40 星に願いを
明け方、マルガレーテ率いる傭兵団モルゲンシュテルンは行動を開始した。昔の炭鉱であったここには、かつて使われていた道だけがあるのではない。度重なる争いの時代を経て、軍隊も掌握しきれていない抜け道があった。その細く暗い道を通り、彼女たちは出口を目指した。ノルベルトとアシルはあの炭鉱内部に置き去りにした。昨日の夜から微動だにしていない。本当に糸の切れた操り人形のようだった。呼吸をしているのかさえ定かではない。アイリーンは最後まで気にしていたようだが、ローザが引っ張って連れてきた。
「注意するね。この先、きっとロボットありますね」
先頭を歩く張が全員に注意を促す。彼女の長い黒髪が揺れる。
暫く歩いて、彼女たちは廃墟の街のマンホールから抜け出した。急いで近くの廃屋の塀に隠れ、少し移動して散開した。さびれたところだ。辺りに人の声はしない。死んだ街は時が止まったまま、風が吹き抜けるだけだ。だが、彼女たちは本能的に悟った。このどこかにロボットがいる。皆が自信の周囲に全神経を向ける。
突然、東の方に立っていた大きな木からロボットが飛び降りた。三体いる。彼女たちの居場所は確実にばれている。張が真っ先に発砲した。ロボットには一発も当たらない。数秒間連射し、張はそこから逃げた。廃屋の陰に入る。別の角度からローザが撃ち、数秒してまた逃げる。彼女たちはそれを繰り返しながら少しずつ移動していった。張が無線をマルガレーテに繋いだ。
「団長、このままだと皆やられるありますよ。ここは私が引き受けるね」
すると、無線の向こうでマルガレーテが馬鹿を言うなと小声で叱責した。
「お前は私の大事な家族だ!軍の居場所を失っても、存在意義を失っても、家族を失うわけにはいかない!」
その言葉に、張の動きが一瞬止まった。口許には悲しげな笑みがある。ゆっくりと彼女は顔を上げた。目の前には三体のロボットがいる。人型をしたそいつらは、機械音を隠さずに彼女を包囲すると、どうやって弄ろうかと相談しているかのようだった。
「団長、もう無理ね」
諦めが濃い優しい声が張の口からこぼれる。ユイ、と彼女の名を呼ぶマルガレーテの声がする。張が目を閉じた。機械の動く音がする。
次の瞬間、焦げた臭いが鼻をついた。金属片が宙を舞う。張がゆっくりと目を開けた。地面には壊れた三体のロボットが横たわっていた。顔を上げると、そこにはノルベルトの姿があった。
「傀儡、お前なぜここにいるありますか」
風が二人の髪を撫でた。
「決めたんだ。もう迷わない」
彼は銃を取り出すと、近くの茂みにむけて撃った。そして空を舞う鳥へ向けて撃った。なにしてるありますか、と張が尋ねる。茂みに張を連れて行き、ノルベルトは仕留めた獲物を見せた。ハツカネズミの死体があった。だが、そのネズミの目はカメラのレンズのようになっていた。
「俺たちと同じだ。こいつらも、あの鳥も」
張が言葉を失う。
舗装が割れた道路の上にはアシルがノルベルトを待っていた。アシルが口を開く。
「モルゲンシュテルン。この辺りにはもう敵はいない。追加が来るまでにはもう少し時間がある。逃げるなら今のうちだ。動物を使ってアメリカに俺たちといるところを目撃された。もうお前たちに逃げる以外の選択権はないはずだ」
マルガレーテが錆びた車の陰から出てきた。
「随分な口をきくんだな。お前らのせいだろうが」
ああ、とノルベルトがそれに応える。
「ただ、もう決めただけだ。俺たちは途中止めが許されない。どんな結末になろうとも、最後まで成し遂げないといけない。俺たちは何度も死んで生きて、この世界を変える。それが、この争いで亡くなった人たちへの償いだ」
