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18 噛み合わない歯車

「え、あれ、ムッシュウ?」

 狐につままれたような顔をしてアシルが起き上がる。辺りをきょろきょろと見回し、彼は近くに転がっている自分の死体にぎょっとしたようだ。

「俺は……たしか……」

 するとそこへ来たのはギュイオット少将だった。二人分のアシルの身体を見て、まるで軽蔑したかのように視線を逸らす。

「命令だ。ノルベルト・シュヴェーダを殺せ」

 はっとしてアシルが振り向く。倒れているノルベルトがいた。彼は血に染まっている。コンクリートの瓦礫が彼の血を吸っている。だが、指先が僅かに動いていた。研究員達が距離をとって再び電気銃を構える。

「ノル……」

 その呟きに呼応するかのように、突然ノルベルトが立ち上がった。まだ無表情なままでアシルを見つめる。緑の瞳からは感情の一切が読み取れなかった。

「何があったんですか!どういうことなんですか!どうして俺がノルと戦わなくちゃ――」

 アシルがギュイオットを振り返る。ギュイオットは冷酷な顔のまま、来るぞと言っただけだった。その言葉の直後、ノルベルトが背後に回ってきた。慌てて体勢を整え、蹴りを受け流す。今の自分とじゃ違いすぎる――直感で彼は確信した。赤眼で呼びかけても答えない。何も分かっていないまま、ただ殺しているかのような、ほとんどリミッターを全解除していると言っても過言でないくらいの力。勝てない。勝てるわけがない。感情も宿さないその目に恐怖を覚える。まるで、デルタ。

 素手で殴られそうになったのをなんとか防ぎ、アシルはノルベルトの腕を掴んだ。もう片方の腕も掴み、歯を食いしばって頭突きをした。後頭部にまで衝撃が伝わる。ノルベルトを蹴り飛ばし、距離をとる。少し離れた瓦礫の上に着地したノルベルトは、立ったまま頭を押さえて呻いていた。そして膝をつき、彼はその場へうずくまった。警戒しながらもゆっくりとアシルが近づく。

「ノル……?」

 近づくほどに、ノルベルトの荒い息遣いが聞こえる。ノルベルトがゆっくりと目を開けた。

「アッシュ……?」

 かすかにそう聞こえた。すると、背後から非情とも言えるギュイオットの声がした。

「早く殺せ。心臓を止めてチップを取るだけでいい」

 わけが分からず、アシルはギュイオットを振り返る。

「RCチップを取れ。そうすればお前は完全な身体になる。本来お前達は一人がひと組のチップを身体に持つはずだったのが、事情があって二人がひと組なのだ。知っているだろう。だから、お前はノルベルト・シュヴェーダのチップを取って生きろ」

 アシルの顔色が変わる。

「そんな……そんなこと……」

 考えがまとまらない。そう思った時、うずくまっていたノルベルトが立った。まっすぐに狙いを定め、アシル目掛けて走り出す。アシルも構えた。突き出されたノルベルトの腕を掴み、自分の方へ身体を引き寄せる。ノルベルトの呻き声がはっきりと聞こえた。

「ノル!何やってんだよ!しっかりしろよ!」

 掴まれた腕を振りほどこうとして、ノルベルトがもがく。アシルは必死で掴んだ。軍服が破れそうだ。揉み合ってる最中、ノルベルトがアシルの首筋に噛み付いた。アシルが声をあげる。食いちぎろうとしている。焦ったアシルが腹を蹴ると、幸いにもノルベルトは彼を放した。ノルベルトの口元は血に汚れ、アシルの軍服の襟も同じように汚れていた。

「何をしている、殺せ!」

 ギュイオットの声が地鳴りのように響いた。アシルの動きが一瞬止まる。その隙をつかれ、彼は盛大に蹴り飛ばされた。

「さっさとRCチップだけを取れ!右肩に埋め込んである!お前はまだ使える、生きる道を選べ!」

 その言葉に、アシルの目が見開かれる。今度は振りかざされたノルベルトの腕を掴み、背後に回って地面に無理やりねじ伏せた。筋肉の動きが直に伝わってくる。

「ノル、お前……」

 呟きが静かに空気に消えていく。ノルベルトが泣いていたのだ。それも血の涙を流して。そして、気づいた。自分も泣いている。ノルベルトの額に落ちた自分の涙も血の色をしていた。

