31 金のなる木
途中、ピレネー山脈にさしかかり、パンプローナという街に二人は立ち寄った。この街は活気がある方だ。移民も多く、ひと目では何人かは分からない。
細い路地に二人が入ったとき、二人のスペイン少年兵が後をつけてきた。真新しい軍服だ。さらに路地を曲がったところで、アシルたち二人の姿が消えた。少年兵二人が銃を構え、慎重に前へ進む。その後ろへ瞬間的に現れたアシルとノルベルトは、二人の首に手を回した。相手の体重を利用して絞めていく。声は出させない。ものの十秒とかけずに、二人の少年兵は気絶した。砂色の軍服をはいで、彼らはスペインのものに着替えた。気絶している二人の少年兵は、近くに転がっていた荷紐で縛り、騒げないようにした。装備もスペインのものをそのまま使い、フランスとドイツの装備品は上にボロ切れを重ねてまとめ、くずれかけた廃屋の戸棚の奥に隠した。あの少年兵二人は切っても良かったのだが、下手なことをすると血がついて目立ってしまう。
軍帽を目深にかぶり、二人は連れ立って市場へ行った。通常の巡回を装う。パンプローナには広い公園がある。そこでは毎日のように市が開かれていた。適正価格で正当なルートから仕入れた物もあれば、不当な価格で裏のルートから仕入れた物もある。人でごった返した市場には、他にも数人の兵士を見かけた。銃を手に突っ立っていたり、買い食いをしていたり、歩き回っていたりとさまざまだ。
奪った服には小銭が入っていた。二人はそれで薄いサンドイッチとぶどうのジュースを買った。公園の花壇には多くの人が腰掛けていた。その片隅に二人も座る。一通りたいらげ、少し休憩する。この街は貧しさがにじみ出ている。それでも、ましな方だ。
やるか、とノルベルトが目配せする。アシルも頷いて立ち上がった。
警備兵が集まっている場所を探し、二人は何食わぬ顔で近づいた。周囲も全く彼らのことなど気に止めない。逃げ道があることを確かめたうえで、突然ノルベルトが手榴弾のピンを抜いた。一番人が集まっているところをめがけて投げる。いきなりのことに、人々は完全に固まっていた。直後に手榴弾が爆発する。
「なんだこいつ!アタマいかれてんのか!?」
大柄な男が叫んで銃を構える。引き金を引いても二人には当たらなかった。見事に全てを避け、アシルが持っていたベルト給弾式軽機関銃で連射する。空の薬莢がどんどん下に落ちて頭に響く音を立てる。近くの建物の壁にまで血が跳ねる。撃ってくる音がしなくなった時、二人は邪魔になりそうな銃器類は捨ててその場から駆け出した。急がねば、巡回に出ていた部隊も騒ぎを聞きつけて戻ってくる。
狭い路地に駆け込み、二人は荷物を隠したところへ急いだ。それぞれが装備を持つと、二人は叫び声の充満した民衆の間を縫い、走っていった。路地から次々に人が飛び出てぶつかる。ごった返して身動きが取れそうになくなった時、二人は手榴弾を放り投げた。閃光と爆音がして、さらにその場が悲鳴に包まれる。この手榴弾は殺傷を目的としないものだ。一時的に聴覚と視覚を奪うだけだ。それでも十分だった。人々は他人を踏んででも我さきにと安全な場所を探そうとしている。そのパニックに紛れ、今度こそ二人はその場所から姿を消した。
森の中に入り、二人は岩陰に身を隠した。持ってきた手荷物を見る。銃器類や携帯用の薬品が少し。基本的に装備は少ない。これからもう一つスペインの基地へ行く必要がある。それならば今着ているスペイン軍服の方がいいだろう。そう判断した二人は必要な物を持ち、今まで着ていたフランスとドイツの軍服を地面に埋めた。