馬鹿馬鹿しいとでも言いたげにマルガレーテは彼を見た。
「私たちはこれからペルーへ向かう。アメリカを抜ければ、ひとまずは寿命が延びる。そこからどうなるかは分からないがな」
そうか、とノルベルトは呟いた。
「やり遂げる自信があるなら世界平和とやらを見せてみろ。無理に決まっているがな」
アシルが微笑む。
「それでも、俺たちは信じている。今じゃなくても、俺たちが生きている間じゃなくても、いつか人は手を取り合えるって信じているよ」
「おめでたい頭だ。死にたがりめ」
ノルベルトが彼女をまっすぐ見つめた。
「本音は死にたくないね。やり残したこといっぱいあるし、未練たらたらだし。でもさあ、俺達は死ななくちゃいけないんだ。……俺達が望んだ世界を完成させるために」
行くぞ、とマルガレーテは少女たちを見た。張が彼女の後ろにつく。待てよ、とノルベルトが呼び止めた。
「アッシュが南へ向かう。途中までだが一緒に行動しないか」
その言葉に、怒りを露わにして張が振り向いた。
「お前たち、ふざけてるありますか!誰のせいで今、私たちこんなになってる思うありますね!」
それを制したのはマルガレーテだった。
「こちらの命が保障されるのなら構わない」
マルゴー、と彼女の名前が呼ばれる。
「今更どう動こうが、私たちが人形といたという事実は変わらない。それなら一緒に行動した方がアメリカを抜けられる可能性が高くなる」
ローザは少し不服そうだった。お前たちは別行動か、とマルガレーテが問う。ああ、とアシルが頷いた。彼は改めてノルベルトに向き直った。
「さよなら、ノル。今までずっと一緒にいたのに、最後は一緒にいれないなんてね」
ノルベルトが微笑む。どこか悲しげだった。
「それでも、あと少しで俺たちの望んだ世界に生まれ変わる。……アッシュ、地獄でまた会おう」
そしてノルベルトはモルゲンシュテルンを見た。
「お前たちは生きてくれ。その目で世界がどんな風に変わっていくか、見ていてくれ。教えてくれ。俺たちは変わっていく世界を見ることはないから」
「ふざけるな」
マルガレーテが吐き捨て、踵を返した。
今生の別れというにはあまりに簡単な挨拶を交わすと、彼らは真逆の方向へ歩き始めた。
「俺はきっと旧ニカラグアに入るまでもたないと思う。だから、せいぜいついて行けてもそこまでだ。あとは自分たちでなんとかしてアメリカを出てほしい」
辺りが夕闇に包まれる頃、アシルが言った。マルガレーテは険しい顔をしている。
旧ニカラグアは現アメリカ連合の一部だ。南米コロンビアまで勢力をのばしたアメリカから出ることは容易ではない。
「もう一人は大丈夫なの」
ジェシカ・ホッブズが金髪を掻きながら言った。多分ね、とアシルは返した。呆れたように彼女はアシルを見た。実際彼らにとって、これからの未来は決まっているようなものだ。今まで散々世界で暴れてきた。あとは残された時間でどれだけ世界を混乱に陥れるかだ。
その夜、マルガレーテはモルゲンシュテルンの少女たちを集めた。といっても数人しかいない。
「これから基本的にはラスベガスに向かう。これより、別行動をとる。再集合地点は旧メキシコ領モンテレーだ」
おそらくアメリカ軍を筆頭に、彼女たちの情報も流れている。懸賞金でもかかれば、狙われる可能性は高い。マルガレーテは細かな日時や行動形態を伝えている。アシルはそれを聞かないように、少し離れた場所で空を見ていた。
星も何も見えない。ロボットの気配もない。こんな世界でもなお、人々は明日を生きようとしている。
数日後、一人、また一人とモルゲンシュテルンは散開した。また数日後にモンテレーで会うため、これから彼女達は別行動をとる。