 一瞬気が緩んだ。ものすごい力でノルベルトは必死に起き上がろうとしている。アシルも負けじと肩を押さえて腕を持ち上げ、立てないようにした。段々とノルベルトの動きが鈍くなる。そして動かなくなった。掴んでいた腕から力が抜ける。心配したアシルはノルベルトの顔を見た。目を閉じて、彼は規則的に呼吸している。

「ノル?……ノル?」

 耳元で小さく囁いた。薄目を開け、ノルベルトはアシルの顔をちらりと見た。

「アッシュ……?」

 先程までと違う。いつものノルの声だ。アシルは安心した。ノルベルトはまた目を閉じてしまった。ほっと息をついた時、誰かに乱暴に肩を掴まれ、強引に振り向かされた。胸ぐらを掴まれ、無理に立たされる。ギュイオットだった。

「……なぜ殺さなかった。そいつを殺していればRCチップはお前のものとなる。一人で確実に生きることが出来る。完璧な体に……。なぜ殺さなかった」

 低く恐ろしい声で彼は言った。呆気にとられていたが、アシルは毅然とした態度で睨みつけた。だが、すぐに力なく俯いた。アシルは静かに喋った。

「……後悔してる。ノルを殺しておけば、あんたらの言う理屈なんて分からないけど、俺はこれからもっとマシに生きることができたんだろう?でもノルを殺しても、きっと後悔する。だから……だから、ノルを生き地獄の道連れにしたんだ」

 それだけです、とアシルは顔を上げた。品定めするかかのようにギュイオットが彼を見据える。そして手を離し、ノルベルトの方へ歩み寄った。アシルがノルベルトを庇うように彼の前に立ちはだかった。恐怖が滲む顔でギュイオットを睨む。

「どけ」

 アシルのすぐ目の前に立ち、ギュイオットが低い声で言った。アシルがぐっと唇を噛んだ。視界をオレンジがかった光が照らす。もうすぐ日暮れだ。コンクリートの瓦礫も淡く染まる。血が赤味を増している。

「どけ」

 再び少将が唸るように言う。それでもアシルは動かない。周りにいた者達は皆、その光景に見入っていた。すると突然、ギュイオットがアシルの腹を蹴った。呻いてアシルがうずくまる。その隙に少将はノルベルトの襟を掴み、持ち上げた。

「ノル!」

 悲痛な声でアシルが叫ぶ。その呼びかけにノルベルトは目を開けた。彼が起きたのを確認すると、ギュイオットは手を放した。どさりとノルベルトが落ちる。体中の痛みに顔を歪ませ、ゆっくりとアシルの顔を見た。

「お前……死んだはずじゃ……」

 言葉と共に血が溢れる。アシルがしゃがんでノルベルトの頬の血を拭った。そうだよ、と彼は呟いた。

「俺は死んだんだ。だけど、また生きることになった」

 訳が分からないといった風にノルベルトは視線を逸した。優しい光に包まれた世界が広がる。眩しいくらいに反射している水面。そこに流れ込む血。瓦礫に筋を作る血。ドイツ兵士の倒れている身体から流れていた。俯くと、変色した血に染まった自分の手のひらがあった。目の前に持ってくると、血が乾き始めていて皮膚が引っ張られるような感じがした。手になぜか嫌な感覚が蘇る。次に目に入ったのは焦げたデルタの顔だった。ひび割れた顔面からはネジのような部品が露出していた。まだ茶色っぽい煙が細く立ち上っている。気分が悪くなり目を背けた。すると、瓦礫の上に上半身が裸のまま横たわっている兵が見えた。周りにはフィリップたち研究員がいる。

