08 砂埃
アシルとノルベルトの二人はギュイオットに連れられて、別の場所で行動を観察していたル・セルパンのメンバーに会いに行った。もちろん、モニターに映るドッグタグの位置情報だけだ。
部屋の前まで来ると、ギュイオットは二人を振り向いた。
「私の司令官室に来るよう命じてある……私の部屋はここだ。覚えておきなさい。いや、知ってるか、そんなこと」
無言で二人はギュイオットの後から部屋に入った。
重苦しい空気の中、まだ若い男が三人いた。背が高く、気の強そうな黒人。知的な雰囲気がある。そして眼鏡をかけた金髪碧眼の人物。そばかすがあった。もう一人は金髪に緑の瞳の男だ。童顔で、背も三人の中で一番低い。
「紹介しようか。君たちはもう彼ら三人のことは詳しく知っていると思うがね」
ギュイオットは皮肉っぽくそう言った。ノルベルトとアシルの二人は黙ったままだ。たしかに彼ら三人の名前は分かる。ギュイオットのデータを事前に登録しておいたように、部隊の詳細も登録してあるし、一通りは以前から知っていた。もちろんデータとして、だ。
ギュイオットは二人のことを三人に順番に紹介していった。
黒人の男がロイ・ポールソン少佐。そばかすの眼鏡の男がピエール・ドルイユ。背の低い男がアレクサンドル・チェルノフだ。
「今日の用はもう済んだ。後は、そうだね、親睦でも深めておきなさい」
ハエを手で追い払うような仕草をし、ギュイオットは彼らを部屋からさっさと追い出した。
廊下に出ると、そこにはフィリップとソフィーが立っていた。フィリップは満面の笑みで、ソフィーは反対に心配そうな顔だ。
「部隊長のポールソン少佐だね」
フィリップが丁寧に言う。彼も丁寧に返事した。
「この子たち、二時間ほど預からせてくれないかな。リミッターの調整しないといけないから」
構いません、とポールソンが答える。するとフィリップはすぐに二人を連れて去って行った。彼らの背中を目で追いながら、ピエールが口を開く。
「少佐ー、あいつらやばくない?目がいっちゃってるけど」
「なんか俺も……怖い。部屋ん中いた時、ずっと感情のない目で観察されてた気がする。しかも俺らは二人のこと全然知らないのに、向こうは俺らのこと熟知してるんでしょ?」
半分冗談めかしてアレクサンドルが言う。しかし、顔が蒼白だった。
「気にするな。そういうもんだと聞いている。それに、所詮紙の上のデータ見ただけで俺らのこと分かるなんて、そんなわけないだろ」
ポールソンが真剣な面持ちで言った。
それから丁度二時間後、アシルとノルベルトはル・セルパンの元にやって来た。部隊の三人の表情が硬くなる。その様子を見て、ノルベルトたちはきょとんとした。
「少将から紹介していただいたが……一応、改めて自己紹介ってやつしとくか?」
ポールソンが言う。是非、と二人は頷いた。
「僕達は皆さんの経歴くらいは知ってますけど、それは単なる情報でしかないですから」
アシルが答えた。ポールソンが少し驚いたような目で彼を見る。いいだろうと呟き、彼は順番に名前だけを紹介した。
その後、アレクサンドルが二人に微笑みかけた。かなり人懐こい笑みだ。だが、唐突に笑顔を向けられた二人は目を逸した。他にどうすれば良いのか分からない。何の理由もなく、そもそも笑顔を見せてくれる人などここにはいないと思っていた。
「この部隊はね、皆名前で呼び合うんだよ。階級に関係なく、ね。俺はアレクって呼ばれてる。よろしくね」
ああ、と二人は頷いた。
「俺はエールって呼ばれてるな。二人とも機械いじれるんならさ、今度俺とゲーム作ってみない?今、作りかけのがあるんだけど……」
ピエールが楽しそうに言う。その彼の後頭部をポールソンが叩く。痛い、と冗談めかして不平を言い、ピエールは不思議そうな顔をした。
「そういえば俺たち、少佐のこと名前で呼んだことないよね、ロイ」
やめろ、とポールソンが言う。
「そうだよね、ずっと少佐って呼んでるし」
アレクサンドルもポールソンを振り向いた。ポールソンが顔を背ける。
