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サキ短編集「レジナルド」

レジナルド

作者: サキ(原著) 着地した鶏(翻訳)

 やってしまった……どうしてもっとよく考えなかったんだろうか。往々にして人は過ちを犯すものだというのに。


 事の発端は、マッキロップ夫妻の園遊会ガーデンパーティだった。僕は嫌がるレジナルドをその園遊会に誘ったのだ。


「レジナルド、君が我が家にいるのは夫妻も知ってるんだ。なのに、君がパーティに来ないとなると先方もひどく不審に思うだろうね。なあ、私はねマッキロップ夫人とお近づきになりたいんだよ。今すぐにでも会いたいくらいだ」

「分かってますよ、その夫人が飼っている煙色のペルシア猫が欲しいんでしょう。煙色の仔猫を貴方のワンプルスちゃんの将来のお嫁さんに、というわけだ……いや、お婿さんでしたっけ?」

(服の縫い目のような細かいことを高飛車に嘲笑う。レジナルドとはそういう男だった)


「ですがね、そこに行ってみるや否やいきなり結婚を迫られたりするんじゃないですか。そうなるともう社会的な苦痛ですよ……」

「レジナルド、そんなつもりじゃ無い! ただ君を連れていけばきっとマッキロップ夫人も喜んでくれる……そう思っただけなんだ。君みたいな魅力的な美男子はパーティにとびきりの華を添えてくれるからさ」

「花を添えるなら天国が相応しいんじゃないですかね」とレジナルドは満足そうに呟いた。

「なるほど、天国に花を添えに行くから君みたいな良い男は会場に姿を見せないというわけか……まあ、冗談はさておき、ガーデンパーティは君が耐えられないほど大きな負担にはならないはずだ。約束しよう、君はクロッケーはしなくていいし大執事の奥方とお喋りする必要も無い。疲れるようなことは何もしなくいいんだ。ただカッコいい服を着て適当に愛想をふりまいてくれるだけでいい。遊び飽きて腹を空かせた鸚鵡オウムみたいにチョコクリームでも舐めてくれればそれでいいんだ。それ以上のことは何もしなくていいから」


 すると、レジナルドはその両の瞳を閉じてこう言った。

「面倒くさそうな今どきの若い娘が『今、サン・トイっていう演劇が流行ってますの。貴方、ご覧になりまして?』なんて聞いてくるでしょうね。ダイアモンド・ジュビリーみたいな話を熱心に聞きたがる、あまり進歩的じゃない階層の娘ですよ。……おっと、まさか三冠競走馬ダイアモンドジュビリーの話と思ってるんじゃないでしょうね。女王陛下の在位六十年祝典ダイアモンド・ジュビリーのことですよ。まあ、その手の話題が好きな女の子が少しばかり煽て文句を口ずさみながら僕に質問を浴びせるんです。『同盟軍のパリ進撃はご存知?』という風にね。どうして女っていうのは昔のことを知りたがるんですかね。過去に拘るのが大好きなのかもしれませんが、これじゃ仕立屋と同じですよ。もう着なくなって随分になるのに、連中はスーツの支払いのことだけはずっと覚えてますから、最悪ですよ」

「なあ、一時には昼食を注文しようと思ってるんだ。長らく着てないスーツでも二時間半もあれば着替えられるだろう?」

 レジナルドは眉間に皺を寄せて苦々しく顔をしかめた。それを見て「勝った」と私は思った。今、レジナルドはベストとネクタイの組み合わせを熟考している。

 けれど、不安を感じる私もそこにはいたのだった。


 × × ×


 マッキロップ邸へ向かう馬車の中で、レジナルドはとてもゆったりと落ち着いていた。サイズの合わない小さな靴を騙し騙し履いているというのに、とてもそんな風には見えない。私はますます不安になっていった。

 庭園に着くなり、私はレジナルドを美味しそうなマロングラッセの傍に連れていき、出来るだけ大執事の奥方の傍には寄せないようにした。しかしだ、レジナルドの傍を離れあちこちに挨拶をしに回っていると、モウクビィ家の一番上の娘がレジナルドに話し掛けようとするのが聞こえた。『サン・トイはご覧になりまして?』という声が嫌なくらいハッキリと私の耳に残ったのだ。