「触るなっ!」

 汚れている彼の顔を拭いてくれているアシルを突き飛ばした。とっさのことに、アシルがバランスを崩す。どうしたんだ、というアシルの声が聞こえる。ノルベルトは頭を抱え込んだ。そして、震えていた。脳裏に焼きついて離れない。思い出した。アシルが死んだ瞬間のことを。あいつは目の前で心臓をちぎられて死んだはずだ。じゃあ、今目の前にいるこいつはなんなんだ。アシルと同じ顔をして、同じ声をして、俺をノルと呼ぶ。

「アッシュを……アッシュを返せ!どこにいる!」

 ノルベルトは叫んだ。目の前のアシルがきょとんとする。

「ノル……俺がアシル・ロレオンだ」

「違う!あいつは死んだ!お前は偽物だ!」

 違うと答えたのはギュイオットだった。ノルベルトもアシルも彼を振り返った。

「そいつはれっきとしたアシル・ロレオンだ。DNAも思考も感情も一緒だ。一度死んだのでRCチップと記憶を同じDNAを持ったスペアボディ……つまり、クローンに移し替えたのだ。だから、同じものだ。もういいだろう、お前の意識も戻った。早く立て」

 そう言い、ギュイオットは背を向けた。待ってください、と声がした。呼び止めたのはアシルだった。

「不十分な説明です。俺のことはいいとして……どうしてノルが意識を失う羽目になったんですか。どうして俺達は血の涙を流して――」

「黙り給え」

 鋭い一声でギュイオットが彼の言葉を遮った。気圧されたアシルが黙る。

「これ以上はここで会話できる範囲を超えている。後日、それはフィリップ達が話してくれるさ、なあ、ムッシュウ?」

 急に話を振られ、フィリップは飛び上がった。

「はい、もちろんです。こうなった以上は」

 そう言ってギュイオットに敬礼をする。満足そうにそれを見て、ギュイオットは足早にそこを去った。

「ムッシュウ」

 アシルが呼びかけたのをフィリップは片手のひらを見せて制した。

「デルタの回収を頼む」

 他の研究員が返事をして、わらわらと動いた。胸に穴が開いて倒れたままのアシルの遺体も片付けられる。その時、どこからか銃撃があった。デルタの遺体の回収に向かっていた研究員が一人、血を流して倒れた。土埃の向こうに見えたのは、数人の人影だ。

「それは困るわ」

 ついさっき聞いたばかりの声――モルゲンシュテルン団長、マルガレーテ・フォン・ヴァレンシュタインだ。他の四人もいる。彼女らは手に銃を持っていた。

「これはアメリカが持って帰ります、悪く思わないでくださいね」

 隙がない。彼女らが銃口をこちらへ向けて威嚇している間に、アメリカ軍がさっさとデルタの遺体を回収し、再び森に消えていく。モルゲンシュテルンも撤退した。だが去り際、アイリーンが心配そうな顔をしてちらりと振り返った。まだ土埃が収まらない。辺りには静寂しか残らない。

「追いますか、ムッシュウ。俺達二人ならデルタを回収できるはずです」

 ノルベルトが腕を押さえて立ち上がった。だがフィリップは結構だと断った。

「これ以上君達に傷をつけたくないからねえ」

 そう言う彼の隣では、セシルが目を真っ赤にして泣いていた。

「ル・セルパン。パリに帰るぞ。少将からのご命令だ。ムッシュウ、あなた達も帰るようにとのことだ」

 右耳のイヤホンを指で軽く押さえながらポールソンが言った。ひどく沈んだ声だった。いや、疲れているのかもしれない。元気がなかった。他の者たちもどことなく顔色が悪く見える。

 フィリップたちが帰り支度をする中、第六歩兵連隊も部隊を立て直し、彼らは場所を移り始めた。アシルと血まみれのノルベルトがル・セルパンのメンバーを振り返る。険しい表情をしたポールソンと目が合った。思わず身構えてしまう。だが、ポールソンはいつになく優しい声で呟いただけだった。

「帰るぞ」


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