23 期待
帰ると、フィリップは何も言わずに二人に書類を渡した。フランスとドイツを中心としたヨーロッパの今日の動向がまとめてある。内容はこの間から悪くなるばかりだ。あれだけ仲の良かった二国は、武器に手を伸ばそうかというところまで来ている。読み終わった書類を返しに行く時、二人は教室に乱入してきた男達のことを尋ねてみた。しかし、フィリップは興味なさそうな返事をした。そして、早く出て行けと言う。二人は全てを悟った。
あれは、きっと本国からの指示だったのだ。おそらくあのロボットも、フランスが新たに開発したものに違いない。なぜ襲わせたのか――きっと気づかれてしまったのだ、自分達が今の生活を気に入っていることを。ここにいるべきではないと教えに来たのだろう。そんなこと、分かっていたはずだったのに。
彼らはその後二日間、一言も学校のことを話題にしなかった。もともと少ない荷物は簡単に荷造りできた。することがなくなり、まとめた荷物から本を引っ張り出し、もう暗記した文に再び目を通す。そうやって過ごした二日目の夕方だ。ノルベルトの携帯が鳴った。
「岩田だ」
彼らのクラスの行事委員だった少年だ。電話ではなく、メールだった。読んでいくうちに、ノルベルトの表情が変わっていく。何だ、とアシルが尋ねる。悪い内容だろうと勝手に想像して、元気のない声だった。
「学校、来ないかって。明日」
ノルベルトがアシルと目を合わせた。アシルが彼の隣に移動し、携帯の画面を覗き込む。そして、なんで、と尋ねた。知るかよ、と素っ気ない返事が返ってくる。心なしか明るい声だ。
「でも、明日はもう発つ予定だろ」
「ムッシュウに頼めば、少しだけなら大丈夫かも」
フィリップは彼らの隣の部屋を借りている。聞いてみようか、とノルベルトが言う。でも、とアシルはあまり乗り気でないようだ。
「俺は後悔したくねえよ。こんな小さなこと、いつまでも胸の内に引っかからせてたまるか。どうせもう最後なんだ」
分かったよ、とアシルが微笑む。二人は玄関に向かった。ドアを開け、二人は硬直した。フィリップが立っていた。夕日を背にして、満面の笑みだった。両手を薄汚れた白衣のポケットに突っ込み、まるで二人が出てくるのを知っていたかのようだった。
「あの、ムッシュウ。明日、日本を発つ前に一度、学校へ寄っても構いませんか。少しでいいんです」
恐る恐る、ノルベルトが尋ねた。ひと呼吸おいてフィリップがにやりと笑う。
「いやぁ、実に面白いサンプルだねえ、君たちは。科学の力では追いつけない領域に足を踏み入れて、おかげで僕らはまだまだ知的欲求を満たされない。知らないことがたくさんありすぎる」
フィリップが一歩踏み出した。二人はそれに合わせて一歩下がった。
品定めをするように二人の顔を見比べた後、フィリップはいつものような優しい顔に戻った。
「いいよ。行っておいで。友達なんだよね。でも、そのままフランスに戻るから僕らもついて行くけど」
分かりました、と二人は返事をする。自然と笑顔になる。それを見て、フィリップはまた口角を上げた。目は、笑ってはいない。
「実に面白いよ」
思わず漏れたその言葉に、二人がきょとんとする。相変わらず笑ったままのフィリップだったが、これ以上の質問を許さない雰囲気をまとっていた。ありがとうございます、とだけ呟き、二人はドアを閉める。その後もフィリップはそこに立っていた。室内からノルベルトが外の様子を伺う。アシルは壁のコンセントを確かめに行った。盗聴器や隠しカメラに気づいていなかったとしたら、また何か言われるかもしれない。しかし、何もなかった。
アシルが玄関に戻ると、隣の部屋から誰かが出てきた。足音でソフィーだと分かった。
「ムッシュウ」
彼女の声がする。うん?とフィリップが返事をする。
「もうこれ以上二人に何も背負わせないであげてください」
暫く沈黙があった。足音がして、フィリップがドアの前までやって来た。
