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29 理想郷計画

 ノルベルトを追ってみたが、アシルはその日は結局たどり着けなかった。そのうえ途中でドイツ軍に出会い、小競り合いになった。かつての同盟相手にそんなことはしたくなかった。だが、居場所がばれたら面倒なことになる。世界平和を目指す前にこちらがやられる。だから仕方ないと自分に言い聞かせ、数十人を殲滅した。自分から吐き気を催すほどひどい臭いがする。こんなざまでよくも世界平和など口にできるものだ、と自分でも馬鹿らしくは思う。そうこうしているうちに陽も落ち、仕方なくアシルは再び廃墟の中に潜り込んだ。

 どこも似たようなものだ。中は埃だらけで虫がいる。動物の糞もあった。クローゼットを開ける。錆び付いた蝶番が音を立てる。中には大した服は入っていなかった。女物の青いワンピースと、男物のカッターシャツが埃まみれでハンガーにかけられている。引き出しを開けると、薄汚れたオレンジのリボンと紺色の帽子が出てきた。帽子は随分くたくたになっている。別の場所から錆びた針と糸を探し、ナイフで紺色の帽子の布を切り、破れた軍服のつぎにした。リボンを手に取り、彼は手のひらにくるくると巻いた。そしてため息をつく。

 ここはかなりドイツ軍の宿営地に近いようだ。匂いが随分濃い。浅い眠りを何度も繰り返す彼の耳に、小さな音が聞こえた。葉が何かにこすれる音だ。まだ遠い。しかしだんだんとこちらに近づいている。まっすぐ、進路を違えようとしない。確信した。ノルベルトだ。

 彼は身体を起こし、ガラスの割れた窓からその方角の様子をうかがった。木のドアが壊れて開きっぱなしになっている玄関から出て、裏に回った。残りの弾数を確認した。銃は丁寧にポケットにしまう。ナイフを取り出して逆手に持った。

 次の瞬間、月夜によく響く靴音がした。砂利を踏んだようだ。ノルベルトが来た。家に一瞬目を凝らし、中にアシルがいないのを確認する。次に空気の匂いを嗅ぐ。廃墟の裏手にいるのを悟り、ノルベルトが足音を潜める。アシルもそれを察知し、ナイフを構えた。ノルベルトが軽く地面を蹴った。

 羽根が生えているかのような動きだった。体勢を低く保ったノルベルトがアシルの前に現れる。切り上げようとするナイフをアシルが片手で払う。ノルベルトの右側に隙が生まれた。ナイフを突き出すと、ノルベルトの頬をかすった。ほんの少し血が滲むが、簡単に治っていく。今度はノルベルトが攻撃した。大振りになったところを見逃さず、アシルが彼の腹を殴った。ノルベルトが体勢を崩し、倒れ込んだ。その先には空になった素焼きの植木鉢があった。音を立てて粉々になる。ノルベルトの額から血がにじんだ。その傷も一瞬で治ったようだ。彼が再び立ち上がるまでのわずかな間に、アシルはノルベルトの首を掴んだ。背後から羽交い締めにし、彼の後頭部に己の額を当てる。

