12 緋桜
続くのは虚構の平和。だが、それは脆くも崩れる。アメリカ連合ラスベガス中心部で爆破事件があり、さらにロシア解放区と中華共栄圏の境界線付近のロシア側でもテロ事件があった。アメリカ側はこれを解放区の過激派がやったと主張し、ロシア側はアメリカの政府の自演だと主張した。ますます世界の空気が険悪になる。自身がヨーロッパにも影響力を持つと信じて疑わないアメリカは、各国に味方につくように促した。フランスとドイツもそちら側につかざるを得ないとアメリカは思っている、と言った方が正しいか。だが、実際はそんなことをする義理はない。この世界は損得利害だけで動くようになった。両国は暫く回答を保留にしていた。
「戻らなきゃいけねえのかな」
貸し切っているアパートの一室でノルベルトが不安そうに呟く。どうだろう、とアシルが生返事をした。
「前々から対立してたし、いつまた戦ったって誰もおかしいなんて言わないでしょ。でも、そうなるとこの中立国も怪しくなるしね」
パソコンの前で、退屈そうにノルベルトがあくびをする。本を読む手を止めて、アシルが近づいてきた。何見てるの、と画面をのぞき込む。そこには世界各地の写真が映っていた。
日本中立国――気候変化により、国土は荒廃した。南極と北極の氷が溶け、海水面は上昇し、陸地面積は小さくなった。人々の住む場所は少なくなった。街はさびれ、電柱も倒れた。ガラスは割れ、人のいた場所は他の生き物が住んでいる。電車も動かないまま放置され、水が床まで届いている。暖かくなったところには草木が茂っている。建物には緑が茂り、わずかに残った場所に人々は住む。瓦礫の中にぽつりと鳥居が立つ様は各地で見られる。四季はほとんど無くなったが、それでも文化は受け継がれている。
アメリカ連合――海岸の地形が変わった。気候変動の影響により、五大湖の近くにも大きな湖ができた。そこは豊かな森が広がり、多くの生き物が住んでいる。一方、もともと温暖で農業の盛んだった地域は砂漠になった。家々は砂に埋もれ、今では兵士に隠れ家や目印に使われている。一部を除いた市街地は戦争により壊滅的打撃を受け、ビルも倒壊した。車も店も人がいなくなったそのままに、時が止まっている。褪せていく色だけが時間の流れを示す時計の針だ。そしてそこも戦場となっている。人々は住めるところならどこでも、文句を言わずに移住した。また新しい街が出来、壊れ、造られ、支配された。
ヨーロッパ――市街地はアメリカと似たようなものだ。それでも砂漠化は進行が遅く、まだ農業の続けられる土地も多い。もちろん海面の上昇に伴って、海岸線は削られた。島は沈んだ。長靴の半島は形を変えた。北に浮かぶ王国もだいぶ形が変わった。高い山の頂に積もっていた雪は溶け、ただの山がそびえていた。数々の国が連合し、争い、歴史に幕を下ろし、また新たな幕を開けた。複雑に絡み合い、相手の腹の内を読もうとしている。
中華共栄圏――砂漠化が進み、人々はわずかに残った場所へ集まっていた。空は霞み、よく晴れた昼間ですら曇り空のようだ。舞い上がる砂嵐に人々は苦しんでいた。貧富の差が激しい世界で住み分けもされていた。暴動も絶えない。かつて厳かに立っていた神の住む山は、ただの岩に成り下がった。
ロシア解放区――氷は溶け、多くの生き物が絶滅した。四季がはっきりとしていて、季節ごとに鮮やかな景色が楽しめる。しかし、南部では紛争が絶えない。特に中華共栄圏との民族的な小競り合いは日常茶飯事だった。そのせいか、南部と北部での貧富の差は激しい。また、紛争後の移民によってかつての街並みはなくなり、治安も不安定だった。毎日どこかで黒煙が上がるのが常だ。
