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26 ワインボトルと噴水と少女

 翌早朝、フィリップが彼らのもとを尋ねた。やはり今日もアシルのリミッターを解除し、ノルベルトを探索するのだという。アシルはもう抵抗することなく、されるがままに連れて行かれた。

 メンテナンスを終え、リミッターを外された彼はきつく睨むように空を見た。ノルベルトの位置を掴んだのだろう。軽く地面を蹴っただけなのに、彼の姿はもうそこにはなかった。えぐられた地面と舞う木の葉が彼の向かった先を示している。残されたル・セルパンの三人は他の部隊の者と共に重装備で彼の後を追った。アシルの身体に埋め込まれているチップからの位置情報が送られてくる。もうすでに人間の足では追いつけない距離にいる。ここは瓦礫だらけ、植物だらけだ。地盤も確かなものではなく、戦車も通れない。

 ポールソンたちがアシルを追って森に踏み込んで一時間ほど経った頃、ノルベルトとアシルの二人はすでに出会っていた。一定の距離を保ちつつ、二人はやみくもに森の中を走っていた。時折二人の投げた手榴弾が爆発した。鳥がけたたましく鳴きながら飛び立つ。

 このままでは埒があかないと思ったのか、ノルベルトが動いた。木を蹴って反動をつけ、一気にアシルとの距離を縮める。僅かに反応の遅れたアシルの首を掴み、彼は地面に叩きつけた。下は劣化したコンクリートだらけだ。いやな音が響く。体を起こし、アシルが血が混じった唾を吐き捨てる。再び彼を襲おうとしたノルベルトの軌道を正確に見極め、彼は首を狙って伸ばされた手を避け、その手を掴んだ。コンクリートの瓦礫を蹴り、今度はノルベルトを瓦礫に叩きつける。ノルベルトの手を放すことはなく、アシルは空いている右手でナイフを抜いた。ノルベルトが逃げようともがく。押さえつけるアシルとの力は五分五分だ。首を狙って振り下ろされたナイフを、ノルベルトはアシルの手首を握って防いだ。互いに掴み、掴まれている。均衡状態で彼らはにらみ合った。ナイフを持つ手と掴む腕が震えている。犬のような唸り声がどちらからともなく漏れる。

 均衡を保ちながら、ノルベルトがアシルを蹴ろうとした。危険を察知してアシルが手を振りほどき、飛び退る。同時にノルベルトも飛び起き、ナイフを手にしてアシルを睨んだ。そして駆け出す。

 全て完璧に計算された動きのように、二人は戦っている。地を這うように二人は動く。ノルベルトのナイフを受け流し、アシルは彼の背後に回った。しかしノルベルトもすぐに対応する。牽制しながら少し距離をとる。

 幾度となく交わる刃からは火花が散り、お互いを憎しみに溢れた眼差しで見る。

 そうやってもみ合っているうちに二人は森から抜け出た。廃墟の街が広がっていた。すっかり一年生植物に覆われている。ここもそのうち森に飲まれる。

 放置されて錆び付いた青い車を踏み越え、彼らはまだ傷つけ合っていた。植物が茂る路地を抜け、水たまりを派手に散らし、民家の窓ガラスを割った。それでも二人は足を止めない。アシルの攻撃を防ぎ、ノルベルトは路地を走っていく。その路地は開けた場所につながっていた。どうやら広場のようだ。中心にはひび割れて壊れた噴水に濁った水が溜まっている。ノスタルジックな雰囲気を持つ場所だ。しかし今の二人にはそんなものはどうでもいい。路地から飛び出てきたアシルはノルベルトの腕を狙っているようだ。なんとか避け、今度はノルベルトがアシルの左肩を狙う。突き出されたノルベルトの右腕をはじき、アシルが脇腹を蹴る。体勢を崩したノルベルトは噴水に激突した。鳥たちが驚いて飛び立った。もろくなった噴水が崩れる。ノルベルトは頭から濁った水をかぶった。それにも構うことはなく、彼は隙を狙うアシルのひと振りを防いだ。

 二人が一旦距離をとった時だ。路地から子供が走り出した。雑巾のような服を着た、五、六歳の少女だ。低い位置で金の薄汚れた髪を二つに結んでいる。彼女は裸足で、手に空のワインボトルを持っていた。彼女が目にしたのは何よりもまず、壊れた噴水だった。あっと声をあげ、彼女は噴水に駆け寄った。そしてまだこぼれ続ける濁った水を瓶へ集め始めた。瓶底に少し溜まったとき、彼女は初めて周りの状況に気づいたようだった。噴水をはさんで向かい合う兵士が二人。二人の体にはところどころ血の痕がある。手にはナイフがあり、隙を見せないよう構えている。少女のことなど眼中にないかのように二人は互いを睨んでいた。

