30 終末の鐘
数時間して夜が明けた。天気が良い。珍しく奇妙な配色の雲もない。青い空が霞がかってはいるものの、晴天というにふさわしい。彼らはまず国境を越え、スペインに行くことにした。その後ヨーロッパに戻ってくる。そして世界を巻き込む算段だ。
彼らの身体には生命維持のためのチップが埋め込まれている。通常は一個体にひと組だが、彼らは特例として二個体にひと組だ。それぞれの身体に一つのチップが埋めてある。それには位置情報を軍部に知らせる機能もついていた。ノルベルトがドイツ軍に奪還された際に、二人のチップの位置情報特定ナンバーは書き換えられている。幸いにも、というべきか、ノルベルトの動きはドイツ軍に、アシルの動きはフランス軍にしか知られていない。
「このままずっと森の中を通っていくのがいいと思う。直線移動するのがいいけど、軍にあまり会いたくない。山に沿ってペルピニャンを目指そう」
ペルピニャンはフランス南部の街だ。今は水没しているが、潮の状態によっては干潟のようになる。そこからスペインは目と鼻の先だった。
彼らの頭の中には完璧な世界地図が入っている。それも、事細かく。
「行こうか」
アシルの言葉に、ノルベルトが頷いた。涙の跡は見えない。
太陽の光を受けて、植物がきらめく。その陰を二人は走り抜けていった。腐りかけた落ち葉が舞う。
二人が目的のペルピニャンの近くに着いたのは、その日の昼過ぎだった。途中で誰にも遭うことはなかった。
急にアスファルトの道路が寸断され、その下は海になっている。道路の周りは陥没していてそこにも水が入っていた。仕方なく彼らは海に入った。沈んだ道路の上を歩くと、水は膝下まであった。この道をまっすぐ行けばペルピニャンに着く。二人はそのまま歩いていった。
少しすると街が見えてきた。やはりそこは水没していた。先ほどのところよりは水深が浅くなっている。道を出て路地に入った。水はいつの間にかくるぶしより少し上くらいまでになっている。陸に近くなるほど、赤茶色の屋根と白い壁の家が姿を見せる。ほとんどが壊れかけだ。塩が固まって屋根の一部は白くなっていた。海のそばにはほとんど誰も住んでいない。十数年前、ここで大規模な銃撃戦をやってから、人の姿は消えていた。最近はたまに浮浪者が居着いたり、魚を取りに来る人がいるだけだ。
適当な家に入り、彼らは腰を下ろした。軍靴を脱ぎ、中に入った水を捨てる。真水で洗いたいところだが、贅沢は言えない。部屋の中には埃まみれのテーブルと椅子があったが、彼らは床に座った。
「今頃軍部のやつら、どうしてるんだろうな」
アシルがぽつりと言う。
「さあ……こんなフランスの南端まで来てもお互いに殺し合ってるとでも思ってんじゃねえの」
ノルベルトが答えた。そして付け加える。
「知らねえんだろうなあ、俺たちが自分で考えてここへ来たなんて」
波が寄せる音がする。その音しかしない。呑気なものだ。ノルベルトは近くの窓から下を見下ろした。
「見ろよ、アッシュ。魚がいる」
アシルが水面を見下ろした。
石畳の道の上も海になっていた。水は比較的綺麗な方で、底が見える。水深が浅いせいかもしれない。そこに二匹の魚がいた。灰色だ。影が石畳に映る。
「ヴェネチアはもっと綺麗なんだろ」
ノルベルトの言葉にアシルが笑った。
「観光地と比べるなよ」
魚は泳いでいってしまった。道端に転がった素焼きの壺に入っていく。どうやら魚たちは人間の家だった場所を住処にしているらしい。よく見れば、他にもそういう魚はいた。
その日の夜、二人はその家を抜け出した。潮が引く時間だ。スペインとの国境にはもちろんフランス軍もいる。
駐屯地の少し前から、彼らは手に武器を持って走り出した。互いにまだ戦っているかのように見せかけるつもりだ。異常に気づいた軍の方から警報が聞こえる。しかしもう間に合わない。向こうの体勢が整う前に、ノルベルトとアシルはフェンスを乗り越え、警備兵の喉を切った。待機していた戦車を破壊し、次々に目の前に躍り出てくる兵を殴り飛ばした。ひび割れた一本の道路の先が、スペインだ。彼らはそこを死守しようとしている。人形が近くにいるという話も入っているのだろう。国外に出して無用な事故を起こせば、戦火が広がる。
