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03 錯覚

 二人が留学を命じられたのは、日本中立国の中でも最も安全圏だと言われている国立瀬戸内地方第一高等学校だった。そこはフランスから来た彼らには信じがたい光景が広がっていた。

 街は確かに荒廃している。海岸線も沈んでいた。これは世界中どこにでも言えることだ。世界は数世紀前の跡形もなく、すっかり変わってしまった。だが、日本の人々は確かにどこよりも豊かな生活を送っていた。今、世界中どこを見たって義務教育をほぼ全員が受けられる国なんて他にはない。日本はどうやら中学校までを義務教育に定めており、識字率は世界に類を見ないほど高い。スラムらしきものも見当たらない。犯罪率が低いのも特徴だ。世界的に見て、奇跡のレベルだ。

 ヨーロッパなど国土が荒廃して以来、混沌しかない。紛争や犯罪なんて日常茶飯事で、もはやニュースでもない。学校など、一部の金持ちだけが行ける特権だ。スラムは点在し、ろくに病院にも行けない人はたくさんいる。

 日本は三十年ほど前に中立宣言を出してから、自国の軍が防衛を努めている。主にアメリカ連合、ロシア解放区、中華共栄圏の三つからの侵攻を防ぎ、どこからの脅威も届きにくいのが瀬戸内地方だった。

 日本には国衛学校というものがあり、義務教育を終えた者なら無償で入ることができる。そこで兵士を訓練している。孤児は国で保護し、義務教育までの費用を国が負担する代わり、将来は軍人として利益を還元するのだという。

 ヨーロッパでは、孤児は当たり前のように一人で生きていく。何人死のうが誰も気にかけない。

 もとは自分達もそんな孤児だったのだろう。どこかから適当に死に損ないを拾ってきて実験に使ったのだろう。アシルとノルベルトはそう勝手に思っていた。

「日本にも、人形マリオネットはいるらしいねえ」

 一棟をまるごと借り切ったアパートの一室で、荷物を整理しながらフィリップが言った。マリオネットですか、とソフィーが聞き返す。

「そうだよ。日本が独自開発した最強の人間兵器とか言われてるけどね。日本はうちみたいに隠さず、公にすることで外国からの干渉を防ぎたいのもあるんだろうけど」

「瀬戸内司令部にはいないんですよね。日本では人形ではなく、鬼と呼ばれているみたいですが」

 ノルベルトが付け加えた。そうだよ、とフィリップが頷く。さらにアシルが付け足す。

「現在日本に鬼は五人。北海道西岸司令部はロシアと中華が侵攻する可能性があるため、二人いるらしいですね。うち一人は完全型の女性だとか」

 そうだねえ、とフィリップが頷く。そして、いやらしく笑った。

「それで、どうしたの?」

 二人の動きが止まった。日本に留学するために大幅に感情メモリを増やしたため、軍にいた時よりも感情が顔に出る。明らかに気分を害された表情だ。

「君達はたくさんの情報を知っているけど、それでまさか神にでもなったつもり?」

「ムッシュウ!」

 ソフィーがたしなめる。しかし、フィリップは二人をじっと見つめていた。すると、アシルがため息をついた。

「ムッシュウ。僕達のこの情報は、好んで知ったのではないんですよ。あなたが一番よくご存知のはずだ。僕達は全てをあなた方に作られたんですよ。神なら、きっと作る側です。僕達は、真逆です」

 くすっとフィリップが笑う。二人はまだ仏頂面だ。

「いやいや、ごめんね。別に君達のことを悪く言うつもりはないんだよ?だって、君達二人は僕の作った最高傑作だものねえ。……ただ、君達が神と真逆の存在というなら、君達は悪魔なのかなあ?うん?」

