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リストラされたので底辺ダンジョンでひっそり配信してたら、なぜか世界中にバレた  作者: 凪乃


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5/11

久我真凛、来たる

 七階層に到達した日の夜のことだ。


 シャワーを浴びて、タオルで頭を拭きながら缶ビールを開けた。発泡酒の安いやつ。冷蔵庫の奥に一本だけ残っていた。ダンジョンで汗をかいた後のビールは格別にうまい。喉を通る炭酸の刺激が、肺の奥に残っている深層の重い空気を洗い流してくれるような気がする。


 アパートのチャイムが鳴った。


 時刻は夜の八時。宅配にしては遅い。ネットで何か頼んだっけ——覚えがない。ドアスコープを覗くと、暗い廊下にスーツ姿の人影が立っていた。女。


 チェーンをかけたまま、ドアを薄く開けた。


「お久しぶりです、篠塚さん」


 久我真凛。


 スフィア・コーポレーション探索部門の企画室——にいた若い女だ。入社五年目のはず。ショートカットの黒髪、細い眼鏡、姿勢がいい。企画書を小脇に抱えて早歩きしている印象しかない。俺がリストラされた日、本社のロビーですれ違った。そのとき何か言いたそうな顔をしていたのを覚えている。


「久我? なんでここに——というか、なんで住所知ってるんだ」


「社内の緊急連絡網です。篠塚さんのリストラが決まったとき、連絡先だけメモしました」


「……それ、個人情報的にどうなんだ」


「退職したので、もう社の規定は関係ないです」


「退職?」


「はい。今日付で」


 真凛の足元にキャリーケースがあった。大きいやつ。スーツの襟元がわずかに乱れていて、首筋にうっすら汗が光っている。ここまで歩いてきたのか。走ってきたのか。


「……何があった」


「配信、見ました」


「見たのか」


「はい。全部」


「全部って——三日分しかないけど」


「三日分、全部です。何回か見直しました」


 真凛がまっすぐこちらを見た。眼鏡の奥の目が、蛍光灯の明かりで光っている。企画室にいた頃から、この目をする女だった。報告書を持ってきて説明するときも、プレゼンの壇上に立つときも、いつもこの目で。まっすぐで、揺れない。


「篠塚さん。私も、チームに入れてください」


「チーム? チームなんてないよ。俺一人だし」


「だから私が入ります」


「いや、なんで辞めたんだ。安定した仕事だろ。若いんだからもったいない」


「篠塚さんのリストラに反対したら、次の人事で企画室を外されました。総務付けです。コピーとシュレッダーの日々。事実上の閑職」


「……」


「会社に残る理由がなくなりました」


 それだけ。真凛の声は淡々としていた。でも、大手を五年で辞めて、キャリーケースを引いて夜の八時に元上司のアパートに来るのは、淡々でできることじゃない。


 チェーンを外した。


「あのな、久我。俺のところに来たって——」


「コメント管理。配信データの整理。ダンジョン管理局との書類交渉。スケジュールの管理。広報対応。法的リスクの洗い出し。全部やります。篠塚さんは潜ることだけに集中してください」


 指を折りながらリストアップしている。もう全部頭の中に入っているのだ。さすが企画室。段取りの人だ。


「……飯代しか出せないぞ」


「吉田食堂の朝定食でいいです」


「なんで吉田食堂を知ってるんだ」


「配信の帰り道で看板が映ってました。三日目の配信の1時間12分あたり」


「……そこまで見てたのか」


「全部見たと言いました」


 しばらく黙った。ドアの前で立ち話をしている格好だ。廊下の蛍光灯がちかちかしている。隣の部屋のおばさんがゴミ出しに出てきて、こちらをちらっと見た。目が合った。気まずい。


「……入るか。散らかってるけど」


「失礼します」


 四畳半のワンルームに人が二人入ると、途端に狭くなった。空気の量が足りなくなる感じ。真凛はキャリーケースを壁際に寄せて、折りたたみの丸椅子に背筋を伸ばして座った。部屋の中を一瞬で見渡して、テーブルの上に散らかった管理局の書類と、壁に立てかけた剣と、流しに溜まった食器を順番に確認している。目が速い。


「飯、食ったか」


「まだです」


「卵かけご飯しかないけど」


「いただきます」


 冷蔵庫から卵を出した。昨日買った十個パックから二個。器が一つしかないので、真凛のぶんは丼で出した。味噌汁はインスタントをマグカップに。白飯はジャーに残っている朝の分。少し固くなっているが、卵をかければ問題ない。


「……すみません、器まで」


「いいよ。客が来ることなんてないから、そもそも一人分しかない」


 真凛が丼を両手で持って、箸で卵を崩した。醤油を少しだけ垂らして、口に運ぶ。一口目を飲み込んだあと、小さく「おいしい」と言った。声が柔らかかった。さっきまでの交渉モードとは、違う声だ。


 俺はインスタントコーヒーを淹れた。砂糖はない。ブラック二杯。真凛の前にも置いた。


「明日から、よろしく頼む」


「はい。よろしくお願いします」


 真凛が笑った。口の端が少し上がるだけの、控えめな笑い方。入社したての頃に、初めて企画書の承認をもらったときに見たのと、同じ笑い方だった。


 ——まあ、仲間が増えるのは悪くない。


 とは、思わなかった。そういうことは考えないことにしている。ただ、一人でやるより効率はいいだろう。コメント管理も書類交渉も、俺には向いていない。適材適所だ。それだけのことだ。


 多分。

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