「きっとこのドアの向こうで聞いてるんだよねえ。そうでなくても聞こえてるでしょ?」
聞き耳を立てたまま、二人は唇を噛んだ。
「残念だけど、君たちが何を考えているかはデータとして残らないから、何も解析できない。けれど、君たちが見たもの、聞いたものは全て残るんだよ。研究員が閲覧することも可能だ。それにねえ、定期的にそのデータを報告しなくちゃいけないんだよね。それで今朝フランスから、興味深い解釈が伝えられた。君たちは、もしかしたら今のままだと、感情が人間に近くなるのかもしれない。軍にいた頃には感じたことのなかったものがあるんじゃないかな?例えば、もう軍に戻りたくないとか。友達といるのが楽しくてたまらないとか」
それでも二人は黙っていた。ドアの向こうから息を吐く音がする。
「ま、答えてくれるわけないよねえ」
「ムッシュウ!」
少々強く呼んだのはソフィーだ。ごめんなさいと彼女が謝り、二人は隣の部屋に戻ったようだ。ドアの閉まる音がした。
「どうして……」
アシルが呟く。後が続かない。
自分たちですら、もうよく分からないのに。どうしてそれを無理に分からせようとする。どうして少しでも自由にさせてくれない。どうしてこんな生き方をしなければならない。どうしてこんな運命を背負うのが自分たちでなければならない。
答えなど、出るわけもない。
翌日、二人は軍服を着た。学校の制服は、荷物の一番下に仕舞った。着ているのは深緑のスーツのような軍服だ。より濃い色のネクタイを締め、ベルトを腰に回す。本来ならベルトに手榴弾や薬品などを入れたポーチや武器をつけるが、今日はつけていない。
なぜ、学校に来ないかなどと誘ったのか。自分たちが化物であることは目の前で確認したはずだ。まったく理解できないまま、二人は車で連れて行かれた。
校内に車を停め、軍靴で降り立つ。いつもとは違う足の裏の感触に違和感を覚えた。すると、頭上から声がした。三階のホームルームの窓から生徒たちの顔が見える。しかし彼らはすぐ見えなくなった。なんだろうと思っていると、靴箱の方から岩田が駆け出してきた。それに続くように同級生が来た。よく見れば、他のクラスの者もいる。授業中だぞと窓から叱る教師の声も、迫力がない。
「おい、この間いきなり帰ったけど、大丈夫だったんか!?」
「今日フランスに帰っちゃうんでしょう?」
「なんだその服、かっけー!」
四方から浴びせられる質問に、二人は絶句した。ぶつけられる予定だった言葉の選択肢に入っていないものばかりだった。どうして彼らはいつも――。
一旦彼らを落ち着かせ、二人は同級生たちを見た。
「あの……なんで、俺たちを呼んだんだ?」
伏し目がちにノルベルトが問う。答えたのは岩田だ。
「だってお前ら、ろくに別れも言わないまま帰るんだもん」
「……それだけ?」
アシルが尋ねる。随分と間抜けな自分の声に驚いた。そうだよ、と誰かが答えた。
「でも、見たろ?俺たちは、……人間じゃ、ないし」
「気にするようなことかよ!」
岩田がノルベルトを小突いた。
「昨日、先生から聞いてさ。あれだろ、鬼と同じようなもんなんだろ?だったら人間じゃねえか」
そうか、学校側はそういう説明をしたのか。日本国民の大多数は鬼についてよく知らない。教師たちも実際、詳細は知らない。ただ、科学技術によって驚異的な力を備えた兵士だという程度だ。日本の鬼は科学技術によって驚異的な力を持つが、どこかに欠陥があったり、感情は制御できないなど、基本的には人間だと思われている。むしろ神がかった力を得た者だという認識すら存在する。本当は人形と日本の鬼はかなり違う。ましてや、人間と比べるなど。だが、二人は何も言わなかった。ただ微笑んでみせた。
フィリップが近づいてくる。
「時間だよ?」
フランス語が、生徒たちは分からない。
「分かりました」
二人は同時に返事をした。そして同級生たちに向き直る。
「さよならだ。ずっと、嘘ついててごめん」
