スフィア隊苦戦、おっさん救援
C-087の入口前には、見慣れない車両が並んでいた。
黒いワゴン。白い公用車。管理局の機材車。スフィアのロゴが入った大型ケース。入口の脇には、仮設のモニターが三枚立っている。
園城大臣は、その中央の画面を見ていた。
『第三班、左壁面から圧。後衛、下がれ』
『下がれません。通路が割れています』
『一人、膝をやられた。担架を』
スフィアの一級探索者隊の装備は揃っている。盾役が前に出て、後衛が距離を取り、通信も短い。提出されていた資料の数字だけなら、通常のダンジョンであれば十分に強い部隊のはずだった。
それでも、モニターの中では隊列が割れていた。
黒い影が、通路の奥から滑るように出る。人型に近い。頭はない。肩から上が黒い角質の塊になっていて、胸の中央だけが赤く脈を打っている。右腕は柱のように太い。左腕は長く、先が鎌のように曲がっている。背中から石板のようなものが何枚も開いていた。
記録にある前回のミノタウロスより、明らかに重い。
管理局側の職員が、観測端末の数字を読み上げる。
「二・九一。熱源ではありません。魔力圧で壁面が削れています。通常装備では、受けるほど摩耗します」
園城大臣は返事をしなかった。
画面の中で、盾役が吹き飛んだ。
右腕の一撃。盾ごと壁に叩きつけられる。後衛が散る。背中の板が開き、黒い針が床に刺さった。通路の石が弾ける。
『一人動けない!』
『後衛を狙われてる!』
『撤退路、塞がれました』
安藤は苦い顔でモニターを見ている。霧島は入口脇に立ったまま、トートバッグの持ち手を強く握っていた。
その時、監視の職員が顔を上げた。
「入口ゲートに三名。止めますか」
別の画面に、三人の姿が映った。
先頭の男は、ヘルメットを抱えたまま歩いている。後ろに、端末を持った細身の男。さらにその横で、若い女が通信担当の職員へ近づいていく。
管理局の職員が息を飲んだ。
「篠塚遥一、園田修一、久我真凛です」
園城大臣の横で、秘書が短く言う。
「あの三人がどうして!」
通信担当の探索者が入口側へ出た。久我真凛が、声を荒げずに言う。
「救護導線をこちらへ寄せてください。搬出口が一つしかないなら、最初から空けておくべきです」
「久我……どうしてお前がここへ」
「話は後で。現状を教えてください」
その声は、モニター前まで通った。
先頭の男が、端末を持つ男へ短く声をかける。
「園田」
「はい。篠塚さん、グリップは巻き直し済みです」
「ありがとう、真凛」
「外部連絡、救護導線、配信共有、こちらで持ちます。篠塚さんは潜行計画だけ見てください」
「了解」
篠塚遥一が入口へ向かった。
*
階段を降りる。後ろから、園田の足音が続く。
C-087の空気は、焦げた石の匂いがした。
鉄錆と苔の匂いの奥から、重い音が来る。
通路の先で、動けない探索者が一人、壁際に倒れていた。右脚の装甲が割れている。別の探索者が引っ張ろうとしていた。
しかし背後にミノタウロスが表れ、大鎌を振り下ろし、逃げ道そのものを砕いた。石床が裂け、二人の足元に深い亀裂が走る。
そして角を低く構え、怯えた仲間たちの前で、探索者を引きずりだす。そして首元に大鎌を振り下ろそうとした。
走った。
床の石粉で滑るが、踏み直す。鎌が下りる前に、倒れた探索者の前へ。剣で受けない。受けたら持っていかれるだろう。鎌の根元を柄で弾き、身体を横にずらす。
左肩に衝撃。
インナーが鳴った。
『左肩摩耗、74パーセント!』
園田の声が来る。
「持つか?」
『初撃だけです』
「分かってる」
なんとかこちら側に取り戻せた。倒れた探索者は意識を失っている。
「彼を入口へ」
「でも、隊長が」
「俺が何とかする。真凛」
「救護導線、開けています。負傷者をこちらへ」
真凛の声が通信に入る。別の探索者が、倒れた男の肩を抱えていった。
目の前にはミノタウロス。
これは突然変異か?頭部のないミノタウロスなんて初めてだ。それも武器は大鎌と針。
スフィア隊が崩れた理由は分かる。普通の攻撃パターンとは違っている。距離を取ると針で突かれる。盾で受けようにも大鎌で叩き潰される。回避するにも通路が狭い。
面倒な状況だな。
だが、倒せない相手ではない。一気に決める。
右腕が来た。風圧だけで石粉が舞っている。
横へ跳んだ。右腕が壁面を砕き割る。破片が飛んで、ヘルメットの端をかすめた。
尻尾の針が揺らめいた。……来る。
針が来る前に、前へ出た。下がれば後ろの彼らに針が飛ぶだろう。前へ出るしかない。針が動く一瞬、胸の脈動が強くなる。
そこだ。
剣を入れる。
硬い。前回のミノタウロスの骨より、ずっと重い。刃が止まる。手首に衝撃。
『正面は硬すぎます。脈動の下、右側に隙間』
園田の声が速い。だが、言っていることは正確だ。
「見えた」
ミノタウロスが右腕を振る。
避けず、内側へ入った。太い腕の下を潜る。左腕が追う。剣の柄で鎌の根元を弾く。身体が重い。もう若くない。だが、ここで下がると後ろにいる奴が死ぬ。
飯の前に、そういうのはもう見たくない。
胸元へ入っていく。
赤い脈動の右下。膜の切れ目。そこへ刃を寝かせて差し込む。押して押して、硬い膜をこじ開ける感触。中に、細い芯がある。
敵が背中の針を伸ばした。
真凛の声が聞こえる。
「負傷者、退避完了。篠塚さん、後ろは空きました」
「助かる」
俺は、刃を押し込んだ。
芯を斬る。
音は小さかった。
ぷつん、と、何かが切れた音。
敵の全身が止まった。右腕が落ち、左腕の鎌が床に刺さる。胸の赤が、薄くなっていく。
巨体が、前へ倒れると、床が揺れた。
通信が、一瞬だけ無音になる。
園田の声が入った。
『反応、急落。二・九一から〇・五、〇・二。討伐完了です。負傷者側、二名搬出済み。重傷一、意識あり』
「了解。損耗は」
『剣先が欠けています。左肩インナー、二七パーセント。ヘルメット外装、交換です』
後ろで、スフィアの探索者が息を荒くしていた。見たことがない顔、ひょっとして外部委託の探索者か?
