39 再会
知っている匂いがだんだんと強くなる。日本でもロシアでも認識した匂いだ。
木々の枝を乱雑に払いのけ、開けた場所に出た時、アシルは思わず自分の目を疑った。目の前には茶色い巻き毛の少女が軍服を着て銃を持って立っていた。
「あなた……!」
彼女が言葉を発する。アイリーンだった。ノルベルトも少し驚いたようだった。なぜ、こんなところにモルゲンシュテルンが。
「もうすぐ米軍が俺たちを追いかけてここへ来る。どこか隠れられるところを知らないか」
アイリーンが次の言葉を言う前に、彼女のイヤホンから声がした。非常に小さな音だったが、アシルたちには聞き取れた。
「仕方ない、リーン。そいつらをこっちに連れてこい」
聞いたことがある。少し声変わりしていたが、この音声は紛れもなくモルゲンシュテルン団長のマルガレーテ・ヴァレンシュタインだ。
「ついてきて」
短くアイリーンが言う。辺りに警戒しながら、彼女は草を踏み分けていく。
「大丈夫だ。まだここの周囲六キロには何もいない」
その言葉を聞くと彼女は表情を硬くした。そしてできるだけ音を殺して走った。
地下に通じる穴を通り抜け、着いた先は封鎖された炭鉱の内部だった。そこにはマルガレーテやローザをはじめ、モルゲンシュテルンのメンバーがいた。ランプを囲んで座っている。
「リーン、ご苦労」
マルガレーテが言う。彼女はやはり長い金髪を二つの三つ編みにしていた。深緑の軍服の腕に、赤い八芒星のマークがついている。
「お前ら、何のつもりだ」
マルガレーテがノルベルトたちを睨む。何のことか分からず、二人は目を見合わせた。
「お前らのせいで、私たちも米軍から狙われている」
「あんたらはアメリカの犬じゃなかったのか」
ローザが二人を睨んだ。アイリーンが心配そうな視線を向ける。
「アイリーンとローザが日本にいる間に関係を持った。そのせいで今回のお前らの暴動に私たちも関与しているのではないかという根も葉もない噂が立った。私たちは傭兵だ。切り捨てようと思えば、アメリカにとっては何の支障もないさ。だが、私たちは人形の開発にも携わっていた。知りすぎた駒は消される運命だ」
それで、今は軍から逃亡しているのだという。国外への亡命も望んだが、それはできなかった。ロシア解放区にとってアメリカの情報は有用だから、ロシアへも連絡をとったが、火種になるのを面倒くさがって切り捨てられたらしい。
「お前らがこんな馬鹿げた火遊びさえ始めなければ、私たちは永遠に犬でいられたんだ」
吐き捨てるようにマルガレーテが言った。
「ま、とりあえずここ安心ありますよ。少々有毒ガス入ってくる可能性あります、でも私たち防毒マスクあります、あなたたち平気ね」
中華系の張が言った。相変わらず英語はどこかおかしい。マルガレーテに座れと言われ、二人はそれに従った。
「次から次に、お前らは私たちに何か恨みでもあるのか?私たちといるのがばれでもしたら、間違いなく私たちは終わりだ。答えろ。何のためにこんな馬鹿げた真似をしている。返答次第ではお前らの首をとってアメリカに差し出す」
睨まれ、二人はゆっくりと瞬きをした。口を開いたのはノルベルトだった。
「世界を、平和にするために」
二人を睨むマルガレーテの目つきがいっそう険しくなる。視線だけで彼女は続きを促した。
「ついこの前、対マリオネットに関する国際軍事同盟が組まれているのは知ってるか」
彼女たち全員が頷いた。アイリーンが心配そうに二人を見る。
「今、世界は全ての戦争を途中放棄してまで俺たちの殲滅を最優先事項にした。今、世界はおそらく地球に人類が誕生して以来の平和が訪れている。世界が一つになっているんだ。世界は協力して俺たち二人を殺そうとする。一国の軍隊なら太刀打ちできなくても、世界中の兵器や人員を以て対抗されればさすがに敵わない。近いうちに俺たちは殺されるだろう。この世界に残るのはわずかな住める土地と、世界が協力して戦ったという事実だ。世界は一つになれると証明されるんだ。何か一つの目的に向かって、共に歩めるという――」
そこまでノルベルトが喋った時、マルガレーテが銃口を彼らに向けた。マルゴー、と小さく彼女の名前を呼ぶ声がする。
「もういい……。お前らの妄想話にはうんざりだ」
なぜそう言われるのか理解に苦しむように、二人は彼女を見た。
「お前ら、本気でそう思ってこの戦乱を導いたのか?」
