16 白い人形
「やっぱ気味悪いなあ……」
足のたくさんある虫を横目で見て、アレクサンドルが呟いた。ここはまだユーロベルの、かつて一番栄えていた場所だ。コンクリートの建物が倒壊し、砕け散ったガラスが地面いっぱいにきらめく。自動車も止まり、錆びていた。その隙間から、植物が強い生命力を見せつけていた。折れ曲がった街灯にはもう二度と灯は灯らない。水はけの悪くなったところには、降った雨水が溜まっていた。時が止まり、そのまま全てが錆びついてしまったようだ。
太陽がまぶしい。彼らは倒れているビルに隠れて休憩をとっていた。とても静かだ。だが、ノルベルトとアシルには聞こえていた。遠くで爆撃の音がする。ほんの微かに、煙の匂いがする。そして、もっと近くに――。
「いた……」
ノルベルトが呟いた。何が、とピエールが聞く。静かに、とノルベルトが人差し指を口元に持っていく。ポールソンが銃を握る。その時、声がした。
「見つけたー!見つけたよ!」
あまり低くない男の声だ。ひどく幼稚な喋り方をする。何だ、とポールソンがビルの瓦礫の隙間から窺う。女の声がした。
「ダメよ、そんなに怒鳴っちゃ。あーあ、ばれちゃったじゃない」
アシルも向こうの様子を窺う。かなり遠くにベレー帽を被った人間が数人いる。その中の一人は淡い金髪を、二つの三つ編みにしている。だいぶ髪は長い。フォリッジグリーンの軍服が見える。彼は目を見開いた。食い入るように見つめる。軍服の腕の部分に、赤で八角の星がある――。
「モルゲンシュテルン……!」
思わずアシルが呟く。他のメンバーの顔色が変わった。アシルはまだ彼女を見続けている。ちらりと顔が見えた。
「あれは、マルガレーテ・フォン・ヴァレンシュタイン……」
ポールソンが舌打ちする。マルガレーテは傭兵団モルゲンシュテルンの団長だ。女ながらに群を抜いた強さを誇るという。彼女が小さく笑った。
「出てきてください、アーヴァント……失礼、フランス陸軍第三特殊部隊の皆さん?」
やれやれと首を横に振り、ピエールがポールソンに目配せした。とっくにバレているのだから隠れている理由もない。いつでも銃を撃てるようにし、彼らは瓦礫の陰から出た。
やはり、モルゲンシュテルンが全員いた。団長のマルガレーテ・フォン・ヴァレンシュタイン。黒の長髪が印象的な中華人の張玉楼。ショートボブの金髪に浅黒い肌でメガネをかけているジェシカ・ホッブズ。そしてアイリーンとローザだった。そしてマルガレーテの横には、白い髪に白い服を着て、病的に肌の白い男がいた。
「久しぶり、でもないか」
ノルベルトは笑った。ローザと目が合う。彼女は硬い表情をしていた。
「いた!ほら、いたでしょ!殺していい?ねえ、いい?」
白い男が嬉々として言う。ダメよ、とマルガレーテが答えた。
「何なんだよ、そいつ。お前らモルゲンシュテルンは女だけの傭兵団だったはずだが?」
ポールソンがよく聞こえる声で尋ねた。
「そうよ。でも私達、今、アメリカの犬ですよ。こいつは好きで連れ歩いてるわけ違うですよ。私たち、そんな暇人違うね。……可哀想に、これはそこのお二人と同じね。ただいま性能テスト中ですよ」
少しおかしい英語で張が答えた。そこのお二人と言う時、彼女はノルベルトとアシルを指差した。それを見て、白い男がまた嬉しそうにした。
「あれは殺していい?いいんでしょ?」
少しの間、沈黙が流れた。そして突然、マルガレーテは妖しく微笑んだ。右手を掲げる。ゆっくり下ろした。同時に澄んだ声がした。
「行きなさい」
次の瞬間、白い男が瓦礫を駆け上がる。狂ったように笑いながら。
「ちっ。気色悪い」
舌打ちしてノルベルトが彼を睨んだ。行っていいぜ、とポールソンが合図する。それを確認すると、二人は向かってくる男の方へ急いだ。
「ハロー、ハロー、初期型さん達。僕はバージョン=デルタ。名前、教えてよ」
まるで幼い子供のような少々舌っ足らずな喋り方だ。
「その喋り方、ムカつく。……ちなみに俺はノルベルト・シュヴェーダ、こっちはアシル・ロレオンだ。覚えなくていいぜ。すぐに壊してやるからさ」
こいつももとは人間だったのだろう。もう人とは見た目もかけ離れている。近づけば機械の音がする。頬には青い筋が見える。爪の光沢もどこかおかしい。目も何か違う。どうしてこんなことになるのだろう。それまでの人生も、想いも、感情も何もかも水の泡にして――。自ら望んだのだろうか。いや、そんなはずはない。そうであってほしい。自分からこんなモノになるなんて、絶対に嫌だ。
そう思ってノルベルトは目を細めた。バージョン=デルタと名乗った男は、次々に素手で瓦礫もろとも二人を破壊しようとしてくる。拳は痛くはないのだろう。傷つきもしない。だが二人もその攻撃をかわしてゆく。かすりもしない。
「埒があかないわねえ」
マルガレーテがそう言い、二人に銃口を向けた。彼女の足元に、一発の銃弾が当たる。コンクリートが砕けた。撃ったのはポールソンだった。
