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夢物語  作者: noll
3/5

異変


 聖はそれっきり口を閉ざしてしまい、紅は途方に暮れた。なにより、どう声をかければ良いか考えに巡らせていたのも原因の一つだった。重苦しい空気に包まれる教室内。紅はなんでこんな目に合うのかと、小さく悪態を心で吐く。少し前の自分に会えるのならば、すぐに帰ることを勧めると紅は一人思いながらウンウンと頷く。そうして時間が刻々と刻まれる中、ずっと能面のように無表情だった聖に光が差し込んだ。その瞬間、止まっていた息を吹き返したかのように聖が絶えることの無い咳をし始めた。突如として咳き込み、苦しむ聖に紅は目を白黒させる。突然の事で気が動転してしまったのもあり、紅はとりあえず背を擦ってやることしか出来ずにいた。やがて落ち着きを取り戻した聖が顔を上げれば、そこにはいつもの聖が立っていた。そこでやっと紅に、久方振りにホッとしたような安堵が広がる。


「大丈夫?」


 念のために声をかければ、聖は眉を顰めるも明るい声で答えた。


「大丈夫、大丈夫」


「……それなら良いけど」


 先ほどの咳により酸欠気味になっているせいで顔がやけに青白い聖。しかし声には明るさもあり、先ほどの能面のような風貌が無いので紅はそれ以上何も言わない事にした。けれど、紅の中にずっと犇めく存在があった。紅は考えに考え、やはり聞こうと思い未だ青い顔の聖に尋ねた。


「なあ、七不思議ってなんのことだ?」


「七不思議?」


 聖の顔に怪しくなる。まるで初めて聞いたような反応だ。紅は首を捻りつつも、さらに言葉を続けた。


「さっき言っただろう?」


 すると聖は紅とは逆向きに首を捻った。眉も寄せて、間抜け顔を紅に見せる。


「言った?」


「そう、この耳で聞いた」


「……憶えて無い」


「そんな馬鹿な!」


「だって憶えて無いんだからどうしようもないだろ?

きっと、寝ぼけたんだよ。

あー……、疲れてるのかな」


 カラカラと笑いながら聖は紅に背を向けてしまった。紅は釈然としない感覚に陥ってしまう。けれど、これ以上聞いても聖は「憶えていない」をつき通すだろう。それになにより、先ほど聖が言ったように寝ぼけていたのかもしれない。紅は自分を少しでも納得させて、なんとかこの複雑な思いを終わらせようとした。しかし、グルグルと回り、消化できない気持ち悪さが腹の奥底に残ってしまった。思わず手で抑える。しかし、腹の違和感が解消される事は無かった。

 やがて二人は何も言わなくなってしまった。少しだけ流れるギスギスした空気が二人の間を行き来する。背を向けてしまったせいで、聖の表情など紅には一切分からなくなってしまった。どう切り出したらいいか。紅が頭を悩ませている中、背を向けていた聖がポツリと何かを言ったのを耳にした。


「分からない」


 その言葉を耳にし、紅は思わず進めていた足をピタリと止めてしまった。それに気付いた聖もまた、遅れるようにして足を止めた。紅はグルグルと不快な思いが腹の中で蠢くような気がして、酷い吐き気に模様された。思わず口を抑え、蹲ると聖の慌てた声が廊下を響かせた。


「おい、大丈夫か!?」


 反響する廊下。耳が痛く咄嗟に紅は両手で耳を守るように抑えつけた。身体が震える、指先が氷のように冷たくなっていくのを感じた。心臓はバクバクと五月蠅いくらいに鼓動し、血が勢いよく駆け廻っているせいか顔は林檎のように赤く染まり、今にも火を噴きだすかのように熱くなっていた。しかし、指先や足は冷たく冷え冷えとしており、まるで風邪をひいたかのような錯覚に紅は一人落ちていた。


「大丈夫かよ、おい!」


 聖は紅の変化に怯えつつも、必死に声をかけ背を擦っていた。しかし、紅の体調は良くなる気配を見せなかった。

 ……聖はもはや、親にこの事が発覚し叱られても良いから職員室の電話を使い、自分の家と、紅の家へ電話をしようと思った。


 そんな時である――。


 聖が紅から目を放し、先の暗い廊下を見たのが全ての始まりであった。

 一寸先が闇。そんな闇の中に、ボウッと何かが浮き出すようにして白い何かが見えた。始め聖はその白い何かは蛍光灯か何かだと思い気にも留めていなかった。しかし、良く目を凝らすとその判断は違うという事に気付かされた。そう思ったのも、その白い何かが先ほどよりもクッキリ、はっきりと見えたからである。それになによりも、その白い何かはさっきまでと大きさが少しだけ違うことにも気付いたからである。米粒ほどの大きさが段々と大きく、それもよりクッキリと見えてくる。それが徐々に近づいている物体だと理解した時、聖は「あ」と言う小さな悲鳴と共に、唖然とした。紅は、その時やっと自分の体調が優れてきていた。そこで聖の意変に気付くと、まだ火照り、汗をにじませる顔を聖と同じように廊下の先を見れば、紅もまた聖と同じように目を見張り、唖然とした。

