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02 日常

「第六感情メモリ、ダウンロード完了。次をお願いします」

 白い壁と床に、機械が並ぶ。全てが白を基調とした空間に、白衣を着た人々の声が聞こえる。他には機械の動く音と、足音とキーボードを打つ音だけだ。数人はガラスの大きな窓の向こうを興味深そうに覗いていた。窓の向こうには、また似たような白い壁と床の部屋があった。そこにも何人かの白衣の人がいる。機械も置いてある。ただ大きく違ったのは、その部屋にはベッドが二つあったことだ。そのベッドの上にはアシルとノルベルトが寝かされていた。

 二人は簡素な服を着せられ、呼吸器をつけられていた。体にはいたるところに電極が貼られている。特に額にはいくつも貼り付けられていた。彼らはそれぞれに血圧や心電図をとられていた。万一バグが発生した時、すぐ対応するためだ。機械と接続し、通常の人間には有り得ない体力を持つ二人にとって、これがいつものメンテナンスだった。

 フィリップはその様子をガラスを隔てた部屋からじっと見ていた。いつか読んだSF小説にそっくりだ。あれは確か二百年くらい前に書かれたもので、今では第四期古典文学に分類される。まさかあれを書いた人も、こんな未来が待ち受けているとは思ってもみなかっただろう。

 彼は思わずため息をついた。すると、一番近くに座っていた女性研究員が彼を振り返った。焦げ茶の髪を後ろで一つにまとめている。彼女はフィリップの助手を務めている。名はソフィー・カンベールという。彼女はコンピュータ画面を見る時だけ掛けている眼鏡を外した。左の目元の泣きぼくろが見えた。そして愛想よく微笑んだ。

「どうかしましたか、ムッシュウ」

 なんでも、とフィリップは笑ってごまかした。彼女は勝手に話を続けた。

「本当に二人共素晴らしいですよ。一つもエラーが出ませんし、数値も正常値を保っています。バグも見当たりません。不要なデータのアンインストールも問題なく行えました。もうちょっとで今回のメンテナンスは終了です」

 そう、とフィリップは微笑み返した。作り笑顔のはずだが、彼女は気づかない。

 作られた記憶、操られる感情。これでは彼らを人間とは言えない。まるで、本当に人形マリオネットだ。

 彼がごちゃごちゃと考えている間にも、データのダウンロードは進んでいった。コンピュータの画面にまた新たな表示がされる。ピーッという少し不快な音がした。

「データの更新が完了しました」

 画面を振り返り、女性研究員が言う。彼女は素早くストップウォッチのボタンを押した。ガラス一枚を隔てた向こうでは、白衣の研究員達がアシルとノルベルトの電極を外していく。ただ、呼吸器と心電図用のコードは残したままだ。

「調子はどう、二人共」

 手近なマイクを通して彼女は喋った。向こう側の部屋のスピーカーから、彼女の声が聞こえた。

「どうっていつも通りですよ、ソフィーさん。なんだか頭がふらふらする」

 ベッドに寝たままアシルが答えた。そう、と彼女は優しく応えた。目を開けていたアシルとノルベルトは、ゆっくりと目を閉じた。数秒間、彼らはそうしていた。まるで眠っているかのようだ。

 突然、二人は同時に目を開けた。同時にソフィーはストップウォッチを止める。その画面を確認し、満足そうにした彼女は席を立った。扉を開け、ガラスの向こうの部屋に入る。中では既に研究員達が二人の呼吸器や残りの電極を外していた。

「安心して、二人共。メンテナンスは無事に終了よ」

 ありがとうございます、と二人が揃って応える。二人は起き上がると服を着替えた。ノルベルトもアシルも、男にしては少し長い髪を耳にかけた。その動作は少しの狂いもなくシンクロしていた。

「お腹空かない?」

 ソフィーの声に、二人が振り向く。ノルベルトがにこっと人懐こそうに笑った。

「そりゃあもう、ぺこぺこですよ!」

 彼らはメンテナンスのために朝から何も食べていない。しかし、その程度で空腹を感じる体ではない。平時の状況下なら、一週間以上飲食をしなくても生きていける。それはその場にいる皆に分かっていた。だが、誰も何も言わない。

