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夢物語  作者: noll
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 紅は暗闇の中で一人佇んでいた。暗いくらい、どこまでも漆黒の闇に包まれた空間に、彼だけが取り残されたようにポツンと立っていた。彼の顔は無に等しく、まるで能面のような白い顔をしていた。

 そんな彼の身体にゆっくりと異変が生じた。身に着けている衣服に、ジワジワと浸食するかのように赤が生まれた。最初の赤は脇腹から生まれ、やがて心臓近くに赤い染みが生まれると、紅の身に纏っていた服のほとんどが赤で染まってしまった。けれど、紅は赤に染まろうとも、その能面のような顔を一切変えることは無かった。紅がただ一心に床へと視線を向けていた時、ふと目の端に白い影が通った。白い靄のように発光した影は、次第に人の形を取ると、紅に向かって何かを振り下ろした。それは白い影の片方の掌で、それが、紅の右頬に力強く打ちつけられた。その衝撃により紅の目に光が差し込み、そして、紅は片耳に細々と聞こえる声に目を見開いた。


「起きなさい!」


 そうして紅はまるで世界が逆さまになるかのような錯覚を覚え、意識が遠のいた。



 目を開けると、そこには見覚えのない少女が立っていた。全身を雪で被うかのように真っ白な彼女の格好は、今の季節にひどく不釣り合いであった。正直、見ている俺の方が暑苦しいと思うほど、彼女の格好は異常であった。しかし彼女は汗一つ掻く様子無く、いたって平然としていた。そんな彼女の様子に静かに引く。それから、突如として現れた彼女に俺は厳しい眼差しを向けた。

 すると彼女は、俺の眼差しに応えるように目を冷たくした。


「今晩は」


 鈴のような凛とした声が俺の耳に届く。けれど俺は、それに答える事無く無言を貫いた。彼女はそんな俺を嘲笑うかのように、三日月のような笑いを俺に向けた。その笑みが何だか無性に腹が立ち、俺は顔をムッとさせる。そして気づけば俺の口は勝手に動いていた。


「……誰です、貴女?」


 俺の言葉に彼女は嘲笑っていた顔を止め、嬉しそうな目元を作った。そして少しだけ考える素振りを俺に見せた。けれど十秒後には「うふふ」となんとも上品な笑いを零すだけ。何が飛び出てくるのかと待っていたのに、肩透かしを食らった気分だった。それが相手にも伝わったのか、彼女は遅れて俺の問いかけに応えてくれた。しかし飛び出てきた言葉に俺は耳を疑った。


「私は魔女」


「…………大丈夫ですか、頭」


 平然と言いのけた少女に、俺は眉を寄せた。すると彼女はまるで風船が割れたかのように突然と笑い出した。前触れもない笑いに不快な思いが胸の奥で沸々と募る中、彼女は笑いすぎて出来た涙を自分の指で拭い取っていた。その姿に流石に笑い過ぎだと、声を投げかけようとした時、俺の腹部に鈍い痛みが走った。思わずそれに小さな呻き声が零れる。


 …………そういえば、さっきも痛みが走って――あれ?


 俺はなぜ自分の腹部に痛みが走るのか理解出来なかった。しかし、気づいてしまった痛みはどんどんと神経を侵食し、俺を痛みの渦に巻き込んだ。チクチクとまるでずっと針で刺されたかのような痒みを帯びた痛みと、ジワジワと広がる遠慮のない痛みが俺を襲う。しかし俺自身には腹部を痛ませる理由が一つも思い当たらなかった。


 ――ん、俺自身?


 なんでそんな言葉が脳裏を過ったのか分からなった。けれどその言葉が脳裏をかすめた時、俺はハッとした。痛みが走る腹部を右手で押さえつけながら、俺は痛みで震える足を左手で叩く。そうして漸く立ち上がる事が出来た俺は、目の前の少女を押しのけて机に投げ捨てられているはずの作文用紙へと駆け寄った。しかしそれを目にした俺は、己の目を疑った。


「な、なんで…………」


 咄嗟に出てきたのは、そんな無意味な言葉だった。俺の目の前に広がる光景。それは、俺の書きかけの文章に、見覚えのない内容が書き足されていた作文用紙の姿であった。見覚えのない俺の小説は、こう綴られていた。


『――聖に刺された紅は、初めは聖に凭れかかるように倒れた。しかし、気を失った紅は自分の体重を支えることが出来ず、ズルズルと重力に従い彼は図書室の床に倒れ伏した。聖の衣服を紅の血が染める中、紅の腹部からまた新しい鮮血があふれ出し、床を濡らした。聖はそんな紅の血を静かに見つめると、やがて自分のした過ちに気づいたのか、自分を抱きしめるように身体を抱きしめる。そして、手に持っていたナイフを横目に聖は己の首に――』


 そこで止まっている文章に、俺は戦慄した。此処に記されている『紅』は、『ナイフで腹部を刺されている』となっている。俺は自分の身体を見つめ、そっと右手を外した。すると、右手は真っ赤に染まり、腹部には見覚えのない丸い染みが出来ていた。俺は息を呑み、訳が分からず呆然とその場に立ち尽くした。頭の中でグルグルと今までの現状がコマ送りとなって再生される。


 ああ、もう訳が分からない!