 ――能面のような顔であった。目玉はくり抜かれ、何の感情も見えない不気味な存在に紅と聖は恐怖した。

 能面の顔はまるで空中に浮遊するように存在し、無機質な面持ちで二人を見つめていた。


 ……しかし、その能面がゆっくりと弧を描くような笑みを浮かべた瞬間、二人は戦慄した。


 ズルズル、何かを引き摺る音が廊下を響き渡らせる。二人は恐怖のあまり立ちすくんでしまった。ズルズルと引き摺る音の中に、時折ピチャ、ピチャ、と水のような何かが零れ落ちる音が聞こえた。その音が耳に入り暫くして、紅の鼻に鉄臭いなんとも言えない臭いが襲ってきた。思わず鼻を抑え、周囲を見渡した。けれど、目が闇になれているからといって、ほぼ闇に近い廊下内でその原因を掴む事など無理であった。しかし、紅はその臭いの正体が薄々分かりはじめた。紅本人、なぜその答えに行き着いたかというと、自分の体験をふとそこで思い出したからである。彼が思い出した体験とは、小さく些細な、子供も大人も一度は起きる体験であった。鼻の奥がツンとなり、そして徐々に生温かい液体状の物がポタポタと落ちるあの体験、あの現象。


 ……そう、鼻血である。


 そして紅は、その体験で思い出したのはその鼻血で流れ出た血の臭いであった。鉄臭い鮮血。しかし、時間が経てば経つほど、不気味な赤黒さを見せる存在。間違いない、この臭いは血の臭いである。そうと分かると、紅は自分たちが殺されるのだと瞬時に理解した。能面と紅の距離はそれほど遠くは無い。しかし、ズルズルと引き摺るように移動する能面と自分の脚力を考えれば逃げられる、紅は思った。しかし、脳は理解出来ても恐怖で固まった身体は言う事を聞かなかった。足を動かそうにもブルブルと痙攣する自分の足に、紅は焦りを感じた。聖の方も見れば、聖もまた身体が震えて身動きできない状態であった。能面との距離がどんどん近くなる。紅と聖は、恐怖のあまりお互いの身を抱きかかえ目を閉じた。

 二人の心は同じく、ここで死ぬのなら一瞬で、それも一緒の方が良い。というものであった。一方が先に食べられている姿など見たくも聞きたくも無い。そしてそれは相手も同じことだった。逃げる事が出来るのに、それが出来ない自分を小馬鹿に皮肉りながら、紅は聖をギュッと抱きしめた。脳が走馬灯を見せ始め、紅は涙した。

 死を覚悟した――。



 ――部屋を出、俺は静かに廊下を歩きだす。一階へと続く階段を何の迷いも無く降りて行く中、何故か異様な寒気に襲われた。思わず足が止まり、なんとも不格好で不安定な体勢を取ってしまう。流石の俺もそれにいち早く気付き、恐る恐る前に出していた足を下ろした。ホッと息付くも、俺に再び奇妙な悪寒は襲ってきた。それと同時に不気味な緊張感も。何が何だか分からず首を傾げるも、その答えは一向に出てこず仕舞いである。足が竦み、思わず座り込みたい衝動に駆られる。それが何故なのか本気で分からない。けれど、脳が危険信号を出してこれ以上の進行を止めろと訴えてくる。そして俺はどうする事も出来ず、その場に座り込んだ。どうしたものかと頭を抱えていると、頭上にある電光に影が差した。なんだなんだと思い後ろを振り返ると、そこには怪訝そうな顔を作った姉の姿が立っていた。

 姉は俺を静かに上から下まで一瞥すると、静かに息を吐いた。


「どけよ、引き籠り」


 飛び出て来たのは遠慮の無い言葉。言い返せない発言に胸を強く射抜かれ悶絶するも、女性らしからぬ言い回しに俺はすぐさま訂正の意を述べた。


「おいおい、言い方ってもんがあるだろ」


「はあ?」


 しかし姉の背後に蠢く黒いカーテンに圧倒され、俺は何も言えなくなってしまう。まるでもの言わぬ鯉のようである。限りなく低い声と蔑む目で俺は静かに頭を垂れた。


「あ、いや……すみません」


「さっさと降りてよ。

私、お腹空いているんだから」


 姉の言葉に俺はハッと我に帰る。そして同時に姉の言葉に応えるかのように腹が小さく音を鳴らせた。思わず手を当て自分の腹に呆れるも、俺は先ほどの悪寒が綺麗サッパリと泣くなている事に気が付いた。どういうことだ、と思うもやはり答えなど出てくる訳もなく、俺は悪寒も緊張感も全く無くなった身体を嬉しく思った。俺は少しだけ晴れ渡って気持ちで再び階段を降りはじめた。

 そこに待っていたのは、腕をまくり今か今かと俺と姉を待つ母の姿が目に入った。俺はとりあえず一言だけ述べようと思った。


「いやぁ、ゴメン」


 


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