街の方ではまだ混乱は続いていた。これに乗じて二人はその街から去ることにした。廃墟の街を駆け抜け、小さな集落の傍を通り、また廃墟の街に入る。まだ崩れきっていない家に入り込み、夜がきた。パンプローナの街の方が騒がしい。幾度か軍用車の走っていく音もした。だが、誰もここへ来ようとはしない。この街は数年前に封鎖されていた。軍の化学兵器が漏れ、地下水が毒に汚染されたのだ。土壌も毒に染まり、人々はすっかり足を踏み入れようとはしなくなった。遠くに聞こえる犬の声を聞きながら、二人は静かに目を閉じた。
翌朝、陽が完全に昇る前に二人はサンセバスティアンへ到着した。そこでもパンプローナと同じように市が開かれていた。新聞が売られている。他のスペイン兵の目を気にしながらも二人は新聞を一部買った。そこにはやはり昨日のペルピニャンとパンプローナ襲撃がトップニュースを飾っていた。あまり細かくは書かれていないが、どうやら外国から侵入した者の犯行らしいことが書かれている。テロリストの可能性も示唆されていたが、恐らく軍の関係者からの情報だろう。そこには人形の文字が見て取れた。
『フランスとドイツの人形だって』
『気味の悪い――さっさと殺してくれないかしら』
『また戦争になるのか、もう世界はぐちゃぐちゃだな』
『どうでもいいよ、平和に暮らせさえすれば……』
そんな声が聞こえる。新聞をゴミだらけの道端に捨て、二人は人のいないところへ行った。ここから目と鼻の先が基地だ。だが、ふと目をやれば近くに真っ白い建物があった。窓が一つもない無機質な箱のようだった。あの施設に関する情報は全く持っていない。あることすら知らなかった。頭の中には完全なはずの知識が詰まっているのに。外観から察するに、あの規模の物を作れる金があるのは軍や政府ぐらいだろう。まだ朝早い日差しの中、二人は何気なくそちらへ向かっていった。フェンスに囲まれた建物の周りには何人もの警備兵が配置されていた。銃まで手にして、なんともものものしい雰囲気だ。丸いフォルムの作業用ロボットも動いている。あれはドイツ製だ。監視カメラもある。
「なんだありゃあ……」
ノルベルトが呟く。俺も分からない、とアシルが答えた。
「でも、あれだけの警備だ。きっと軍の重要機密だろうな。けど、俺たちは一切知らされていない。データ改竄して存在すら知らされていないってことは、フランスかドイツ政府と関係あるのかも」
たしかにロボットがうろついたり兵はいるが、あの程度ならいける。そう確信した二人は塀の陰から飛び出した。門の前にいた二人の兵をノルベルトが殴り倒す。アシルがその隙に黒い鉄の門を軽々と飛び越え、もう二人の兵と三体のロボットを一瞬で倒す。ノルベルトも門を越え、二人は建物にまっすぐ向かっていった。入口は正面に一つ、建物に向かって左の側面にもう一つだけのようだ。左の扉はトラックなどの荷物搬出入用らしく、かなり広い。二人はそちらへ向かった。
ちょうど三台のトラックが停まっている。荷物を積んでいるようだ。作業着を着た人がいる。音もなく忍び寄ると、一分もかけずに三人の作業員の首を絞め、落とした。他にもロボットがいる。荷物を運ぶ用だろう。戦闘タイプではない。人に危害を加えるプログラムは組み込まれておらず、まだ荷物の管理をしている。それは放っておいて二人はトラックに積まれている途中の荷物を見た。トラックは冷蔵使用だ。箱は白いプラスチックの箱で、蓋は密閉してある。それを開けると、中はビニールに包まれていた。取り出し、過剰ともいえる包装を解いていった。中から出てきたのは液体とともに袋に密閉された肝臓だった。人間のものだ。箱に入っていたのは全て同じように保存されている肝臓だ。