それでも人々は生きていた。
今日もまた、いつもと同じような不自然な日常が始まる。ノルベルトもアシルも、学校の一室で授業を受けていた。日本史の授業だった。歴史は減ることなく続く。同級生の何人かは辟易していると言っていた。教科書に書いてあるような、授業の内容は知っている。それ以上のことも知っている。頭の中にデータとして積み重ねられたものだ。くだらない豆知識めいたものまで聞かれたとしても、寸分違わず答えることが出来る。まるで、模範解答のように。
雲の流れる速さで分かる。今日は風が少し強い。相変わらず雲は変に混ざった絵の具のような色をしていた。ノルベルトがぼうっと窓の外を見た時だ。けたたましい非常ベルが鳴り響いた。生徒の何人かが悲鳴をあげる。一分ほどその状態が続いた。すると、スピーカーのスイッチが入る音がして、咳払いが聞こえた。
「この学園は我々『緋桜』が占領した!今より学園にいる全ての人間は我々の人質となってもらう!」
中年男らしい声がそう告げる。学校全体がパニックに陥った。
窓から正門を見れば、門に三人の守衛が縛られている。なんてザルな学園警備だろう、とノルベルトは呆れた。
緋桜は、西日本に拠点をおくと言われるテロリストの集団だ。日本が中立国でありながらも、事実上はアメリカ連合の傘下に入っている現実を喜ばしく思っておらず、しばしば暴動やテロなど過激な手段を使う。迷惑がられているが、なぜか人員は相当なものらしい。恐らく今回も要求は政府に対して、アメリカと手を切れというものだろう。
廊下がばたばたと騒がしい。見れば、銃器類を手にした男達が走っている。
「抵抗しなければ手荒な真似はしない。要求が飲まれれば解放することも約束する。よく心得ておけ」
スピーカーからそう聞こえた。同時に、ノルベルトとアシルのはめているデジタルの腕時計に文章が表示された。二人がにやりと笑う。すると、黒いマスクで顔を隠した男が一人、教室に入ってきた。
「この階はどうやらお前らだけらしいな。教室の隅に固まってろ。わめくなよ。うるせえからな」
銃を向け、威嚇する。生徒達は怯えきって、泣きながら言われた通りにした。教師でさえ大人しくするしかない、と判断したのだろう。生徒を促している。それを確認すると、男はポケットからトランシーバーを取り出した。
「A棟四階、漆だ。こっちは問題ねえ」
漆。その言葉を聞いて、ノルベルトとアシルは声を出さずに笑った。彼らは互いをコードネームで呼び合っている。植物の名前や日本の旧国名や山川の名前を付けることが多いと聞く。
二人は怯えている教師にこっそりと近づいた。気の弱そうな、頭の禿げたメガネの五十男。彼は近づいてきた二人に驚いているようだった。
「先生、行っていい?」
ノルベルトの問に、教師はきょとんとしていた。理解できていない。間違えた、とアシルが小声で言う。そして、面倒くさそうに言い換えた。
「俺達、行くね?」
教師の返答を待たず、彼ら二人は戸口でトランシーバーをポケットに仕舞っているテロリスト目掛けて、目にも止まらぬ速さで蹴りを食らわせた。鳩尾に入る。呻き声もなくテロリストの体が崩れ落ちる。持っていた銃と隠してあった銃を取り上げ、予備の弾も手に入れる。二人でそれを分けると、手近にあったビニール紐でテロリストをぐるぐるに縛り上げた。最後にトランシーバーを取り上げる。
慣れた手つきで銃を扱う。それを生徒達は、呆気にとられて見ていた。
戸口で彼らは立ち止まり、教師に目を向ける。
「B組って、今どこで授業やってるか分かります?」
教師は震えながら口をぱくぱくさせていた。やっと出た声は笑えるほど弱々しい。