「おいおい、そりゃあねえだろう。こっちは生身の人間同士、仲良くしようぜ、お嬢さん方」
面倒くさそうにマルガレーテが彼を見る。ポールソン以外にもピエールとアレクサンドルが戦闘態勢をとっていた。人数だけなら彼女達モルゲンシュテルンの方が勝っている。武器もあるし、勝率はあるだろう。
「なあ、アッシュ。こっちは俺が一対一しとくからさあ、皆の方に行ったら?」
デルタからの攻撃をかわしながら、ノルベルトが笑ってみせる。えー、とアシルがわざとらしく応えた。
「俺もホントはこっちで暴れたいんだけどなあ。ノルがそこまで言うなら、あっち行こうか?」
マルガレーテやポールソン達に聞こえるよう、大きな声で付け足した。マルガレーテが舌打ちする。
「だったら私達は高みの見物といくわ。あなたみたいなマリオネットに敵うわけないもの。バージョン=デルタ、頼んだわ」
合図し、張が煙幕をはる。彼女達は背後に広がる森の中に駆け込んだ。あっという間に姿は見えなくなった。追う?とピエールが尋ねる。ほっとけ、とポールソンが答えた。あの森の中を不毛な追いかけっこをしてみたところで意味はない。
ふと目をやると、デルタとノルベルト達はまだやり合っていた。時々、デルタが瓦礫を粉砕する音が聞こえる。
「ねえー、ちょっとは何かしてきてよお、つまんないつまんないつまんなーい!」
デルタが不平を言う。アシルは振り下ろされた拳をにこやかな表情のまま、ふわりと避けた。
先ほどから彼らはただ逃げているだけだ。一度だって自ら攻撃していない。それがデルタにとってはつまらないのだ。
二人は答えもせずにまた逃げる。デルタがあからさまに嫌そうな顔をした。そして、二人に向かって言った。
「そういえばこの辺にはドイツ軍の部隊もいるらしいね。どうしよっかなあ、そっちに行った方が遊んでくれるかなあ」
まるで独り言のように喋る。やめろ、と答えたのはノルベルトだ。
「俺たちが相手してやるよ。それでいいんだろう」
デルタは子供のように無邪気に笑った。
「もうだめー。決めたよ、僕はあっちに行くから」
そう言うとすぐ、デルタは身を翻した。森の中へ入る。デルタから距離をとっていた二人はすぐ追いかけたが、完全に遅れをとっていると言ってもいいだろう。おい、と背後からポールソンの声がしたが無視した。森の入口にはすでにデルタの姿はなかった。デルタがどんな機能を搭載しているかは分からない。しかし、簡単でもレーダー機能がついていれば必ずどこかの部隊に遭遇するだろう。
匂いでデルタの後を追うことは可能だ。だが、二人はさまざまな部隊の配置を記憶している。リミッターを外した時、ついでに教えてもらったのだ。
「アッシュ、先回りして第六歩兵連隊のところへ行け!俺はデルタを追っかけるから!」
頷くとアシルは脇にそれて姿を消した。
少し視界が開けた場所で、強烈な血の匂いがした。そこは小さな湖だった。ノルベルトの姿が映る。辺りには相変わらず倒壊したビルの瓦礫やガラスの破片があった。周りには真っ赤に染まってちぎれた兵士達の亡骸があった。流れ出た血で、水が赤く染まっている。デルタの匂いが強い。きっとあいつの仕業だろう。しかし、こんな所に部隊が配置されることは聞いていない。いや、緊急かもしれない。そう思ってノルベルトは一番近くに倒れていた兵士の襟章を見た。
「これ……アメリカ兵じゃねえか……」
なぜだ。あいつはアメリカのものだったはず。どうして同じ軍の人間を?
はっとしてノルベルトは目を細めた。
まさか、リミッターをすっかり解除してしまうとああなるっていうのか?何も分からず、ただ殺すことが唯一の楽しみのような顔をして――。それに微かだがどうして、どうしてモルゲンシュテルンの奴らの匂いが。
追わなければ。そう思い直し、ノルベルトは湖を回って再びデルタの匂いを探した。だが、去り際に足を止めた。振り向く。赤い湖と、ばらばらになった兵士たちがいるだけだ。彼は静かに敬礼した。返す者は一人もいない。
そのままデルタの匂いを辿っていくと、遠くから微かに戦闘音がした。あの方角は、たしかドイツの第六歩兵連隊がいる。アシルが先に向かっているはずだ。
その時、頭の中にアシルの声が響いた。第三の目を使ったのだ。二人共リミッターを外しているとはいえ、たかが知れている。それでも全力で加速してドイツ軍のいる場所へ向かった。
木の隙間を通り抜け、足が地面についた時、ノルベルトは息を飲んだ。
「遅え……」
息を切らしながらアシルが言う。彼はふらつきながらデルタを捉えた。血が滴る。他の誰のものでもない、アシルの血だ。額から、口から流れ、軍服も切れている。それに彼はなぜか血の涙を流していた。携帯している銃も持っていない。素手で戦っているということは、隠していたナイフも持っていないということか。
「なんで……」
ノルベルトが思わず呟く。リミッターを解除しているのに。これじゃ勝てない。直感でそう思った。




