第三話
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起きたら朝だった。それも日が明けたばかりの早朝。
「…久しぶりに良く眠れたな。」
静香に話したおかげだろうか。昨日までの疲れが無くなっていた。話すだけでこんなに気が楽になるなんて思わなかった。
「さてと…。」
おれは起きて服を着替えて部屋を出て、茶の間に向かった。
「あら、おはよう」
茶の間に行ったら由実さんがおられた。
「おはようございます。今日は早いんですね。」
「ええ、もうすぐ例祭でしょ。それで例祭で舞う神楽を見て欲しいって静香に頼まれててね。けど起きるのが少し早すぎたみたいね。」
由実さんは幸正殿と婚姻を結ばれて引退される三年前までは大社で巫女をしていた。由実さんの舞いはとても綺麗で、幸正様も例祭の由実さんの神楽を見て一目惚れされたらしい。引退された今は大社の巫女に舞いを教えている。
「まだ朝日が出たばかりですからね。もう少し寝ていれたと思いますよ。」
「けど前はこれが普通だったのよ。神社の掃除をしたり舞の練習をしたりね。昔は『おくに』のようにと思って頑張ったものよ。」
『おくに』とは昔いた大社の巫女のことである。その舞は天下一とまで言われ、一度舞えば人々はその美しさにため息をつきながら見入ったと言う。帝も宮中に招待して舞わしたと言われる。今ではその舞は伝説になり出雲の巫女の憧れとなっている。
「由実さんの舞は本当に綺麗でしたからね。もう一回見たいです。」
「ふふっ、残念ながらそれは無理ね。私はもう引退したから舞えないわね。けど安心して。静香はもう私の舞より上手く舞えてるわ。だから次の例祭、楽しみにしてなさい。」
「由実さんのお墨付きとあらば楽しみにしない訳にはいきませんね。」
「私も楽しみだわ。…で結局静香とは結局仲直りできたの?」
「あ、はい。おかげさまで。」
「それは良かったわ。昨日静香本当に悩んでて、私やお義母様に相談してる時も不安そうにしてたわ。」
「静香、相談してたんですか…。」
「ええ。聞いちゃいけないこと、聞いちゃったんじゃないかって。まあ、どっちかて言うと、しゃべってくれない事が寂しかったんでしょうね。」
「あいつ、そんなに……。本当に悪いことしちまったな。」
「隠し事の一つや二つ誰にでもあるとは思うけど、でも今回はそれだけじゃ無いみたいね。」
「うっ…。」
「女の子を泣かせるのは関心しないわね。まあ、きっと信弘君にはいじめたい理由があるんでしょうね。」
「なんですか、いじめたい理由って?」
「良く言うじゃない。気になる子ほどいじめたくなるって。」
笑いながら由実さんがからかう様に言ってきた。
「気になる…、確かに幼馴染ですから気になるって言ったら気になりますけど。」
「そういう意味じゃないんだけど…。まあ、これからね。」
「何がこれからが分からないんですけど。」
そうこうしていたら静香がやってきた。
「おはようございますって、あら、信弘もいるの?」
「おはよう。神楽の練習だってな。」
「うん、もうそろそろ仕上げに入りたいし。由美さん、今日もよろしくお願いします。」
「ふふ、はい。こちらもよろしく。じゃあ信弘君、これから練習だから。」
「分かりました。静香、がんばれよ。」
「ありがとう。」
さて、散歩にでも出かけるか。
「あ、信弘。」
「どうした?」
「……信弘も頑張ってね。」
「ああ、お互い頑張ろうぜ。」
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散歩から帰ると、朝食の朝食の時間になっていた。
「そういえば、信弘。お主今日も安部殿の所に行くのか?」
その途中で孝幸様が声をかけらてきた。安部殿とはおれの道場の師範である。安部家は昔より森山家と関係があるらしくその縁でおれも安部殿の道場に通っている。
「はい、その予定です。」
「ここ最近妖が出るらしいから注意するんだぞ。」
「父様、それはどのような妖なのですか?」
「人の背丈を超える大蜘蛛らしい。」
静香がビクッと体を震わせた。
「そ、そのような妖がまだ退治されてないのですか…。」
「うむ。長浜様が探しておられるが今だにの。」
「長浜様が担当されておられるとは。」