 周囲で静かに片付けが始まる中、ソフィーが二人の前に立ってその部屋を出た。彼女が座っていた席の後ろには折りたたみ式のテーブルと椅子が準備され、上にはサンドイッチとコーヒーが置いてある。どうぞ、とソフィーに促され、二人は席についた。少しためらう彼らに、どうしたのと彼女は尋ねた。

「これ、誰が作ってくれたんですか」

 サンドイッチを指差し、アシルが問う。耳にかけていた彼の黒髪がはらりと落ちた。少し離れた所でパソコンに向かっていた女性研究員が、私よ、と手を挙げた。ほっとした様子で二人はサンドイッチを頬張った。

「良かった、ソフィーさんの手作りじゃなくて」

「ちょっと、どういう意味!?」

 部屋に少し笑いが起きた。ソフィーは少しむっとした表情のままフィリップに近づいた。そして、書類を渡す。

「今回のメンテナンスの結果です。適合時間は一四秒二八です。前回よりも〇.一一秒短縮されました」

 フィリップが頷いた。適合時間とは、メンテナンスが終了した時、二人が少し眠ったようになった時間のことだ。彼らがまだマリオネットになったばかりの頃は、これに数時間もかかっていた。年月が経つにつれ、その時間は短縮されてきた。この時間が短ければ短いほど良いとされる。なぜなら、万一他国と戦争にでもなった際に二人を緊急にメンテナンスし、情報をいろいろ操作するならば、メンテナンス終了後に早く起きてくれる方がありがたいからだ。ここで何時間も寝ていられては作戦に支障をきたすことだって考えられる。より迅速に適合させれば大きな戦力になる。

「このまま順調にいけば、いずれは限りなくゼロに近づけるだろうね」

 嬉しそうにフィリップが言う。ソフィーはサンドイッチを食べている彼らを振り返った。

 恐ろしいほどの聴力を持った彼らには、この小さな会話も聞かれている。今は彼らはソフィー達のことを気にも留めていない。だから何にも反応しないだけだ。だがどんな小さな音もある一定の範囲内では彼らの記憶データに刻み込まれる。それは視力にも嗅覚にも言えることだ。これが彼らが人間とは違う点だ。

「なら、いつ日本に留学しても大丈夫だね」

 フィリップが書類を片付けながら言った。そうですね、とソフィーが答えた。

 日本には当然ながらフィリップ達研究員も同行する。ノルベルト達のメンテナンスのためだ。最低でも日本への入国には二人の身分が軍人であることを明かす必要がある。しかしマリオネットであることは軍事機密なので、とても公にはできない。あくまでも研究員の立場は保護者という設定だ。

 ソフィーが食べ終えて何か喋っている二人を見ながら、フィリップに一歩近づいた。そしてできるだけ声を小さくした。

「いいんですか、あのことを二人には喋らないで」

 フィリップは笑った。気分を害されたようにソフィーがむっとしてみせる。

「いいも何も、言えるわけないでしょう。そんなに気になるなら、君が言えばいいんじゃない?」

 そんなことできるわけありません、とソフィーは俯いた。

 研究員達は彼らに重要なことを教えていないかった。

 マリオネットにはチップと呼ばれる極小の制御装置が体内に埋め込まれる。通常、それは一つの個体につき二つが必要だ。だが、二人を手術した時、チップはひと組しかなかった。これではどちらかを犠牲にせざるを得ない。しかし研究員達はフランス王子とドイツ王子の相性の良さを挙げ、二人でチップをひと組使うことに成功したのだ。つまり、アシルに一つ、ノルベルトに一つのチップが埋め込まれている。これはモルモットの実験段階で、相性の良い個体同士はチップを分けて使っても問題ないということが分かっていたからできたことだ。非常に天文学的な確率であることも分かっている。

 分けて埋め込まれたチップはどこにいても作動することが分かっている。しかし実験の結果、どちらか一方が死んでしまうと、チップは正常に作動しないことも分かった。残された方は狂ってしまうのだ。なのでもし、アシルかノルベルトのどちらかが戦闘中に死んでしまったりしたら、もう一人は手がつけられなくなる。彼らは運命共同体になってしまった。これは軍人としては大変な欠陥だ。

 二人の心中を思い、今まで誰も言えなかった。これからもきっと言えないだろう。

 恨まれるだろうか。いつか、彼らが真実を知ってしまった暁には。

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