「だ、駄目だ……ここから出ては……殺されてしまう!」
呆れたように二人は教師に向き直った。
「俺達も命令されてるんですよ。軍事命令には協力しろって通達、きませんでしたか?」
少しの間口を固く閉ざしていたが、教師は諦めたように口を開いた。
「……この丁度真下の教室だ」
ありがとうございます、と丁寧に礼を言うと、二人は扉を開けた。そして、生徒達に部屋から出るなと念を押した。
「皆殺しになりたくなければ、ね」
足音に注意して、二人は東階段と西階段の二手に分かれて階下へ行った。別に赤眼で連絡など取らなくても、お互いが今どこにいて、どのタイミングで出るかはこの距離なら簡単に分かる。
三階にいるテロリストは一人。呑気に鼻歌を歌っている。どうやらこの階でも一室しか使われていないらしい。東階段で、ノルベルトが咳払いした。驚いた男が鼻歌をやめ、東階段へゆっくりと近寄る。次の瞬間、西階段からアシルが飛び出した。廊下を走ってくる。滑るように音もない。手刀で男を倒し、崩れる体を抱きとめる。銃などの装備品を奪い、教室の扉をゆっくりと開けた。生徒達が隅に固まっている。小さな悲鳴が上がる。ノルベルトは静かにするようジェスチャーで示した。生徒たちが半泣きで彼を見上げ、ぽかんと口を開けた。アシルが男を教室に引き摺りいれ、ビニール紐で縛った。
「……何の真似?」
そこにいたのは、ローザとアイリーンだった。訝しそうな顔をしている。
「命令だ……殲滅しろって、日本から要請が来たらしい。一緒に来ないか」
ノルベルトの問いかけに、正気なの、と二人は笑った。
「だから動けるようにしてやったんだろ。得物ならここにある。腰抜けたんなら来なくてもいいけど」
馬鹿にしないで、とローザが立ち上がる。
「いいわ。アイオワの借りを返すと思ってあげる。本当はぎりぎりまでじっとしてるつもりだったけど」
「本当にいいのか。お前達は秘密にしていたんじゃないのか。正体ばれたらここにいられなくなるかもしれない」
アシルの言葉に、構わないわとアイリーンが返事をする。
「正式にアメリカ軍ですって開き直ればいいものね」
そう言って二人は銃を受け取った。
「別れましょうか。私はアシル君と行くから、ローザはノルベルト君とね」
アイリーンが仕切った。一瞬ぽかんとした後、ええっと不満を漏らしたのはローザとノルベルトだ。
「何が不満だ、いいじゃねえか。時間ねえぞ。俺達はこのままA棟を潰していくから、お前らはB棟とC棟を潰していけ。放送室は俺たちが押さえる」
アシルはアイリーンを連れて、さっさと教室を出て行ってしまった。互いの顔を見て、仕方ないと二人は教室を出た。
「非常事態だからな。お前はなんか気に食わないけど。足手まといになるなよ」
「何を……!こっちのセリフよ、仕方なく組んであげるんだから」
小声で二人は言い争う。
「大丈夫かなあ、あの二人。ちょっと心配……」
階段でアイリーンが呟く。どうやらこの階には誰もいないらしい。相手は少人数で来たようだ。だが、念の為に二人は様子をうかがっていた。
「失敗だったかな。……でも、なんでペアに俺を?」
アイリーンは考える素振りをみせた。そして、さあ、と首を傾げる。
「この階にはやっぱり誰もいないな」
アシルが出ていこうとした。アイリーンが引き止める。
「いきなり出て行くなんて危険よ。どこか教室に潜んでいるかもしれないわ」
心配ないよ、と彼は笑った。
「俺たちには分かるんだ」
そう、誰もいない。怪しい音も聞こえなければ、不自然に温度が高くなっている場所も見当たらない。
アイリーンは少々気味悪そうにしている。しかし、行こうかとアシルが促すと素直に従った。




