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22 寸劇

「一体なんでだ。もう戻れないって」

 ノルベルトが愚痴る。書きかけの学級日誌から目を上げ、アシルが彼の顔を見た。

「さあ。もしかしたら、もう用がなくなったとかいって処分されるんじゃないか。俺たちはとても軍務を解いて一般人に紛れてなんて暮らせないだろうし。ガラクタは捨てるのが一番手っ取り早い。禍根も残らない」

 違いない、とノルベルトが笑った。

「もう戻れないのは、秘密にしようか」

 アシルが言った。誰に、とノルベルトが問う。ここの人達にだよ、とアシルは答えた。ノルベルトはぐるりと周りの同級生を見た。皆、どうでもいいお喋りに興じている。

「また帰るって約束して、嘘つくことになる」

 不満そうにノルベルトが言う。

「違う。嘘じゃない。約束して、そしたら守らないといけないだろ?この先一年か十年か知らないけど、きっといつかまた会うんだ。俺達の生きる意味が、一つ増えるんだよ」

 努めて楽しそうに喋るアシルを見て、ノルベルトが視線を落とす。

「重たい足枷にならなきゃいいけどな」

 アシルも悲しそうに微笑んだ。

 またフランスに帰ることになったと告げると、やはりいつものような反応が返ってきた。それが二人にとってはいびつで、おかしな光景だった。なぜ、いつもいつも同じようなことを言うのか。全く一緒でないのも気にかかる。ちょっとずつ違う。しかし、いつしかそれを楽しいと思える自分達に気づいた。どうしてだろう。分からない。何も分からないけれど、別にいいかと思った。なぜそう思えるのかも分からない。

 その翌日、彼らは学校へ行っていつも通り授業を受けていた。相変わらず時代遅れの内容を教えている。ノルベルトは話を聞きながら、半分開いている窓の外を眺めていた。青い空に、ゆったりと雲がちぎれていく。もしかしたらこの国は別世界にあるのではないかと思うほど、ここは平和でしかない。しかし、あの遠い空の下には瓦礫が積り、屍が重なる。馬鹿らしい。裏表の現実が隣り合わせにある。それを見ないで生きることなどできない。

 どうでもいいことを考えていると、ふと嗅ぎなれた匂いがした。アシルも気づいたようだ。ちらりと窓を見た。

 同時に、警報が鳴り響いた。いつかのテロリスト以来だ。生徒達は一斉に悲鳴をあげた。二人は耳をすましたが、周囲の悲鳴がうるさくて、重要な情報は何もつかめない。すると、かすかに足音が聞こえた。段々とこちらに近づいてくる。訓練された足の運び方だ。ロボットもいるようだ。

「ノル、ドクターに連絡がとれない!」

 アシルが囁く。足音は、なぜかまっすぐにこちらへ向かっている。

「アッシュ、銃とナイフは」

 アシルが首を横に振った。

「移動教室だから……ホームルームに置いてきた。まさか、こんなことになるなんて思わなかった。失敗だ」

 俺もだ、とノルベルトが笑った。生徒達を壁際に追いやり、二人はドアの方へ歩み寄った。その途端、ドアが破られた。複数のロボットが襲いかかってくる。見たことがない形。最新型だろう。背後から生徒の悲鳴が響いた。頭が痛くなりそうな、空間を切り裂く声だ。

 アシルがロボットの前に回り込み、その胴体を蹴った。ロボットが倒れる。ノルベルトは、もう一体のロボットと組み合っていた。しかし、嫌な音がしてノルベルトの腕が奇妙な形にねじ曲がる。彼の口から声が漏れた。思わずアシルがそちらを向く。すると、倒れていたロボットが飛びかかり、彼の足めがけて腕を振り下ろした。すんでのところで避ける。床が砕けた。他の生徒達はもう声も出ない。

 ドアの向こうに人がいた。全身黒ずくめで、マシンガンを構えている。男が引き金に指をかけた。間に合わない――直感で判断した。銃口は生徒を向いている。アシルが床を蹴った。

 悲鳴があがる。

 うずくまる同級生を庇い、アシルは敵に背を見せた。直後に、焼ける以上の激痛が走る。痛みが脳に直に届く。もう何度も経験した痛みのはずだ。もう慣れただろう?もう痛くもないだろう?そう自分に問うてみても無駄だった。痛いものは痛い。慣れない痛みが身体を駆け巡る。

 それでも彼の足は踏ん張って痙攣する身体を支える。血溜りが広がる。アシルは痛みに支配されそうな頭で考えた。なぜ、あいつらはもっと踏み込んでこない?ノルベルトに、額の赤眼を使って尋ねてみた。しかし、返ってきたのは戸口で銃を構えたまま待機している男達の姿だった。これは、ノルベルトが見た映像だ。その映像の端に、血塗れの自分がいる。