二人は一旦そこから退いた。警備兵たちが集まってくる。
「じゃあ、予定どおり山から行くか。これで少しの間は注目がこっちに集まるはずだ」
ノルベルトが小声で言う。
ピレネー山脈の低いところを選んで、彼らは山へ入った。よく植物が茂っている。月の光も意味がない。一時間ほどかけて彼らは国境を超えた。だが、まだ山の中だ。川に沿って山を下っていった。ごつごつした岩ばかりだが、背の低い草に覆われている。ポーという街の方に光が見えた。山に近い場所だ。たしかここには国境を守る兵団のための食料庫や武器庫などがあったはずだ。
舗装された道を通っていると、異常を察知したスペイン軍が動いているのが見えた。
「歓迎されてるね、俺たち」
呑気にアシルが笑う。そうだなとノルベルトが鼻で笑った。とんとんと飛び跳ね、先にノルベルトが動く。風のように滑り込むと、兵士たちの混乱が聞こえた。閃光と爆音がする。それでもノルベルトは構うことなく目の前の兵を斬った。倉庫の影に入り、手榴弾を投げる。悲鳴が聞こえた。同情はできない。まだ始めたばかりだ。
別の方面から中に入っていたアシルが小走りでやって来た。
「ノル、すごいもん見つけた」
そう言って彼が出したのは回転式チャンバーを持ったグレネードランチャーだ。
「ダネルMGL?随分古いのがあるんだな」
ノルベルトがそれを手にとった。アシルが笑う。
「よくできた偽物だよ。中華共栄圏のだ。さっきさあ、これ放り投げて石を当てたら爆発しちゃった」
まじかよ、とノルベルトが笑う。その時声が聞こえた。
「化け物どもめ、スペインへの侵入は許さん!」
容赦のない銃弾が浴びせられるが彼らには効かない。かすりもしない。
ノルベルトが手にしていたグレネードランチャーを相手の方に投げる。相手はそれが何か見極めることもせずに撃った。とたんに爆発する。衝撃から身を守るようにノルベルトが隠れた。スペイン兵が何人か重なって倒れている。うめき声が聞こえたが彼らは無視した。
武器庫の中で、装備の規格に合うものだけを補充し、彼らは外に出た。中には簡易式の時限爆弾を仕掛けておいた。きっともう武器庫の中身は使い物にはならないだろう。
そこから離れ、森に入る前にアシルが一言だけ残した。
「おめでとう、明日のトップニュースは君たちの名誉の戦死だ」
武器庫の周辺ではまだ混乱が続いていた。必死にノルベルトとアシルを探している。だが少しして、武器庫で大爆発があった。闇夜を炎が赤く照らす。派手に火花が散る。
その場所に残ったのは、悲鳴と呻きだけだった。
明日にはこのニュースは世界中に知れ渡っているだろう。もう引き返すことはできない。軍に戻ってもこのまま暴れまわっても、行き着く先は一つだ。だったら己の目的を達することになんのためらいもない。後に彼らの引き起こした戦争は『終末の鐘戦争』と言われるが、この時点では知る由もない。
暗い森の木々の隙間から燃え盛る炎を眺め、アシルは口を開いた。
「なあ、ノル。全て思い出したか?俺たちが何者だったか」
「ああ。まさか、ドイツとフランスの王室の一員だったとはな。考えもしなかった」
あの日の狙撃事件のことも思い出した。
「皮肉なもんだよ。国を守るべき王族が、こうして国どころか世界をめちゃくちゃにしようってんだから。……でも、少し安心したよ。お前とはずっと一緒にいたんだな」
その言葉にアシルが笑う。
「急ごう。早いところサンセバスティアンへ行ったほうがいい」
ああ、とノルベルトが頷く。サンセバスティアンはスペイン北部の街だ。フランスとの国境にも近い。そこには短距離ミサイルがあるはずだ。
ポーの街から、二人分の影が消えた。