長浜様は『八束水臣津野命』より神威を授けられたお方。神威は『国引き』。その力に動かせないものは無いといわれている。昔はよく遊んでもらい、よく知っているお方だ。
「先日より美保様も探してくださっておられるから、もうすぐ退治されるとは思うが、二人とも十分注意してくれ。」
「分かりました。」
「分かりました…。」
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朝食が終わり孝幸様達は大社に向かわれた。おれ達も少し遅れて向かおうとしたら千代さんに声をかけられた。
「仲直りされたみたいですね。」
「なんとかね。けど千代さん、何か眠そうだけど…。」
「昨日、松さんに夜遅くまで怒られてまして。」
「あー、ごめん。」
「昨日言いましたよ。お二人が仲直りするなら安いものですと。だからお気になさらないでください。」
おれが謝ると千代さんは笑って答えてくれた。
「信弘~。行くわよー。」
「では、信弘様いってらしゃいませ。」
「いってきます。」
静香の所に向かう途中でおれはもう一度小声で
「それでも、ありがとう。」
千代さんにお礼を言った。
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大社での仕事(とは言ってもただの手伝いだが)を終えて、おれは静香と道場に向かった
「朝の練習、由実さんどうだって?」
「上手くなってるって。でも例祭も近いし、もっと頑張らないといけないけど。」
「由実さんはもう自分の舞より上手いって言ってたから本当に上手くなってるんだろうな。」
「由実さんがそんな風に。よ~し、この調子で例祭も頑張るわよ。」
「おう、おれも楽しみにしてるぞ。」
「ありがと。ていうか、信弘元気そうね。」
「おう、久しぶりにぐっすり寝れたな。これも静香に聞いてもらったお陰だな。ありがとう。」
「そう。それは良かった。」
「けど昨日は本当に悪かった。まさか静音さんや由実さんに相談するまで追い詰めるとは…。」
「えっ!?相談したの誰に聞いたの!?」
「あ、由実さんだけど…。」
「な、何て言ってた?」
「昨日、静香が言ってたことをだが…。」
「あ…。」
おれがそう言うと静香は顔を赤くした。
「ん、どうした?顔が赤いぞ。」
「な、何でもない。」
「風邪でも引いたんじゃないか?」
「何でも無いって言ってるでしょ!!それより、信弘!王様になるっていったけど何か考えてるの!?」
「お、怒りながら言うこと無いだろ。」
「あ、ごめん…。」
「いや、別にいいけど…。考えてることな…分かんないな。」
「何よそれ。そんなんで大丈夫なの?」
「そう言ってもな、どうも実感が湧いて無くてな。」
「実感が沸いてないって………」
「仕方ないだろ。まだ神威が現れてないし。第一おれは王じゃなく、人だしな。」
「?………どういう意味よ?」
「そのままの意味だよ。全く違うってことさ。」
「???」
どうやら静香は分からなかったようだ。
「そういえば信弘、そのこと父様達に言わなくていいの?」
「ああ、たぶん大丈夫だ。」
「何でよ?」
「たぶん、分かってると思う。」
「そうなの?」
「ああ。美保様の宣託もあるし。確信があるかどうかは分からないが。」
そう、昨日の幸隆様の質問、そして美保様の宣託。おそらく気付いている。
「気付いていて、父様達は何も言われないの?」
「それとなく聞いてきたりはするが…それぐらいだな。まあ、これを疑うのは気が引けるんだろうな。」
「まあ……そうよね。疑ったら大神様を疑う事になるものね。」
出雲での『大国主大神』の信仰心は絶大であり、帝の祖神『天照大神』と同等か、それ以上の存在となっている。
『神威』は八百万の神々から授けられるもの。その神威を使う現人神は神々の化身だ。しかし、三貴子やそれより上位の創造神達の神威はあまりにも尊く、天孫の帝以外には現れないといわれている。
そしてこの日本の基礎を造りし『大国主大神』も三貴子と同等の存在されており、神威は現れないとされていた。しかし大神はおれに授けられた。それは、大神の意思。それを疑うことなど国造様達にできるはずがない。
「けど、話してないのはおれが臆病な所為だからな…。」
「そういえば、そうだったわね。」
静香は笑いながらそう言ってきた。
「笑うことないだろ。そりゃ、おかしいだろうけどよ。」
