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41 終劇

 アシルは相変わらずアイリーンと共に行動していた。なるべく人に遭わないよう森の中や夜に動き、ラスベガスを目指していった。いつしか彼らには懸賞金がかけられていた。日々、それは高額になっていった。

 アイリーンには何も言わなかったが、アシルは確実に衰える自分の身体に気付いていた。おそらくノルベルトも、もうすぐ身体に限界がくるだろう。そうなると走ることもできなくなる。ましてやロボット相手に素手で戦うことなどできない。生命維持のため、だんだんと使える能力も制限されてきた。使いたくても使えないシステムになっているようだ。以前のように温度を見る特殊機能や、同時演算が難しくなっている。包帯を巻いて隠していた青い天使の模様もはっきりとしなくなってきた。

 ある日、二人は林の中を歩いていた。曇っており、さほど暑くはない。落ち葉が足元で乾いた音を立てる。時折、動物の動く音がした。

 不意にアシルが立ち止まる。どうしたの、とアイリーンは小声で喋った。紛れるために短く切った茶髪を耳にかける。癖毛はすぐにはらりと落ちた。

「気付かれた――そろそろ、おしまいだ」

 アイリーンはきょとんとした。彼が何を言っているのか理解できていない。

「なるべく早くここから逃げてくれ。ガスマスクをつけておいた方がいい。俺は反対の方角に行くから」

 銃の残りの弾数を確認するアシルの袖をアイリーンが引っ張った。

「どういうこと……まさか、もうここで……」

 怯えた瞳が揺れている。そうだよと彼は冷淡に答えた。

「まだ遠いけど、爆撃機の音がする。まっすぐこっちへ来る。きっと虫型か何かの超小型偵察機で撮られでもしたんだ。悪いけど、ここからは自力で行ってくれ」

「待ってよ、どうしてあなたが死ななくちゃいけないの!なんでこんな……分からないよ、もう……」

 彼女の流す大粒の涙を拭い、ガスマスクをつけさせた。

「これが俺たちの望んだ結末だ。世界が変わるように……ただそれだけだ。身勝手だけど、君には生きていてほしい。いつか、またどこかで会えたらいいね」

 そう言うと彼はアイリーンの額にそっとキスした。何も言わずに駆けだす。あっという間にその背中は見えなくなった。数秒の間、彼女はアシルが駆けて行った方を見て立ち尽くしていた。しかしすぐにラスベガスの方角を目指して走り出した。

 徐々に爆撃機の音が近づいてくる。走りながらアシルはその進行方向を確かめた。こちらに向かってきている。少しだけ安心した。向かってきているのはどうやらアメリカの機体のようだ。

 ただ走っているだけなのに、もう以前のように体力がもたない。息があがる。作り物の身体は所詮作り物にすぎないのだろう。木に手をついて呼吸を整える彼の両目からは、血の涙が流れていた。デルタと戦った時と同じ、身体の限界を示すサインだ。口に血の味が広がる。嫌いな味だ。

 できるだけアイリーンから離れるため、彼はまた走った。

 なぜ、あの少女を庇うような素振りをするのだろう。一人でも多くを手にかけて、世界を混乱させるはずだったのだが。

 立ち止まり、感じるはずのなかった疲労感と爪の間からも溢れる血に顔をゆがめる。辺りには爆撃機の音が響く。風が強く吹く。顔を上げると、丁度先端部が見えた。ゆっくりと頭上を通る。機体の腹から黒いものが落ちてくるのが見えた。青白い光が見える。水中から光を見ているような揺らめきだ。その光が瞬く間に広がっていく。あまりの眩しさに、アシルは目を細めた。徐々に光が収束する。そしてすっかり消えてしまった。頭上には相変わらず曇天が広がる。

 何だったのだろうと彼は暫く空を見て、再び進もうとした。すると、空から雪が降ってきた。曇天の薄明かりを反射し、青白くきらきらと輝く。手の平で受け止めた。手袋の上でそれは水になった。つうっと水滴が流れる。周りを見ると、植物の葉に当たって水になったものが反射していた。すると、その植物がみるみるうちに茶色くしおれていった。驚いて他の場所を見る。同じだった。雪に触れた部分から枯れている。頭上から枯葉がばさばさと降ってきた。鳥も落ちてきた。死んでいる。雪なのだろうか。死の灰が降っているのだろうか。

 アシルはそこから走り出した。全力で走った。だが、いくらもしないうちに倒れこんだ。身体が言うことを聞かない。動かない。それでも動こうと、彼は這いずった。咳き込み、血を吐く。

 落ち葉を踏む音が聞こえた。大勢いる。視線を向けると、防護服に身を包んで銃を持った人たちの姿があった。フランスとアメリカの国旗が見える。

「死んだのか?」

 男の声がした。

「いえ、まだです。さすがに性能がいいですね。噂以上だ。しかし、放っておいてももう間もなく死ぬでしょう。動くこともできないようですから」

 頬を銃口で小突かれた。体中に力を込め、アシルは銃に噛みついた。銃が砕けた。兵たちのざわめきが聞こえる。悪態と共に発砲音がする。アシルが短く呻き、あおむけに倒れる。荒い呼吸の最中、薄目を開けた。すっかり茶色くなったはずの林に緑が見える。空は青く晴れ渡っていた。鳥が飛んでいる。さえずる声がする。吹き抜ける風が頬を撫でる。彼は額の赤眼を使ってノルベルトを探した。どこにいるのかもう分からない。彼は見えた空の画像と共にメッセージを送信した。

