06 少将の笑み
少女二人が自ら所属を告白したモルゲンシュテルン。ノルベルトとアシルは帰ってすぐ、フィリップにそのことを報告した。しかし、フランスからは適当になんとかしろという返事しか返ってこなかった。
結局彼女たちも二人を片付けるつもりはないのだろう、無用な手出しはしてこなかった。
そうして平穏に時間が流れていった。中立国日本では、夏休みがひと月半ほどしかない。後期授業が開始すると、すぐに文化祭がある。その準備をしに生徒達は休み中でも学校に来るという。二人は準備は他の生徒に任せ、フランスへ帰国することになった。
借り切っているアパートの一室で荷物を整理しながら、ノルベルトとアシルが喋っていた。
「やっぱ一番安全な日本中立国っていったって、外国は外国だよなあ。変な奴らもいたしさ。一番落ち着くといえばやっぱり……あんなところを家って呼んでいいのか知らないけどよ」
まあいいんじゃねえの、とアシルが笑った。
「どんなところにせよ、帰れる場所があるっていうのはさ」
パリは相変わらずの光景だった。大通りには露店がいくつも出ていて、人々はいいものを少しでも安く買おうとしていた。治安はすっかり悪くなったが、ヨーロッパの中では平均的な治安だ。常に霞みがかったような空で、今日も色鮮やかな雲が流れる。建物はすっかり古び、時折降る強烈な酸性雨のためにコンクリートは溶けているところもあった。
「あー、懐かしい」
フランスを離れてたった数か月。記憶の中のデータなら簡単に呼び起せるから、別に新鮮でも何でもない。データは色褪せることも欠けることもない。まるで昨日のことのように全てを思い出せる。懐かしさを感じることはない。だが、ノルベルトはそう呟いてみた。アシルが怪訝そうな顔をする。
「なんなら、そこのカフェで何か軽く食べる?」
いつになく楽しそうに提案したのはフィリップだった。やはり彼は故郷が懐かしいと見える。
「それいいですね!もちろんあなたの奢りですね、ムッシュウ?」
答えたのはソフィーだった。あのね、とフィリップがじっとりした目で彼女を見る。だがフィリップ自身が休憩を取りたいようで、足はもうそのカフェに向かっていた。
客でごった返し、とても雰囲気はカフェではない。中に入ってメニューを見ると、ますますカフェらしくないものばかりだった。酒やつまみが主で、軽い食事がとれるようだ。四人が入ると、まず客の目が一斉に彼らを向いた。そこにいる誰よりもいい服を着て、磨かれた靴を履いている。手には鞄があり、恰好の獲物だ。
「適当に食べて、さっさと出よう」
小声でフィリップが言った。ソフィーはすっかり怯えている。ここにいる者には分かる。日々をコンクリートの陰で過ごす自分たちと違う、彼ら四人は軍人である。税を巻き上げる者だ。だから、こんな時代ですらまともな格好ができる。あの鞄に入っているものだって、一つとして庶民の手の届くものなどない。
軍関係者というだけで、彼らは奥の窓辺の一番いい席に通された。そこには五歳ほどの痩せた少女を連れた男女が座っていた。店主は早口で彼らに退くように指示した。
「いいよ、俺たちは適当な席で。別に景色なんか見たくないし」
ノルベルトが言う。しかし店主は結局彼らに席を譲らせた。周囲の視線が痛い。軍人の横暴にしか見えないだろう。
気が休まることはなく、四人はじろじろと見られ続けながら食事を済ませた。店を出ると、あの張り詰めた空気から少しだけ解放された。フィリップが携帯で誰かと喋っていた。路地に軍の覆面車が入るのを確認すると、彼は通話をやめた。行こうか、と他の三人を促し、彼はスーツケースを引いて歩いた。
他人から見れば、この組み合わせはどうなのだろう。よそから来た学生を案内してやる親戚の伯父さんと伯母さんくらいに映るのだろうか。車に乗りつつ、彼はそんなどうでもいいことを考えていた。
車でしばらく走ると、白っぽいコンクリート製の建物が見えてきた。四角形で、無機質だ。その周りには景観のために植えられた木がある。なんとも殺風景だ。
「あれ見て懐かしいって思えるんだから、人間ってわけ分かんないよねえ」
フィリップが笑った。
翌日、二人は早速メンテナンスを受けさせられていた。
「軍務に復帰してもらうから、メモリの量を調整するよ。ギュイオット少将から指示があってね。君たちには陸軍第三特殊部隊、ル・セルパンに入隊してもらうことになったよ」
第三特殊部隊、通称ル・セルパン。フランス語で蛇という意味を持つ。訳ありの若者ばかりで構成される部隊は、現在三人しかいない。そして軍部でも時々問題視されることがあった。
「それって、俺たちが人間じゃないから?」
ベッドに寝かされ呼吸器をつけたまま、ノルベルトがこもった声で尋ねた。少しの間答えに困り、違うよとフィリップは言った。
「君たちの能力の問題だよ」
