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07 隠匿と無知

「あーあ、なんで俺たちがこんな茶番に付き合わなくちゃいけねえんだ」

 斜面を駆け上がりながら、ぶつぶつとノルベルトがぼやいた。そして迷彩服にひっついた小さな蜘蛛を弾き飛ばした。アシルが笑う。

「まあ、そう言わずに。こんなに体動かすのも久々だしさ、いい運動になると思えば」

 それもそうだな、とのんびりとノルベルトが答えた。

 次の瞬間、茂みから何かが飛び出した。木の幹に当たり、赤い痕を残す。ペイント弾だ。数秒後、一人の兵士が隠れていた茂みから銃を構えたまま顔を覗かせた。

「馬鹿な、命中したはずなのに……」

 震える声で喚く。

「遅い」

 ふいに、頭上から声がした。彼がびくっとして上を見る。彼の周りには他に二人の兵が潜んでいた。

「だから、遅いって」

 そう笑いながら言ったのはノルベルトだ。だが目は笑っていない。彼とアシルの二人は、いつの間にか兵士の背後にいた。ノルベルトが両手で、アシルは片手で兵士の首の後ろをトンと軽く叩く。そして何の感情もなく呟いた。

「はい死んだ」

 兵士は命令に従い、その場にしゃがみこんだ。一人がトランシーバーで、やられました、と少将に報告をする。

「ええ……はい、一瞬で……はい、第四班三人であります」

 兵士がギュイオットの声を聞きながら振り向いた。

「はい、今ここに!……あれ……?いない……?」

 他の二人の兵士にノルベルトたちの行方を聞いた。しかし、突然消えたというあり得ないことを言われる。兵士はパニックになり、しどろもどろになりつつ上官に報告をした。だが、ギュイオットは報告を聞いても動じはしなかった。それどころか、笑った。兵士は焦って、なぜ笑うのか理由を尋ねた。

「ん?理由かね?簡単だよ。それが彼らだからさ」

 そう言うと彼は一方的に通信を絶った。

「ふん、もう第一ラインに到着したのか。これは速い。人間よりも軽装で、無駄な防具もいらない。機動力に優れ、確実に標的を仕留める……素晴らしい」

 ギュイオットは満足そうに笑っている。隣ではソフィーがあからさまに嫌そうな目で彼を見ていた。確かに彼らの装備は少ない。防弾チョッキを着ていても、極めて薄いものだ。プロテクターも必要ない。額の赤眼での通信を妨害しないため、ヘルメットもつけない。今は時間制限を設けているため必要以上の装備は人間の兵もしていないが、戦場で水筒や食料品が最小限でよい、雨具なども不要の二人は実戦では随分と軽装になる。

 そんなことを考えているとフィリップの呼ぶ声がしたため、彼女は大人しくコンピュータの方に歩み寄った。

「これさ……凄くない?」

 冷や汗をかいたフィリップが彼女を振り向く。ディスプレイには、今の二人の位置が山の地図の上に表示されている。

「え……?」

 ソフィーも一瞬、己の目を信じられなかった。

 二人はどうやら別行動をとることにしたらしい。点滅している点が二つ、離れた場所にある。だが、驚いたのはそこではない。異常なまでの速度だ。先ほどまでは第一ラインである山のかなり下の方にいたはずだ。それが、もう中腹の少し下まで登っている。二人の位置から察するに、ここまで普通にもともとあった道を登っていたとしたら、少なくとも二分はかかるはずだ。そう考えている間にも、二人を示す点の位置はどんどん変わっていく。

「これ……もしかして、斜面をそのまま登っているんですか!?それにしても、速すぎる……」

 しかも彼らは他の潜伏中の部隊をわざと避けているらしい。例え遠くから兵が気付いたとしても、あの速さではとても追いかけることはできない。

 ギュイオットがいつの間にか後ろに立ち、豪快に笑っていた。

「実に素晴らしい。人形マリオネットが量産できないのが残念で仕方ないよ」

 研究がまだ途中段階のため、誰もがマリオネットの体に適合できるわけではない。コンピュータと接続した瞬間に死ぬ者もいたし、適合してから精神異常で廃棄処分になった者もいた。その点、彼らは唯一の成功例だ。だが、なぜこんなにも成功したのかは分かっていない。軍内部でも、量産に賛成する者と反対する者がいる。これらのせいで大量生産されることはまずないだろうし、あったとしても随分先の話だ。