「ソ、ラ、キ、レ、イ――」

 返答があったかは定かではない。ただ、彼はそれ以上動かなかった。額の青い天使アンゲールスの模様が消えた。

「死んだか?」

 暫くして、先ほど尋ねた男がもう一度問うた。今度はええ、と返事が返ってきた。

「凄まじい力だな。アメリカ製の新型爆弾エンジェル、か」

「眠るように死へ導く光が喩えられているそうです。フランスに死骸を送りましょう。我々も早い所撤退せねば……未来のフランス国王様に万一のことがあってはなりませんからね、ジョゼフ殿下」

 そう呼ばれた彼は背中を向け、乗ってきた爆撃機に向かって歩き出した。

 一番最後まで一人がその場に立ち尽くしていた。その人は小さくフランス語でごめんなさいと呟いた。優しい女性の声だった。彼女を呼ぶ声がした。それはアシルにとっては懐かしいであろう三人の声だった。

 人が去った場所には枯れた林と積もる落ち葉があった。空は曇ったままで、飛ぶ鳥はいない。その場所の全てが死んでいた。


 時は少しさかのぼる。アシルがノルベルトに赤眼でメッセージを送った直後のことだ。ノルベルトは旧カナダ領モントリオール付近の森の中にいた。木々は立ち枯れている。彼もまた、自身の身体の限界を悟っていた。そんな時、アシルから画像が送られてきた。曇天の空と枯れた木々。そして一緒に届いたメッセージは「ソ、ラ、キ、レ、イ」という文字。

「馬鹿野郎!ちっとも綺麗なんかじゃねーだろーが!」

 血の涙を流した彼はそう叫んだ。直後に体に異変を感じる。あの時と同じだ。デルタと戦い、アシルが殺された時と。もう何も分からなくなる。ここで終わりだ、このまま意識が飛んで制御しきれなくなった身体は暴走する。

 幼い頃からの記憶が瞬時によぎる。王族として生きていた時、研究所で実験体だった時、日本で生活していた時、ル・セルパンのメンバー、アシルと世界を変えるために駆け回った時、日本の鬼やロシアのマリオニイェトゥカ、アメリカのドール。全ては一瞬だった。

「嫌だ……もっと、生きてたい……」

 虚しく呟く。意識が飛んだ。顔を上げたノルベルトは獣の顔をしていた。限界のはずの身体で森から出ようとする。彼の進行方向には街があった。

 それを阻止するかのように、ロシアの小型爆撃機が彼の後を追う。彼の頭上に荷物を落とし、機体は空中で反転した。

 まばゆい閃光と共に鉄の矢が地上に降る。全てのものを貫通し、地面に刺さった。辺り一面に刺さっている。すでに自我を失っているノルベルトは身体中から血を流しながら動こうとした。治癒能力もろくに使えていない。口からは低いうなり声だけが漏れる。

 遠くに人影が見えた。すでに傷ついた彼に向かって容赦なく弾丸を浴びせる。暫くして音が止んだ。

「もういいのか、ムッシュウ」

 はい、と声がする。彼らは銃を構えたまま近づいて行った。兵が数人、走って行った。死亡確認と声がする。最初に尋ねた兵はドイツ軍の服を着ていた。ムッシュウと呼ばれたのはフィリップだった。かなり痩せていた。目の下にはクマがある。

 血まみれのノルベルトを見下ろす。

「彼らが何を考えていたのか、私には分からないよ……この子が、こんな結末を迎えるなんてあの時は考えていなかった。せめてこの手で終わらせようと思ったが……私は一生、苦しむだろう。この身は地獄行きでなければ納得できない」

「陛下。私にも分かりかねます。ただ、二人は自分が何者だったかをすでに思い出していたのかもしれません。この世の誰よりも強く賢いはずの彼らは、そんなものは望んでいなかったのでしょう」

 二人の声は沈んでいた。陛下、と他の兵が駆け寄る。

「すごい兵器です、ロシア製のクルイローは。さすが、日本に技術要請をして『ワタツミ』とかいう鋼を使ったおかげですね。この鋼鉄の矢にはさすがのマリオネットも耐えられず……」

「もうよい」

 陛下と呼ばれた人は、彼の話を遮った。

 ノルベルトの身体もフランスの王立陸軍研究所へ送られることになった。そこで今回の大事件に至った真相究明をしようというのだ。そして解剖が済めば、全世界での人形製造は中止される。

 ドイツの王は曇った空を見上げた。

「また……戦争の準備をせねばならん」

 世界は確かに、一丸となって大きな壁を乗り越えた。


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