
直人は視聴者のブーイングを、周囲をハエの如く飛ぶドローン越しに聞いた様な気がした。が、しかしだ……そんなこと知ったことか!? 悪役の二つ名はマサラ戦で既に拝命済みだ……自分にとって本当に大切なものは妹だけだ……名誉やプライドの為に死ぬ必要など全く無いのだ!
――そのころ唯は、直人の動きに連動する様に動いていた……直人が敵に対して九〇度の位置を取ると、唯は敵の背面である二七〇度の位置に回り込む……といった具合だ。
二人の勇者は敵の特攻には付き合わず、絶えず一定の距離を保ちながら、正に人工衛星の如く飛び続けていたのだ……
敵を補足できない穴だらけのスライム……こうしている間にも、体中に空いた穴からヴリルが漏れ出しているのが視認できる。
……そろそろ頃合いか?
直人は敵の油断を肌で感じ取っていた。
敵は俺達が五刀流を怖れて逃げ惑うのみで、攻撃はして来ないと踏んでいる筈だ。
直人は敵の背後を飛ぶ唯を見つめてアイコンタクトをした……その時二人の勇者は、怪物を挟んでお互いの意思を通わせていたのだ。
五刀流のスライムが再度直人に特攻を仕掛ける……油断と共に。
スライムの目には、あの忌々しい王者の風格が戻っていた。
……俺達には打つ手が無いと踏んでいるのだ。
しかし!
スライムが再び前方上空へと大きくジャンプした……天にも吸い込まれ様とする驚異的な跳躍力! 直人が身体を右に傾けて、飛翔魔法で逃げる素振りを見せる……スライムが重力と共に、直人に向けて落下を開始する……速い! 瞬時に五刀流の怪物が直人の間合いに入る……その時直人は、その場で足を止め逃げ様とはしなかった……
直人は迫り来る敵を下方から見据えていた。
スライムが無警戒にも五本の刃を大きく開いているその時!
直人は中段に構えていたアヴァロンの剣を縦一文字に振り抜いた――――
アヴァロンの剣から放たれた炎の波がスライムへと迫る。
“逃げる”と見せかけて、落下する相手に至近距離からカウンターを放ったのだ。
避け切れる筈も無かった。
フギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
怪物の絶叫が街を包んだ!
ブジュウウウッ……という音と、化学物質が焦げる様な嫌な臭いが鼻を突く。
カシイイイイイイイイイイインッ!
スライムから切断された、左腕に当たる上下二本の刃が地面に転がって鈍い音を立てる。
しかし……スライムは直人への特攻をあきらめてはいなかった……
体の一部を吹っ飛ばされながらも、仕掛けて来たのだ。
重力に引かれたスライムが直人へと迫る。
――距離一メートル。
肉を切らせて骨を断つ!
遂に怪物の刃は、直人の身体を完全に射程に捉えたのだ。
鬼の形相のスライムが、直人に向けて三本の刃を振り抜いた。
「唯――――――――!!」
直人が怪物に負けずとも劣らない大声を出した。
唯は既に魔法の機動を終えていた……
唯はその時、満を持して敵の死角から爆炎魔法を放っていたのだ。
……直人に気を取られていた怪物には、この攻撃が見えていなかったに違いない。
「ファイアーブレードォ――――――――――!!」
唯のファイアーブレードは、スライムの右腕に当たる二本の刃を標的に捉えていた……
狙いはスナイパー並みに正確だった。
スライムの刃が直人を切り裂こうとした矢先――狙いすました炎の刃が、逆にスライムの右半身を吹っ飛ばしていた……
ジェルを撒き散らしながら二本の刃が宙を舞った。
フムアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
怪物の絶叫が下北沢の街を覆う。
ファイアーブレードの衝撃で軌道の逸れたスライムが、直人を通り越し更に後方へとすっ飛んで行く。
……残り一本! 容赦はしない。
直人はターンと同時に飛翔魔法で飛んでいた……超低空飛行で、下北沢駅前広場を怪物に向けて疾駆する……足と地面との間には僅か一〇センチの隙間しか無い……
俊足で間合いが詰まる。
「死いねえええええ――――――――――――!!」
直人が勇者としてはどうなんだ!? というえげつない言葉と共に敵に肉薄する。
その言葉にスライムが反応……後ろを振り返った。
直人が紅蓮の炎を纏ったアヴァロンの剣を、敵の脳天目掛けて振り降ろす。
脳を潰せば勝負は一瞬で終わる……しかし……
今や一刀流となったスライムが、頭頂部に残る刃で直人の剣を弾こうと藻搔く。
刃と刃が交錯する矢先……垂直に振り降ろされた刃は空中で静止。
次の瞬間、直人の刃は空中で弧を描き、怪物の刃を跨いでいた。
つばぜり合いを想定していたスライムは面食らっている。
直人とスライムの視線が至近距離で交錯した。
「前に見せた筈だ! これが人類の姑息なる英知の結晶、フェイントだっ!」
直人が決めゼリフとしてはかなりどうなんだ!? という決めゼリフと共に、アヴァロンの剣を横方向から豪快に振り抜いた――
その刹那、アヴァロンの赤色の刀身が、スライムの頭頂部に残る最後の刃を根元から完全に吹っ飛ばしていた……