「あんた、何者だ」
「C-087の管理者だ」
それ以上は言わない。
言う必要もない。
*
園城大臣は、画面から目を離せないでいた。管理局側は、園田の数値ログと配信映像を何度も見比べていた。
スフィアの一級探索者隊が崩れた相手を、救援しながら倒した。たった一人の探索者が。
その事実だけが、モニターに残っている。
安藤さんが、深く息を吐いた。
「……これが、彼らの実力です」
園城大臣は、そこでようやく我に返った。
「霧島主任」
声が低い。
霧島は、入口脇に立っていた。紙コップのコーヒーはない。トートバッグを肩にかけたまま、顔色は悪い。
「はい」
「君は、篠塚班を逃がしたな」
「えぇ、そうですね」
園城大臣の声が硬くなる。
「待機命令が下っていた彼らを逃がす権限などきみにはない。違うか」
霧島は、すぐには笑わなかった。
「違いませんねぇ」
「これは重大な規律違反にあたる。君を職務命令違反として処分対象に付す。ついてこい」
園城大臣が口を開いた、その時だった。
秘書が、横から駆け寄った。耳元に何かを囁く。園城大臣の眉が動く。
「……何?」
秘書が頷く。
職員が端末を差し出した。画面には、緊急通達の件名が出ている。
国家ダンジョン災害対策本部。
C-087待機命令解除指示。
内閣総理大臣許可済み。
管理局確認添付。
園城大臣は、画面を見たまま黙った。
霧島が、そこでにやっと笑った。
「言ったじゃないですか。あたし、根回しは得意なんです」
*
夜の吉田食堂は、いつもの匂いがした。
暖簾をくぐると、味噌と焼き魚の匂いが先に来る。腹が、その匂いに負けた。左肩はまだ重い。剣先は欠けた。ヘルメットも交換だ。だが、そういう話はあとでいい。
「遥一、今日は顔がひでえな。空いてるとこ座んな」
吉田じいさんが、厨房からこちらを見ずに言った。
「いつも通りだ」
「いつもよりひでえよ」
言い返す元気はなかった。俺は奥の席に座る。真凛が向かい、園田が横に座った。すぐに湯気の立つ豚汁が出てくる。大根と人参とごぼう。箸を入れると、味噌の匂いの奥から豚肉の脂が少しだけ浮いた。
焼き鯖も来た。皮の端がぱりっと焦げていて、箸で割ると白い身から湯気が上がる。だし巻きは厚く、切り口が黄色い。漬物の皿には胡瓜と大根。白飯は茶碗の縁までしっかり盛られていた。
「飯時に、硬い話はすんなよ?」
吉田じいさんが、園田の手元を見て言った。
園田は、ちょうど端末を出そうとしていたところだった。
「あはは……」
真凛が小さく息を吐いた。笑ったのか、呆れたのかは分からない。
その時、入口の前で影が止まった。
霧島だった。
黒いパンツスーツの肩に、今日一日分の疲れが乗っている。トートバッグの持ち手を両手で握ったまま、店の中へ入るかどうかを迷っていた。
「霧島」
声をかけると、霧島の肩が少し跳ねた。
「……はい」
「入れ。飯が冷める」
霧島は、いつもの軽い笑いを作りかけた。けれど、うまくいかなかった。
「怒られると思ってたんですけどぉ」
「怒る。食ってからだ」
霧島は一瞬だけ黙った。
真凛が、何も言わずに席を少し詰めた。園田も端末をしまい、鞄を足元に寄せる。
「……じゃあ、先に食べます」
霧島が席に座る。
吉田じいさんは、何も聞かなかった。ただ、豚汁の椀と白飯をもう一つ置いた。
「冷めるぞ」
「ありがとうございます」
霧島は箸を取った。
まだ聞くことはある。怒ることもある。面倒な話も残っている。
だが、今は飯だ。
焼き鯖をほぐして、白飯に乗せる。脂と塩気が米に移る。口に入れると、ようやく体が戻ってくる気がした。