 俺の悲痛な叫びが脳内で叫ばれる。俺は痛みで思考がおざなりになりながらも、必死に今の現状を理解しようと模索する。しかし、不可解なことが起こり過ぎて、何が何だか俺自身分からなくなってきた。その時俺は彼女の存在を思い出した。そして彼女を反射的に見やれば、彼女はやっと気づいたのか……といった様子で俺を呆れた眼差しで見つめていた。しかしそんな彼女も顔は真剣な表情をして見せた。


「訳が分からない、そういったようすね。

無理も無いわ」


 彼女は淡々とした口調と声でそう吐き捨てると、静かに俺の隣に立ち、今まで俺が見ていた作文用紙を手に取った。彼女は俺の文章をまるで食い入るように読むと、途中、顔を曇らせた。


「……不味いわ。

“彼”が刺されてしまった」


 その声は焦りにも近いものであった。彼女は用紙を再び机の上に放りだすと、手短に転がっていた筆記用具を手にした。それをどうするのかと見守っていれば、彼女は止まっていた文章に続きを足していったのである。


「ちょ、おま、何して!?」


 彼女の行動に目を見張り、思わず俺が制止を求めるように彼女の右肩を掴めば、彼女は「黙って」と一喝した。その怒気にも近い声に萎縮した俺は、彼女を止めるために置いたはずの肩の手をそのままに、逆に自分の方が静止してしまった。腹部の痛みを必死に耐えていると、俺の文章の続きを書く少女は徐に言葉を放ち始める。


「夢と現が混同し始めてる」


 まるでその言葉は彼女自身が己に向かって言っている独り言のように聞こえた。しかし、同時に俺にも投げかけるようにも聞こえた。やがて彼女は走らせていた筆記用具を机に置き、俺に視線を向けた。彼女の血に飢えたような真紅の瞳が俺を射抜く。


「死ぬわよ、貴方たち」


 言い切られたその言葉に、俺はガツンと誰かに殴られたような錯覚に陥る。しかし、その痛みを拭い去るように頭を振れば、彼女は静かに「なにしているの?」という厳しい言葉を投げつけてきた。俺は即座に「なんでもない」とカラ笑いを一つ零しながら返せば、彼女はそれ以上追求することは無かった。


「本日を以てこの案件を、正式な魔女案件とします」


 彼女はそう言って一回だけ掌を打ち鳴らすと、彼女の目の前に突如として一枚の紙が出現する。赤い文字で刻印された不思議な紋様の紙を、彼女は大切に手に取ると、即座に俺へと向けた。


「名乗る許可が正式に下りました。

初めまして迷える子羊、私の名前はことわり


 彼女の名を聞いて俺は密かに御大層な名前だと思った。しかしそれを言える雰囲気ではなく、俺の思いは誰にも知られることなく静かに霧散した。そんな俺の考えなど知る由も無い彼女は、淡々とした口調を続ける。


「貴方には我ら魔女が回収すべき対象物があります」


「対象物?」


 此処で俺が初めて彼女の問いかけに疑問の声を上げれば彼女は目元をふわり、と優しくさせた。その嬉しそうな優し気な笑いに、俺は少しだけ驚き、胸の奥が震えたような気がした。


「心の闇です。

私たち魔女は人間の心に巣食う闇を回収する役目があるのです」


「……はあ」


「闇が深ければ深いほど、それは心だけには留まらず現にも表れる。

……教えてください、貴女の『闇』は何ですか?」


「…………さあ?」


 とんとん、と彼女の問いかけにリズムよく答えていく俺。しかし答えていくにつれ、腹部の痛みが深刻化していくのを感じた。俺は立っているのも辛くなり、徐々に身を屈め、痛みを殺そうと足掻く。すると頭上から彼女の声が降りかかる。


「登場人物は、主人公『紅』。

これは貴方の事。

それから、友人の『聖』と顔しかない怪物。

それらを理解できるのは貴方しかいない」


 彼女の当然、といった言葉に俺は怪訝そうに眉を寄せた。きっと眉間に皺が出来ているんだろうな……という卑屈な自分が居た。嘲笑うことも出来ず、俺は走る痛みに悶えた。


「俺が……、主人公?」


「人は皆、誰かと自分を重ねる生き物よ」


「そ……れは、貴女の憶測……でしょ?

 俺はそ……の理由を聞い……ている…………んだ」


 だんだんと俺の呂律が怪しいものになっていくのを脳裏の片隅で気が付き始めた。他人行儀に思い始めたことにも俺は気づかず、俺は静かに笑う。けれど笑うたびに起こる激痛が、俺の意識を世界へと戻していく。そうして俺が一人で意識と戦う中、俺の頭上では「そうですか」という何とも静かな言葉が向けられるだけだった。


「……なら、直接聞けばいい事ですね」


「は?」


 俺は痛みを一瞬忘れ、顔を上げた。しかし顔を上げた拍子に再び襲って来た痛みに震え、顔を床へと俯かせた。しかし俺は忘れなかった。彼女の顔に、屈託ない笑みが溢れていたことを。何故だか寒気が俺の背筋を這うようにして襲って来た。嫌な予感がする。それも脳内で警報機が鳴るようなほど、嫌な予感。俺は正直、逃げたかった。素足でこのまま外に出たかった。しかし腹部の忌々しい痛みがそれを止めた。彼女の手が俺の両肩へと乗る。そしてその手は滑るように俺の両頬を掴み上げると、俺の顔を上げさせた。


「行くわよ」


 ニッコリとほほ笑む彼女が俺の目に飛び込む。俺は咄嗟に目を閉じようと動く。しかし、寸前で彼女の赤い目を見てしまい、俺は目を見開いた。


「さあ、『闇』を見せて?

くれない 樹喜ききさん」


 その言葉を最後に、俺の意識は飛んだ。





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