 嫌そうな顔をして二人はフィリップから視線を逸らす。ソフィーが隣で心配そうな顔をしている。

「分かりません」

 ノルベルトがきっぱりと答えた。視線は逸したままだ。

「分かりません。僕達は、人間ですから」

 少しの静寂の後、フィリップが盛大に吹き出した。そして、顔に手を当てて笑いを堪える。

「なかなか面白いことを言うねえ。ああ、この部屋はもういいよ。自分達の部屋の整理をしておいで」

 無言で敬礼すると、二人はその部屋を出て行った。ぱたんとドアの閉まる音がすると、ソフィーがフィリップの前に立った。

「なんてことをおっしゃるんですか!」

 フィリップは頭をぽりぽりと掻いた。

「何って、別にたいしたことは言ってないでしょー?ちゃんちゃらおかしい、人間だなんて。君だって彼らが人間だなんて思わないでしょ?あんなに人と違うのに」

 それは、とソフィーが詰まる。桁外れの体力、記憶力、生命力。全てをとっても遥かに人間を凌駕する存在。見た目だけは人間にそっくりで、中身は機械と化物だ。

「でも……二人共、心があります。私達と同じ、人間の心が。生物学的な人間とは言えないかもしれませんが、機械でも魔物でもありません」

 真剣な面持ちでそう言った彼女を見て、またフィリップは笑った。

「それは、同情、かな?」

 ソフィーが唇を噛んだ。



「なあ、ノル。だから言ったんだよ。お前は絶対注目されるって」

 昼休み、頬杖をついてアシルが言う。高等学校で彼らは二年生の同じクラスに編入させられた。黒の学ランに軍服に似た着心地の悪さを覚え、アシルは袖をまくっている。首元まであるボタンがいやに息苦しい。

「まあ、確かに。でも日本は移民を受け付けてないだろ?今は観光目的の外国人の立ち入りも結構厳しいし、ましてや留学生なんて滅多に来ないし……やっぱ珍しいんだろ。俺は別にこういう注目なら悪い気はしないけど。そう言うお前だって結構モテてるだろ。喜べよ」

 途端にアシルがノルベルトの耳を引っ張る。

「なんで男に好かれて喜ばなくちゃならないんだよ!いいよな、お前は女に好かれるんだから」

 痛い、とノルベルトが笑う。

 アシルの予想通り、二人は注目の的になっていた。二人共そこそこ整った顔立ちだ。ノルベルトは少しつり気味の緑の瞳のせいで冷ややかに見える。アシルは目が大きく、背もノルベルトよりは低い。その分愛嬌のある顔だ。そのうえ二人共、フランス陸軍というレッテルを貼られる。単なる留学生ではないので、皆の興味を引く。ノルベルトは入学以来、すでに女子数人に言い寄られている。対してアシルは付きまとう中に男子の姿が見えるのだ。

「俺はそういう趣味じゃねえっての」

 不服そうにアシルが目を閉じる。

「なんでノルと俺でこんなに違うんだよ。データ不足だ……っていうか、データがあったとしても意味不明だ!俺だって女の子に好かれた方が嬉しいに決まってんだろ!」

 そしてアシルはノルベルトをまっすぐ見た。お前は誰かと付き合ったりしないのか、と冷やかすように尋ねた。ノルベルトが首を捻る。

「うーん、なんていうかさ、ここにいる女性って顔の輪郭とパーツの距離間隔の比率を計算するに、俺の定義できる『可愛い』とは異なるんだよね。俺、実は結構ソフィーさん好みかもしれない」

 えっ、とアシルが声を上げる。大きな目はさらに見開かれている。

「ソフィーさん、お前のプログラムのどっかをいじくったんじゃないか」

 まさか、とノルベルトが笑う。その時、二人の携帯電話にメールが入った。定時連絡だ。昨日の就寝前に行った身体検査の結果が書いてある。

 どこにも異常なしか、とノルベルトが画面を見ながら呟く。アシルは画面を見たまま、心なしか青い顔をしていた。ノルベルトがぎょっとしてアシルを見る。

「おい、どうした。まさかお前、どっか不具合でも……」

 アシルが顔を上げた。

「ああ、いや、違う。体は問題なしだ。ただ、な。今の会話、全部聞かれてた。多分またソフィーさんが盗聴器仕掛けたんだ。やられた。多分今のも筒抜けだ」

 ノルベルトも少し焦った顔をする。そして一枚の紙を鞄から取り出すと、ペンで『さっきのは冗談だったんだが』と書いた。だが二人共知っていた。もう遅い。夕飯はきっとソフィーが何か創作料理でもしてくれるに違いない。彼女の料理は、およそ料理とは言い難いものばかりだ。フィリップですら、ソフィーの料理には怯える。逃げられる確率はゼロに近い。