「ま、何だっていいだろ。分かればいいんだよ、分かれば。それと、部隊メンバーの寝食はいかなる階級にも、あと性別にも関わらず一緒だ。以前女がいた時もそうだった」
ピエールが笑う。
「少佐ったら恥ずかしがり屋さんなんだから」
すかさずポールソンがピエールに絞め技をかける。死ぬ、と言いながらピエールがポールソンの腕をばしばしと叩く。それを見てアレクサンドルが笑う。つられてノルベルトとアシルも笑った。すると、他の三人が目を見開いて二人を見た。
「え……何?」
気圧され、二人は笑うのをやめた。
「あ、いや……模擬戦の後と比べて随分印象が違って。ちゃんと笑えるんだなって思って」
アレクサンドルが喋る。
「ああ。リミッターの調整もしたし」
ノルベルトが目を逸らしたまま答えた。だがすぐにアレクサンドルを見つめ返す。
「気持ち悪くなかったか?俺たちがここに入るって言われた時」
部屋が静かになる。静寂を破ったのはピエールだった。
「ま、正直言うと多少はね。でも、今の君たち見てると普通の人間と何が違うのか分かんないし?紙に書いてあることなんて、所詮は情報の切れっ端でしかないからね」
そうそう、とアレクサンドルが同意する。ポールソンは無言でタバコを吸い始めた。
「ありがとう……」
微笑み返し、二人は礼を言った。
「そういえばさっきの入隊試験もすごかったな。普通、あんなに山登るとかできないよな」
アレクサンドルが言った。そうだな、とピエールが頷く。ポールソンもこの話題には興味を示したようだ。ちらりとこちらを見る。
「リミッターとやらを外したらあれくらいの能力が出るのか?」
煙を吐き出し、ポールソンが尋ねる。違うよ、と二人は首を振った。
「さっきはほとんどリミッターを外していない。本当にリミッターを全解除したことはないんだ。外すとどうなるか分からないから。死ぬかもしれないし、手がつけられなくなるかもしれない。貴重な戦力を失うくらいなら、リミッターをかけっぱなしの方がいいからさ」
ポールソンはタバコを噛んだ。そして心の中で毒づく。
こんな化け物寄越して、上は一体何を考えている?
だが、この第三特殊部隊ル・セルパンに在籍するということは、ポールソンたち自身も結局は世間からこの二人と似たような扱いを受けているということだ。このル・セルパンは厄介者を押し込めておく檻だ。危険な任務ばかり回され、その任務の中で順次処理されていく。建前は任務中の事故や、名誉の戦死だった。
ピエールは機械に強い。一度酔っ払ったとき、軍のパソコンを面白半分に内部ハッキングしてここへ連れてこられた。アレクサンドルは頭が切れる。軍上層部の横領を手伝わされて責任を全て押し付けられた挙句、不本意ながらここへ来た。そしてポールソンは優秀なことに違いないが、偏屈、頑固、その上育ちが悪いため素晴らしく手癖が悪い。敬遠されてここへ来た。
そして彼ら二人は――。
「ねえ、試しに俺たちとやってみない?」
唐突に提案したのはピエールだった。他のメンバーがきょとんとして彼を見る。
「ほら、親睦会だと思ってさ。お互いをよく知り合うにはスキンシップって欠かせないし?」
黙ったまま、ポールソンは立ち上がった。そして靴を履き替えだした。それを見てピエールがくすっと笑う。
「あの、俺たちもしかして少佐に嫌われてますか?」
ノルベルトが心配そうにピエールに問う。違うよ、と彼は優しく否定した。
「少佐は新人が入ると、いつもああなんだよねえ。気にしなくていいよ。靴履き替えてるでしょ。あれ、実は一番乗り気な証拠だから」
素直じゃないんだから、とピエールが笑うと、履き古したサンダルが勢いよく飛んできた。
「痛え、何すんの、少佐!いじめっ子!」
「うるさい、言いだしっぺなんだから早くしろ!」
これが日常なんだよ、とアレクサンドルが笑う。少しため息をつきながら、二人は彼らについて行った。
少し小さめのグラウンド。着いた場所はそこだった。
「銃に対する腕前は、さっきのモニター越しでもう十分だったからね。今度は得物を変えてやろうか。ここ狭いし」
ピエールがそう言い、ゴム製のナイフをずらっと並べた。