「君は一人なの」
隣を歩くアイリーンに、アシルが尋ねた。ええ、と彼女は答えた。二人で行動する組もあれば、一人で行動する者もいる。ローザは相当心配したようだが、マルガレーテがアイリーンを一人で行かせたのだという。
「私はラスベガスに行ってから、ぐるっと遠回りして行くの」
ノルベルト君はどうしたの、と尋ねる声がする。
「さあ……多分、ニューヨークに行くと思う。あっちの方が軍の設備も整ってるし、人も多い」
また、手を血に染めるために。アイリーンがうつむいた。モルゲンシュテルンと行動を共にしていたこの数日の間にも、アシルは自身のマリオネットの能力を見せていた。襲撃があるたびに回避し、破壊し、また軍属でない者も手にかけた。モルゲンシュテルンの少女たちはそれに関しては非常に嫌悪を示していた。だが、アシルは構うことはなかった。今更悔い改めたところで何も変わらない。随分前にまともな人間であることは諦めたのだと、自分に言い聞かせて歯を食いしばった。
アイリーンと行動を共にして二日が経った。夜、木々の中に隠れた二人は背中合わせに座っていた。いつか、日本でこうしていた。ほんの数か月前の出来事だ。遠い昔のことのようだ。
「へえ、結構世界中を回ってきたのね」
感心してアイリーンが言う。ああ、とアシルは返した。
「ヴェネチアがやっぱり一番綺麗だった。人がいない場所を選んだから、観光地ほどは綺麗じゃないと思うけど。水が透明なんだ。魚がいて、絵の中みたいな家が並んでいた。とても静かで何もないのに、すごく生きてる感じがした」
「行ってみたいなあ」
話を聞いているアイリーンも心なしか嬉しそうだ。笑顔で暗闇の空を眺めている。星が見えた。
「もし……さあ」
アシルがぽつりと呟く。そしてアイリーンの手を控えめに握った。その手をアイリーンがごく自然に握り返す。驚いてアシルが振り返る。目が合い、にこっとアイリーンが笑った。
「もし、なあに?」
笑顔で彼女は聞き返す。暗さのせいで、彼女にはアシルの顔はちゃんと見えていないはずだ。それでも、彼の目を見て笑っていた。暗闇の中でもアシルには見えていた。思わずうつむいてしまう。
「あの……全て終わって、まだ俺が生きてたら……ヴェネチア、行かない?今度は仕事じゃなくて、観光で」
少し間があって、アイリーンが握る手に力を込めた。
「いいの?嬉しい」
ほっとして息をつき、アシルは再び背中合わせに座りなおした。あの時と同じだ。背中が触れているだけなのに、心拍数が上がる。顔が火照る。アイリーンが呼吸しているのが直に分かった。
「何なんだろうな。君といる時だけ、なんか特別な気持ちになるんだ。嬉しいような、胸が痛くなるような……。俺の身体は完璧に制御されているはずなのにおかしいんだ。自分でもよく分からない」
すると、アイリーンが握っていた手を離した。次に、背中に確かな重みと首に温かみを感じた。アイリーンが、背中から彼を抱きしめていた。
「それは……その気持ちがあるってことは、あなたが機械じゃなくて人間だって証拠だよ」
己の胸元にあるアイリーンの手に触れる。温かい。人間の温度を持った手だ。アシルの手よりも小さいのに、たくましさすら感じさせる手だ。
「ありがとう」
ぽつりと闇にとける彼の声は、弱々しいものだった。
「生まれ変わったらさ。どこにでもいそうな何の取り柄もないつまらない奴で……大切な人達のために汗水流してひたすら働く……そんな人生がいいな……」
聞き取れないくらいの小さな声で、アシルが言った。その声はわずかに震えていた。アイリーンが強く手を握る。今の彼女には、彼にかける慰めの言葉は思い浮かばなかった。