「あれだな」

 ノルベルトの目の前に、白い壁の建物が見えた。雨に汚れ、くすんでいる。アシルは建物の裏側にいる。丁度同じくらいに着いたようだ。

 塀とリング状の有刺鉄線を難なく越え、ノルベルトは敷地に入った。地面には草が茂っている。何年も使われていないというのは本当のようだ。だが、地面をよく見ていくと、折れた草の葉も見える。まだ新しい。ギュイオットが建物の中に書類を置かせに行った時についたものとはとても思えない。つい先ほど踏まれた痕跡だ。光の加減でピアノ線も見えた。

「中にもいるのかよ」

 呆れたようにノルベルトは呟いた。それから少しの間、彼は草地を見ていた。おもむろに足元の石をいくつか拾うと、草地に投げていった。地面が爆発し、異臭と共に赤い塗料が噴射される。旧式の対人地雷を改造した模擬地雷だった。煙の中へ、彼は飛び出していった。

 煙から抜け出し、足早に正面の扉に近づきいて蜘蛛の巣を払う。扉を開けようとした時だ。建物の後ろ側から、ガラスの割れるような音がした。アシルだろう、かなり派手にやっている。

「なんだよ、正面からこそこそ入る俺の方が泥棒みてえじゃねえか」

 そう言うと彼は、軽々と壁伝いに上っていった。南棟二階、一番東、第三書庫。今いる場所は、南棟二階の南側の端。目的の部屋のものではないが、目の前の窓が一番確実だ。ノルベルトは一瞬、周囲に耳を澄ませた。

 今はアシルのおかげで、ほとんどの兵の注目は一番西側の方にいっているはずだ。それに、音がしたのは北棟の方だ。

 アシルがガラスを割る音に重ね、ノルベルトもガラスを割った。随分古い。蜘蛛の巣がここにも張っている。すとんと廊下に降り立つと、不用心なことにそこには誰もいなかった。床には別にトラップもない。

 扉のプレートを見て第三書庫に入る。第三書庫までには何人か兵がいたが、全て一瞬で動けなくしておいた。少々音がしても誰も来ないだろう。扉には鍵がかかっているが、彼は力で壊した。入ってみるとここにも蜘蛛の巣がある。床にトカゲもいた。カーテンにも蜘蛛の巣がついている。随分と遮光性の高いカーテンのようだ。開いているいくつかの窓からしか光が入ってこない。

 ふと一つの明るい窓辺を見ると、そこには木製の簡素な机と椅子があった。本がいくつか並べてある。わざと足音を立てながら近寄ってみると、机の上には薄い茶封筒が置かれていた。そっと手に取る。だが次の瞬間、ノルベルトがそこから飛び退く。彼がいた場所に、赤いペイント弾が散った。

「あっぶね」

 本棚の上から彼は呟いた。手にはしっかりと封筒がある。少ししわになってしまった。

 カーテンの影に人がいる。特殊部隊のメンバーだろう。黒いマスクで顔を隠し、防弾チョッキをまとった大柄な人物がゆっくりと出てきた。再び銃口をノルベルトの方に向ける。呆れたようにノルベルトは言い放った。

「お前に用はない。せっかく見逃してやったんだ。これ以上俺たちにやられると、特殊部隊の名が泣くぜ?」

 そして彼は近くの窓を割って外へ出た。だが同時に、彼のもう一つ隣の窓が粉々に砕け散った。

「実弾……おい、ルール違反だろ」

 割れた窓を更に割って地面に降りると、上からあの兵士が飛び下りようとしていた。それに、遠くから騒ぎを聞きつけた他の兵士たちが何やら話している声もする。急いで再び森の中に入る。すると誰かに腕を掴まれ、木の上に引きずり上げられた。

