9.空想の世界
教壇に立つスコップ先生は、顎まで覆われたふさふさの髭をなぞりつつ、ゆっくりと黒板の前を歩きながらわたしたちに語りかける。スコップ先生の太くてよく通る声が、わたしは好きだ。なんだか、聞いていて心地がいい。
「今から約6500万年前・・・巨大な隕石が地球に落下したのは、有名な話だね。粉塵が天高く舞い上がり、長期間に渡って高層大気を覆い、太陽光を遮断した」
スコップ先生の専門は地質学で、よくそのへんの土をスコップ片手にほじくり返しているのを見かける。わたしの専攻する魔法学でも、土というのは草や花なんかとならんで重要な役目を果たすので、わたしは先生の授業を履修することにした。
でも、先生の授業はよく横道にそれる。
「その影響で大気圏内で化学反応が起こり、急激に変化した気候は、当時地球上を席巻していた恐竜たちを絶滅の危機に追い込んだ・・・。さて、みんな。もしこのとき、恐竜達が本当に絶滅していたら、今の世の中はどうなっていたと思う?」
スコップ先生はよく、こういう突拍子もないことを生徒のみんなに問い掛ける。時々、それは本当に授業とは関係のない、何の役にも立たない雑学に関するものだったりするのだけど、わたしは先生のこういうところも気に入っている。どんなことにしろ、知識が増えるのは嬉しい。
緩やかな階段のように段が連なる広い教室の中に、ざわめきが起こる。友達同士で、先生の問題の答えを相談しているんだろう。
わたしも、隣に座るとら子ちゃんに、とら子ちゃんはどー思う?と聞いてみたのだが、彼女の返事はそっけない。
「Be quiet。ウルサクしてるト、stand to corridorだヨ、休」
とら子ちゃんはまじめな優等生なのだ。
ざわめきが一段落したところで、スコップ先生は微笑を浮かべながらお話を続ける。
「・・・6500万年前に、恐竜達が絶滅していたら。当然、彼らの子孫であるドラゴンたちが私たちの生活を脅かすことは無かっただろう」
先生の話はいつも突拍子がない。ドラゴンがいない世界なんて、わたしにはとても想像がつかなかった。
「ドラゴンという天敵のいない私たち人間は、大いに繁栄するだろう。しかし・・・果たしてそれは望ましいことなのだろうか?何も恐れるもののない日々。人々はただ漫然と毎日を送り、命とその尊厳を軽んじるようになり、精神と魂はないがしろにされ、生活は消費優先になってゆき、いつしか地球への搾取が始まる。人々は互いに憎しみを抱くようになり、同族同士の醜い争いが発生する。誇りを持たない人々が溢れる世界・・・。それは果たして、望ましい世界と言えるのだろうか?」
教室の中が、しぃんと静まりかえった。誰も口をひらかない。わたしも、先生のことばの意味を深く考えると、何も言葉が浮かんでこなかった。
ドラゴンのいる世界と、ドラゴンのいない世界。どちらがいいのかなんて、わたしには分からなかった。だって、ドラゴンにも良いドラゴンと悪いドラゴンがいるんだから。
「おっと・・・こんなことを言っては、私は反体制論者として逮捕されてしまうかな?では、授業に戻ろう」
そういうと先生は、いつものように慌ただしく黒板をチョークで叩きはじめる。いつも、こういう話で授業時間が無くなってしまうのだ。
先生の話はいつも難しいけど、わたしはできるだけ真剣に聞いて、理解しようと努力することにしている。そうすることで、自分のしなければいけないことが少しでも分かるなら。そのきっかけだけでもつかむことができたなら。
「・・・休、strange フェイス。hungryナの?」
きゅるるる・・・という音が、わたしのおなかから響いた。今は、午後の最後の授業中。
わたしは学校の帰りに、とら子ちゃんと一緒にカレーさんのところへ寄っていこうとこころに決めた。