 もし、自分の仮説が正しければ、これでノルベルトも自我を取り戻せるかもしれない。そう信じた。

「お願いだ、目を覚ましてくれ!」

 額の赤眼でも呼びかけた。返事はない。

「頼む、ノル!これ以上はやめてくれ!」

 次の瞬間、アシルは殴り飛ばされた。コンクリートの壁にしたたかに頭を打ち付けた。さっきから血の味しかしない。そう思いながら再び地面を蹴ろうとして、彼はやめた。

 ノルベルトが頭を抱えてうずくまっている。あの時の自分と一緒だ。期待がかすめた。アシルが駆け寄った。

「ノル、大丈夫か、ノル!」

 ノルベルトからは苦しそうなうめき声以外、返事はない。動こうともしなかった。彼を抱え上げ、アシルは壊れた玄関から廃墟へと入った。

 ノルベルトを適当な部屋へ連れ込み、腐りかけた絨毯の上に寝かせた。虫たちが逃げていく。まだ頭痛に苦しんでいるらしい。数時間は苦しむものなのかもしれない。

 割れたガラスから虫が入ってくる。月明かりに照らされ、白く浮かび上がった。冷たい風が吹き込んでくる。床に散らばっている枯葉が音を立てて動いた。

 ノルベルトが目を覚ましたのは、それからおよそ四時間経ってからだった。空はまだ暗い。明け方にはまだ時間がある。

「ノル、大丈夫か」

 アシルが声をかける。最初は小さくうめき声が聞こえた。ノルベルトが顔をあげる。額には相変わらず、青い天使の模様が浮き出ていた。

「アッシュ……?」

 その言葉を聞いたとき、思わずアシルの顔がほころんだ。まだふらふらしている様子のノルベルトを抱きとめる。

「よかった。よかった、ノル……よかったあ……」

 本当は何もよくなどない。これからのことを考えると、絶望しかないのに。それでも今は制御されているはずの感情が湧き出てきそうだ。

「なんでこんな廃屋の中にいるんだ」

 まだ状況が読めていないノルベルトが部屋を見た。落ち着いてくれ、とアシルは言った。

「思い出したくないと思う。でも、全てを思い出してくれ。そうすれば分かる」

 その途端、ノルベルトが再び頭を抱えた。

「なんだよこれ……意味分かんねえぞ」

 涙目で彼はアシルを見た。俺にも分からないよ、と言葉が返ってくる。そしてアシルは説明した。最初に自身が適合できた仮説と、もしかしたらノルベルトもそうなるのではないかという淡い期待を込めてこの無謀な計画をしたことを。

「そっか……俺、デルタと戦った後に随分ひどいことお前に言ったんだな。許してくれ。……俺たち、もう何度も死んでるのにっ……」

 ノルベルトが顔を覆った。

「ノル。こんな時だけど、今こそすべきことがある。前に言っていたことだ」

 赤眼を使わずとも、アシルの顔を見ただけでノルベルトには分かったようだ。揺れる緑の瞳でアシルを見た。

「世界を、平和に……」

 そうだ、とアシルが頷く。

「今俺たちは自我を取り戻した。まあ、これが本当に自我と呼べるかどうかは知らないが、少なくとも前みたいにリミッターを外されて奴隷化された状態じゃない。にも関わらず、力は使える。世界はまだ戦争を続けている。……全ての条件が揃っている」

 ノルベルトがアシルの目をまっすぐ見つめる。本気かと問うている。

 彼らが計画しているのは、世界を平和にするためのものだ。世界中で暴れまわり、人形マリオネットの存在を世界中に否定させる。世界は二人のマリオネットを相手に、協力して軍事力を使わざるを得なくなる。世界が一つの目的を遂げようと努力する。そしてマリオネットがこの世から消えれば、目的は達成される。荒廃しきった土地で、これ以上争う気力もないくらいに消耗させることができるだろう。後に残るのは、協力して世界が脅威と戦ったという事実だ。

「世界から戦争がなくなる日は、世界が生まれ変わる日になる」

 ノルベルトが俯いた。それはどこか弱々しいものだった。

「でも俺はまだ、生きていたい……」

 アシルが悲しげに彼を見る。額の赤眼を使って彼はマダム・カモミーユの言葉を彼に届けた。

ばばはいつも思うよ。もし、人間がなかなか戦争をやめられなくとも、いつか戦いがなくなる日まで世界が続いていたら、その時こそ、世界は生まれ変われると。手を取り合い、認め合い、語り合い、笑い合い、共に生き――何億の今の世の苦しみも、いつか生まれ変わって何億の幸せになれる日が来ると』

「俺たちじゃないと、できないことだ」

 まっすぐなアシルの言葉に、ノルベルトが目尻を拭った。

「今度生まれ変われるなら……俺は普通の人間に生まれ変わりたい。その時世界が平和であれば……きっと、俺の願いも叶うよなあ……?」

 最後の方は声を詰まらせながら、拳を握ってノルベルトが言う。そんな彼を前にして、アシルは無言だった。


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