「ねえ、何してるの?」

 制服が同じ彼らを仲間同士だとでも思ったのだろうか、少女は喋りかけた。しかし二人は何も返さない。

「ねえ!」

 少女がアシルの方へ駆け寄ろうとした時、ノルベルトが動いた。アシルが少女の襟首を掴み、崩れた噴水の陰に避難する。それを見て、ノルベルトが笑った。

 少女はフランス人だった。黙って国民を見殺しにすることはできなかったのだ。少女は訳も分からず、ぽかんとしてアシルを見上げた。

 枷を付けられたアシルに、ノルベルトは容赦なく向かっていく。右手にナイフ、左手に銃剣を握ったノルベルトを両手のナイフで受け止め、アシルは一言逃げろと言った。しかし少女はべそをかきながら震えてる。そして何を思ったか、水を溜めていたワインボトルでノルベルトの左足を叩いた。

「どっかいっちゃえ!どっかいってよ!」

 何度も叩いているうちに、ワインボトルは地面に当たって砕けた。濁った水が辺りに飛び散る。少女の顔にもかかった。直後に、ノルベルトは左手の銃剣を少女に向けた。少女が息を飲む。

 アシルが庇おうとして、少女の方に身をずらした。そこに隙が生まれたのをノルベルトは見逃さなかった。まずアシルの右肩を撃ち抜いた。血が少女の顔を染める。間髪入れずに弾が尽きるまで撃った。わざと両肩を狙い、一時的に手が使えなくなるようにした。アシルがよろめいて崩れた噴水の瓦礫に手をついた。身体から血が噴き出る。足元の地面が赤くなった。アシルが唸りながら傷を修復していく。そのわずかな時間に、ノルベルトは右手に握っていたナイフでアシルの左肩を刺した。リミッターは今は全解除されている。ナイフは簡単にアシルの身体を突き抜け、瓦礫に到達した。彼が左肩のナイフを引き抜こうとすると、ノルベルトが再び彼を撃った。傷が治る度に撃つ。死ぬまで彼を殺す気のようだ。回復が攻撃に間に合わなくなってきた頃、アシルが血を吐いた。彼の目から血の涙がこぼれる。同時に少女の小さな悲鳴が聞こえた。

 ノルベルトが思わずそちらに目をやる。少女は腰が抜けきり、泣いていた。恐怖心のせいで漏らしている。ひきつった顔でノルベルトを見ていた。その時、一本の路地から声がした。

「マリー!マリー、どこだ!」

 中年の痩せた男性が出てきた。他にも人がいる。血まみれのノルベルトとアシル、座り込んでいる少女を見て、彼は声をあげた。

「マリー!」

 少女が振り向く。

「パパ!」

 男性が少女に駆け寄ろうとした。一発の銃声が響く。男性が崩れた。少女が叫ぶ。再び銃声がして、少女も崩れた。ノルベルトの持っている銃から細い煙が空気に溶ける。

 その間に傷を治したアシルが唸り声をあげ、左肩に刺さったナイフを力ずくで抜こうとした。荒い呼吸をし、彼は血の涙を流していた。口元は涎と血が混じって汚れている。

 少女の父親が出てきた路地から、他にも数人の人が出てきた。皆みすぼらしい格好をしている。手には旧式のライフルや銃、鉄パイプの錆びたものなどを持っていた。地面に倒れ伏している少女と男性を見つけ、人々が動揺した。その人々も、ノルベルトが有無を言わさず撃っていく。ひたすら撃ち続けている彼の背後から手が伸びた。ノルベルトは避けようとしたが間に合わず、腕で首を絞められている。アシルだった。顔を赤くしながらもノルベルトはアシルの腕を掴んだ。握力で骨を折るつもりだった。

 しばらくその状態が続いた。突然、アシルがびくっと体を震わせると、ノルベルトから手を放した。頭を押さえ、顔をしかめている。ノルベルトは距離をとって、咳き込みながら彼を見た。再びナイフを構える。アシルもナイフを構えたが、足元がおぼつかない。ノルベルトを睨みつけると、彼は一番近くの路地に駆け込んだ。ノルベルトも同じ路地へ行こうとしたが、アシルが発砲した。まともにそれをくらい、彼は引き返した。植物が一番よく生えているところに座り込み、服を脱いで先ほど受けた傷の様子を見た。たいしたことはない。数発の銃撃など、かすり傷にもならない。そして空を眺めた。いつの間にか太陽は傾いている。綺麗と言えるくらいの夕焼け空だった。だが今の彼は綺麗だとも思わない。空は空だ。


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