ああ、とアシルが頷いた。張が唇を噛む。アイリーンは恐怖に目を見開いていた。ローザは汚いものを見るかのように軽蔑した目で二人を見た。
「あなたたちは人形ね。きっとどこかにバグが発生しているわ。可哀想に。やはり、ドールなどこの世にいるべきではないのよ」
冷徹にそう言い放ったのは、ボブカットの金髪で浅黒い肌で眼鏡をかけた少女、ジェシカ・ホッブズだ。
「お前らが殺されたとして、それで本当にこの世が平和になると思っているのか?大きな間違いだ。あの同盟は一時的な効力しかない。お前らが殺されればただの過去だ。世界はまた戦争になるだろう。……だいたい、この馬鹿騒ぎのせいでどれだけ被害が出たか知らないのか?お前らが殺したのは軍人だけじゃないんだぞ。スペインの混乱だけでも一般市民が数万人単位で死んでいる。これは私たちがまだ軍にいた頃の数値だからな。たった数日でこれだ。今はもっと増えているだろう」
マルガレーテが少し口調を大人しくした。だが、アシルは純粋な疑問を放つ子どものように尋ねた。
「これからも戦争が続くことを考えれば、こんなの一時的な被害でしかない」
その言葉に、マルガレーテが手近に転がっていた石を拾い、彼に向かって投げつけた。アシルはいとも簡単にわずかな動作だけでそれをかわした。
「黙れ!例え世界が平和になったとしてだ!お前らの罪は永遠に消えない。見ろ、この世界を!お前らを生み出した戦犯としてドイツとフランスは責められる。ポルトガルにいる奴らも、ロシアにいる奴らも、中華にいる奴らもお前らに攻撃されただけだなんて思っていない。真実がそうだとしても、大切な家族や仲間や友人を失った奴らはお前らが攻撃拠点としてきた国家自体をも恨むだろう。そうさせた弱い軍も恨むだろう。お前らを作った者も恨むだろう。今生きている何人がお前らに大切なものを奪われたと思っているんだ。何人がお前らに未来をぶち壊されたんだ。言え!」
息も荒く、マルガレーテは最後の一言を怒鳴った。二人はそれでも動揺したりなどしない。
「俺たちは罪を消そうなんて思っていない。ただ、この世界が平和になればいいと思っている。それだけだ」
次の瞬間、ノルベルトの胸にナイフが刺さった。張が投げたのだ。ひきつった顔で二人を見ている。ゆっくりとナイフを引き抜く。赤い血が滴った。だが、傷はもう癒えている。軍服に破れ目ができ、周囲がほんの少し赤く染まった。
「これくらいじゃ俺たちは死ねない」
張が中華の言葉で二人を罵った。ゆっくりとアイリーンが二人に向き直った。ローザが警戒している。ねえ、とアイリーンは呟いた。
「あなたたちはこの世界中の人をとっても大切に思ってるんだよね?守りたいんだよね?だったらどうして……」
アシルがまっすぐ彼女を見つめた。
「そうだよ。俺たちは皆、全部守りたいんだ。だから今までたくさん殺してきて……あれ?」
不意にアシルが目を大きくして彼女を見た。
「なんで俺たちは、守るものを傷つけてるんだろう?どうして……?」
ノルベルトは座ってうつろな目で地面を見ている。アシルは力なくランプの光を見つめている。それ以降、二人は喋らなかった。アイリーンが話しかけても、動かない。時折、瞬きをする程度だ。
「バグったか」
いらついた口調でマルガレーテが言う。
「残念ね、団長。そいつらの首取る、でも私たち生きる保障ない。……これからどうするか」
張が小声で言った。ローザたちもマルガレーテを見る。
「仕方ない。このまま逃げ続ける。お前たちはこの傭兵団に入った時から私の大切な家族だ。命ある限り、生きる」
そして彼女はちらりと固まったままの二人を見た。
「こいつらは捨てていく。下手に一緒にいるところを見られたら攻撃を受けるだろう。こいつらは耐えられるかもしれないが、生身の私たちではきっと耐えられない」
マルガレーテはジェシカが見ている小型のパソコンのモニターをのぞき込んだ。アメリカ軍は深追いをするのをやめたらしい。夜だったのが幸いしたか。だが、迂闊に動くことはできない。すでに辺りには警戒網が敷かれていることだろう。そしてその網をだんだんと小さくしていく。たとえ数日かけたとしても、必ず網にかかるようにする。アメリカがしつこいのは彼女自身が一番分かっていた。なにしろそこにいたのだから。これでは、どれほどいい武器があったとしても人海戦術に勝てるわけがない。向こうには無尽蔵といってもいいくらい大量のロボットもある。




