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17 異変

 時は少し遡る。アシルはノルベルトと別れてから、真っ直ぐに第六歩兵連隊を目指した。到着した時、まだそこには人がいた。デルタはいない。少しほっとした。

「早くここから逃げろ!」

 アシルが言う。どこからともなく突然現れた少年に、全員が警戒した。銃口が向けられる。部隊長らしき男が静かに言った。

「何者だ……フランス軍の制服のようだが」

 いらいらしながらも、アシルは所属部隊と名前を言った。襟章も見せた。途端に兵士達がざわつく。マリオネット、化物、殺人人形――そんな言葉が聞こえる。

「いいからさっさと逃げろ!お前らじゃ敵わない相手が来ている!俺と……同じ人形だ、アメリカのドールが……!」

 どういうことだ、と部隊長が尋ねる。俺たち人形はこうも信用ならない存在なのか。そりゃそうか。何しろ作られたものなんだから。悔しさに怒りを覚えながら最後の警告をしようとした時、後ろの茂みから葉のこすれる微かな音がした。本当に小さな、風が立てるような音が。まだ距離があったが、もう間に合わない。

 流れるような手つきで銃を構え、フルオートにして音がした場所へ撃ち込む。だが、聞こえたのは笑い声だった。デルタの声。

「ひどいなあ、いきなり撃つなんて。もうちょっと近くで優しく遊んでよ。こんな風に」

 舌打ちしてアシルが振り向く。戦闘態勢をとっていた兵士が一人、首から血を流して倒れ込んだ。

「なんだ、貴様は……!」

 兵士たちの銃口が、悲鳴と共に一斉にデルタを向く。間に合わなかった。アシルの眉間に皺が寄る。人間が相手になって敵うわけがない。やめろ、銃を下ろせ。お前らじゃ無理なんだよ。俺がやるから――。

 だが兵士たちは発砲する。楽しそうにデルタが避ける。一発だけ、彼の手の甲をかすった。けれど、傷は一瞬で塞がった。

「何するんだよ、痛いだろ」

 拗ねた子供のように、発砲した兵を握り潰す。そのデルタの背後に回り、アシルは彼の背中を思い切り殴った。腹の向こうまで腕が貫通した。生温かい。デルタは無言だ。内蔵を掴み、腕を引き抜いた。軍服がどす黒い赤に染まる。アシルの腕には腐りかけたような腸の一部が握られていた。生臭い臭いが広がる。デルタがしゃがみこむ。だが、ひと呼吸おいて彼は立ち上がった。

「痛いじゃん」

 目を疑った。デルタの傷は完治していた。ありえない速度。なんてことだ。わざと隙を見せたのも知っていたが、能力の誇示のためにここまでするのか。

「自分がされて嫌なこと、人にはするなって習わなかったの?初期型さんにはお仕置きが必要だね」

 そりゃお前だろ、とアシルが言うとデルタは笑った。だが、次の瞬間視界から消える。背側に回り込まれたのが分かった。しかし速度についていけない。脇腹を蹴られ、吹っ飛んだ。コンクリートに全身を打ち付け、咳き込んだ。血が混じった唾が出る。肋骨を三本と右腕をやられた。頭の中で彼を罵る。気持ちが悪い。どうしてこんな場所に好き好んでいなくちゃいけないんだ。瞬時に骨を治し、立ち上がった。凄いね、立てるんだ、とデルタが笑う。

「おい……お前はマリオネットなんだろう。あんな奴、さっさとやっちまえよ……!」

 恐怖に震えながらも近くにいた兵士がなじった。お前らは本当に利用することばっかだな。でも仕方ない。今は、敵うわけないのだから。睨みつけ、不機嫌な声色でアシルは答えた。

「リミッター全解除の奴に勝てるわけねえだろ……」

 そんな、と声がする。そうだ、勝てるわけない。それでもやらなければならないのだ。

 またデルタがこちらへ向かってくる。銃を構え、撃ちまくった。それでもやはり駄目だ。弾切れになった銃をデルタの進行方向に投げる。足首に当たり、デルタが少しバランスを崩す。それでもデルタは向かってくるのをやめない。