「違う、違う。信弘が私にだけ話してくれたと思うと嬉しくてね。」
それから静香はずっと笑顔だった。
(何か、こういう気持ちでいるの久しぶりだな。)
「そういえば、信弘。巫はどうするのよ?」
と思ったら静香がいきなり聞いてきた。
巫とは現人神に仕える巫女である。
現人神も神であるので、人々の信仰が重要であり、信仰が無くなったら現人神はただの人となってしまう。そして人々の信仰を現人神に伝えるのが巫の役目である。他にも神威の補佐などがあり、現人神の様々な補助をしている。
「それこそ分からんな。誰と結ぶのかその時次第としか言いようがないな。」
「そ、そう。なら私が「いらしゃーい。」」
「やあ、玉。一日ぶりだな。」
「こんにちは、信弘お兄ちゃん。」
「……」
「ん、どうした静香?」
「何でも無いわよ…。」
「「?」」
何故か静香がすねたような顔をした。その理由が分からないで玉と二人で顔を見合した。
「はーあ。玉、こんにちは。」
「こんにちは、静香お姉ちゃん。どうしたの。」
「何でもないから、気にしないで。」
「う、うん。分かった。」
「こんにちは、二人とも。」
玉と話していると安部殿が来られた。
「こんにちは。」
「こんにちは。今日もよろしくお願いします。」
「こちらもよろしくお願いします。ところで静香殿。」
「はい、何でしょう?」
「今日は山の方には近づかない様に注意しといてほしいんだ。」
「妖ですか?」
「うむ。昨日、近くの村の住人がやられたそうでな。この近くに来ているかもしれない。」
「大丈夫なんですか?」
「長浜様が見当を付けられたらしい。恐らく近日中に退治されるだろう。」
「分かりました。」
「まあ、会った時は玉より静香の方が気絶するだろうな。」
「私もそう思うな。」
「玉までひどいわね…。」
「じゃあ否定できるのかよ?」
「……無理。」
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「それでは、本日の稽古はこれまで!」
「「「ありがとうございました!!」」」
「さてと」
いつも通り道場で稽古を終えた後静香を探した。
「あれ?」
しかし、道場のどこにもいない。
「安部殿、静香を知りませんか?」
「いや。私も玉を探しているのだが静香殿もいないのか。」
「玉もいないという事はまだ帰っていないのでしょうか?」
「かも知れんな。探しに行くか。」
そう言って探しだそうと、扉の方に向かおうとしたらいきなり玉が飛び込んできた。
「大変なの!」
「どうしたんだ、玉!?」
玉は息を切らし、汗をかき続けていた。
「山に…行ったら、大きい…蜘蛛が出て…」
「山にいったのか!?」
「ご、ごめんなさい。」
安部殿に怒られ、玉が体を振るわせた。
「それで静香はどうしたんだ?」
「山から出さないためって残って…。」
「あの、バカ!」
気付いたら飛び出していた。
あの大の蜘蛛嫌いの静香が平常でいられるはずがない。それでなくても妖は危険だ。おれは無我夢中で走った。
(無事でいてくれよ。)
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「どこにいるんだ…。」
山に入って静香を探したが、山は生い茂っていて遠くが見えない。周りを見渡しても手がかりも無く、大蜘蛛と静香の姿も見えない。山は広い、それにもうすぐ夕方だ。暗くなればさらに見つけにくくなる。それに山付近に来た時から感じる、この禍々しさ。ただの大蜘蛛からは絶対にありえない。まるで祟り神だ。
「くそ、静香ー!」
「待って。」
「!?」
おれがまた走りだそうとしたら、誰かに声を掛けられた。後ろを振り向くと黒い頭巾に黒い外套という、黒ずくめの怪しい奴が立っていた。背丈がおれの半分くらいで子どもだということ、声から女性だとは分かるが、さっきまで近くには誰も居なかった筈だ。
「誰だ…」
こいつは危険だ…さっきからおれの憾が言っている。声を聞いた時から感じている威圧感が半端ない。ただ者じゃないのは確かだ。
「……もしかして最近出る妖ってお前の事か。蜘蛛だと聞いていたがまさか人型だったとはな。」
「こんな美少女を化け物呼ばわりなんて酷いね、”王様”。」
「っつ!?」
「ふふ、驚いてるね。」
(何故その事を!)
