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25 忠誠と涙

 その後、フランスはドイツとの国交を中断した。以前から何度かシミュレーションはされていたのだろう、迅速な対応だった。軍でも緊張は高まる一方だ。アシルは実戦に備え、頻繁にメンテナンスが行われるようになった。

 世界が少し、赤く茶色く鮮やかに染まる季節になった。ヨーロッパの季節は大きく変わった。冬はとても短くなり、夏と秋が長くなった。そんなある日のことだ。ついにリヒト=ドイツ王国側から宣戦布告があった。世界中が舌なめずりをしてこの二国の争いを眺めている。

 最初の攻撃があってからわずか二日後のことだ。フランスのコルマールという、ドイツにほど近い所でマリオネットらしきものを見たという情報が入った。ギュイオット少将はすぐさま、アシルのリミッターを解除させるよう命令した。

 ル・セルパンにも出動命令が出た。ポールソン達は装備を整え、ギュイオットに指示された場所へ向かった。軍用ヘリコプターでコルマールに向かうらしい。彼らがヘリコプターの近くに着いて暫くすると、ギュイオットがやって来た。フィリップとソフィー、他に三人の研究員を連れている。更にその後ろからアシルが来る。ピエールが声を掛けようとした。しかし、途中で言葉が消える。アシルは手錠をかけられたままだった。目はきつく睨むようにして、淡く紫に光っていた。額の模様も光る。誰も近づけないような恐ろしさをまとっている。

「ムッシュウ・フィリップと助手のマティスと他に三人をつける。ノルベルト・シュヴェーダを確保しろ。出来ない場合は、殺せ」

 ギュイオットが言う。ル・セルパンのメンバーの顔が強ばる。アシルだけは無表情だった。

 それだけ言うと、少将は去っていった。ヘリコプターがプロペラを回し始める。機体が浮いた。だんだんと小さくなる景色のどこか一点を見つめ、ポールソンは眉間に皺を寄せていた。そして、おもむろに口を開く。アシルの目を見て言った。

「任務内容、分かってるのか」

 アシルは答えない。もう一度、名前を呼んで聞いた。それでも答えない。見かねたフィリップが口を挟んだ。

「彼の質問に答えなさい」

 アシルがポールソンを見る。そして、ぼそりと言った。

「知ってる」

 気分を害されたような顔をして、ポールソンが座り直した。

「お前、それでいいのか」

 返事はなかった。再びフィリップが口を開く。

「アシル君。彼の質問にはできれば答えるようにね。一応、君の部隊長だからさあ。いちいち僕がこう言うの、面倒だから」

 アシルはポールソンを凝視したまま聞いていた。感情の読み取れない目で見つめられるというのは、なかなか気味が悪い。ポールソンは唾を飲み込んだ。

「それでいいって、何が」

 感情が読み取れない分、ひどく不機嫌な声色に思える。実際、今のアシルは怒ったりなどしていないのだが。

「何が、じゃねえよ。ノルと戦うんだぞ。分かってんのか」

「ノルベルト・シュヴェーダを殺す。命令だ」

 そうじゃねえ、とポールソンは鼻の頭を掻いた。

「辛くないのか」

「辛い?これは、命令だから」

 ポールソンは呆れたようにため息をついた。

「ムッシュウ。リミッターってのを外したら、こんなになるのか」

 そうだよ、とフィリップが頷いた。当然とでも言いたげな口調だ。

「リミッターは今は全解除の状態だねえ。感情もないし、痛みも何も感じない。命令にしか従わないからね、少佐と会話してるのもこれが命令だからなんですよお。目の前で誰かが助けを求めてても、そいつを助けろとは命令されていないから、平気で見殺しにできる……」

 小声で悪態をついて、それ以降はポールソンは何も喋らなかった。

 着いた場所は、だだっ広い場所だった。周りには瓦礫ばかりだ。ところどころで細い煙が上がっている。ここは、コルマール。かつての街は崩れ去った。足の下で音を立てる小石を睨み、ポールソンは唇を噛んだ。

「わあ、ひどいね」

 アレクサンドルが呑気に言う。そうだな、とピエールが笑った。その後からヘリコプターを降りたアシルは、相変わらず無言で何を考えているのか分からない。いや、何も考えてなどいないのだろう。

「ノルベルト君の位置、分かる?」

 フィリップが尋ね、アシルの手錠を外した。アシルは鋭い目つきで辺りを窺った。

「ここにはいない。三八度の方向。二五キロ先にいる」

 全員の顔が険しくなる。

「行って!」

 フィリップが命令した。アシルが目を見開き、低く構える。次の瞬間、彼はそこにいなかった。風が駆け抜けたみたいだった。

 彼らを助けてやろうなんて、妄言に過ぎない。それが実感できる。彼らは本当に人間なのだろうか。ポールソンがアシルが駆けていった方を見る。

 ノルベルトのより正確な位置を探りながら、アシルは瓦礫の地を進んでいた。瓦礫の山が終わりが見え、その先は森だった。彼は更に森の中に入った。

 細い枝が体に当たり、折れていく。葉が彼の顔を擦り、傷をつくった。その傷もあっという間に消える。無表情のまま、彼は道でないところを駆けていった。

 同じ頃、ドイツ軍の部隊が森の中にいた。辺りはルネサンス期の建物が崩れ去り、瓦礫が埋もれている。兵士が銃を手に、周囲を警戒している。そこにはノルベルトもいた。迷彩の服を着せられ、人形マリオネットの力を無効化する手錠をかけられ、小型の輸送機に鎖で縛り付けられていた。鋼鉄の首輪はやはり鎖で輸送機に繋がれていた。額には青く天使をかたどった模様が浮き出ている。ふいに彼が首の鎖をじゃらりと鳴らし、左を向いた。野良犬のように低く唸った。兵士たちがそちらを向いた。向こうにフランス軍がいるのか、という問いがあった。しかしノルベルトは相変わらず低く唸っているだけだった。言語で答えろ、という部隊長の言葉に、ようやく彼は口を開いた。