「一人十振まで、好きなだけ持てばいい。俺たち三人対、お前ら二人だ。場所はこのフェンスの中。チェックメイトされるか丸腰になった時点で、そいつはフェンスの外に避難して見物してること。奪ったナイフはそいつが自由にすればいい」
「何かと思えば、ちょっと前に流行った遊びかよ」
つまらなそうにポールソンが言う。いいじゃない、とピエールが笑う。でも、とアレクサンドルが口を挟んだ。
「今思ったんだけどさ、二人ともさっきまで演習してたじゃん。連続してやるのはきつくない?山登ってたんだよ。もう少し休憩してからの方が……」
気にしなくていい。そう反論したのはポールソンだった。アシルとノルベルトが挑戦的な目で彼の方を見た。
「お前ら、どんな過酷な環境下でも、最低一週間は飲まず食わずでも死なないんだってな」
随分と挑発的な言い方だ。ノルベルトとアシルが微笑んだ。
「ええ。よくご存知で」
ピエールとアレクサンドルが、その後ろで目を見合わせる。
順番にナイフを選びとっていく。どこに隠したか分からないように、それぞれが隠れながらナイフを装備する。
「準備はいいか」
ポールソンの言葉に、全員が頷く。
風が吹いて、土埃が舞った。
「始め!」
そのポールソンの声を合図に、ピエールとアレクサンドルがナイフを抜いて駆け出す。ピエールはアシルに、アレクサンドルはノルベルトを狙った。
砂の霞の向こうにノルベルトが見える。彼は何も持っていなかった。構えてもいない。ただ、ぼんやりとそこに立っていただけだ。いくら人形だからといっても、隙がありすぎる。それとも、それぐらいで丁度いいとでも?
「嘗めんな!」
アレクサンドルが怒鳴り、ナイフを突き出した。手応えはない。おかしい、そこにいたのに。そう思った時だ。
「え、嘘!?」
思わず声が出る。持っていたはずのナイフがない。取られたか。新しくナイフを出す。
そして、いつの間にかノルベルトは少し離れたフェンス側に微笑みながら立っていた。アレクサンドルがそちらへ足を向ける。追い詰めて、もう一度。
次々にアレクサンドルが繰り出す攻撃を器用に避けながら、ノルベルトはまるで遊んでいるようにナイフを取っていく。だが、ノルベルトの背中がフェンスにぶつかった。ガシャンと音がする。
「もらった!」
アレクサンドルがノルベルトの喉を目掛けてナイフを突き出す。刺さる手前で止める。チェックメイトだ。だが、そこには誰もいなかった。一瞬思考が停止する。
「アレク!」
ポールソンの声に我に返った。地面に影が見える。彼ははっとして上を見上げた。ノルベルトは優雅に空中で回転し、アレクサンドルの後ろに回ろうとしていた。舌打ちし、ポールソンがアレクサンドルの背後を守りにいく。だが間に合わない。そう思った彼はアレクサンドルの背中を狙うノルベルトの背中を狙いにいった。
掛け声と共に突き出したナイフを、着地したノルベルトの首の手前で止めた。いや、止めたはずだった。
「なんで……」
そこには誰もいなかった。背中から声がする。
「アレクはリタイアだよね」
ノルベルトだ。残念そうにアレクサンドルが頷く。どうして、とポールソンが問うと、武器を全て取られたのだとジェスチャーで示した。
「それに、少佐がナイフ止めなかったら――これが演習じゃなかったら、俺死んでたし」
「……くそっ」
ポールソンが舌打ちし、再びノルベルトに突っ込んでいった。
「なんか楽しそうだよね、あっち」
ピエールが笑う。
「本当。少佐って血の気が多そうだけど、ノルも負けず嫌いだからね」
こちらも笑いながら、アシルが答えた。突き出されるナイフをアシルはただ避けているだけだった。
「ねえ、なんか撃ってこないの?こっちから攻撃ばっかじゃさすがにもたないんだけど。あ、まさかそれ狙い?」
笑いながらも険しい表情でピエールが訊く。実際彼は息切れしていた。
「そう思う?でも、今持ってるやつだけでエールのナイフは全部でしょ?」
一つの息切れもなしに答える。気味悪さを感じながら、ピエールは質問した。
「いや、俺はナイフ二本以上持ってるけど?」
今持っているものは、最初から手にしていたものだ。まだ他にも忍ばせてある。なのに、これが最後?