「なんだこれ……」
思わず顔をしかめ、アシルが呟く。おい、とノルベルトが呼ぶ。彼の目の前にはやはり液体とともに保存されている腎臓がある。箱の中は腎臓だらけだった。
「どうなってんだよ、なんで軍事用施設で臓器なんか取り扱ってんだ」
人身売買にしてもおかしい。これだけの量、おそらく全てが臓器だろう。それを摘出するには相当な人間も必要だ。それがだんだんと消えていたら、ニュースにならないわけがない。いくら混乱している世の中とはいえ、そこまで落ちぶれてはいないだろう。
中に入ってみる必要があると判断し、二人は基地よりも施設に入っていった。中にはいくつか監視カメラがあったが気にせず進んだ。ここは作業用ロボットの割合が非常に多いようだ。たまにすれ違っても、彼らは黙々と自分の作業をこなす。ノルベルトたちには振り向きもしない。
適当に開いている扉を開け、二人は部屋へ入った。そして絶句した。そこには人間がいた。だが、生きているとは言いがたい。髪を剃られ、頭には縫合した痕がある。呼吸器や点滴など、体中にチューブをつけられている。ベッドに寝かされて手足を縛られていた。
歩み寄り、さらに気分が悪くなった。各人には番号が振られている。横には脈拍や血圧が表示されている。生命維持装置のようだ。
その時、足音が聞こえた。一本の廊下の両側から来る。簡単には逃げられない。アシルとノルベルトは逃走を断念した。やって来たのは白衣に身を包んだ人たちだった。横には戦闘用のロボットがいる。
「こんなところで何をしている」
偉そうなスペイン語が聞こえた。
「ネズミが……何者だろうが、ここから生きて出られると思うな」
脅しのつもりだろうか。そんな言葉は二人にとってはなんでもない。やろうと思えば今すぐ外へ無理やり出れば良い。
「この人たちはなんだ」
ノルベルトが尋ねた。一番白髪が多い初老の男性博士が一歩進み出た。
「まあ、どうせなら教えてやろう……というわけにもいかん。ここで死ね!」
戦闘用ロボットが構える。ノルベルトたちも隙を見せないようにした。
ちらりとノルベルトが寝かされている人を見た。頭に傷がある。おそらくこれは脳の働きを最小限に制限した痕跡だ。そして特殊な細胞を植え付け、身体で臓器が成長するようにする。切っても切っても細胞を植える限り、心臓以外ならどんな臓器だって再生するのだろう。そしてこの臓器を戦闘で負傷した兵士や民間人に売るのだ。すでに一つのビジネスになっているのだろう。
アシルが拳を握る。
「金のなる木ってわけか」
彼らはもはや植物状態になっている。養分を与え、実を取る。傾いた国の財政を潤すために政府もぐるでやっていることなのだろう。それにはおそらく他国の政府も一枚噛んでいるに違いない。例えば、フランスやドイツ。
「なら、ますます見過ごしておけなくなったな」
そう呟いてノルベルトが左足を半歩下げる。次に顔をあげて白衣の男たちを睨んだ時、彼の額には青い天使の模様がはっきりと浮き上がっていた。それを見て数人が息を飲む。
「貴様ら……人形か!おのれフランスめ、ドイツめ!約束を違えおって!」
やれ、と男たちは戦闘用ロボットに攻撃命令を出した。鋼鉄の拳を避け、その身体を砕く。辺りが少し焦げ臭くなった。二人がロボットと交戦している間に男たちは逃げたらしい。足音が無機質な建物に響く。