 それから十分ほど経った頃……いや、もっと後の話だ。私はマッキロップ夫人とのお喋りを心の底から愉しみ、ホール・ケインの『永遠の都』とラビットマヨネーズのレシピ本を夫人にお貸しするという約束を交わしていた。そして夫人の三匹目のペルシア猫に温かな家庭を……と申し出ようとしたちょうどそのとき、私の視界からレジナルドが消えたのである。気付けばマロングラッセの前にはその姿はもう無かったし、その皿に手をつけた様子も無い。するとそのとき私の瞳に映ったのは年老いたメンドーサ大佐だった。如何にしてインドにゴルフを広めたか、という昔話をする老大佐のすぐ近くだ。そこにあの不穏なレジナルドの姿があったのだ。だが、老大佐の目にはこの男が絶好の観客(キャヴィア)に見えたのだろう。

「吾輩がインドのプーナにおったころ、そうじゃなあれは1876年の……」

 しかし老大佐の話を遮るようにして、レジナルドの嬉しそうな声が上がる。

「ああ、大佐殿ともあろう方がそんなことを仰るとは! 『1876年』だなんて、ご自分の歳を言いふらすようなものですよ! そんな時代、僕はまだ地球上に存在すらしてませんでしたよ」

(正直に言うと、レジナルドはもう二十二歳はとうに越えている。だが決してそれを認めず真実に真っ向から逆らっているのである)


 老大佐の顔色は完熟した無花果へと変わっていった。私はレジナルドを押し止めようとしたのだが、アイツは聞く耳を持たない。そのまま流れ漂うようにしてレジナルドはまた何処かへ行ってしまった。

 奴を見つけたのはそれから数分後のことで、ランペイジ家の末息子に嬉々として苦艾酒アブサンの混ぜ方を教えているところだった。それも禁酒運動家で知られるランペイジ夫人に聞こえるようにだ。私は教育に悪いこの内緒話を打ち切らせ、レジナルドをクロッケー場の近くに連れて行った。癇癪を起している選手を眺めててくれればそれでいいんだ。


 そしてマッキロップ夫人を捜すために私は庭園中を歩き回った。さっき言いそびれた子猫の話をしようと思ったのだが夫人はなかなか捕まらない。結局、夫人の方が私を見つけ出したのだった。しかし、その夫人の口から飛び出したのは子猫のことなどではなかった。

「ねえ、貴方が連れて来た従弟さんなんですけど、さっきから大執事の奥様と口論になっておりますの……『ザザ』っていう不倫劇がどうとかって仰って。とにかく大執事の奥様が馬車を呼ぼうとしているのに、貴方のお連れさんの方はまだ戯言を並べ立ててらっしゃるの」

 乾いた声で切れ切れに喋る夫人はまるでフランス語の発声を繰り返しているみたいだった。だがミリー・マッキロップ夫人の不安が拭われない限り、我が家の愛猫はこの先ずっと独身でいなければならないのである。

 私は急ぎ言葉を発した。

「あの、宜しければ我々も馬車を呼びましょうか」

 私はクロッケー場へと無理矢理に足を進めるのだった。


 クロッケー場の方に居たのは天気を気に懸けたり南アフリカの戦争について熱っぽく語ったりする人ばかりだった。ただレジナルドだけは夢見心地で安楽椅子に背を預け、何処か遠くの方を見つめていた。その瞳は、いくつもの村を壊滅させ沸々と煙を吐き続ける火山を思わせた。大執事の奥様は目を見張るほど恐怖し、じっと思い悩みながら手袋のボタンを留めている。この様子では私はもう大執事邸に足を踏み入れることはままならないだろう。奥様の主宰する「明るい日曜の夕べ募金」への寄付金は三倍にしておかないと。


 その時、クロッケーの試合がちょうど終わった。終わる気配も見せずに午前中は続いていたのに、どうして今なんだ? 皆の気を逸らすために何か人目を惹くものが必要だというのに、何故キッカリと終わってしまったんだ。その場にいた人々は混乱や困惑に向かうようにして台風の周りを漂っている。私の目にはそう映った。そしてその台風の目には椅子に座る大執事の奥様とレジナルドの姿。