 次の瞬間、デルタが視界から消えた。捜そうとした時、腹に熱に似た痛みを感じた。呼吸が止まる。息をしようとしても空気が肺に入ってこない。息を吐き出そうとしても何も出てこない。コンクリートの瓦礫の上にうずくまり、腹の底からこみ上げてくるものをようやく吐いた。最初に脇腹を蹴られていたのが効いたのか、まだ血が混じっていた。

 嫌な笑い声をあげながら、またデルタが向かってくる。今度は真っ直ぐに突っ込んできた。完全にアシルのことを下位に見なしている。必死に軌道を見極め、アシルはデルタの懐に飛び込んだ。隠し持っていた最後のサバイバルナイフでデルタの喉をえぐる。手に残ったのは嫌な感触だけだ。ナイフはデルタの喉に刺さったままだ。あーあ、と呟きながらデルタがナイフを引き抜く。傷口からは血が出ていたが、もう傷は治っている。

 ゆっくりとデルタがこちらへ歩み寄る。次の瞬間にはアシルの目の前にいた。咄嗟のことだったがすぐに反応し、素手でデルタの顔を殴ろうとした。しかし、足に激痛が走った。デルタが足元に屈んでいた。上目遣いでいやらしく笑う。そしてアシルの右足を掴むと、瓦礫の山に向かって投げつけた。叩きつけたと言う方が正しいだろうか。粉塵が舞う中、アシルは必死で足の骨を治した。――この痛みじゃあ腕もまたやられたな。揺れる視界を睨みつけながらそう思った。そして、近くにいるのであろうノルベルトに向かって必死に呼びかけた。

『早く来てくれ!』

 返事があったような気がした。だが、ふらつく頭ではよく分からない。気のせいか?

 またデルタの動く気配がした。折れた腕は後回しだ。使い物にならなければ盾にでもしよう。とりあえず立てるようになり、ふらつきながらも彼は立った。額を切ったか。温かいものが顔を伝う。口もさっきから気持ち悪い鉄の味しかしない。軍服も、派手にコンクリートにこすったりするから破れてほつれてしまった。

 その時、よく知っている匂いがした。少し安心する。

「遅え……」

 自分でも笑えるくらい息が切れている。息切れしたことなど、ほとんど無いのに。

「なんで……」

 ノルベルトがそう呟いたように聞こえた。

 ほぼ同時にデルタが動いた。アシルも動いた。ノルベルトは一瞬遅かったが、デルタの死角へ飛び込んだ。だが、ノルベルトはなぜかデルタに蹴られた。そんなに大きな動きではなかったが予想以上に吹っ飛んだ。体勢を立て直すと、全身から血の気が引いた。デルタがアシルの首を掴み、片腕で軽々と持ち上げていた。呻き声が聞こえる。アシルがデルタの腕を掴むが、弱々しい。デルタが笑った。

「死角があると思った?残念、初期型さんたちと違って、僕に死角なんてないから。あーあ、捕まっちゃったね。機械ならもっと人間の盾にならなきゃだめじゃん。それが存在理由なんだからさあ」

 アシルの口が僅かに動く。デルタを睨みつける。

「俺たちは……人間、だ……!」

 くだらない、とデルタは一蹴した。首を掴む手に力を込めると、声にならない悲鳴があがった。苦痛に歪んだアシルの表情が和らぐ。

「アッシュに触るな!」

 駆け出そうとしたが、デルタはもう片方の手で銃を握り、ドイツ兵の方へ向けた。ノルベルトの足が止まる。

「あはは、いいねえ、こういうの。こんな小さな武器で君たち全員動けなくなるなんて最っ高じゃん!」

 ノルベルトは唇を噛んだ。だらりと垂れ下がるアシルの腕が目に入る。デルタがアシルの身体を放り投げた。アシルが薄れそうな意識の中、必死に身体を動かした。だがデルタは目にも止まらぬ速さで彼に突っ込んでいく。

 アシルがデルタに寄りかかっている。彼の背中からデルタの腕が見える。デルタがゆっくりと腕を引き抜いた。アシルの足元にぼたぼたと赤い水たまりができる。そのまま釣り糸の切れた操り人形のように彼の身体は傾き、倒れた。