「……統計的に考えて、な」

 二人の囁きがシンクロした。

「何が統計的なの?」

 不意にノルベルトの背後から声がした。その声が聞こえたと同時に、ノルベルトが目を見開いた。彼の手がびくっと痙攣する。すかさずアシルがその手を押さえた。

「ああ、その……今朝、フランスから統計的処理によるデータが送られてきて」

 アシルが少し震えた声で答えた。ゆっくりとノルベルトの手を放す。ノルベルトはほっとため息をついた。

 後ろから話しかけてきたのは、三谷香菜という同級生だ。黒く長い髪が揺れる。

「本当に二人ってすごいね。日本語も上手だし」

 何がすごいのかは分からないが、ありがとうとだけ二人は答えた。

「そこで変に謙遜しないから、お前らには腹は立たねえけどさ」

 話に割って入ったのは岩田弘明という少年だ。彼はこのクラスの行事委員なるものを務めている。丸刈りの頭を掻きながら、彼は近くの机の上に座った。

「お前ら、俺からいとも簡単に学年主席の座を奪いやがって……。勉強も体育も芸術も完璧とか、お前らどんなDNA持ってんだよ。他の学年の女子ですら噂しまくるとか、羨ましすぎだろ。っていうか、昼間っからそんなこと考える残念な脳ミソしか持ってねえのかよ。好きだねえ、データ」

 彼の最後の一言に、分からないほどの一瞬、二人は固まった。

「そういえば、何か用?」

 アシルが三谷に尋ねた。

「そうそう、手伝って欲しいことがあって」

 ぱん、と手を叩き、彼女はにこっと笑った。

「今までの生徒会の資料を全部パソコンに入れないといけないんだけど……手伝ってくれない?放課後一時間もかからないと思うから……」

 申し訳なさそうに彼女は言う。いいよ、と二人は笑った。

「なんだよ、皆してデータデータって……俺は普通に紙の方がいいよ」

 岩田がぶつぶつと呟く。

「なによ、自分が機械音痴だからってー」

 改めて二人に礼を述べると、三谷は走って行ってしまった。

「機械音痴とか言ってるけどさ、パソコンの授業も成績トップだって聞いたぜ」

 ノルベルトが顔を上げて岩田に言う。そうだよ、と彼は笑った。

「俺、自分で言うのもなんだけど、すげえ負けず嫌いだからさ。皆の三倍は勉強した自信あるぜ」

 すげえな、とアシルが笑う。だろ、と彼は返した。

「俺は別になんでも出来るわけじゃなくて、その分努力してるから出来たんだと思う。もちろん、報われないこともいっぱいあるけどな。お前らだってそうなんだろ?得意分野とか不得意はあるかもしれねえけど、こんなに日本語も上手く喋れるし、成績いいし。日本に来る前、相当勉強したんだろ?」

 その言葉を聞き、二人はふと考えた。俺達の努力って、何だ?今持っているこの知識は何だ?

 岩田がどこかへ行くと、ノルベルトはため息をついた。

「悪いな……後ろにいきなり立たれると、手が出ちまうようになった。分かってはいるんだけどな」

「なにをどっかのスナイパーみたいなこと言ってんだよ」

 冗談を言うのをやめ、アシルはノルベルトを見た。彼は汗をかいていた。

 日本に来る前のメンテナンスで彼らは対人用に感情メモリを大幅に増やし、逆に戦闘用のメモリを減らされた。リミッターをかけたことで、以前は反応できていたことに反応できなくなった。それでも一般の人間よりは戦闘能力が高い。そのため、自衛のために体が勝手に反応してしまうことがあった。ノルベルトの場合、さきほどのように死角にいる存在に対して過敏に反応してしまう。