「二一八度の方向。アシル・ロレオン。それと、フランス軍」

 それだけ聞くと、部隊長は首と手、それから足の鎖を外させた。楽になった手をノルベルトが大きく振った。

「行け」

 短い命令に反応した彼は、すでにその場から消えていた。

 少し走ると、彼はすぐに木に上った。太い幹の陰に隠れるようにして、辺りの様子をうかがう。銃を手にすると、弾丸が装填されているのを確認した。そのまま、何も見えない木々の向こうを睨みつける。

 彼は一度ゆっくりと深呼吸し、次の瞬間には隠れていた木から姿を現した。木々の向こうにむけて銃を撃つ。弾が木に当たった音がする。それに重なるように、かすかに獣のようなうめき声がした。すぐにまた幹に隠れたノルベルトは、ストックを入れ替えた。

 次の瞬間、彼は隠れていた木から飛び退った。彼がいた場所で爆発が起きた。手榴弾だ。飛んできた鉄の破片がノルベルトの頬をかすめる。その傷は一瞬で治った。

 植物の陰から現れたのは、アシルだった。フランスの迷彩の軍服に身を包み、黒い布のマスクで口許を覆っている。額には天使をかたどった青い模様がある。薄暗い森の中で、わずかに光っている。目には何の感情も宿っていない。そんな彼を見ても、ノルベルトは動揺しなかった。今の彼には、ずっと一緒に行動していたアシルがただの獲物にしか見えていないのだ。ノルベルトもアシルと距離をとって姿を見せたが、やはりアシルも顔色一つ変えなかった。二人の間に沈黙が流れる。緊張した空気が痛いほどだ。

 二人は互いの顔を見つめ合っていた。といっても何かを考えているわけではない。そこに友情や戸惑いはない。ただ、獲物との間合いをはかっているだけだ。

 瞬時に動いたノルベルトの手には、先ほどの銃があった。構えてから間髪入れずに撃つ。近距離で、アシルが人間離れした反応を見せ、身を守る。一旦距離をとったアシルは狙いを定め、ナイフを手にした。弾が尽きた銃をノルベルトが捨てる。そして軍服のどこかからナイフを取り出した。フランス軍とドイツ軍は軍事同盟を強固にして以来、装備を同じものにしている。彼らの装備もそれに倣ったものだ。

 どこへ向かうともなく、彼らは森の中を彷徨うように移動した。かなりの速度で動いているにも関わらず、二人の息は乱れない。荒々しい足音と金属のぶつかる音、枝葉が折れる音と動物の逃げる音がする。地面は重なる木々の枝や腐った葉、建物の瓦礫や墜落したのであろう飛行機の瓦礫がある。とてもいい足場とは言えない。それにすら二人は構うことはない。

 しばらく森の中を闇雲に駆け回っているうちに二人は森から出た。そこは相変わらず瓦礫しかないところだった。瓦礫の山には草が生い茂る。離れたところには街が見えた。だからといって二人は戦闘を中止しようとする素振りを見せない。そのまままっすぐ街の方へ移動している。もちろん、今の二人には目の前の獲物を捕えること以外、どうだっていいのだ。

 体に埋め込まれたチップから位置を把握していた双方の部隊は焦りを覚えた。二人が向かっている先の街は、フランス領内だった。フランス軍にとっては自国民を人形マリオネットの脅威に晒しでもしたら責任問題が問われる。ドイツ軍にとっても、開戦早々に一般市民に危害を加えたとなれば建前だけであっても国際条約違反として後々面倒なことになる。彼らは人形を遠ざけて部隊同士の衝突準備をしていたが、なんとか連絡を取り合い、一時休戦に合意した。両軍から同時に人形の停止命令が出される。その命令が届くと、二人は今まで争っていたのが嘘であるかのように動かなくなった。時が止まったようだ。砂埃が静かに落ち着く。コンクリートの瓦礫の上で、二人は互いに距離をとる。帰還命令に従い、背を見せることなく二人はその場から姿を消した。彼らがいたのは、街からわずか一三キロの地点だった。

 宿営地に戻り、アシルはメンテナンスを受けた。リミッターを全解除の状態から、人間に混じって生活してもおかしくない程度に戻す。本当は常にリミッターを全解除の状態にしておければいいのだが、そのままにしておくと身体が機能についていかなくなった場合、壊れるかもしれない。

 手錠をかけられたままル・セルパンのメンバーのもとに帰され、彼は食事をとった。いつもならノルベルトがいるが、もう隣にはいない。彼もドイツ軍でこんな生活をしているのだろうか。額の赤眼を使ってみたが、どうやら彼との間に距離がありすぎるか妨害されているらしい。彼の気配すら怪しいものだ。

 ここは周囲にトラップが張り巡らされている。ル・セルパン以外にも三千人の兵がいた。交代で見張りをしながら寝ることになる。ル・セルパンは見張り担当からは外された。おそらくアシルがいるためだろう。四人は運良くテントの中で眠ることができた。外には兵が二人、見張りについている。テントの中に明かりなどない。うっそうとした森の中なので、月明かりすら届かない。闇の中、彼らは防水性の布にくるまった。静かな闇夜に、圧し殺したような泣き声だけがわずかに聞こえた。


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