ロボットの破片が舞う。確実に腰の部分を壊し、動かなくする。一通り片付いた時、そこは瓦礫の山と化していた。見捨てられた植物状態の人々を見て、アシルが少し顔をしかめる。そしてためらいながらも生命維持装置の総電源に手をかけた。パチンと小さな音がよく響いた。各人の隣にある生命維持装置のライトがふっと消える。直後に寝かされていた人々が痙攣し始めた。呼吸や必要なエネルギーが止まるのだ。反射だろう。それもすぐに静かになった。生体反応がないのを見て、二人はその部屋から出た。
外には誰もいなかった。次の部屋はすぐ隣だ。彼らは二手に分かれ、別々に部屋を潰していくことにしたらしい。違う部屋に入っていった。どこも同じようなつくりだった。再びアシルが生命維持装置の総電源に手をかけた時だ。廊下を駆ける足音が聞こえた。人数から考えて、ここの職員だろう。なんのためらいもなく、再び彼は電源を落とした。とたんに銃声が響く。壁を蹴ってそれを避ける。その時、ノルベルトから赤眼を使って連絡がきた。どうやら彼はこの短時間に爆薬を見つけたらしい。万一この施設が何者か敵の手に落ちそうになった場合、自爆するためのものだ。時限式になっているらしく、あと三十秒で爆発するという。だがアシルのいる部屋には窓などない。先ほど壁を蹴ったが、その時の感触から言うと壊すには少し無理があるかもしれない。廊下の突き当りの壁はたしか薄かった。
「どけ!」
アシルがまっすぐ扉へ進む。ロボットが弾丸を雨のように浴びせる。かわすことなんてできない。悲鳴が出そうになるのを歯を食いしばって耐える。ロボットの真上を飛び越え、廊下の壁を駆ける。撃たれたところから血が飛び散る。
「おお、人形の血液!貴重なサンプルになる!」
後ろからそんな声が聞こえた。あと十秒。弾を避けながら、それでも弾を受けながら彼は走った。廊下の曲がり角が見えた。目の前の壁を突き抜ければ外に出られる。あと四秒。勢いをつけて彼はコンクリートの壁にぶつかった。あと三秒。
粉塵が舞う中、薄目を開ける。空気が変わった。外に出た。彼はそのまま駆け抜け、建物から距離をとった。背後から爆音が聞こえた。光が差す。爆風に吹き飛ばされ、近くの廃墟の壁に頭をしたたかに打ちつけた。頭を抑えながら彼は立ち上がった。あの施設はすでに残骸になっていた。顔をしかめる。砂だらけになった軍服を叩いた。その時、砂利を踏む音がした。ノルベルトだ。
「アッシュ。生きてたか」
「ああ、死ぬかと思った」
目の前に広がるのは灰色ばかりの風景だ。おそらく彼ら二人以外に生きているものはいないだろう。
「目的の基地に着くまでにひでえ目に遭ったな」
ノルベルトがぼやく。全くだとアシルが笑う。
「さっきのあれを見て思い出した。ノル。他人事じゃなかったよ」
どういうことだ、とノルベルトが問う。
「フランス陸軍のあの研究施設……俺たちがメンテナンスをよく受けてたところだ。あそこにも、似たようなのがあった」
ノルベルトの顔が一気に青ざめる。
「似たようなのって、まさか……」
「そうだよ、俺たちはレプリカの身体だ。とっくの前からそうだった、それはお前も思い出しただろ?それの保管場所があそこだったんだ。俺が見た一部屋には俺とお前の身体があった。だから、多分あの部屋一つだけだ」
ノルベルトが俯く。
「じゃあ、解放しに行くか。俺たちを」
空を見上げ、そうだなとアシルが呟いた。
「俺が俺を殺すのか。それでも俺は生きてるんだよな。……意味分かんねえ。こんな世界をどうして」
「やめろ、ノル。それ以上言うな」
二人の間に沈黙が流れる。悲しげにノルベルトが笑った。
「なんでもねえよ。それでも俺はこの世界を守りたい。それは変わらねえんだ」
アシルが俯く彼を見た。辺りにはまだ粉塵が舞う。視界が悪い。ノルベルトの肩に手を置き、アシルは行くぞと短く言っただけだった。