 足から力が抜ける。がっくりと膝をつく。目の前に、庇った女子生徒がいた。アシルの血に汚れている。怯えた目で彼を見た。そして、掠れた声で何か言った。しかし、途切れ途切れで何も分からない。

「ごめん……汚れたな」

 アシルは微笑んでみせた。彼女はまるで化物でも見るかのような目をしていた。アシルはノルベルトを振り返った。彼も治癒能力を使っていない。腕は変な方向へ曲がったままだ。

 すると、男の一人が喋った。機械で声を変えている。

「使わないのかね、君達にしか使えない力を」

 ノルベルトが歯を食いしばって彼を睨む。男は笑った。

「使ってもらおう、その力。君達は人間ではないと、今この場で証明してみせろ。そこの友達にも見てもらえ。そして、さあ、軽蔑してもらえ!」

「黙れ、あんた誰だ!」

 男の言葉を遮って、ノルベルトが叫ぶ。しかし彼は答えない。代わりに二体のロボットが動いた。別々に、再び生徒達に向かっていく。舌打ちして二人は動いた。一瞬で怪我を治し、ロボットを蹴り飛ばす。もうロボットの動きは読んだ。二人はそれぞれにロボットを破壊した。その間に、男達は逃げたようだ。

「なんであいつら、知ってたんだ」

 なぜ、この治癒能力のことを。そう呟いて、ノルベルトは生徒達を振り返った。そして、息を飲んだ。アシルも同じだった。

 皆が、彼ら二人を見ていた。完全に化物を見るような、恐怖と軽蔑が複雑に入り交じった視線。

「怪我、ないか?」

 努めて優しい口調でアシルが問う。それにすら、彼らは短い悲鳴で返した。アシルは改めて自分の血を見た。白いシャツにべっとりとまとわりつく。床にも散っていた。ノルベルトも、自分の腕をさすった。

「怪我……ない?」

 もう一度、アシルが尋ねる。それでも庇った女子生徒は、口を半分開いたまま震えるだけだ。彼は諦めて、ノルベルトを振り返った。

 あいつらは一体何なんだ。ただ一方的に攻撃してきて、人間ではないと知らしめて。それで、あいつらに何の得がある。考えても、もうばれたものは仕方ない。

「ごめん。ずっと、騙してきた。俺達は、もう人間じゃないんだ」

 ノルベルトがうなだれ、うずくまる生徒達に頭を下げた。

「やっぱり、ここにいちゃいけないんだな」

 消え入りそうな声でそう言い、彼はアシルの手を引いて教科書を持った。そして、前だけを見て教室から出て行く。アシルは片手をノルベルトに引かれ、片手に教科書を持ち、彼について行った。しかし、戸口でちらりと振り返った。小さく呟く。

「ごめん。さよなら」

 その言葉に返ってくる言葉はない。二人は無言で、ホームルームまで歩いた。血が滴る。二人は目を合わせもしない。もう使うこともないのに、教科書と筆箱をしっかりと抱えている。ノートに血が染み込む。そんな自分達が滑稽だった。この手に似合うものはこんな平和なものじゃない、そうだろう。

 ホームルームで鞄に全てを仕舞い、彼らはそこから出て行こうとした。戸口を出たところで、ふとアシルが立ち止まる。どうした、というノルベルトの声がする。

「ううん、なんでも。ただ……こういうことなのかな、名残惜しいって」

 がらんとして誰もいない教室。開いたままの窓から穏やかな瀬戸内の風が流れ込む。ついさっきまで、一緒にいれると思っていた人達。そうじゃなかった。ただの勘違いだった。錯覚だった。何しろ、軍にいた頃には感じたことのない楽しさがあったから。だから、ここは違うと思っていた。だがやはり、彼らも人間だった。あの反応は、今までも何度も経験してきた。慣れたはずなのに、胸に何かが刺さっているかのような痛みがある。

「行こう」

 ノルベルトに促され、アシルはもう後ろを向くのをやめた。靴箱で上履きも鞄に仕舞い込み、門を出る。

 まだ奴らがいるかもしれない。そう思った。だが、武器は鞄の中だ。特に急いで帰るわけでもない。だからといって喋ったり寄り道をするわけでもない。二人は時折車が通る道を歩いていた。

 アシルが空を見上げた。馬鹿みたいに晴れ渡った空だ。浮いている雲は汚い。化学物質が大量に含まれた雲。そこから降り注ぐ雨は毒だ。澄んだように見える大気も、実は穢されている。太陽の光が温かい。

「空、綺麗だぞ」

 ノルベルトに言ってみる。彼も上を仰いだ。つまらなそうに目を細める。

「綺麗なんかじゃねえよ」

 鞄が嫌に重い。こんなもの、たいした重量ではないのに。腕がだるくなってくる。思考回路がもつれそうになる。


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