「アッシュ……」

 震える声でノルベルトが呼びかける。第三の目を使っても返事は返ってこない。デルタの笑い声が不気味に響いた。彼は手に何か持っている。嬉しそうに彼はそれを眺めていた。まるで宝石でも扱うかのようにしている。

「綺麗だよねえ、この子の心臓」

 倒れたままのアシルの胸には穴があった。丁度デルタの腕くらいの太さだ。半分閉じられた目に光は見えない。風が彼の髪を揺らす。コンクリートには血が染み込んでいった。倒れているアシルの身体から溢れ出してくる。コンクリートが赤くなっていく。

 そのアシルの姿を見て、ノルベルトが立ち上がった。

「今度は君が遊んでくれるの?」

 デルタが呑気に尋ねる。だがノルベルトは答えもせずに真っ直ぐ突っ込んでいく。

「な……なんで!」

 思わずデルタが声をあげる。今までとは比べ物にならないほどの速度。腕を振り払うとデルタの右腕がちぎれて飛んだ。デルタが舌打ちする。ノルベルトから距離をとって彼はコンクリートの瓦礫の上に立った。

「一体どうしたんだよ。もしかしてお友達殺されちゃって怒ったの?」

 だがノルベルトは答えない。表情のない顔でデルタを睨む。デルタの表情が少し変わった。

「なんだよー、そんなに怒らなくてもいいじゃんか。どうせドールならもう一回作ってもらえるだろ、同じバージョンで同じDNAでさあ」

 その声も無視し、ノルベルトはデルタを狙う。コンクリートと共にデルタの足が粉々に砕けた。

「ちょっ……待ってよ!」

 デルタが右腕を拾う。肩に持っていくと、腕はくっついた。だが容赦なくノルベルトはデルタを蹴った。足を治す暇もない。デルタの腹が切れ、色の悪い内蔵が落ちる。デルタが血を吐いた。悪態をつき、ノルベルトに手を伸ばす。だがノルベルトは興味なさそうに彼を見た後、デルタの顔を踏み潰した。機械が壊れるような音がして、デルタの頭から茶色く濁った煙があがる。そうやって何度も踏みつけた。

「お、おい……」

 隠れていたドイツ兵がそろりと出てきた。

「何やってるんだ、もう死んだんだろ……?」

 ノルベルトはぎろりと彼を睨みつけた。すっかり自我を失った目つき。緑の瞳は冷酷だった。ゆっくりと身体の向きを変えると、彼はその兵士の方へ歩み寄った。兵士が怯えた声を出して後退る。ノルベルトが腕を振りかざし、勢いよく彼を殴った。兵士の頭が弾け、辺りに血が飛び散った。周りにいた兵士が呻き声をあげる。

「なっ……貴様、我々の味方ではないのか!」

 それでもノルベルトは歩みを止めない。血に濡れた頬を拭い、指を舐める。無表情のまま、彼はまた一番近くにいた兵士を手にかけた。軍服に返り血が染み込む。

「う……撃て!」

 命令と共に兵士達の銃が一斉に火を吹く。だがそこにノルベルトの姿はなかった。誰もが仕留めたはずだと思っていた。

「上だ……!」

 誰かが叫んだ。勢いをつけ、コンクリートの瓦礫ごと何人かがちぎれて舞う。少し離れたところにあった瓦礫に赤い模様がつく。もうもうと埃が舞う。だがそれにも構わず、ノルベルトは土煙を飛び越え、兵士をまた殺した。血が顔に散る。まるで彼が泣いているように頬を赤い涙が伝う。

「なんでだっ……!」

 悲鳴が聞こえる。すると突然、ノルベルトの後方から数人の足音がした。合図と共に網が発射される。蜘蛛の巣が花開くように、ノルベルト目掛けて網がかかる。だが彼は両手でそれを引き裂いた。また新たな網が発射される。今度は金属製のようだ。だがノルベルトはいとも簡単にそれも壊した。舌打ちが聞こえる。