彼の言葉を品定めするかのような二人の視線に耐えていると、背後から準備完了の声が聞こえた。安心したようにフィリップは二人の目の前からいなくなる。
開始の合図と共に、データの更新が始まった。二人は眠ったように静かだ。これもいつものことだ。
「楽しみですね。彼らの働きは大きい。私は期待していますよ」
メンテナンスを見つめるフィリップの背後から声がした。振り返ると、ギュイオット少将が立っていた。白髪混じりの口髭を撫で、眠ったままの二人をガラス越しに見ている。体格のよい彼は、深緑の軍服の胸元にバッジを光らせていた。
「少将。ここは、研究員以外は立ち入り禁止のはずですが」
不審そうな顔をしてソフィーが言う。ギュイオットは笑顔でソフィーを振り向いた。
「私の部下になる者の顔を、ちょっと早めに見に来ただけだよ。そんな嫌そうな顔をしないでくれ」
その時、アラームが鳴った。メンテナンス終了の合図だ。どいてください、とソフィーが乱暴に言いながらパソコンの方へ歩いて行った。ギュイオットは彼女の剣幕に少々驚きながらも、研究員たちの邪魔にならないように壁際に寄った。だが、相変わらずガラスの向こうを凝視している。研究員たちが身体からコードを外していく様子、暫くしてから目を開ける二人を面白そうに見ている。
「軍務に復帰するためにリミッターを外したと言っても、前とたいして変わりはしませんよ。全てリミッターを外すと生命に関わるかもしれません。なので、お話の模擬戦には、この状態で参加させますが、構いませんね」
ギュイオットにフィリップが確認する。ああ、とギュイオットは頷いた。
フィリップは二人に歩み寄った。危険人物として認識されないため、二人はフィリップに全く反応を示さない。そして、データにギュイオットが上官であるという情報を組み込んだので、彼らは初対面であるにも関わらず、ノルベルトとアシルはギュイオットのことを「よく知っている」のだ。
新しい軍服を彼らに手渡し、ギュイオットが二人の肩に手を置いた。
「よし、早速見せてもらおう。我らが最終兵器とも言える二人の実力を」
二人はギュイオットを観察するかのように、じっと見ていた。
データ収集のため、研究員たちも機材を持ってついてきた。ル・セルパンのメンバーは別室のモニターで様子を見ているという。
ギュイオットの部下に案内されて着いた先は、山の入り口だった。一応ここも軍の所有地らしいが、ほったらかしになっている山には好き勝手に植物が生い茂っていた。野生動物もかなり住んでいるという。キツネを見たという人もいた。
「さて、二人に命令だ」
ギュイオットは二人を振り返った。
「この山の上に、廃棄された軍事施設がある。ほら、あれだ、屋根が木の間から見える」
そう言ってギュイオットが指さした先には、わずかに白いものが見えた。
「任務は簡単だ、これから君たちにはそこへ行ってもらう。ああ、舗装された道なんてないからよろしく。道らしきものは今でも残っているがね。……それで、その施設の南棟二階の一番東側にある第三書庫に置いてある、茶封筒に入った書類を取ってくること。ただし、気を付けてくれたまえよ。この山には陸軍第一特殊部隊と第二特殊部隊が潜んでいる。ペイント弾を持たせてある。それから、弾が命中した場所によってはこちらから活動停止――つまり、死んだという判断を下す。その時はその場から動かないこと。これはゲームのルールだ。くれぐれもその真新しい制服に色を付けてくれるなよ?」
はい、と二人は返事をした。そしてノルベルトが尋ねる。
「俺たちに武器はないんですか」
きょとんとしてギュイオットは二人を見た。そして、呆れたように言った。
「別に建物の扉にはどこも鍵をかけていない。何を壊すつもりだね?」
二人は黙った。
「まあ、敵が減らないのは君たちにとっても不利だろう。君たちが兵士の身体の一部に触れられたら、その兵士はそこで死亡したことにするというルールにしよう。……ああ、念のためにこのドッグタグをつけて行ってくれ。マイクロチップが埋め込んである。遭難した時用に、な」
大人しく二人はタグのついたペンダントを首にかけた。
「制限時間は一時間。その間に帰ってこられなければ、私の趣味に付き合ってもらうとしよう。ル・セルパンの入隊の話ももう一度検討せねばならんな。もう飽きただろう、小屋に入れられて飼われるのは」
二人は無言でギュイオットの話を聞いていた。ノルベルトが一言だけ喋った。
「いつでも、始められますが」
ギュイオットが目を細めた。そして不敵に笑う。
「なら、行ってもらおう」
ギュイオットがストップウォッチを作動させるのと同時に、二人はその場からいなくなった。砂埃だけが舞う。えっ、とソフィーが声をあげる。初めて見たにも関わらず、ギュイオットは冷静だった。
「面白い、実に面白い。彼らは大きな戦力になる……」
フィリップは黙ったまま、パソコンのモニターを見つめていた。