 会話は次第に止み、皆に夜明け前の静けさを思わせた。もし、朝告げ鶏を連れてる人が居れば、そんな静寂などひと思いに掻き消してくれたろうに……。


 そしてレジナルドはこんなことを呟いた。


「そう言えば、カスピア人は何が好きかご存知ですか? ん、ご存じ無い。では、教えて差し上げましょう。実は、奴ら買い物が好きなんですよ。ほら、『カスピ買い』って言うくらいですからね」


 恐ろしいほど脈絡も何も無いこの謎掛け。皆が今にも右往左往と逃げ出しそうな空気。

 大執事の奥方は私の方を見つめていた。病に倒れ行く駱駝の眼差しを思わせる瞳。キプリングか誰かの本にこんな文句がある――駱駝に跨る隊商は、倒れた駱駝の運を天に任せ置き去りにする。淑女の瞳に湛えられた寸襤褸ずたぼろの叱責が、そんな一節を私の脳裏にまざまざと描き出した。


「レジナルド、もう遅いから帰ろう。海風も吹いてきたようだし」

 最後の切り札を引くことにした。レジナルドの手の込んだ右眉の巻き毛が強い海風に曝されるが、それが無事である保証など何処にも無いのだ。


 × × ×


「もう二度と、ああ絶対にお前をパーティに誘わないからな。二度と連れて行くものか……あんな無礼な振舞いばかりして……カスピ海がどうしたって!?」


 アレは場違いだったな――という無垢な後悔がレジナルドの顔をさっと横切った。

 そしてこんな嘆きの声を上げるのである。

「やっぱり……紫丁香花ライラックのベストには杏子色アプリコットのネクタイを合わせた方が良かったですね」


原著:「Reginald」(1904)所収「Reginald」

原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)

翻訳者:着地した鶏

底本:「The Complete Saki」(1998, Penguin Classics)所収「Reginald」

初訳公開:2013年3月8日


【備考】

 カスピ海のくだりは原文では「What did the Caspian Sea?」となっており、「What did the Caspian see?」と掛けた言葉遊びである。ただ、これを日本語で訳出するのは非常に困難だったため拙訳ではわけのわからぬ駄洒落で茶を濁している。


 余談であるが「What did the Caspian Sea/see?(カスピ海に住む人は何を見たのか)」の後に続く文句は「Persian Gulf/golf(ペルシア湾でゴルフをするペルシア人)」と言われている。つまり、Sea()see(見る)Gulf()golf(ゴルフ)を掛けた言葉遊びである。

ただ、この短編「Reginald」の語り手である「私」がマッキロップ夫人の「ペルシア猫」を欲しがっていたことを鑑みると、このレジナルドの戯言は、彼を利用しようとした「私」への揶揄を含んでいるのやもしれない。何しろ、「私」が欲しがっていたのはマッキロップ夫人の「ペルシア猫」なのだから。



 なお、作中に出てくる劇作品などの概説は以下の通りである。


「サン・トイ(San Toy)」:1899年にロンドンで公開されたミュージカル。Edward Mortonが脚本を書き、Harry GreenbankとAdrian Rossが作詞、Sidney Jonesが作曲を手掛けた。


「ダイアモンド・ジュビリー(Diamond Jubilee)」:1897年6月のヴィクトリア女王の在位六十年式典、およびそれを記念して名付けられたイギリスの競走馬(1900年にイギリスクラシック三冠を達成)。


「永遠の都(The Eternal City)」:1901年、英国の作家Hall Caineによって書かれた小説。


「ザザ(Zaza)」:仏国の劇作家Pierre BertonとCharles Simonによって書かれた演劇で、1898年に米国の脚本家David Belascoが英訳。


「南アフリカの戦争(the war in South Africa)」:1880年~1881年の第一次ボーア戦争、もしくは1899年~1902年の第二次ボーア戦争のこと。南アフリカの統治を巡る英国軍とアフリカーナー(オランダ系ボーア人)との戦い。


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