13 星と鷲
一方ノルベルトとローザは言われた通り、他の棟に移った。最上階の渡り廊下を渡った際、誰かいるのではないかと思ったが、テロリストは誰もいなかった。窓から見えてもいけないので念のために腰をかがめ、手すりから上に頭が出ないようにした。しかし屋上から狙われてもいない。おかげで簡単に移れた。
「こいつらきっと馬鹿なんだな」
ノルベルトが小声で言う。でも、とローザは反論した。
「敵を嘗めてかかると痛い目に遭うのよ。ま、あんたがどうなろうと知ったこっちゃないけどね」
可愛くねえ、とノルベルトが悪態をつく。
「一階と三階にあいつらがいる。二階はいないな。一階は二人だ」
耳を澄ませてノルベルトが言う。二階はどうやら生徒たちだけのようだ。銃器を持つ者に立ち向かおうという者はいない。それを利用してか、そこにいなくても心理的にいるように思わせさえすれば逃げ出すことはないと踏んだのだろう。
どうして分かるの、と言いかけたがローザは口をつぐんだ。ノルベルトが口元に人差し指を当てている。どこか悲しげな笑顔だった。
ここで待ってろと言い残すと、ノルベルトは一人で三階のテロリストに向かっていった。あっという間だ。ローザは階段の陰から呆気にとられて見ていた。一瞬で男の背後に回り込み、首に手をかけ体重を利用して一気に落とす。一秒もかからなかった。音もなく男が崩れる。テロリストの装備を丁寧に外し、ノルベルトが銃を眺める。ローザが恐る恐る近寄った。ノルベルトが銃を差し出す。
「最初に片付けた奴と持ってる銃の型が違う。緋桜が正式に採用しているメンバーは同じ型の武器を持っているはずだ。特殊部隊を除いて、な。でもこれはそんないい武器じゃない。中華の闇市でも手に入るくらいのだ。こいつらはきっと寄せ集めの集団だろ。中華か東南アジアで雇われた奴かもしれない」
銃をしげしげと眺め、ローザは感心したようにため息をついた。
「問題は一階だな。二人いるから……。リミッター外してねえからなあ……相手の技量によるけど」
口元に手をあて、ぽつりと呟かれたノルベルトの言葉にローザが眉をひそめた。
「リミッター……?」
あ、と彼が口を押さえる。その動作にはどこかわざとらしいところがあった。
「俺とアッシュは、フランスの人形だ」
ノルベルトがなんでもなさそうに言ってのける。マリオネットという単語に、ローザの顔がひきつる。
「リミッターは一種の制御装置みたいなもんかな。今はそれ掛けてるからちゃんと普通の人間らしく振る舞えてるだろ?外すともっと戦闘向きになるし、あんま感情分からなくなるんだ。俺は本当はリミッターなんか解除してほしくないんだけどなあ。軍にいたら任務内容によってはリミッター外されるし……」
ローザが動揺を顕にしている。
「全部外したら……どうなるの」
さあ、とノルベルトが首を傾げる。
「やったことねえから分かんねえ。全部外したら……何も分からなくなるんだろうな、きっと。命令に忠実に従う生きた戦闘ロボットだろ。もともとその為に作られたんだし」
なぜか嬉しそうにノルベルトは話している。
「なんでそんなに喋るの……私はアメリカの犬なのに」
また彼が笑う。
「今までこんな話、誰かにしたことなかったからな。なんか面白え」
その微笑みに影があったのを、ローザは見逃さなかった。
彼らはそのまま階下へ行くことにした。男が二人、喋っている。ノルベルトは耳を澄ませた。標的を振り分け、まずはノルベルトが壁から飛び出す。手前にいた男の腹を蹴り、ねじ伏せる。もう一人が銃を構えようとした。しかし、背後からローザに殴られ、呆気なく倒れた。彼女の手にはパイプ椅子があった。壁に立て掛けてあったもののようだ。
「えげつねえな」
「なによ。利用できるものは利用するわ。ルールがあるゲームじゃないんだから」
ノルベルトが気絶している男たちの武器を取り上げていると、男の持っていたトランシーバーのランプが光った。
「おい、どうした。何があった」