「それはまだ秘密だよ。」
「な!」
「何で知ってるかって顔してたよ。」
こいつ、心を読めるのか!?
少女は大層おもしろそうに笑っている。だがおれにはその笑い声が呪詛にしか思えなかった。
「さて、最初の質問だけど…そうだね、ミワとでも名乗っておこうかな。」
「ミワ?」
「そう。そして二つ目はね、今話すとつまらないからだよ。もっと楽しまないと。」
「…ふざけているのか。」
「失礼だね、わたしは真面目だよ。けどやっと威厳が出てきたね。覚醒までもう少しかな。後はきっかけだね。まあ、それも時間の問題かな。」
ミワはまた楽しそうに笑っていた。その笑い声は悪戯の成功した子どもの様に”不自然に”無邪気だった。
「結局、おれに何の用だ?」
「おお、すっかり忘れていたよ。実はあの巫女の場所を教えてあげようと思ってね。」
「静香の場所を知ってるのか!?」
「うん、知ってるよ。今はあの大蜘蛛と一緒にこの先にいるね。」
ミワはおれの後ろを指差した。
「この先か!」
「気をつけてね、油断したらきっとすぐ死んじゃうと思うから。」
「……忠告、感謝する。」
おれは指の指された方を走った。無論、疑念はあったが他に手がかりは無いので信じるしかなかった。
「頑張ってね王様。じゃないと、私
この国、呪っちゃうから」
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…しばらく行くとがさがさと音が聞こえてきた。音のした方に行くと人の背丈を優に超える大蜘蛛と静香がいた。
「静香!!」
このままじゃやばい。
おれは駈け出そうとしたが……
「うっ!」
体が動かない。あの大蜘蛛を見た瞬間、猛烈な恐怖が襲ってきた。
(何なんだ、あの妖…)
妖を見るのは初めてではない。普通の妖とは次元の違う大妖の一種、大天狗『清光坊』も見たことがある。しかしこいつ大妖とも違う。
(狂っている)
まるで大蜘蛛は””祟られているように””狂っていた。
妖を祟るなど聞いたことが無いがそう表現するしかないように思えた。正気を失い、力を得る。よく聞く方法だが妖がやるのと人がやるのとでは次元が違うとよく分かってしまった。
…あれには勝てない。軍神ならまだしも、神威もないおれではだめだ。
静香を助けたいが、無理だ。二人とも死んでしまう。
「グウォォォォ!」
蜘蛛とは思えぬ叫び声を出しながら大蜘蛛が静香の方に向かった。
「くそ!」
おれは無理やり足を動かして向かおうとした時
(信弘、助けて。)
静香が呟いたその願いが聞こえた。
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(時は来た。)
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気付いたら静香の前に立って大蜘蛛の進行を止めていた。
手には一本の矛。
それは武力。それは軍事力。
まさに力そのものだ。そしてその力を使うのは若き現人神であった。