改めて口にすると、自分の胸を締め付けていく言葉だ。ノルベルトはそう思った。二人は同時に同級生に背を向けた。このまま、振り返らずにフランスに戻るつもりだった。
しかし、予想は外れた。二人の肩に手が置かれる。岩田だった。思わず振り返る。心配そうな顔、笑っている顔。
「死ぬなよ」
岩田が言った。二人は予期せぬ言葉に、返事ができなくなった。目を見開いて彼らを見る。
「そうだぞ、しっかりやれっつっても、死ぬんじゃねえぞ」
「絶対また帰ってくるんでしょ?」
「だって、今までだって帰ってきてくれたもんね」
「それに、あんなに強いんだもの」
「また一緒に、授業やろうぜ」
「俺たちは大丈夫だぞ、なんせここは日本一安全だからな」
「そうそう、日本一安全ってことは、世界一安全ってことだ」
声が頭の中を駆け巡る。なぜ。なぜ、そんなことを言うんだ。二人は驚いていた。人間じゃないと分かったのに。どうして遠ざけようとしない。こんな得体の知れないものに、また帰ってきてだなんて。
馬っ鹿じゃねえの。
そう言ってやるつもりだった。その代わり、アシルから溢れたのは一粒の涙だった。頬を伝う。その痕が、冷たく感じる。
「うん……」
声を絞り出す。情けないほどの声だった。アシルが下を向いた。自然と涙が溢れてくる。どうして。今まで、こんなことはなかった。上を向いて、涙を堪えてもよかった。本当に我慢すれば、泣かないこともできる。だが、そうはしなかった。流れるに任せてみたかった。こんなに身体の真ん中から溢れてくる。涙と一緒に湧き出るこの熱は、一体何なのか。
「ちょっと身体が違うとかどうでもいいんだって。お前らといるの、楽しいんだぜ?」
岩田が言う。それに賛同する声があがった。
「だからまた、帰って来い。さよならなんて言うな」
「うん……」
ようやく出た言葉は、なぜこんなに詰まるのか。泣きながらも笑い、二人は頷いた。
初めてだ。軍に帰りたくないと思った。ずっとここにいたいと思った。なぜ自分達が戦いにいかなければならないのか、疑問が生まれた。どうして平穏に生きていてはいけないのか、分からなかった。
それを察したように、フィリップがやって来る。
「時間切れだよ。さあ、もう行こうか」
はい、と二人は揃って返事をした。フィリップは先に車に戻った。二人が学校に背を向ける。数歩歩いて立ち止まり、二人は学校を振り返った。同級生を見て、微笑む。
「またな」
彼らはその言葉に驚いたようだ。一瞬ぽかんとする。
なんだよ。さっきまで、この言葉を期待していたんじゃないのか。アシルとノルベルトは笑いがこみ上げてきた。
すると、同級生が手を振っているのが見えた。小さく振り返し、二人はもう振り返らずに歩いて行った。
「ムッシュウ」
二人が戻ってくる前に、先にフィリップが車に戻った。彼に声をかけたのはソフィーだ。
「いやぁ、思っていた結末と違ったねえ。ただ、心情の変化は確認できたよ。変化、というよりは、進化かな」
ソフィーが目を伏せる。
「ここであの子達がどうしても帰りたくないって言うなら、また特殊部隊の人にお願いして、化物っぷりを見てもらいたかったんだけどね。まあ、丸く収まったからいいんじゃない。感情が高ぶっても、まだ命令に忠実であろうとする姿勢はあるし。ただ、メンテナンスは十二分に必要かな」
そう喋るフィリップは、まるで今日の夕食のメニューでも考えているような、どこか気楽な雰囲気があった。ソフィーの眉間に寄る皺にも気づかない。
本来ならば設定されなかった「感情」の一部が彼らに確認された。コンピュータのシステムに沿って制御されていた感情だ。過度に存在すれば戦場で支障をきたすかもしれない感情。懐かしい、好きだ、という気持ち。フランスに帰れば、彼らはパリの町並みを見て、懐かしいと思うのだろうか。ソフィーは、ペットボトルの底に溜まったオレンジジュースを一気に飲み干した。