二人の顔色が変わる。どうすんのよ、とローザがノルベルトをつつく。その間にもトランシーバーからの声は聞こえる。早く応えなければ、異常事態と取られて何があるか分からない。ノルベルトはトランシーバーを拾った。
「ああ、すまない。手が当たっただけだ。気づかなかった」
「そうか、気をつけろよ」
その声は、先ほど喋っていた男の声そっくりだ。ローザが目を見開く。その後も無難な内容の事務的な会話を続け、スイッチを切る。
ローザが自分を見ているのに気づき、彼は笑った。
「な、すごい特技だろ?」
マリオネットだからできる。人間ではない証。それを動作の隅々に自覚している。
彼は悲しそうな笑い方をしている。ローザは笑えなかった。
「放送室って……この下の階か」
アシルとアイリーンが空き教室に隠れて話していた。
最初、彼らは校内放送をした。もし日本政府が要求を飲んだとしたら、彼らは放送で解放を告げるだろう。以前そういう事例が報告されている。もちろん人質は一人残らず解放された。緋桜はそういう点で他のテロリストとは一線を画している。彼ら自身、それを誇りに思っている節があるようだ。だから、絶対に一人はいるはずだ。
これまでにほとんどのテロリストは気絶させた。適当な教室に連れ込んで装備を全て取り上げ、動けないようにしておいた。何人かは抵抗されれば面倒なほど体力がありそうだったので、アシルが彼らの関節を外しておいた。ノルベルト達もうまくやっているだろうから、残るはあと二、三人といったところだろう。
「あ、これ貰って行こ」
アシルは黒板の下に溜まっているチョークの粉を集め、近くにあった薄い紙で包んだ。
そして二人は足音に注意しながら階段を上っていた。
放送室の扉は全開だ。二人は階段の上から二段目のところから動けないでいた。三人いる。そのうち一人がリーダーだろう。あとの二人は物騒にも銃を持ったまま突っ立っていた。一人は乱雑に積まれたぬいぐるみを見ている。どうするかな、とアシルが思った時だ。別の棟から銃声がした。途端に頭に直接流れ込む情報。ノルベルトからだ。どうやらテロリストが発砲したらしい。余計なことを。きっと表に待機している武装警官隊か日本軍瀬戸内司令部の奴らが突入してくる。面倒なことになりそうだ。
「何だ、確認しろ!」
放送室にいた男が動いた。足音で階段を降りるつもりだと分かった。曲がり角の向こうから来る影が磨かれた床に反射して見えた。とっさにアシルはアイリーンを階段の壁と自分の背中に隠し、足を伸ばした。急いでいた男には見えていなかったのだろう、ものの見事に引っかかって階段を転がり落ち、踊り場で気絶した。
物音に異常を察知したリーダー格の男が何か言った。ゆっくりとした足音がする。
「出てこい、ネズミ!」
怒鳴り声。銃を構える音。大人しくアイリーンが出て行く。頭の後ろで手を組み、彼女は怯えた表情を作った。男は一瞬面食らったようだ。まさかこの学校の生徒が、それも女子生徒が出てくるとは思わなかったのだろう。
「一人か?」
はい、とアイリーンが小声で答える。
男が銃を構えたまま近づいていく。その顔は笑っていた。アイリーンに手を伸ばせば十分届くところまで男が来た時、陰からアシルが飛び出す。まるで翼があるかのようだ。アイリーンと男の頭上を楽に飛び越え、男の肩に手を置く。勢いを利用し後頭部を膝で蹴る。一瞬うめき声が聞こえた。もう一人の男がアイリーンを人質にとろうと向かってきた。男が闇雲に発砲する。一発、アシルの頬をかすった。たいした傷にはならなかった。
アイリーンが彼の顔目掛けて粉を撒いた。チョークの粉だ。不意をつかれて男は声を上げた。目に入ったらしい。その隙にアシルがグリップで頭を殴る。夏休みの間に相手をしたロシア解放区と比べれば、緋桜など子供の遊びだ。
階下が騒がしくなってきた。足音も荒く階段を上ってくる集団がいる。随分と重たい武装をしている。アイリーンが銃を構えた。