 気配がなかった――若干の恐れを抱きながらノルベルトが拳を握り、その人を振り向く。その人は口元に人差し指を立て、静かにするよう指示した。

「なんだ、アッシュか。びびった」

「獲物は」

 アシルが冷静に問う。ノルベルトは手にある封筒を見せた。アシルがほっと一息つき、辺りを見回した。

「何だ、あれ。実弾持った奴がいるなんて聞いてねえよ」

 ノルベルトが不平を言う。書庫にいた兵士はどうやらノルベルトを見失ったらしく、建物の回りから離れようとせずにきょろきょろしている。

「あいつもか、ノル。俺も遭った。ペイント弾でなくて、実弾撃ってくる馬鹿。手榴弾も持ってたぜ」

 兵士がギュイオットの命令に違反するとは思えない。

「腹黒タヌキに一杯喰わされたか。それとも、刺客?」

 わざと普通の声量で喋っていると、頭上の枝が折れた。後ろから弾が飛んできている。二人は地面に降り、山を下ることにした。

「二人ともどうしたの!?」

 無線でソフィーから連絡が入る。二人の位置を確認し、行動を止めたのを怪しく思ったのだろう。

「どうしたのじゃねえよ。実弾使うとか聞いてない」

 無線機の向こうで戸惑うソフィーの声がする。だが、次にそれは低い声に変わった。

「よろしい、私の指揮下において最初の命令を下そう。その怪しい奴らを捕えろ。殺しても構わん。ただし、時間内で、だ」

 ギュイオットの声だ。否応なく二人は受けさせられる。

「丸腰で銃持った奴潰せってか」

 不敵に笑うと二人は地を蹴って勢いよく体の向きを変えた。衝撃で土が飛び散る。茂みの向こうにあの兵士たちの匂いがする。一人の兵士の前にノルベルトが飛び出した。彼に舌を出して見せる。そして、小さく笑った。兵士が一瞬びくっとし、すぐに銃を構える。ノルベルトが彼の後ろに回り込んだ。兵士が速度についていけず、ねじ伏せられた。だが、ノルベルトが彼から飛び退いた。次の瞬間、兵士の体が爆発した。赤い雨が降る。ノルベルトの顔に飛沫が飛んだ。

 アシルは茂みの中からもう一人の後ろに音もなく距離をつめた。だが、その兵士は震えながらもう一人が吹き飛んだのを見ていた。そして振り返り、アシルの顔を見て悲鳴をあげた。アシルがきょとんとする。喋りかけようとして口を開いた時、その兵士は持っていた銃で自らの頭に穴を開けた。

「……なんだ、これ」

 ノルベルトが呟く。辺りに飛び散る赤が、地面に吸い込まれていく。よく知った匂いがする。二人は近くに落ちていたブルーシートを拾い、その中に一人ずつ入れ始めた。ばらばらになった腕や肉片を集め、シートで包む。手袋を外し、アシルが一人分を、ノルベルトがもう一人分と茶封筒を持った。

 ずしりと重い。だが、なんと軽いことだろう。人の命の価値を思えば、こんなの裁きの天秤にかけることもできない。簡単だ。いつも、簡単に人は死ぬ。ただの肉塊になれば、それまでの一生も何もかも消える。いつか完全にこの世からも忘れられて、存在しなかったことになる。名もない兵の哀れな末路は誰が見つめるのだろう。

「帰るか」

 短く単調に言い、二人はまたそこから姿を消した。


「早かったな。一時間以内で帰ってくるとは」

 ギュイオットが満足そうに言う。

「これ」

 アシルが乱暴にブルーシートの袋を放り投げた。それに倣って、ノルベルトも袋をどさっと落とす。中身が見えて、ソフィーや他の研究員は悲鳴を上げた。フィリップはにこやかに笑ったままだ。

「そんなものは後でいい。封筒は持ってきたのか」

 冷静なギュイオットの言葉に、ノルベルトは慇懃に封筒を差し出した。それを受け取り、ギュイオットが中身を確認する。紙を二枚取り出し、サインをしてそれを二人に手渡した。

「おめでとう、これで晴れて君たちは第三特殊部隊のメンバーだ。これは証書だ」

 配属の証書には血がついている。気にして二人は無言でそのシミを見た。気付いたギュイオットがにこやかに笑う。

「そんなもの、所詮はただの紙切れだ。……君たちにはお似合いの配属証書だろう」

 三人の間に亀裂が走る。どうも、と丁寧に挨拶し、ノルベルトは改めて彼に尋ねた。

「この二人は一体何だったんです」

 何がだね、とギュイオットが聞き返す。

「潜伏している兵士が所持しているのはペイント弾というお話でしたが。彼らは実弾を装備していました。それに、おそらく手榴弾などの爆弾も」

 二人の不平を彼は鼻で笑った。

「そんなもの、信じていたのか。戦場へ出ればたった一つの情報など、真偽のほどは分からん。常に可能性も考えておくべきだ。君たちが一番よく知っているだろう。……そう、彼ら二人は私の命令で差し向けたんだ」

 なんでそんなことを、と噛みつく声がした。ソフィーだ。フィリップが彼女の腕を掴んでいる。ギュイオットは彼女に手のひらを向け、黙るよう指示した。

「彼ら二人は優秀な軍人だ。もちろん、我が軍のね。だが些細な事件があって、処分せざるを得なくなった。だが私は彼らを失うのは残念だと思ってね。会議の場で提案したんだ。……この場で君たち二人に勝つことが出来れば、見逃してやってもよい、とね。まあ結果は見ての通りだが」

 まるでつまらないものでも見るかのような目で、ギュイオットは地面に転がる二人の身体の破片を見た。

「全然そんな風には見えませんでした。この人たちは、自爆したんです」

 アシルの言葉にも、ギュイオットは微笑んだままだ。

「さあ、彼らなりの哲学でもあったんじゃないか」

 そしてそれ以降、彼は二人にその件について話さなかった。

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