「おい、ノル!俺らが分からないのか!?」

 ポールソンだった。しかしノルベルトは答えない。代わりに無表情のまま、瞬時にポールソンの背後に降り立った。ぎくっとしてポールソンが構える。ノルベルトが手を出す。ポールソンの軍服の袖が裂け、血が飛んだ。

「だから忠告したじゃない。下がってた方がいいんじゃない、少佐」

 隣には呆れたようにフィリップが立っていた。歯ぎしりしながらポールソンが避けた。

 先ほど金網を撃ったのはフィリップたち研究員だった。ソフィーの姿もある。彼女は悲しそうな顔をしていた。

「しょうがないなあ、大人しく捕まってくれると思ったんだけど。っていうか、いいデータがとれそうなのに」

 心底残念そうにフィリップが呟く。ソフィーが彼をたしなめた。

「あの子たちのことも考えてやってください……!」

 分かったよ、と言うとフィリップは何やら指示した。またしてもソフィーが驚いた顔をする。それでも仕方ないと諦めたのか、彼女は大人しく言う通りにした。準備が整いました、とソフィーが言う。研究員たちは各々の手に銃を持っていた。フィリップの声に合わせて発砲される。だが普通の弾とは違い、電気銃だった。だがそれもノルベルトは華麗に避ける。やっぱり、と笑いながらフィリップは冷や汗をかいた。

「第六歩兵連隊の人達はこの銃に当たらないように隠れて!金属はできるだけ外して!当たったら死ぬよ!」

 大声でフィリップが注意を促す。ざわめいたが兵士達は言われた通りにした。どういうことだ、とただ一人ポールソンが食い下がる。次の瞬間、先ほどの電気銃が乱射される。悪魔にも似た表情でノルベルトがフィリップを見る。だが彼の足に電気ショックが当たる。獣のような咆哮をあげ、ノルベルトは痙攣しながら地に落ちた。研究員が数人走り出て、倒れているノルベルトの足と腕を切った。そして頭以外の場所を蹴る。耳に残る、非常に嫌な音が響いた。

「何すんだよ!」

 悲鳴に近い声で叫んだのはアレクサンドルだった。大丈夫、とフィリップは言った。

「腱を切っただけだ。すぐには立ち上がれない。骨も折ったからね」

 そういう問題じゃないだろ、とアレクサンドルが涙をこぼす。その隙に研究員はアシルの身体を回収し、フィリップのもとへ運んできた。

「あーあ、こんなにされちゃって……まだ間に合うから、いっか」

 彼の穴の開いた胸を見て、フィリップがため息をつく。そして急いでアシルの額に電極を貼り付け、小型のコンピュータと繋いだ。画面を睨み、数秒して彼は電極を外した。そしてアシルの上着とシャツを脱がせた。フィリップはメガネの上からルーペをつけ、マスクをつけて手袋をはめた。アルコールを吸った脱脂綿でアシルの背中側の左肩を拭いていく。そしてメスで肩を裂いた。ピンセットで小さなチップを取り出す。

 その時、今まで倒れていたノルベルトの指が微かに動いた。研究員がまた彼の腕を切る。今度はノルベルトのものと分かるような呻き声が聞こえた。

 フィリップは合図して部下に袋を持ってこさせた。寝袋のようなものだ。研究員が袋のチャックを開ける。中から出てきたのは、きちんと軍服を着せられたアシルだった。ただし、目はしっかりと閉じられていて、まるで人形のようだった。

「は……?何これ」

 ピエールが口に出す。コンクリートの瓦礫の上にいるフィリップの足元には心臓をえぐられ、血の涙を流して動かないアシルがいる。そして袋から出てきたのは、血にも泥にも汚れていないアシルだ。まさか、とポールソンが呟く。察しがいいねえ、と研究員の誰かが呟いた。

 フィリップは綺麗に軍服を着せられている方の服も脱がし、また左肩にメスを入れた。ピンセットで、今度はチップを埋めていく。ガーゼで傷口を抑えたまま身体を横たえ、額に電極をつけていく。再びフィリップはコンピュータの画面を見て、他の研究員に何かを確認した。そして満足そうに頷いた。

 綺麗な軍服を着せられているアシルがゆっくりと目を開ける。


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