だが、上ってきたのは日本中立国の武装警官隊だった。目の前の状況に、びっくりしている。アイリーンも驚いた顔をして銃を下ろした。
「これ……君たちが?」
床はチョークの粉まみれで、二人の身体にも少しかかっている。ズボンとスカートの黒さのせいで余計に目立つ。おまけにアシルの頬から少し、血が出ている。否定してもどうしようもない。二人は頷いた。そういえば、と警官隊の一人が言う。
「たしかこの学園にはフランス陸軍特殊部隊の少年兵が留学しているとか。……君たちのことかい?」
アシルが頷く。アイリーンを庇うようにして銃を渡した。ついでに身分証明書を手渡すと、警官は納得した。次に警官の目がアイリーンを捉える。アイリーンは諦めたようにポケットを探ると、身分証明書を取り出した。警官に突きつける。星と鷲の紋章が描いてある。
「アメリカ……」
彼が驚いた声を出した。周りの数人がざわつく。
「行っていいですか。後で報告書を上げます。フランス軍から回ってくると思うので。それでもまだ気になる点がありましたら、ご連絡ください」
その場に呆気に取られたままの警官隊を残し、アシルはさっさとアイリーンを連れて戻った。途中、校内放送で占領解除の放送が流れた。先ほどの警官の声だ。学校中から歓声が聞こえる。馬鹿らしくて仕方ない。テロなんて珍しいことでもないのに。
戻る途中、教室の近くの階段で彼は問いかけた。
「このままクラスに戻るのか」
うん、とアイリーンが頷いた。
「大丈夫なのか。俺達は教師には身分がばれてるからいいけど……お前たちは隠してたんだろう」
いいのよ、と答えが返ってくる。
「いつかは知られるかもって思ってたし、ちゃんと身分証明書があるもの。……でも、今まで使ってた奴が偽物ってばれちゃった」
ふふっと笑う。そうか、としかアシルは言えなかった。
「怪我、大丈夫?」
アイリーンが心配そうにする。ああ、とアシルは頬を拭った。そこにはもう傷跡はない。アイリーンは目を見張った。
「すぐ治るから」
平気そうに言ってみた。アイリーンが鋭い目で彼を見た。
「……人形」
低い声だ。正解だ、とアシルが微笑む。
「どうする?俺たちのこと、皆にばらすか?」
「そんなことしないわ。それが目的でここに来たわけじゃないもの。それに、あなたたちに敵うわけないでしょ」
やけにあっさりした答え。彼女たちは一体何を企んでいる?それが聞けないまま階段で別れ、アシルももとのクラスに戻る。ノルベルトは先に戻っていた。すっかり緊張の解けた生徒達はノルベルトに質問を浴びせていた。とにかく何か喋っていないと安心できないのだろう。ちょうど今は教師たちは対応に追われ、今日はもう授業どころではないだろう。その矛先がアシルにも向かう。
「お前も陸軍兵だったのか……!」
蔑んだ目ではない。好奇心に満ちている。戸惑いながらもアシルは適当に返事をした。どうせ答えなくたって、今の状況を見ればノルベルトがもう喋ってしまったのは明らかだったが。
アシルはノルベルトに歩み寄った。言いたいことはすぐに分かったらしく、ノルベルトが気まずい様子で目を逸らす。
「ドジ踏みやがって。発砲されるとか何考えてんだ」
うるせえ、とノルベルトが返す。
「そういうお前だって一発食らってるくせに」
やはり分かったか。他の生徒は先ほどまでアシルの頬に傷があったことなど分かってはいないのに。
お前の血の匂いがする、とノルベルトがメッセージを送ってきた。額の赤眼を使っている。そうか、とアシルは諦めたように笑った。
「ねえ、いつから陸軍にいるの?」
そこらじゅうから同じような質問が聞こえる。
「さあ……覚えてないな。でも、ノルとずっと一緒なんだ。聞いたろ?」
繰り返される質問、同じことを答える。それでも聞き手は悦ぶ。ああ、分からない。本当に理解できない。普通の人間というものが何なのか。こいつらの方が、同じことを何度も繰り返す――よっぽど機械じゃないか。