距離をとってアシルがナイフを見せた。
「だってこれ、全部エールから取ったやつだから」
ナイフは四本。たしかにピエールは五本持っていた。まさか、とナイフを隠した場所に触れる。冷や汗をかいた。
「ない……」
いつの間に。
一瞬気を逸したのを見逃さず、アシルがピエールとの距離を詰める。そして、手にしていたナイフをゆっくりと取った。
「残念、エール。ここまでだ」
ぽかんとしたまま、ピエールが尋ねた。
「なんで……」
簡単だよ、とアシルが返す。
「服の皺とか動き方見てれば分かるから。っていうか、温度差とかもあるんだよね、だってこれ金属だし。俺たちの目は、人間の目とは違うからさ」
冗談だろう。怖くなったが、ピエールは聞き返せなかった。
不服そうにピエールが退出した後、残ったのはノルベルト、アシル、ポールソンの三人だった。
「俺達のどっちか、出ようか?流石にハンデありすぎでしょ」
ノルベルトが笑いかける。だが、ポールソンは首を横に振った。
「このままでいい。俺は『お前たち』を見たいんだからな」
そう、と不敵に微笑むと、一瞬のうちにアシルがポールソンの背後に回り込んだ。砂が音を立てて舞い上がる。ポールソンが意識をアシルに向けていた僅かな間に、ノルベルトが彼の懐に入った。金縛りに遭ったかのようにポールソンの身体は動かない。
「はい、終わり」
ノルベルトが言う。ピエールとアレクサンドルは、フェンスの外で口を開けたまま見ていた。
息一つ乱さない。軸がぶれない。一言だって言葉を交わさずに、彼ら二人はお互いの考えていることがまるで全て分かった上で行動しているかのようだった。
「どうしてお前ら、ナイフを使わないんだ」
ポールソンが訊く。そういえば、とアレクサンドルが頷いた。二人はナイフを取り上げるだけで、決して自ら抜いていない。取り上げたナイフは好きに使っていいとも言われたが、彼らの手に渡ったナイフは使われなかった。
「どうしてって……俺達、もともと一振しか持ってなかったし」
アシルが笑ってみせた。それを取られたら終わりじゃん、とノルベルトが付け加える。
「なんで一振なんだ?十振まではいいって……」
アレクサンドルが考えながら問う。
「こっちから仕掛けるより、全部取り上げた方が早く済みそうだったから。持ってれば持ってるほど邪魔になるしね。でも最初から丸腰だと、最初からリタイアになっちゃうでしょ」
そう言って彼らはブーツのふくらはぎの部分からナイフを一振取り出した。ありえねえ、とピエールが呟く。だが、それがありえてしまうのが彼らなのだ。
「満足?少佐」
ポールソンがはっとして二人を見た。
「……ああ。とりあえずは、な」
ポールソンが笑う。だが、目が笑っていなかった。
「帰ろうぜ、俺腹減ったあ」
険悪な空気を破るように、アレクサンドルが伸びをした。本当にお前は、とピエールが呆れたように言う。そして彼の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。やめろよ、と反論するアレクサンドルを今度はポールソンが頭を撫でる。戯れながら帰っていく彼らの後ろ姿を、ノルベルトとアシルの二人は不思議そうに見ていた。
曇り空を仰いだ二人は無言だった。