「ま、仕方ねえだろ。俺達は作られたもの、不完全なんだから……」

 そう呟くアシルの目は、どこか遠くを見ていた。


 放課後、三谷に言われた場所で彼らは淡々とデータを打ち込んでいた。

 思えば体を使った訓練はしょっちゅうやっているが、軍部でパソコンを使う機会などほとんどなかった。外部と接触することもないし、情報はメンテナンス時に全て書き加えられる。さすがに新聞などは読めたが、他のさまざまなニュースや学問的な内容は、メンテナンスで知っていた。パソコンに触れたことがなくても、使い方は全てデータとして知っている。あとはそのデータ通りに行動すればよい。

 二人は常人では追いつけないほどのスピードでキーを打っていった。

「気持ち悪いよな、ほんと」

 アシルが呟く。何が、とノルベルトが画面を見たまま尋ねた。

「このパソコンがさ、ある意味では俺達の仲間なんだぜ」

「やめろよ、気持ち悪い」

「だから気持ち悪いって最初に言っただろ」

 冷淡な声でアシルが言い、資料を一枚めくった。会計報告ばかりが書いてある古い資料だ。

「でも、俺達はこいつらと違って感情もあるし、自分の意思で選択して、今だって入力の手伝いをしてる。俺達は機械じゃない」

 資料をちらちらと見ながら、ノルベルトが言う。

「ほんとにそうか?」

 アシルがぽつりと言った。え?とノルベルトが聞き返す。彼の手が止まった。アシルも手を止め、椅子ごとくるりと彼の方を向いた。

「ほんとに自分で選択してると思うか?俺達は管理されてるんだぜ。もし誰かが頼みごとをしてきたら、それを受けるというプログラムが組み込まれているとしたら?いろんな事象を合理的に計算し、時には断るというプログラムが組み込まれているとしたら?そして、俺達がこんな会話をするよう設定されていたら?俺達は分からないんだ、自分達にどんなプログラムが入れられているか。自分の意思だと思っていることすら、誰かに操作されているかもしれない」

 ノルベルトの眉間に皺が寄った。

「……それでも、俺は俺だ。機械じゃないし、今は命令されているわけでもない」

 少しの沈黙の後、二人は再び作業に戻った。

 作業が終わったのは、それからほどなくしてだった。時計を見て、くすっとアシルが笑う。

「三谷さん、一時間って言ってたけど、四三分余ったな」

「ああ、早く済ませすぎたかなあ」

 ノルベルトも笑う。そして続けた。

「じゃあ、資料返して帰るか。きっと気味悪がるぜ、俺達のこと」

「構やしねえよ」

 三谷は生徒会の資料庫にいた。資料を渡すと、彼女は目を大きくして二人を見た。

 こんなに早くできるなんて、と彼女はパソコンを開いて二人の作ったデータを確認した。だが、きちんと作られているのを見てますます目を大きくした。

 お前ら、ほんとに人間かよ。

 彼女を見ながら二人は、ある兵士に言われた言葉を思い出していた。また、そんな言葉を聞かないといけないのか。彼女の口から、あの心地悪い言葉を。

 だが彼女は目をきらきらさせ、二人に礼を言った。

「もしよかったら、また手伝ってくれる?」

 予想外の言葉にとまどいつつ、二人は承諾の返事をした。すると彼女は、ふたたび愛嬌のある笑顔でありがとうと言った。

 資料庫を出て、二人は廊下を歩いていた。窓から朱に染まった光が差し込む。ノルベルトの金髪が陽に透ける。一つだけ開いた窓のむこうから、運動部の走り込みの声が聞こえる。

「良かったな」

 微笑みながらノルベルトが言う。何が、とアシルが聞き返す。

「俺達に未来予知の能力が備わってなくて」

 アシルの目が少し大きく開かれた。そして彼は柔らかく笑った。

「そうだな」

 彼らはまた無言になり、階段を降りていった。

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